蹴りたい背中
次の日から、おれは一躍村の名士となった。
道を歩けばみんなから挨拶され、酒場に行けばみんなから奢られた。
おかげで毎日タダ酒が飲めた。自分の年齢がわからないので飲んでいいのかどうか分からなかったが、まあ断るのも悪いしね。
それに、ふるまわれた酒をひとくち飲んだところ(自分は飲みなれている)と感じたので、飲んでもいい年齢なんだと思うことにした。
(おれにもついにタニマチが付くようになったか……)
奢ってくれる村人を心の中でタニマチあつかいしつつ、おれは酒場に入り浸った。
もちろんコンクールのことも忘れていない。
バイトの合間をぬって漫才の稽古をするのは相変わらずだ。そして検索でヒットしたお笑いコンクールに片っ端から申し込んだ。
「そんなハードスケジュールで大丈夫かよ」
というかおるの声は無視して、片っ端から出場しつづけた。
そしてウケにウケた。
すべてのコンクールを優勝か準優勝でかざった。ぶんどった賞金の合計額はサラリーマンの年収をかるく超える。
治療費の心配がなくなり、タレ目の先生もホクホク顔だ。
いつしかコンクール荒らしの異名を持つようになった。笑いすぎて倒れる観客が続出し、そのうち死人が出るんじゃないかと噂された。
ただひとつ気になることがあった。これだけコンクールに出てるのに、自分の過去を知る人間がいっこうに現れないのだ。
ひょっとしておれは漫才師じゃないのだろうか? 見当違いの方角を探しているのではないか? そんな疑問がわき上がることもあった。
〇
「ひい、ふう、みい、よ、4枚か……つまり合計24枚、まあまあだな」
おれはちゃぶ台に名刺を並べて悦に入っていた。
みんな芸能プロダクションのスカウトたちだ。誰もが知る大手から聞いたこともないような零細まで24社。
大半はコンクールを見に来ていたスカウトの名刺だが、なかには噂を聞きつけてはるばる家に押しかけてきた者もいた。
「おい、そんなの片付けろよ! お皿が置けないじゃないか」
両手に皿を持ったかおるに怒鳴られてしまった。腰にはエプロンを巻いている。つまりもう夕食の時間ということだ。
ずいぶん長いあいだ名刺を眺めていたらしい。ぐずぐずしてたら名刺の上に皿を置かれてしまう。おれはあわててちゃぶ台の上を片付けた。
「何だ、また魚かよ、たまには肉食わせろよ、に・く」
「じいちゃんは肉より魚が好きなんだ。いいか、この家ではじいちゃんがいちばん偉いんだ。名刺がそんなに集まったのも、半分はじいちゃんのおかげだろ?」
「ケッ! いやなガキだぜまったく……」
おれはとなりにチョコンと座っている大田さんを見た。おれが部屋に入ったときから置物のようにずっとそこにいた。この人は放っとくと一日中だまって座り続けているのだ。
「なあ、大田さんだってたまには肉を食いたいよなあ」
「うーん」
「ほら聞いたか、かおる。いくら好物でも、たまには違うもんが食べたいんだよ」
ガチャン! と派手な音を立てて皿が乱暴に置かれた。その拍子に煮付けの汁が飛んでおれのズボンにこぼれた。
「おい! 気をつけろよ」
おれの怒鳴り声を無視して、かおるは大田さんに抱き着いた。
「ごめんよ、じいちゃん。明日は肉を食わせてあげるからね」
目には涙をにじませている。重度のジジコンである。
しかし不思議なことに、大田さんは孫のかおるにたいしては何の反応も見せないのだ。
「もしもーし、ズボンが汚れちゃったんですけど! ……ぶわっ!」
おれの顔にエプロンが飛んできた。これで拭けということらしい。
「まったくもう……」
じいちゃんに抱き着いて離れないかおるを無視して煮付けに箸をつけた。
「うん、うまい」
言葉も態度も乱暴でどうしようもない娘だが料理の腕前だけは最高だった。それにしても大人しい大田さんの血筋から、どうしてあんな野蛮人が生まれたのか……
「なんか言ったか?」
「いや、何も」
おまけにテレパシー能力もあるらしい。
まあこっちは居候の身だし、衣食住の世話をぜんぶ彼女にさせているのも事実だ。あまり強い態度にはでれない。
機嫌を損ねてパンツを洗ってくれなくなるのも困る。
えっ? ジジコンのかおるがあんな漫才をよく許したなって?
もちろん最初の頃、かおるは遠慮なく叩くおれの突っ込みに猛烈な抗議をしたよ。
でも医者の話によると、漫才を始めてから大田さんの体調は良くなっているという。先生にそういわれては、さすがのかおるも引き下がらざるを得ないわけよ。
実際、当の大田さんだって嫌がるそぶりも見せずに舞台に上がってくる。
おれは黙々とめしを食べる太田さんを見た。基本的に外からの刺激に反応を示さない人だが、目の前に食事を並べると勝手に食べ始める。
もし食事に手をつけなければ腹がへってないということだ。これと同じで、もし太田さんが漫才を嫌がっていれば、決して舞台に上がったりしないだろう。
「でもよう、何だって後生大事に名刺なんか取っておくんだい」
口いっぱいに煮つけをほおばりながら、かおるが聞いてきた。
「そんなのおれの勝手だろ」
「だって、そもそもコンクールに出るのは身元捜しの方便なんだろ? もしあんたがプロの漫才師なら事務所に入ってたんだろうし、そこを退職してない段階で新しい事務所に入ったら、二重契約になっちゃうじゃないか」
「誰も入るなんて言ってないだろ? 名刺のコレクションが趣味なんだよ」
とは言ってみたものの、心の中では迷いが生じていた。
どうも過去のおれはプロの漫才師ではないらしい。たとえプロだったとしても業界の端っこでくすぶる無名芸人だろう。これだけコンクールを荒らして知り合いが出てこないのだから。
ところが今のおれは違う。行く先々の会場で、つねに狂ったような笑いを生み出すことができる。ひょっとしたら天下を取れるかもしれないのだ。
(天下か……)
ビートたけしやダウンタウン、くりぃむしちゅーなどの顔が浮かんだ。
正直に言おう。おれは自分の過去さがしなんかどうでも良くなっていた。
それよりお笑いの世界で天下を取ることを夢想し始めていた。大田さんが相方ならそれができる。
ゴールデンタイムで放送されるおれの雄姿。名刺を眺めながらそんな幻影を見ていたのだ。
おれは空気を変えるため違う話題をふることにした。
「なあ、来週の大会はかおるも付いてくるんだろ?」
「来週のって東京の?」
来週は大東京テレビが主催する「大東京お笑いグランプリ」の予選が始まるのだ。優勝賞金は一千万。本選の様子はゴールデンタイムで全国放送される。
もちろんプロも多数参加する。というか、ほとんどプロを対象にした大会だ。今まで参加したコンクールとはケタ違いのビッグイベントである。
「ああ、それがすんだら有名な叙々苑で焼肉ディナーでもどうだ? いや、金はあるんだ。どうせなら先生も呼んで盛大にやろうぜ」
「いいけどさ……」
かおるは不安そうな表情でおれと大田さんを交互に見た。
彼女にとっては今現在の状態を固定しておきたいのだろう。間接的とはいえじいちゃんとはコミュニケーションがとれてるし、健康状態も上向きだ。
居候のおれはまだ村の有名人レベルで、喧嘩友達式のやりとりを気楽に交わすことができる。先に進むことでこの絶妙なバランスを崩したくないのだ。
(だが、それが無理なことも分かっているはずだ)
たとえおれがコンクール荒らしをやめたとしても、何かの拍子で記憶が回復したら、やっぱり以前の生活環境――おそらく関東圏――に戻っていかざるを得ないのだから。
〇
そんなこんなで、またたく間に来週になった。
先生を加えたおれたち四人は8時36分発のこだま700号に乗り三島を出発した。50分後にはもう品川に到着。そこからタクシーにのって10分後には大東京テレビの玄関先に立っていた。
東京って意外と近いんだな。浜名湖に行くほうがよっぽど時間がかかる。
「通勤可能圏内じゃねーの?」
かおるが妙にニコニコしながら言った。
「毎日新幹線とタクシーが使えるわけないだろ。それより……どうです先生」
おれはくるりと回って、この日のためにあつらえた原色のド派手なスーツを見せびらかした。やはり漫才師はこうでなくてはいけない。
「うむ、360度どこから見ても漫才師ですな」
もちろんこのスーツは太田さんとおそろいである。こんな服を着せられても、彼はいつもと変わらずボンヤリと立っている。
「なあ、コンビ名はあいかわらず『記憶障害』なのか?」
かおるはテレビ局から来た書類をにらみつけていた。
「業界で名前が売れ始めているんだ。いまさら変えるわけにはいかないだろ」
おれはかおるから書類を奪い取ると、意気揚々と玄関をくぐった。
医者の話によると、以前よく通っていた場所に来ると記憶がよみがえったりするという。しかし局内を見渡しても一向によみがえる気配はない。
つまり自分はテレビ局によく通う人間じゃなかったという事だろう。分かってはいたが、ちょっとがっかりした。
楽屋に通されたおれは中の様子に目を見張った。
学校の教室ほどの広さの部屋に五十人ちかい人間が詰め込まれていた。午前の部だけでこの人数である。それぞれ勝手に折りたたみ椅子を出してくつろいでいる。
テーブルは細長い折りたたみ式が真ん中に一台あるだけで、その上にはペットボトルが三本と大量の紙コップが乗っていた。テーブルの端にポリ袋がガムテープでくっ付けてあり、使用済みの紙コップを捨てられるようになっている。
テレビで見たことのある顔が何人かいたが、大半は知らない顔だった。
というか、参加者の二割は子供と老人で、こいつらはどう見てもひやかしとしか思えない。まあ、おれだって大人とはいえないし、相方だって老人だから人のことは言えないが。
コンクール荒らしを始めてから知り合った芸人仲間も応募しているはずだが、この場には居ないようだ。なにしろ予選だけで半月近くかかるという話だからな。
「とりあえず座るか……」
おれは隅に立てかけてあった折りたたみ椅子を二脚持ってきて空いている場所に広げた。
大田さんはおれにうながされると大人しく椅子に座った。異様な雰囲気の場所にもかかわらず、普段通り石のように固まっている。こっちは問題なさそうだ。
ところで、さっきから気になっていることがある。
おれの顔をチラチラ見ている奴がいるのだ。どうやらおれと同じく二十歳前後の男女二人組で、その両方がこちらに熱い視線を送っていた。
すぐにピンときたね。こいつらはおれの身元を知っている。皮肉なことに、身元捜しをあきらめた途端にそれらしき人間に出会ってしまった。
おれは今の生活にはそれなりに満足している。というか今の生活しか知らないので、精神がすっかり適応してしまった。どうせ以前の身分はろくでもないものなんだろう。はっきりいってそれを知るのが怖い。
これから大勝負が始まるというのに、過去の記憶がどうこうなんて、今のおれにとっては雑念の元でしかないのだ。
さて、あいつらに話しかけるべきか、話しかけないほうがいいのか……