第六話 神代の戦い 上
戦いは始まる前に決まっているところがある。
その日の調子、それまでの鍛錬、鍛え上げた技の相性。
無論それだけで決まる訳ではないが、戦いとはそれまでに積み上げたものの帰結だ。
戦いは時の運という言葉があるが、それはあらゆる準備を整えてからの言葉だ。
人知を尽くして天命を待つ。
フィルシュがこの国で知った言葉の中で、最も好きな言葉だ。
だからこそ、一時間も前より集中力を高めた。そしてその結果は確かにここにある。
自身が知りうる限り、最も研ぎ澄まされた状態である事を彼は自覚した。
学園の淑女の方々を相手に、ここまでの準備をした事は一度もない。
敗北も含めて、計算して今まで決闘を行ってきたからだ。
だが、今回は違う。
今回の決闘ばかりは、彼自身の私情を持って行われる戦いだ。
そして、今回の相手は……
「来たね」
「お招き預かり光栄っス。とでも言えばいいんすかね? 先輩」
森野賢の気配を捕らえて、フィルシュは瞑想を解いた。
立ち上がり、相対する。
賢の体勢は恐ろしいほどに自然体だ。
武術における奥義の極致である脱力を、ただその場に立つだけで体現するその才覚に、もはや嫉妬の感情さえ、湧いてこない。
最強だ。
少なくとも彼が知りうる中で、三指より漏れ出ることは無いだろうという実力者が目の前に立っている。
身震いが体を走り抜ける。
それが、武者震いだと感じ取りながら、フィルシュは決闘の口上を口にする。
「我が名はフィルシュ。フィルシュ・セルゲルト。欧州が剣なる者」
「森野賢。ただの庶民っす」
応じて賢がそう答えると同時に、互いに裏庭の中央へ踏み込んだ。
中央で激突する。
その一瞬前に、フィルシュは全身鎧を身に纏い。西洋剣を虚空より抜き放つ。
無手と見せかけた完全な奇襲。
その剣を見て賢の表情が僅かに引きつる。
無手同士の戦いだと思っていたのに、唐突に鎧甲冑を身に纏い、その上で西洋剣を取り出されればそういう反応もしたくなるだろう。
とは言え、それで怯む様な賢ではない。
実剣を持ち出されたことは流石にないが、鉄パイプを持ち出すような奴との喧嘩は経験済みだ。
それと同じとみなして、フィルシュの一撃目を横に抜けるように回避する。
そのまま、横に抜けた反動を利用したバックブロウ。
拳とヘルムがぶつかり合って、金属音を響かせる。
「つぅ!?」
ヘルムを殴り抜いた賢の拳に痛みが走った。
金属の塊を殴った時の反動による痛みではない。
静電気を数百倍にしたような痺れが拳を襲う。
痛みよりも驚きによって僅かに動きの止まった賢に対して横なぎの斬撃が襲い掛かった。
それを、大地を陥没するほどの勢いで蹴って後ろに飛びのくことで回避する。
空中に紫電の如き一閃が放たれ、周囲をオゾン臭で覆った。
その原因はフィルシュの剣だ。
剣がバチバチと帯電している。
いわゆる魔法剣。
あるいは付与魔法。
そのどちらかに付随する類の魔法だと、二人の決闘を遠巻きに眺めていた蓮は看破したが、その内容を賢に伝える術はなく、同時に伝える気も必要もない事を彼女は理解していた。
だからこそ彼女は笑みを浮かべてフィルシュに向かって嘲る様に呟く。
「稲妻。神の光、自然の権現。只人には驚異的な武器にして、防具ではありますけどね先輩」
そんな彼女の視線の先で、どうやら覚悟を決めたらしい賢の顔があった。
「その程度でとどまらないからこその英雄ですよ?」
そう言った彼女の顔は笑みに染まっていた。
自らの最も信頼する男の戦い様を、自身の目で見る事が出来ることの喜びに。
「なっ!?」
フィルシュは絶句した。
それは、あまりにも単純明快かつ強引に過ぎる方法をもって賢が挑んだからに他ならない驚愕だ。
賢が選んだ単純明快な解決方法とはすなわち。
我慢してぶん殴る。
ただそれだけ。
雷光という防具を身に纏う彼に対しての行動としては信じ難い。
彼が全身に纏っている防具に流れる稲妻の出力は、現実のそれとほぼ同等だ。
神の槍であり同時に神の衣にも例えられるそれは、一種の神話兵装として組み上げられている。
故に科学による兵装を遮断し、魔法的攻撃をもシャットアウトする無敵の防御術。
それに向かって拳を突き立てる事など無謀の極みであり、同時にそんな攻略方法を取る者は今までいなかった。
その驚愕によって生まれた隙に向かって賢は拳を叩き込む。
放たれる一撃は強力無比なる一撃で、着弾と同時に稲妻が賢を蝕み、そしてフィルシュを弾き飛ばした。
ショック死してもおかしくない電圧が賢に流れる。
その痛みを、無理矢理で抑え込んで、吹き飛ばしたフィルシュに向かって賢はさらに踏み込んだ。
信じがたい光景を見たフィルシュは未だに混乱の只中にある。
それを本能でかぎ取るままに賢は疾駆する。
追撃の一撃。
その一撃を咄嗟の反応で剣で受けようとするが、剣で受け止める直前で賢が拳を引いて、それを引き戻す反動のままに蹴りを放つ。
火花散る。
蹴りを金属鎧に叩きつけた音とは俄かに信じがたい轟音と、青白い火花が周囲を照らし響き渡った。
受け流した。
迫る蹴りを前に、鎧にダメージを流す事でどうにかこうにか致命傷を免れたフィルシュは、その一撃の反動をもって再度距離を取る。
金属鎧が大きくへこみ、その上で肋骨を数本持っていかれた。
大部分のダメージを鎧へ受け流してこの威力。
それこそ、鎧が無ければ腹に風穴があいていたんじゃないかと思わせる威力に、フィルシュは苦笑を兜の中で浮かべる。
苦笑?
その事にフィルシュは違和感を得た。
苦み走ったものとはいえ、自分は笑っているのだ。
その事実を理解する事を即座に放棄して、目の前の男に集中する。
すると、賢から一つ提案がもたらされた。
「あー先輩? 一つこの辺りでしまいって事にはしませんかい?」
その言葉をフィルシュは即断した。
理性が考えるより先に、言葉が先走る。
「断る。こんなに楽しい決闘を途中で放棄するなんてありえない」
「は……」
フィルシュの言葉に対して賢も笑みをもって返答とした。
それは彼の言葉があまりにも賢の想像通りだったからに違いない。
故に言葉は無粋。
これ以上は拳と剣で語り合う。
そう決めて、二人は再び互いへと踏み込み合った。
数メートル離れていた距離が一瞬でゼロになる。
振り抜かれる斬撃、振り抜かれる拳撃。
その互いの一撃を紙一重で避け合って、彼らは再び戦いに没頭した。