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されどわれらが日々――

「夏といえば海ですよ。おじいちゃん、今年は海に行った?」

「うーん、女房が死んでから、遊びに行くのがおっくう(・・・・)になってしまってな。孫には申しわけないと思ってる」


 スタジオの中は寒々とした空気に包まれていた。クスリとも声がしない。おれは折れそうになる心を必死に押さえつけて太田さんに話をふった。


「えーと、じゃあ他に遊びに行きたい場所はないの?」

「そうだなあ、息子夫婦が生きてさえいれば……」


 何なんだよ! この面白くもなんともない会話は……

 ネタを見せているあいだに太田さんは劇的な変化をとげた。この短い時間で大田さんのボケがみるみるうちに回復してきたのだ。

 医者の予言からきっちり一時間後、太田さんはまるでボケてくれなくなった。


「いや、そういう暗い話は止めにして、もっと楽しい話をしようよ」

「本当に不甲斐ない男で申し訳ない」

「かおるなら海でも山でも連れてってやるから」

「そう言ってくれるとありがたいな。ムコ殿には本当に感謝してるんだ」

「ム、ムコ殿って……」


 ここにきて初めてボケてくれた。本来はツッコミを入れるところなのに、おれはなぜか絶句してしまった。


「これだけは言わせてくれ。わしはムコ殿に感謝しとる。女房が死んで以来、わしは何もかもやる気を失っていたんだ。そんな風だから孫のかおるも元気がなくなってしまった。でも、あんたが来てから家の中の様子が変わった。むかしみたいに賑やかになった。かおるもすっかり元気を取り戻した。本当にありがとう。すぐに手が出るのは玉に瑕だが、幸いわしは頑丈だから、あんたに叩かれても痛くない。それに、かおるに手を上げたことは一度もないのは知っとる。これからもかおるの事をよろしく頼む。それから早く曾孫の顔を見せておくれ」


 俺が黙ってるのをいいことに、長々と演説を始めてしまった。

 どうやら太田さんはおれのことを、かおるの婿だと思ってるらしい。おれが同居している状況を、太田さんなりに解釈したのだろう。

 そういう意味では、まだ認知症が完全に回復したわけではないようだ。


「……ところでここは何処なんだ」

 太田さんは不思議そうな顔でキョロキョロとあたりを見回した。


「そ、そうだおじいちゃん、好きな芸能人はいる? 夏木マリとかどう?」

「そんな事よりかおるの姿がみえないんだが、迷子にでもなったんじゃないか? こんなところで油を売ってる場合じゃないだろ」


 太田さんが真剣に抗議する。これでは漫才にならない。予定より早いが、ここで強引にオチへ持っていくことにした。

 おれは足元に用意しておいたバケツを太田さんの頭にかぶせた。


「いいかげんにしろ!」

 バシッと叩く。

 ところが太田さんはウンともスンとも動かない。


「駄目だよ。しらふでバケツ踊りなんかできないよ……」

 バケツの中から恥ずかしそうな声が響いた。万事休すである。

 おれはステージの真ん中で呆然と立ち尽くした。


「えーと、これで終わりです」

「ご苦労さまでした。結果は後日、郵送しますから……」


 審査員席のプロデューサーの声がむなしく響く。その事務的な口調が敗北感をつのらせた。罵声や失笑を浴びたほうがまだ気が楽だった。


「では次に『アリスとテレス』さん、おねがいします」

「あのー、すいません」

 おれは意を決してプロデューサーに声をかけた。


「なんですか?」

「次の『アリスとテレス』さんのネタ、見ていってもいいですか? 参考にしたいんで」

「いいですよ、じゃあ、隅のほうに座っていてください」

 おれたちは許しを得てスタジオの隅に移動した。


 アリスとテレスはわりとスラリとしてルックスのいい男女二人組である。服装もおしゃれな大学生そのものだ。いわゆるモテそうな男女だった。

 そんな二人が見せてくれたのは、典型的なドツキ漫才だった。

 彼女(アリス)の浮気を疑う(テレス)が追及をエスカレートさせ、ついにはドロップキックをかましたり電気あんまをかけたりする。アリスのほうはステージをゴロゴロ転がったりギャーという悲鳴を上げたりしながらも、テレスの追及をノラリクラリとかわす。

 ファミレスでは気の弱さまるだしでオドオドしていたテレスが、舞台の上では別人のようにいきいきしていた。狂気にみちた突っ込みを矢継ぎ早にくりだしている。


「ああ、あいつ化けたなあ」

 そんな言葉が思わずもれていた。


 その瞬間、おれの脳内に過去の映像がつぎつぎとフラッシュバックした。

 観光客相手の土産物屋をやっていた両親。九州から上京するために乗った飛行機。初めて俊夫(テレス)にあった新歓コンパ。加奈子(アリス)をデートに誘う権利を賭けたジャンケン。告白してOKをもらったと、電話で知らされて泣いた夜。


 そうだった、俊夫のボケはシュールで分かりにくくて苦労させられた。そのすべてを拾い上げるのは至難の業だった。

 そんな俊夫とコンビを組めるのはおれぐらいのもんだ。あいつが笑いを取れるのはおれの突っ込み技術があるからなんだ。そんな自負を持っていた。

 しかしいま眼前に繰り広げられているネタをみて、その認識が誤っていたことに気付かされた。あいつは気の強いおれに遠慮して、あるいは加奈子を取ってしまった負い目から、自分をセーブしていただけなんだ。

 その証拠に、遠慮する必要のない相手だと、ここまで軽やかに飛ぶことができる。


 化けたのは加奈子も同じだ。彼女はピアニカをプカプカ吹きながらひとことギャグをくりかえすピアニカ漫談をやっていた。ひとりよがりなだけの酷い芸だった。

 それが今はどうだ。舞台せましと転げまわり、大げさな悲鳴を上げながらもまったく悲壮感を感じさせない。みごとな芸だった。ルックスのよさが面白さを倍増させている。

 スタジオの空気は、先ほどとは打って変わってにぎやかになった。あちこちから笑いが漏れ、俊夫の回し蹴りを加奈子がブリッジでよけた瞬間、拍手がまき起こった。


(それにひきかえ、このおれは……)

 自分たちの醜態が頭にこびりついてはなれなかった。だからライバルのネタをこれ以上見ていられず、太田さんのほうばかりうかがっていた。


 太田さんはふたたび石のように固まっていた。外界に対する反応をいっさい失ってしまう症状が、また始まったようだ。しかしおれには分かる。太田さんの内部は確実に変化していて、以前とは比べ物にならないくらい回復しているのだ。

 おれが声をかければ太田さんはニコニコ笑って返事をするだろう。無骨でシャイで、ときたまひょうきんな顔を見せる普通の老人の反応を見せるだろう。

 だがそれはおれが求めている物とは違うのだ。


「ご苦労さまでした。結果は後日、郵送しますから……」

 気が付くとスタジオにプロデューサーの声が響いていた。いつのまにか「アリスとテレス」のネタ見せが終わっていたのだ。

 おれはあわてて二人に駆け寄って声をかけた。


「今夜は叙々苑で焼肉パーティーをやる予定なんだ。おまえらも来いよ」

「……いいのか?」

 素にもどった俊夫はふたたび気弱そうな表情を見せる。


「ああ、だからこれからアパートに帰って服を着替えないと」

 おれは自分の着ている原色のスーツを指ではじいた。


「太田さんにも服を貸してあげなきゃいけないし。それには鍵が要る。部屋の鍵は荷物の中に入ってたはずだ。まさか捨ててないだろうな?」

「捨ててないよ。ちゃんと部屋に隠して……いや、ところでアパートの場所は分かるのか?」

「もちろん分かる。ぜんぶ思い出したからな」


          〇


 おれの住んでいたアパートは鷺宮にある。その鷺宮から一番近い叙々苑は西武新宿駅近くの歌舞伎町店だ。そこでさっそく店に六人ぶんの席を予約した。

 そして陽が沈むころ、焼肉パーティーは和やかなムードでスタートした。

 記憶を完全に取り戻したおれは、すっかりもとの大学生に戻っていた。考えてみれば三島での生活はたかだか一ヶ月ちょっとの出来事にすぎないのだ。

 ごく自然に、俊夫や加奈子と同級生トークでもりあがる。


「そういえばもう後期の授業が始まってるだろ? ヤバいかなあ」

「恭ちゃんは前期だってろくに出席してなかったじゃないか」

「バーカ、ちゃんと出席を取る授業と取らない授業をみきわめてサボってたんだよ」

 ハブられぎみのかおるがあわてて話に割り込んできた。


「似合わねー! 恭ちゃんだって」

「覚えておけクソガキ、おれの名は増本恭平。意外とカッコイイ名前だろ?」

「それに意外と偏差値の高い大学にいたんですね」

 先生は感心したようにおれの学生証をながめていた。


「自分でも驚いてますよ」

 うちの大学の落語研究会は渡辺正行や三宅裕司、立川志の輔といった有名コメディアンを輩出した名門である。十五年前、その落語研究会から分派・独立したのがおれの所属するお笑い研究会なのだ。

 加えて理工学部のOBには日本のお笑い界のトップに君臨するビートたけしもいる。幼少期からのお笑いマニアであるおれが、この大学を目指したのも当然の話だ。


「あーあ、ヤダヤダ! 自慢、自慢、自慢かよ。これだから都会人は嫌いなんだよ」

「で、でもかおるちゃんは可愛いし、将来は美人になりそうね」

 加奈子が必死にフォローを入れる。しかしその言葉は禁句なんだよなあ。


「あーん? てめえこのやろう」

 かおるは本能的に加奈子を敵と判断したらしく、敵意をむき出しにした表情でにらみつけた。まったくの野蛮人である。


「いいから肉食え、に・く」

 おれは焼き立ての上カルビをかおるの唇に押し付けた。


「アチャチャチャチャ!」

 そんな中でも太田さんはひとり黙々と肉を口に運んでいた。

 しかしパーティーが進むにつれて雰囲気がじょじょに変わっていった。叙々苑だけにじょじょに……


「ケッ! 美人の彼女をゲットした上に、お笑いグランプリの予選も通過かよ」

 おれはジットリとした目で俊夫をにらみつけていた。


「い、いや、まだ予選通過と決まったわけじゃ……」

「決まってるだろ、そんなの! あんなにウケてたんだから! それに比べておれはどうよ。自信満々でスーツを作ってあのていたらくだ。恥ずかしいにもほどがあるだろ」

「だ、だからまだ分からないじゃないか」

 ただでさえ気の弱い俊夫は、尋常じゃない雰囲気のおれにからまれて顔面蒼白状態だ。


「分かってるよ、俊夫、おまえの心の中は。おれのことを見下して笑ってるんだろ。惨めなピエロに成り下がったおれをよ。いいぜ、笑えよ。遠慮なく笑っていいんだぜ」

「そんな、笑うだなんて……」

「笑えよ、ほら! 笑わないんだったらおれが笑ってやるぜ。ハハハッ! ハハッ、アハハハハハハハハハハハッハハッハハハッハハハハハアハハハハハハハ!」

 このように、俊夫をつかまえてしつこくからんでいた。


 予選であんな大失態を犯したために心がすさんでいたのだ。最初は無理に明るくふるまおうとしたが、酒が進むにつれてじょじょにタガがはずれていった。


「お、おい、ちょっと飲みすぎじゃないか?」

 見かねたかおるが止めに入る。さっきと逆パターンだ。


「うるせー、クソガキ! 恭ちゃんと呼べ、恭ちゃんと!」

「ああ、分かったよ、呼んでやるよ……恭ちゃん、そろそろお開きにしたほうが」

「ふふん、おまえの魂胆は分かってるんだ」

「こ、魂胆って……」

「おまえは太田さんとコミュニケーションがとれるおれを離したくないんだろ? そうやってやさしくすれば引き止められると思ってるんだろ? ざーんねーんでした! おれは東京の大学生にもどりまーす。わりとステータスのある大学だし、OBには業界関係者がいっぱいいるからネー。がっかりですネー、将来美人になりそうなかおるちゃーん」

「なっ……てめえ」

「安心しろよ。太田さんのボケはほとんど治ってる。おれがいなくても大丈夫だ。もっともそのおかげでおれはチャンスを掴みそこなったわけだがな」


 一瞬、かおるの目に驚愕の色が浮かんだ。しかしすぐに眉を寄せると、その目から涙がツーッと流れ落ちた。


「おまえ、あたいのことをそんな風に思ってたのかよ」

「あ?」

「じいちゃんとのコミュニケーションのためだけにあんたの世話をしてたって、本当にそう思ってたのかよ!」

「違うのか? そうとしか考えられないじゃないか」

「バカ!」

 かおるのビンタが炸裂した。脳天にビリビリ響くほどの強打だった。


「何しやがんだ! クソガキ!」

「バカバカバカ! あたいの気持ちをぜんぜん分かってない!」

「おまえはなろう小説の登場人物のくせに言うことがいまいち常識的なんだよ! それなりに破天荒なキャラ付けされてるんだから、もっと破天荒なことを言え!」


 おれの言葉に、あたりの空気が凍りついた。かおるの表情がスッと消え、殺意に満ちた目でこちらをにらんできた。これはヤバい。すこし言い過ぎたかも知れん。


「てめえ、作中人物が言ってはならないことを……」

 かおるは助走をつけておれに迫ってきた。そして軽やかにジャンプすると、側頭部にあざやかなドロップキックをあびせてきた。


「しきっ!」

 おれは三メートルほど吹っ飛ばされてふたつ隣のテーブルに突っ込んだ。おろしたてのシャツがナムル盛り合わせまみれになった。


「ガキが……大人の怖さを教えてやる」

 そんなに年は変わらないのだが、気にしたら負けだ。おれはテーブルの上に立つと、偶然通りがかったウェイターのお盆に足をかけ、そのまま垂直にとんだ。空中でひねりを加えてかおるの脳天にボディスラムをたたきつける。


「きょし!」

 かおるはみごとにおれの下敷きとなった。しかしこれでへこたれる野蛮人ではない。化け物じみたパワーでブリッジをして、おれの体を持ち上げたのだ。バランスをくずしたおれのスキをついて、かおるはたくみに足を取って四の字固めをきめた。


「くさたお!」

 だがおれの底力を舐めてもらっちゃ困る。おれは激痛に脂汗を流しながらも体をねじって体勢を変えようとした。長時間舞台に立つことで鍛えられたおれの脚力は、しだいに野蛮人を圧倒していった。あと少しでかおるの体をひっくり返せる。そう思った矢先――


「おまえらええかげんにせんか!」

 突然、太田さんが立ち上がっておれたちに近付いた。両手でふたりを軽々と持ち上げる。からみあった足はあっさりとほどけ、おれは右手、かおるは左手にそれぞれぶら下がる格好となった。人間とは思えない、驚異的なパワーである。


「ま、まさか……」

「じいちゃん、ゆるして」

 太田さんはニヤリと笑うと、シンバルを鳴らす要領でおれたちの頭をぶつけた。


「「へきごとおおおおおおおおお!」」

 決定的な一撃だった。おれの意識は急速に薄れていった。

 そして完全に気を失う直前、俊夫の興奮した声がおれの耳に入ってきた。


「なんてレベルの高いどつき漫才だ! この子を相方にすれば天下を取れるぞ!」

 どうやら天下取りの道は、まだ始まったばかりのようだ。



最後まで読んでくれありがとう!

↓連載中の長編のほうもよろしくお願いします(こっちは割とシリアス)


異世界からの逃亡者~テロリストが俺の脳内に住みついたなんて知らなかった

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