第五話 提案
食事を取って一休みした後はコーヒーブレイクだ。
苦み走るコーヒーの味を楽しみながら、香りに心落ち着かせていると、目の前のフィルシュより賢に声がかかった。
「ところで森野君、この後暇かい?」
「暇っすけど?」
「そうか。それじゃあ、一つこの僕と手合わせを願ってもいいかな?」
「手合わせっつーと、決闘ですかい?」
「そこまで形式ばったものにするつもりはないけれど、君の実力に興味がわいてね。決闘でなくとも鍛錬に付き合わせてくれればそれでも構わないけど?」
「鍛錬?」
不思議そうに聞き返した賢の態度にフィルシュは言葉を失った。
一瞬の沈黙の後、どうにかこうにか呼吸を整え直して問い直す。
「君は鍛錬によって、あれ程の力を得たのではないのかい?」
「まあ、自分から鍛えたって事はあんまり無いっすね」
「そうか。鍛えずしてあれ程……」
そう言ってフィルシュは押し黙った。
その様子に賢は首をかしげる。一瞬の沈黙に耐え切れず蓮の方へと視線を向ければ彼女は随分と意味深な笑みを浮かべていた。
その笑みの理由を理解できず賢は首をかしげるが、再び視線をフィルシュへ戻す。
そして彼へ聞き直した。
「んでどうします? 手合わせっていうなら付き合わせてもらいますが」
「あ、ああ。そうだね、では一つ手合わせを願おうかな」
「んじゃ、場所は裏庭で?」
「ああ。そこで頼む。時間は……そうだね二時くらいでどうかい?」
「了解っす。それじゃ、二時に裏庭で」
「ああ。よろしく頼むよ、森野君」
そう言うとフィルシュはテーブルより立ち上がった。そしてその場を後にする。
立ち去り様の仕草まで品が漂う。その麗しさに賢はため息を漏らす。
所作の一つ一つにまで洗練された動きは、それだけで一種の芸術めいたものを感じさせる。
鍛え上げられている。
その事が、その所作だけで理解できるなど相当だ。
彼に伝えた通り賢に武術の歴はない。よってそれに伴う観察眼、経験則など持ち得るはずもないが、相手の力量は見ただけで看破できる程度には勘が良かった。だが、そんな事よりも気になることはたった一つ。
「先輩、少しばかり怒ってたけど、あれ、何に怒ってたんだ?」
「そりゃ、鍛え上げた武錬の人だからね。鍛錬もなしにその強さを手に入れている君に対する嫉妬でしょ」
「ふぅん? そんなもんかねぇ。あの人がその程度で怒るような人には見えなかったが」
「さて、どうかな? そもそもからして私に男の人の心の動きなんて理解できないよ。だって私女の子だもの」
「……ああ、生物学上は女だったなお前」
「その言い草は傷つくなぁ」
「許せ。腐れ縁が長すぎて、お前をそう言う目で見れなくなっちまってるだけだ」
そう言って賢は残ったコーヒーを飲み干した。
その様子を蓮は微笑を浮かべたままに見つめていた。
彼に含むところはない。
といえば、きっと嘘になるのだろう。
そんな風に自身の心の動きをフィルシュは整理した。
憧れ抱くほどの武威の極み。
その力を何の鍛錬もなく手に入れたとあれば、自身の努力を否定されたようで嫉妬を抱くことはごく普通の事だろう。
だが、違う。
自身が怒っている理由をフィルシュはそう結論付けた。
この怒りは彼に怒っているのではなく、あの武威に対して嫉妬なんて醜い感情を抱いてしまった自分自身に対しての怒りだ。
自らの才覚を上回る超人の類をフィルシュはよくよく知っている。
自らの師、或いは自らの後輩、或いは身内。
そうである以上、いくら年下の少年に自らを上回る力を見せられたからといって嫉妬する程、彼の人生経験は甘くない。
だけど、だが、しかし。
それれでもあれはズルいだろう。
嫉妬の感情を越えて憧れなんて抱かせるあの武威は、男にとって垂涎の益荒男だ。
だからこそ。
「試してみたい……か。自分の事ながらそんな感情を抱くなんてね」
らしくない事は理解している。
優等生として、この学園に在籍する唯一の男子生徒だったものとしてそう振舞ってきた自分とはかけ離れた像だ。
体が震える。
武者震いの類の震え。
その震えに怖いほどの情感を抱くままに自身の業をぶつける事に決めた。
砕かれるだろう、敗北の苦杯をなめる事になるだろう。
だけど、それでも。
「疼かせてくれるよ、森野君」
ただ、一人の男として、あの武威を誇る男にぶつかりたいという気持ちは抑えられない。
パチリと紫電が漏れ出る。
あたり一面に僅かに香るオゾン臭。
それを残滓として残しながら、フィルシュは早々に裏庭へと足を向けた。
時間までまだ一時間以上ある。
そんなことは彼自身理解している。
してはいるが、それでもその自身の行為を彼は是とした。
昂っている。
まごうことなく興奮している。
それを修めるための時間が欲しい。
その為に彼は、先に裏庭へ向かう事を選んだのだ。
「それにしても賢君が受けるとは思わなかった。そんなに喧嘩早い性格だったかな?」
「振りかかる火の粉を払う程度の喧嘩は嗜む程度にはしてきたがな、好んで喧嘩する程厄介な奴じゃないよ、俺は」
「だとしたらどうして先輩の要望を受け入れたのさ。せっかく午後からは君の部屋のコーディネートをしようと思っていたのに」
唇を尖らせて蓮は文句を言った。
だが、その口元には紛れもない笑みが浮かんでいる。
コーディネートに付きあうつもりだったのは本当だが、賢が決闘を受け入れたことに対する不満は無いことを悟った賢は、空になったコーヒーカップをティーカップの上に戻しながら答えた。
「先輩のガス抜きに付きあうのは、後輩として悪い選択じゃないからな」
「は?」
「俺は、まあ、いろんな奴に絡まれてきたが、さっきの先輩みたいな表情をした奴にも絡まれたことはあってな。そう言う人からの立ち合いの願いには答えておいた方が、後腐れなくてよかった。ま、経験則みたいなものさ」
「ふぅん? 良く分からない話だね」
「男のプライドみたいなものなんだろうさ、多分な」
「ますます意味が分からない」
「人の心の内側なんぞ、わかるもんかっての」
「いや、そうじゃなくてさ、賢君が決闘を受けた理由だよ。君にメリットがないじゃないか?」
その言葉に賢は苦笑した。
そして彼女に向かって答えを返す。
「メリットなら二つ。一つ目は先輩への借りを作れる」
「借り?」
「ああいう武人めいた人は、こういう小さな借りをきっちりと返してくれるような人が多い。だから受けたのが一つ」
「それじゃあ、もう一つは?」
自らメリットを二つ提示しておきながら、賢は蓮の問いに答えるのを僅かに渋った。
そして、若干照れくさそうに頬を掻きながら二つ目のメリットを彼女に示す。
「魔法が実在するんだったら、そりゃ興味が湧くだろ。先輩がどういう魔法を使うのか、今から楽しみでしょうがないんだよ。悪いか?」
「ああ、成程ね」
賢の言葉に蓮はにっこりと微笑んで返した。
その笑みが、子ども扱いされているようで、微笑ましいものを見るようで、賢は少しばかり不機嫌な顔を見せた。




