第一章 春と梅雨 1.都筑 颯太(3)
「夏の文化祭のことですが」
週に一度のホームルームで、学級委員の細谷響子が話し始めた。眼鏡黒髪ロングの、地味な女子だが、意外にも行動力と事務処理能力はあるらしく学級委員の役職を押しつけられていた。
「例年通り、二年生は演劇をやります」
自分たちが通う県立浜名西高校では、夏休みの終わりに文化祭がある。
二年生は演劇をやるのが伝統になっており、各クラスがそれぞれ演目を選び、それぞれ自分たちの教室を劇場に改装して上演するのだった。
「あ、一応今年も順位はつけられるらしいから頑張ってね」
教室の脇で椅子に座っている担任の豊田がのんびりと言う。眼鏡に白い口髭なので、某アニメ映画監督からとってハヤオと生徒の間では呼ばれている。
「昔ね、ここが荒れてて、ヤンキーがたくさんいたんだけど、この劇だけはヤンキーも混じって真剣に大賞を目指してたもんだよ」
ハヤオが独り言のように呟く。浜名西が学級どころか学校崩壊気味だったとき、教師たちがなんとか生徒たちの結束や協調性を生み出すべく、演劇を文化祭でやらせるようになったのだと聞く。結果、学年のNo.1、学年大賞を取るべく各クラスは結束し、文化祭後も一定の秩序が保たれるようになったという。
「意外とヤンキー連中が中心に頑張っててさ、頑張ってるぶん劇の出来もすごくよかったね。私も当時は別の高校にいたけど、評判がいいから観に来てたもんだ」
だが、今はヤンキーはいない。劇作りを引っ張る人間もおらず、各クラスなんとなくやらされている。その熱量のない文化祭が、近年ずっと続いている。かつては3学年全て劇だったが、生徒側にやる気がなく劇の質も落ちている状況を鑑みて、数年前から2年生だけになった。
勉強ができるわけでも、強い部活があるわけでもない。かといって、不良もいない。そんな中途半端な連中の集まりが浜名西高なのである。要するに、何かをやってやろうという意志の薄い人間ばかりというわけだ。文化祭も頑張るわけがない。
「ま、昔の話だから。君らは君らなりにやれば良いよ」
それがわかっているから、ハヤオも自分のクラスに1ミリも期待していなさそうだった。
「で、なにやるの?ピーターパン?」
「私たち2年6組は、オリジナル劇をやりたいと思っています」
細谷の声が、教室に響き渡る。いつもHRを進めている彼女の張りのない声とはまるで違う意志のこもった声に、彼女が本気だと言うことは伝わってきた。
だが、その場にいた全員が彼女の言ったことを理解できず、教室は静まりかえった。
オリジナル劇?一から劇を作るってことか?
「細谷さん、それは完全に一から物語を作るってことかい」
「そうです」
細谷がハヤオの問いに即答すると、静けさが破られ、クラスメートがざわめきはじめた。いろいろな声が飛んでいたが、なぜ、どうして、という類いのものが圧倒的である。
しかし、細谷は自分のクラスを飼い慣らす術を心得ていた。
「私が脚本を書いて、私がBGMも作って、作業の分担も私が決めてやります。もちろんみなさんが負担がかからないようにしますし、夏休み来なくていいように夏休み前から少しずつ作業を進めます」
ここ数年、全てのクラスが前年の劇の焼き増しを続けてきたなか、オリジナル劇という突飛すぎるアイデアを出し、しかももう決定事項のように宣言したのにもかかわらず、このポンコツクラスからは文句の一言も出ていない。ただ、困惑しているだけだ。そして、面と向かって彼女に反対を突きつける人間が現れるとも思えない。
細谷はそれをわかっていて、自分のアイデアをこの2年6組、38名に叩きつけたのだ。一度流れを作ってしまえば、最後は目指したところに流れつくだろうと。
「オリジナル劇にすることで生じる余計な作業は、ほぼ全て私が担いますし、他も全部私が指示するので例年よりむしろやりやすいと思います」
全員の心の中を見透かしたように、全員が心配したことに答えを与える。
やはりこの女本気だ。なぜここまで本気なのかはわからないが。
結局、一週間後のホームルームで本当にオリジナル劇をやるかどうか決めることになり、それまでに考えてこいとハヤオが場をおさめた。
「どう思う?」
例によって、颯太は大森と帰り道を歩いている。今日は気分転換に湖岸に沿って帰っている。
「面白い」
細谷の暴走について、素直に思ったことを口に出してみる。
「でも、うまくいくかはわからん」
次に懸念。実際、こちらの思いの方が強い。
「だよなー」
そう言って大森は足元の石ころを蹴りとばす。そりゃ、あれでオリジナル劇に乗ってやる、という方がおかしいだろう。いくら高校生相手でも、少しくらいプレゼンじみたものがなければ説得できはしない。
そもそも、どうしてわざわざそんな面倒なことをするのだろう。不良も誰もかも劇に夏をかけていた数十年前ならわからなくもないが、今オリジナル劇なんて茨の道を歩いても、悪目立ちするだけだ。努力すればする分だけ変に浮いてしまう。
文化祭なんて、適当にやり過ごせばいいのだ。現に、一個上も、二個上もそうしてきている。
だから、俺はやらなくていいかな、その言葉が脳内で形になろうとした時だった。
「でも私、やってみたい」
思わず隣に目を向けると、楽しげな表情を浮かべた大森の横顔が見える。傾いた陽に照らされているからかもしれないが、彼女の目はお手本のように輝いている。
「うまくいくかわかんないけどさ、面白い方選びたいじゃん」
そう、こいつはこういう奴だった。
人生においてたびたび訪れる分岐で、俺が条件反射で現状維持が望める方を選び続けている間に、こいつは自分の心に正直に道を選び続けた。だから今、こんなど田舎生まれにもかかわらず自分の声が入ったアニメが全国に放映されているのだ。このままただの名もなき田舎者として死んでいくであろう自分とは、既に違う。
ならば。
ならば、こいつについていけば何かが変わるんじゃないのか?そりゃ、日本中に名の轟くような人間にはなれなくても、少しはマシな未来に行けるんじゃないか?
その証明に、こいつは毎日楽しそうだ。やりようによっては、こっから大逆転のハッピーハイスクールライフがつかみとれるんじゃないか?
とは言っても、本気で何かが変わると思ったわけではない。所詮これは現実であって、起承転結が保証されているフィクションではない。それでも、何か、きらりと光る希望を見つけた気がした。
そうして、颯太は翌週のホームルームで細谷案に賛同することに決めたのだった。
「オリジナル劇、すごくいいと思う」
翌週のホームルームでそう発言したのは、大森でもなかったし、颯太でもなかった。
細谷案への不満からかよどみきっている教室の雰囲気を切り裂いたのは、つい前日に親の都合でイギリスからやってきたとかいう転校生だった。女子、かつ美少女であれば細谷響子のイカレオリジナル劇に賛同するまでもなく、王道の学園ラブコメを経験できたはずなのだが、美少女でもないし女でもなかった。
ただ、美少年ではあった。
名は桜木英二。180は超えているであろう身長に、甘いマスク。特に鼻が高いのが印象的だったが、ハーフというのでもなく日本人らしい顔の中で頂点、といった感じだった。少し癖のある髪も彼のイケメン要素を加速させている。
当然、転校初日の昨日の昼休み時点で、多くの、いやほぼ全員の他クラスの女子たちが彼のご尊顔を我が2年6組に拝みに来ていた。二日目の今日の昼に至っては、他学年女子すら集客せしめていた。ただまあ、うちの高校らしいというのか、6組の女子含めその中から彼に話しかけてやろう、という猛者はいなかった。比較的積極性の高い大森ですらも、顔が良すぎるだのなんだの、もごもご言い訳をして一向に自己紹介にすら行こうとしない。
そういう女たちの無様にあきれたかは知らないが、彼自身も積極的に女子に絡みに行こうとしなかった。
ただ、男子にはめちゃくちゃ気さくに話しかけていた。一生関わることのなかったであろうイケメンの権化みたいな男に話しかけられ、田舎高校生男子はまんざらでもなさそうだった。もはや、並の女に言い寄られるより嬉しそうだった。
「ねえ、そう思うよね、颯太」
そして、よりにもよってこいつが一番関心を示したのが、他ならぬ自分だったのは何の因果だろうか。おそらくクラスの女子が奴の近くの席を公平な競争で勝ち取るために、突如行われた席替えで俺と奴が隣同士になってしまったからだろうか。
「ああ、俺も面白いと思ってた」
そしてこいつのせいで、たった今安直に人の意見に乗ったクラスメートAに成り下がったのである。確実に物語のスポットライトは隣の席に向けられている。この状況では、都筑颯太が自分の意志でオリジナル劇に賛成していると思ってくれる人間はいないだろう。明らかにイケメン転校生に簡単に同調した眼鏡キモオタクと思われている。
ただ、それは颯太以外のクラス全員も同様で、クラスに来て二日目の奴の「すごくいいと思う」とかいう一言で完全になびいてしまっていた。いや、なびくどころか完全にオリジナル劇に驀進する流れだ。先週の同じ時間はお通夜さながらだったくせに。
クソ、本当ならこの流れを作っていたのは、大森と俺のはずだったのに。高校生活で一回くらい、クラスを自分の手で動かしてみたかった。
状況の急激な好転で、発案者として前に立つ細谷の瞳がキラキラ輝いているのが眼鏡越しでもわかる。
「桜木くん、ありがとう」
細谷がささやかな俺の野望を破壊した男、桜木英二の名をさも少女漫画のヒロインかのように呼ぶ。
眼鏡をかけた女キャラの王道である、物静か・無表情・真面目を地で行く女ですら惑わせてしまうというのか。桜木め。名前を口にしただけで、名前にまで華があるような気がしてくる。
不運なことに隣の席に座る奴は、さんざん場を引っかき回し、細谷をはじめとしたクラス中の人間の視線を浴びておきながら、それを受け流してニコニコ俺の顔を見つめている。
そりゃ、無個性・没個性の人間ばかりのこの学園生活に、一人くらいキャラの立つ奴がいてくれれば面白いと思ってはいた。
だが、もはやアニメならありふれているレベルの設定の、キャラの立った転校生の登場は脳内を混乱させるばかりだった。
「なんでだろうね」
通常の5倍は疲労したホームルームを終え、いつも通り大森と帰る。
桜木英二の生み出した流れにクラス全体(主に女子)が乗っかり、結局我が6組は細谷響子主宰のオリジナル劇をやることに決まった。
今週中に物語の大枠は知らせるので、来週のホームルームで役と係決めをしたい、と説明する細谷の目には涙すら浮かんでいたように見えた。まあ、先週吹き荒れていた逆風を思い返せば、彼女の気持ちもわからなくはない。
「何が」
「桜木君」
ああ、もうその名前も出さないでくれ。
「なんで、都筑なんかと仲良くしようと思うんだろ」
「その言い草はさすがに失礼すぎないか?そもそもスクールカースト的な格で言ったらお前と俺で大してちが」
「別に都筑のこと好きになったわけじゃないよね、見た目オタク全開だし」
颯太の異議申し立てを完全無視かつ途中で遮断し、真顔で大森は考え込んでいる。
「お前なあ、いくらBLもの好きだからって、そのシチュエーションにリアルで出会えると思ってるのは危険だぞ」
「わかってるって。そもそもBLだったら攻めも受けもイケメンじゃなきゃ成り立たないし。都筑じゃ絵にならん」
三十秒おきに失礼な発言をしてくるので、罰として軽く、本当に軽く大森の肩をパンチしておく。
「いったあーい」
痛いはずもないのに、肩を押さえて大森はこちらをにらんでくる。
「女の子に暴力はよくない」
「おまえ、主役とかやんの?」
いつものじゃれ合いなのでスルーし、気になっていたことを尋ねてみる。主役というのは、もちろん細谷劇の主役のことだ。
おふざけモードをやめて、大森は真剣な表情を作る。
「今のところは、立候補しようかなって思ってる」
ひとつずつ確かめるような言い方で、大森は答える。なにか迷っていることでもあるかのような様子だった。回答の中身自体は予想通りだったが、てっきり元気よく即答されるものだと思っていたので意外だった。
「だと思った」
だが、その口調の裏にあるものは読み取れなかったので、用意しておいた言葉を返しておく。
「どんな役あるかわかんないけどさ、都筑もなんか役やりなよ、村人Bとかさ」
「名もなきモブの上に、村人の中でも2番目かよ」
「もしかしたら村人Bが最強かもしんないじゃん」
「異世界転生したら最強の村人Bだった件、なんて細谷がやるわけないだろ」
あはは、と大森は笑った。
それから別れるまで、颯太の配役(予定)についてくだらないやりとりをし続けた。しかし、結局彼女が自分のやりたい役のイメージを語ることはなかった。