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仮面の告白

(話しかけるべきか、かけざるべきか……)

 迷っていると楽屋のドアが開き、腰にポシェットやガムテープをいっぱいくくりつけたADらしき男が顔を出した。


「お待たせしました。こちらが本日の予定表になります」

 壁に張り出した模造紙には手書きで出場の順番が書かれていた。


 持ち時間は一組当たり五分で、二十組ほどが入れ替わり立ち代りネタ見せをする。それで午前の部は終了だ。

 『記憶障害』の出番は最後のほうなので二時間ほど待たされることになる。


「待ってるあいだ楽屋を離れてもかまいませんが、時間に遅れると棄権とみなしますので注意してください。それでは最初の五組はスタジオのほうに来てください」


 そういい残してADらしき人物は去っていった。その後に十人ばかりの人間がゾロゾロとついていく。


「きょうちゃん? 本当にきょうちゃんなのか?」

 予定表を眺めていると、斜め後ろからこんな声が聞こえた。最初おれは自分に対して言っているとはおもわなかった。


「ごめんよ……ぼく、死んだとばかり思って」

 といわれて初めて自分のことだと気がついた。ふり返ると、そこにいたのは熱い視線を送っていた例の男女二人組だった。


「あの、ぼく、実はその……カナコとコンビを組むことになったんだ。コンビ名は『アリスとテレス』……ほら、ここに書いてあるだろ?」


 男は震える指先を予定表にあてる。『記憶障害』のすぐ下に『アリスとテレス』の名前があった。

 さしずめカナコと呼ばれた女の方がアリスで男がテレスなんだろう。

 まあ、いずれにせよ名前は必要だ。心の中でこの男をテレスと呼ぶことに決めた。女のほうも、カナコなんて名前はすぐに忘れそうなのでアリスでいいだろう。

 偶然にも俺たちの出番の次がこいつらだった。ということは、テレスたちも二時間ばかり余裕があるわけだ。

 こういう状況になってしまったら話をせざるを得ない。

 おれはしどろもどろで喋りつづけるテレスを手で制した。


「時間があるみたいだし、よかったらお茶でも飲んでゆっくりお話しませんか?」


          〇


 医者とかおるはテレビ局前のファミレスで待っていた。おれはアリスとテレスをともなってそこに合流した。もちろん大田さんも黙ってついてきている。

 ファミレスに向かう道すがら、おれは自分の状況をかいつまんで説明した。二人とも驚いた表情を見せたが、それっきり何も言わなかった。

 アリスもテレスもおれの知り合いらしいが、二人の顔を見てもいっこうに記憶がよみがえらない。だから何の実感もわかなかった。

 それにしてもテレスは線の細い、気弱そうな男である。他人事ながら、これで舞台に立てるんだろうかと心配になってくる。

 席につくやいなや、テレスがかばんから小型のビデオカメラを取り出した。


「何も言わずにこれを見てください」

 そう言って再生ボタンを押すと、液晶画面にザラついた映像が浮かんだ。


 真っ暗な中に、真ん中だけ丸く切り取ったように明るいモノクロ画面が映し出される。ナイトモードによる夜間映像だ。

 広々とした原っぱにベロベロに酔っ払った男がひとりで立ってはしゃいでいる。

 おれである。『I Just Had Sex』のTシャツが痛々しい。


「これを撮影しているのは?」

 医者の質問に、


「ぼくです」

 テレスが短く答えた。

 画面の中のおれはいきなりズボンを脱ぎだした。


「よーし、これから火炎放射の術を見せてやろう」

 スピーカーから発する、ろれつの怪しい自分の声を赤面する思いで聞いた。

 画面の中のおれはライターを取り出して火をつけると、ゆっくり肛門に近づけていった。

 ブー!

 巨大な放屁の音が響いた。

 巨大な炎が上がった。

 予想外に大きな火炎放射はおれの背中を舐め、着ていたTシャツに引火した。


「アチャチャチャチャ!」

 背中に炎を背負ったおれはブザマな踊りを見せ、あわててTシャツを脱いだ。

 問題はズボンが半脱ぎだったことだ。

 酔っ払って足元がおぼつかない上にズボンは半脱ぎ。かろうじてTシャツを脱いだは良いけど、それもつかのま、おれは頭からおもいっきコケてしまった。


「おい、どうした」

 スピーカーから撮影者の声が響いた。たしかにテレスの声だった。

 コケたきり動かないおれを心配している。

 だが、無情にもテレスは脚で俺の背中をツンツンと突くと、


「うわああああ!」

 と叫んでその場から逃げ出した。

 ぶれぶれの画面がしばらく続いて、唐突に映像が途切れた。


「映像はこれで終わりです」

 テレスそう言ったきり黙りこんでしまった。


「つまりね」

 あとの話をアリスが引き取った。


「トシオはきょうちゃんが死んだと思ってその場から逃げ出したということなの」

 彼女の説明によると、真相はこうだ。


 おれ(増本恭平)とテレス(飯沢俊夫)、そしてアリス(楠田加奈子)は東京の私立大学でお笑い研究会に所属していた。三人とも一年生だ。

 仲の良かったおれとテレスは「もじり兄」というコンビを組んだ。

 先輩たちのウケもよく、特におれのパワフルな突っ込みは、先輩を通じてTVディレクターをしているOBの耳にも入ってていたという。

 そして夏休みに入り、そのディレクターに対するプレゼンの意味もこめて、おれたちは有吉弘行が世に出るきっかけとなったヒッチハイク旅行をまねて、それをビデオに記録することにした。

 静岡県は三島の広大な原っぱで野宿するまでは順調に進んでいた。ところが酔っ払ったおれはおならによる火炎放射を試みて失敗。

 テレスはおれが死んだと思い、怖くなってひとりで東京に帰ってきた。そして恋人のアリスにそのことを告白すると、二人で不安な日々を過ごしていたのだ。


「つまり転倒したときのショックで彼は記憶喪失になったというわけですか」

 医者は相変わらず冷静な口調で言った。


「だから彼は上半身裸で、しかもズボンを半脱ぎにしていた、と」

「こんなくだらない話、聞いたことないや」

 かおるが笑い声を上げる。


「どうもおかしいですね、すると彼の財布や荷物がなかったのはどういう事ですか」

 医師の言葉に、


「実は……あの後すぐに現場に戻って証拠隠滅を……」

 テレスがとんでもない告白を始めた。


「なにしろ気が動転して……なぜか身元が判明するのはヤバイと思ってしまって……」

「何だよ証拠隠滅って! おまえ、メチャクチャだな!」

 おれはついカッとなってテレスに掴みかかった。


「ごめんよ! パニック状態で、わけが分からなくなって」

 反射的に証拠を隠滅してしまったせいで、よけい警察に言い出せなくなったのだ。


「まあまあ落ち着いて」

「こんなところでケンカするなよ!」

 医者とかおるに両側から押さえつけられて、おれはテレスから引き離された。


「まあ何にしても身元が判明してよかったじゃないですか」

 医者のなぐさめも耳に入らない。


「いい友達を持って、過去のおれはさぞ幸せだったろうよ!」

 とおれは皮肉をこめて叫んだ。


「これから大事な舞台があるというのに、こんな話聞かなきゃよかった」

「ちょっといいですか?」

 医者がおれを立たせてトイレの前まで引っぱった。


「なんです? おれはいま限りなくブルーなんです」

「それに追い討ちをかけるようで恐縮なんですが……気を落とさないでください、太田さんの健康状態が回復しているといったでしょ? 実はボケのほうも回復傾向にあるんですよ」

「それのどこに気を落とす要素があるんですか。良い事じゃないですか」

「しかしあなたの漫才は太田さんのボケに依存してるわけでしょ?」

「あっ!」


 そうか、太田さんのボケが回復するという事は、舞台でもボケてくれなくなるということか。おれは足元が崩壊するような感覚を味わった。

 そういえば最近は、ひとネタに一回の割合でまともな答えを返すようになっていた。ひとネタあたりのボケの量もすこし減ってきている感じがしていた。それがボケ回復の前兆だったことに、いまさらながら思い当たった。


「し、しかしどうしてこんな事に……げ、原因はなにが……」

「さあ、それなんですがね、はっきりした事は分かりません。あなたとの会話で脳が鍛えられたのか、それとも頭を叩きつづけたのが良かったか」

 冗談じゃないぞ、これから天下取りに向けて歩みだそうとしている矢先に。


「それで……あとどのくらい時間が残ってるんですか?」

 おれは祈るような気持ちで先生に聞いた。


「時間?」

「太田さんが完全に回復するまでですよ。ボケなくなるまでの時間ですよ」

「そんなこと分かりませんよ。一ヵ月後かもしれないし、一週間後かもしれない。ひょっとしたら一時間後にはそうなってるかもしれない」

 早すぎる! 一時間後とはまさに予選の最中ではないか。まったく踏んだり蹴ったりだ。


(いや、大丈夫だ、きっと何とかなる)

 おれは必死で自分を鼓舞した。


(太田さんがそんなに早く回復するとは限らない。せめてこの大会が終わるまで、そうだ、ゴールデンタイムにおれの雄姿が流れるまで持ってくればいいんだ)

 名刺を眺めながら幻視した光景。せめてあれが現実化すればそれでいい。


(それに、プロじゃないとはいえ、漫才をやってたことは確かなんだ。サークルでは先輩からも一目置かれ、OBのディレクターからも注目されていたんだ)


 たとえ太田さんのボケが多少鈍ったとしも、おれの突っ込み技術でカバーできるかもしれないのだ。いや、絶対カバーしてみせる。

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