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ダンス・ダンス・ダンス

「先生、大変だよ! またうちのじいちゃんが……」

 と騒がしく診察室に飛び込んできたのは、原っぱでおれの息子を指ではじいていたガキである。そのガキに手を引かれてもうひとり入ってきた。


 おそらくガキのおじいちゃんだろう。白いタンクトップに半ズボンといういでたちで、これで麦藁帽子でも被っていたら完全に田舎の少年だが、残念ながらおじいちゃんが被っていたのは銀色に光るブリキのバケツだった。

 バケツをすっぽり被っているので顔は見えないが、小柄ですこし腰が曲がっているし、二の腕のたるみからも老人だとわかる。


「「なんだこいつは!」」

 おれとガキが同時に叫んだ。


「おまえ、なんで寝っ転がって足を上げてるんだよ」

「おまえこそ、そのバケツ男は何なんだよ」

 おれはあわてて起き上がった。


「うちのじいちゃんだ! 文句あるか!」

 興奮したガキはバケツをガンと叩いた。じいちゃんは、


「あわわわ」

 と叫びながらフラワーロックのような動きを見せる。


「ああっ! ごめんよ、じいちゃん」

 ガキはあわててじいちゃんに抱きついて動きを止めた。

 面白い。じいちゃんの動きが最高なのはもちろんだが、「あわわわ」という声がバケツに反響するのがおかしさを倍増させている。

 抱きつくとピタリと動きを止めるのもいい。おれもおもいっきりバケツを叩きたい誘惑にかられた。


「なんだよその目は。おまえ、じいちゃんに何かするつもりだな」

 ガキが警戒するようにおれの前に立ちふさがる。チッ、ばれたか。


「こらこら、かおるちゃん、乱暴な口をきいたら駄目だっていつも言ってるだろ」

 医者は立ち上がってかおると呼ばれたガキの頭をグシャグシャとなでた。

 ほう、こいつの名前はかおるというのか。まるで女みたいな名前じゃないか。


「ごめんなさい先生、でもこいつがじいちゃんの事……」

「そのじいちゃんが大変だからうちに来たんだろ?」

「あっ、そうだった! バケツを被ったまま転んじゃって、抜けなくなったんだよう」

「おかしいだろ、それ!」

 おれは思わず大声を出した。


「まずバケツを被るシチュエーションが分からない」

「おまえには関係ねーだろ!」

 かおるはうっとおしそうに睨んできた。まあそうだろう。

 おれだって口を出す気はなかった。反射的に言葉が出てしまったのだ。


「かおるちゃん、レディーがそんな汚い言葉使いしちゃ駄目だって」

 医者がたしなめる。


「ん? ちょっと待った。先生、いまレディーって言わなかった?」

「そうだよ、女の子だからね」


 医者の言葉にあらためてかおるを見ると、たしかに女性的できれいな顔立ちをしている。いままでガキだと思ってまともに顔を見てなかったから意外だった。あと五~六年もすれば美人になりそうな感じがしないでもない。しかし……


「ガキじゃしょうがないな」

 おれは小声で率直な感想を述べた。さいわいこの声は誰にも聞かれなかった。

 医者は戸棚からトンカチを取り出すと、


「こんなこと医者の仕事じゃないんだけどなあ」

 といいながらバケツをあちこち叩き始めた。叩いて伸ばして何とかバケツを抜こうとする。しかしなかなか上手くいかなかった。

 なぜならトンカチで叩くたびにじいちゃんが、


「あわわわ」

 と叫びながら踊りだすからだ。そのたびにかおるが抱きついて止める。

 トントン

「あわわわ」

 トントン

「あわわわ」

 である。しかしまあ、十五分ほどかけて何とかバケツを抜くことはできた。


 その間おれは笑いをこらえるのに必死だった。それ以上に、自分もトンカチで叩きたいという誘惑を抑えるのに苦労した。

 この出来事でいちばん疲れたのはおれかもしれない。

 さて、バケツの下から現れたじいちゃんの顔は、いかにも田舎のガンコ老人という感じの味わい深い風貌をしていた。ゴツゴツと角ばった岩石を思わせる。

 そして、その風貌に反して非常に大人しい人だった。


「このおじいちゃんは太田さんといって、長年、木こりをされていた方です」

 医者が説明してくれた。


「いまどき木こりなんているんですか?」

「まあ今風に言えば伐採業者ですね。斧じゃなくてチェーンソーで木を切るんです。近所ではひょうきん者で有名だったんですが、五年前に奥さんを亡くされてから塞ぎがちになりまして、だんだんボケのほうが進行してきたんですよ」

「それでバケツを被るようになったというわけですか」

「いや、バケツを被るのは昔からです」


 おれはズッコケかけて危うく踏みとどまった。医者のほうをチラッと見ると、案の定、残念そうな顔をしている。こいつ、わざとやってるな。


「つまりバケツを被って踊る芸です。若い頃からこれが得意で、近所でも評判でした。太田さんがひょうきん者といわれる所以ですな」

 要するに酒の席での余興でやってきたことを、ボケてからは所かまわずやるようになったというわけだ。挙句に転んで抜けなくなった、と。


「なるほど、芸というわけか。たしかにあれは笑える。なあ、おじいちゃん、おれにもバケツ踊りを教えてくれませんかね」

「んー?」

 大田さんはぼんやりした目でおれのほうを見た。


「だからね、教えてほしいんですよ、バケツ踊り」

「んー?」

「……駄目だな、通じないや」

 おれは肩をすくめて医者を見た。すると医者は興奮したようにおれの肩を掴んだ。


「いや、通じてます。というか、太田さんが見ず知らずの他人にここまでの反応を見せたのは初めてですよ。もっと何か話しかけてみてください!」

「話しかけてといわれても……」

 この医者はおれが記憶喪失ということを忘れているようだ。自分に関する記憶が全くないという事は、他人に話せる話題も全くないという事だから。


「何でもいいから早く!」

 かおるまで興奮してパジャマのすそを引っぱってくる。


「しょうがないな……」

 おれはゴミ箱に手を突っ込むと、先ほど棄てられたポスターの角ををちぎった。1.5センチほどの扇形になった紙片を魚のウロコのような形に仕上げる。

 それを手のひらに隠し、大田さんに向き直ると、


「あ痛たたた! 痛っ!」

 大げさに痛そうな顔をして目の辺りを押さえた。


「何だこれは、目からポロッと何かが出てきたぞ!」

 ポスターの切れ端を太田さんの目の前に差し出す。


「おじいちゃんのバケツ踊りを見て、目からウロコが落ちました」

 大田さんは紙をしげしげと眺めると、


「うふふふふ……」

 と笑いだした。


「すげえ! じいちゃんが笑った!」

 かおるがピョンピョンと跳ねる。そんなに凄いことなのかね。

 しかしまあ悪い気はしない。調子に乗ったおれは、さらに畳み掛けた。


「おじいちゃん、夏まっさかりだねえ」

「んー?」

「ここは田舎だからセミの声がうるさいでしょ」

「んー?」

「セミっていうのは何であんなに鳴くのが上手いんだろうね」

「セミプロ級じゃな」

「ってオチを先に言うなよ!」


 バッチーン!

 反射的に太田さんの頭を叩いてしまった。


「何すんだてめえこのやろう!」

 顔を真っ青にしたかおるが胸ぐらを掴んできた。


 真っ青なのはおれも同じだ。いくらボケたことを言ったはいえ、お年寄りの頭を叩くのは非常識だ。記憶喪失でもそれくらいは分かる。

 それなのに、である。無意識のうちに叩いてしまった。

 叩かれた大田さんはべつに怒ったようすもなくニコニコしているが、おれの胸には罪悪感が広がっていった。なんともやりきれない気持ちだ。


「どうもさっきからあなたの様子を見ていると、ボケに対してズッコケたり突っ込みを入れたりせずにはいられないようだ」

 医者があいかわらず冷静な意見を言う。


「おれもさっきから気になっているんです。ズッコケたり突っ込んだりはすべて無意識のうちに行っていることです。つまり、そうせずにはいられない何かが自分の中にあるという事でしょうか? ぶっちゃけて言えば職業病みたいな」

「どうやら核心に迫ってきたようですね。もったいぶらずに結論から申しましょう。あなたはおそらくお笑い芸人です」

「やっぱり! おれもそうじゃないかと思ってたんです!」

「年齢からいって、まだまだ駆け出しでしょう。こう見えてわたしはお笑いマニアなんです。ネタ番組は深夜放送までチェックしてます。そのわたしがあなたの顔に見覚えがない。つまりテレビに出るような売れっ子ではないということです」

「まあ、そうなんでしょうね……」


 面と向かって売れないといわれて、予想外のショックを受けた。

 とはいえ、お笑い芸人という手がかりを得ることはできた。日本に売れない芸人なんて、そんなに大量にいるとは思えない。

 自分の正体を探る上で、これはホームラン級に有力な手がかりである。


「ねえ先生、ものは相談なんですが……」

 こうなっては居ても立ってもいられない。おれはとっさに思いついたことを話した。


「……なるほど、素人お笑いコンクールに出場したい、と」

「そうなんです。そんなコンクールがあるのかどうか、あとで調べてみますが、とにかくそういう場所に積極的に顔を出せば、知り合いが見つかる可能性も高いと思うんです」

「おっしゃることは分かりますが、もう少し治療を続けてからでもいいんじゃないですか?」

「しかし、このままでは治療費のめども付きませんし」

 治療費と聞いて医者が黙り込んだ。どうやらこの医者は金に弱いらしい。


「どうでしょう先生、もし賞金なんかが取れたら全額病院に寄付しますよ」

 この言葉が決め手になった。おれは医者の許可を得て、素人お笑いコンクールに参加することになった。もちろん日付の近い順に片っ端から出るつもりだ。


「ところでコンクールにはひとりで出るつもりですか?」

 医者が急にそわそわし始めた。


「と言いますと?」

「ほら、コントにしろ漫才にしろひとりでは無理だから……」


 医者は目を輝かせた。そういえばこの人はさっきお笑いマニアだといっていた。どうやら自分もコンクールに出たいらしい。

 経験上、こういう素人がいちばん厄介なのだ。下手なくせに頭でっかちで言うことを聞かない。いや、そんな経験は記憶にないが、分かっちゃうのだから仕方ない。


「相方ですか、それならもう見つけてあります」

 おれはぼんやりと立っている太田さんの肩を抱き寄せた。自信過剰なマニアよりも天然のほうがよっぽどましだ。それに、すこし絡んだだけで相性の良さを感じた。


「てめえ、メチャクチャなこと言ってんじゃねえぞ!」

 またかおるが胸ぐらを掴んできた。

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