第一章 春と梅雨 1.都筑 颯太(4)
そして、その二日後の金曜日、6限の後、細谷から劇のおおまかなあらすじと、配役、係について説明があった。
物語の舞台は西欧の架空の国。その国の王家には、王と王妃の間に生まれた正統な王位継承者である王子、ニコラスと、王が美しい家来の女との間につくってしまったもう一人の“王子”、ノエルがいた。
二人の王子はほぼ同い年でまだ13,4歳であったが、ニコラスは既に隣国の姫君、クリスティーナという許嫁がおり、将来国の舵取りを任されることは当然の流れだった。異母兄弟とは言え、彼とはなから立場の違うノエルは、嫉妬することもなくニコラスと友人のような立場でむしろ仲良くしていた。
しかし、ある出会いが良好な二人の王子の関係に亀裂を入れることになる。
ある春の日、隣国との国境付近にある花畑に来ていたノエルは、そこに同年代らしき少女が花を屈んで眺めているのを見つける。彼女の顔がかさの大きな帽子を被っているせいで見えなかったので、ノエルはほんの好奇心でその少女に近づいてみる。
近づいてくるノエルの足音に気付いた彼女は、ふっと顔をあげる。そして、二人は初めて互いの顔を見つめ合うこととなった。
ノエルは、顔をあげて帽子の下にのぞいた少女の顔を見て、息をのんだ。めったに見ない肩口まで伸びた美しい黒髪に、茶色の瞳。そうした東洋系の要素もありながら、はっきりとした美しい目鼻立ち。ノエルは、今まで見てきたどの女性とも系統の違う美貌に魅せられ、一瞬で彼女に恋をしてしまう。
そして、それは彼女の方も同じだった。かわいらしい顔立ちに、言葉を少し交わしただけでわかるノエルの飾らない素朴な人柄。初対面にもかかわらず、一緒に歩き、話をすると居心地の良さを感じる。少なくとも、彼女がそれまでの人生で出会った人間のなかに彼のような人間はいなかった。当然、彼女も彼に強く惹かれることとなる。
しかし、その運命的な出会いは、悪い意味でも運命的だった。ノエルと恋に落ちたその少女こそが、ニコラスの許嫁、クリスティーナだったのだから。
その事実を知り、一時は恋を諦めようとしたふたりだったが、望まない未来をただ受け入れることは、まだ若い彼らには無理なことだった。
ふたりは、行き着いた先で暮らすために共に国外へと逃亡することを決心し、実行に移す。しかし、王子としてのプライドや、個人的な思いがあるニコラスが、それを許すわけもなかった。彼は、自らふたりの捜索隊に参加し、ノエルに剣を向ける覚悟をして彼らを探し、物語は悲劇的な終局に向かっていくのだった。
「これってロミジュr・・・」
細谷のつくったストーリープロットのプリントに一通り目を通したクラスの誰かが、ぽろっと声に出した。
確かに、あの不朽の演目もこんな悲恋のストーリーだったような気がするし、オリジナルというにはオリジナル味の薄い展開だな、と思って自分も読んでいたプリントから目を上げた。
すると、視界に飛び込んできたのは鬼の形相で、率直な感想を漏らした奴をにらみつけている細谷の顔だった。
ロミジュリって言ったらダメなやつだ・・・!
細谷の顔を見て、クラス全員がそれを察した。
禁忌に触れた奴が、何も言ってませんというようにまた下を向くと、細谷は溜飲を下げたように配役の説明をはじめた。
劇の主役はもちろん、ノエル、ニコラス、クリスティーナ。劇を教室でやるということも鑑みて、狭い舞台がごちゃごちゃした印象を与えないようにそれ以外の役は極力減らすという。そのため、他の役は家来や兵士など、数人しか設けない。ダブルキャストもしない。
裏方も当番制で回すので、文化祭当日は役のない人の拘束時間は短いと細谷は説明した。係は衣装係や装飾、小道具大道具、音響など。基本自分が指揮をするが、装飾の舞台背景だけは、もう一人責任者をつくると細谷は言い、その人物を指さした。
指をさされた人物は、おずおずと立ち上がり、小さな声でおねがいします、と答えた。
彼女は、豊岡真帆という美術部の女子で、いかにも美術部といった感じの地味な子だった。おそらく下の名前まで知っているのは、自分含めてクラスに数人だろう、と勝手に思っている。
おそらく、細谷に無理やり誘われてしまったのだろう、なんだかんだまだ風当たりの強いこの劇作りの矢面に立たされてしまっていた。かわいそうに。
座っていいと言われていないので豊岡は依然として立ったままだったが、細谷は気にすることなく事務連絡を続けた。細谷政権のクラスにまだ一ヶ月ちょっとしかいないのでわからなかったが、こいつはもしかしたら地味メガネではなく、女王系なのかもしれない。
一通り連絡を終え、事前に伝えたとおり、どのキャスト、もしくは係をやりたいか決めてほしいと細谷は話を締めた。そして、不思議そうな顔で、さも言うのが二回目のような様子でこう言った。
「真帆、もう座っていいんだよ」
この日も、他に一緒に帰るような奴はいなかったので、大森に帰ろうぜと声をかけた。しかし、いつもは即座に返ってくる返事が返ってこなかった。
このいつも一緒に帰ってやっている優しきクラスメートの声を無視して大森は何をしているかと言えば、劇の役と係の一覧が載っているプリントを凝視していた。それも、ものすごく深刻そうな表情で。
彼女はたまに、出演するアニメの台本を学校に持ってきて演技のイメージを構築していることもあるが、そのときにも見せたことのないような表情だった。あたかも、この役選びに自分の人生がかかっていると言わんばかりだった。それか、おなかが痛くて一歩でもここから動いたら漏らすという感じ。
ただ、早く帰りたかったのでもう一度声をかけ、肩を叩くとやっと大森は気がついた。
「帰ろう帰ろう」
大森は普段のニコニコした表情に戻り、急いで荷物をスクールバッグに押し込みはじめた。
帰り道、劇のことを尋ねてみたが、やはりどの役をやるか決めていないという答えが返ってきた。主役級で女の役はクリスティーナしかないのに、いざ主役をやるとなると自信がないのだろうか。
確かに、ノエルが一目惚れするような少女の役だし、自分の顔面では自信がないのかもしれない・・・と思いはしたがさすがに失礼が過ぎるので口にはしない。俺も最低限の礼節は守れる男であるという自負はある。
「ニコラスのメイド役でもやろっかなー」
クリスティーナに立候補するか迷っていることをごまかすためか、一応そんなことを言っていたが、少しもやるつもりはないのは口調からわかった。
「えっ?都筑?」
来たるその翌週のホームルームで、俺は細谷から怪訝そうな顔を向けられていた。今まさに劇の役決めをしているのだった。
依然として細谷が俺をなめ回すように見ている後ろで、書記役をやらされている豊岡が黒板に文字を書き込んでいた。
ノエル役 都筑颯太
まあ、こうして見ると自分でも「都筑?」と言いたくなる気持ちはわかる。どちらかというと、いてもいなくてもわからないようなタイプの人間に近い自分が、主人公に立候補してくるというのは誰もが予想だにしなかっただろう。そして、誰が主人公にふさわしいかというと特にはいないが、都筑颯太という人材は誰にも望まれていないことはさすがの自分でもわかる。
だが、自分の心がここでノエルを演るべきだと叫んでいたのだった。まあ、立候補が自分一人だけだとは思っていなかったが。
「申し訳ないんだけど、物語を作ったものとしては、この役と都筑はイメージ合わないっていうか」
細谷が、誰もが思ってはいても言えないことをあっさりと言った。
「そうだよ、いくらなんでも都筑には荷が重すぎるよ」
友人代表として、大森がありがたい助言をくれる。
確かに。確かに、この二人の言うことは間違ってはいない。しかし、しかしだ。
「お前らだっておかしいだろうがぁ!」
たった今、都筑颯太の名がノエル役に書き込まれたわけだが、その前にニコラス役とクリスティーナ役の横にもそれぞれ一人ずつ立候補者の名が書き込まれていた。
ニコラス役 大森由珠季
クリスティーナ役 細谷響子
「メガネっ子ヒロインなんておかしいし、大森に至っては性転換してんじゃねえか!」
メガネオタクが主人公になって文句を言われるのなら、メガネ学級委員がヒロイン(美少女)役をやるのも、主人公の恋敵(男)を長身でもない女子がやるのも文句を言われるべきだ。
授業含め、今までクラスメート全員の前で発言をしたことなど二回しかないのに、今日はわめき散らしてしまっている。躁鬱オタクと揶揄されても文句は言えない。
だが、しっかり物言いをしたおかげで、この後もありがたいお言葉を並べる予定であっただろう大森の口を沈黙させることに成功した。それどころか、特大ブーメランにまともにダメージをくらったのか、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「私は眼鏡外すけどね」
どうやら細谷の方は沈黙させられなかったらしい。というか、真っ当な批判を受けたにもかかわらず、ノーダメージといった表情で教壇からこちらを見下ろしてくる。
この文化祭の件で、クラスメートたちの俺への印象が変わったことは間違いないだろうが、細谷に対してもそれは同様だろう。本性がこんな強心臓の女帝系女子だとは誰も思っていなかったに違いない。
「面白い」
なんだかよくわからない劇をやらされることになり、挙句なんだかよくわからない奴が主演を張りそうになっていることに戸惑いの広がった教室に、ぼそりと、だが確かに風向きの変わる一言が投下された。
「桜木・・・」
隣の席で、優雅に微笑し配役を肯定したのは、一週間前にもオリジナル劇の決行のきっかけを作った男だった。
デジャブというべきか、結局自分たちのほかに主要キャストに立候補しようという者は現れず、俺はノエル、大森はニコラス、細谷がクリスティーナにそれぞれ決まった。桜木の一言が決め手だったのは気にくわないが、決まったのだから喜ぶべきことだ。
教室の雰囲気は、諸手を挙げて賛成というものではなかった。なんで主人公は桜木君じゃないの、と女子が小さい声で話すのも聞こえ、心はしっかりとえぐられた。ごもっともな意見であるので、反論もできない。
けれど、不思議と胸は高鳴っていた。逆風が吹いていることも、主人公をやり遂げられるかどうかという不安も、あまり気にならないくらいにわくわくしている。
ささやかながら、地味で冴えない平凡な生き様を強要してきた運命というやつに、反抗できるかもしれない。そう思って、これまでの生き方からは考えられない、劇の主役に立候補しようと決めたのだ。
そう、誰がなんと言おうと、劇でスポットトライトを浴びるのは自分であり、客が一番見るのも自分の顔。
確かに、大森のように全世界の人に向けて演技するわけでもない。けれど、たかだか40人も客が入らないような教室の、小さなステージくらいが自分にはお似合いかもしれない。
それに、その小さな舞台が、スポットライトが、何かを変えてくれるかもしれない。
「やってやる」
颯太は、そう心の中でつぶやいた。