第三話 説明
決闘の余韻が礼董院の裏庭に広がっている。
熱の余波は大気を炙り、不快な汗を流させる。
だというのに、蓮は一滴の汗もこぼさず、ただひたすらに賢と赤城の戦いを、或いは戦いの残滓を見続けていた。
その顔は笑みに染まっている。
その笑みは賢の勝利を疑っていなかったが故の笑みだ。
魔法という存在を知らずとも、相手が魔法使いであろうとも、そんなことで賢が敗北する事などありえないと確信しているが故の笑み。
しかして、彼女にとってそれは当然の事だ。
なぜなら彼は……
「おい」
かつてに思いを馳せかけていた蓮に対して賢が声をかけた。
その声音には、まぎれもない怒気が混じっている。
その時の理由を蓮は正確に理解しながらも、その浮かべた笑みを消す事さえなく彼に応対した。
「何かな? 賢君」
「何かな? じゃ、ねーよ。なんだよ魔法って、説明をしろ、説明を」
「はは。説明してもいいけど、長くなるよ?」
「細かく端折って、わかりやすく頼む」
「難しいことを言うなぁ。事実として至極単純な事だけれど、二本足で歩き始めたばかりの君に説明するには、本当に長くなるからね」
「舐め腐った物言いだ。まあ、長くなるというのなら深くは聞かないが」
そう言って、賢はため息をついて見せた。
蓮に向かっての嫌味の意味を含ませたそれを、彼女は涼しい顔で受け流す。
無視しているという訳では無い、それは彼女が浮かべた慈愛の笑みが物語る。
「魔法を知らず、術理を知らず、とあるならばどうやって私の魔法を打ち破ったというのですか? 龍ヶ崎君」
「赤城君はそうだね、興味があるか」
二人の会話が一段落した時を見計らって、赤城が蓮に声かける。
蓮の言葉に頷きを返すと、彼女はとてもうれしそうにそのからくりを説明し始めた。
「魔法による召喚生物は基本的にはその神話に基づいた属性を持つ」
「その程度の事は知っています。故に基本的に魔法生物、神話生物は物理的ダメージを無効化する」
「??? いや、意味が分からんのだが」
「そうだね、賢君にもわかりやすく説明しよう。神話における怪物には基本的に倒し方というものがある。どのようにして倒されたかという伝承だ。例えば有名なゴルゴーンの怪物であるならば、鏡の盾をもって首を刈り取って殺された。その伝承をなぞる様に戦えば、ゴルゴーンはその伝承に抵抗できず倒される」
「……いや、自分が殺された手段が分かってるなら対策の一つや二つ取るだろうに」
「取りたくても取れないのさ。魔法生物、神話生物は召喚時点で伝承によって縛られる。これは人々の共通認識により、人知を超えた力を発揮するからこそであり、そうであるが故に、それ以外の手段で魔法生物や神話生物を打倒する事は困難だという事でもある。魔法生物や神話生物は、銃で倒されたという伝承を持ちえないからこそ、銃によって殺されることは無いという訳さ」
「……成程、分からん」
「……うん。そうだね。ものすごく簡単に言えば近代兵器では、召喚術で呼び出されたものを打倒することは出来ないって事だよ」
「成程?」
「だからこそ、納得いかない事があるのですわ」
蓮の説明を聞いていた赤城が首をかしげている賢を見据えながらそう言った。
その目に宿る光は、二つの感情が見え隠れする。
一つ目は純粋な興味、疑問。そしてもう一つは、その疑問に対する回答を自身で導き出せない事に対する悔しさだ。
滲む二つの感情を押し殺して、赤城は賢に問いかけた。
「貴方、一体どういう手法を取ったのですか?」
「え? さあ?」
その言葉に赤城は再び絶句した。
そして、頬を朱に染めて激発しそうになる自身の感情を飲み込む。
賢の言葉が真実だと、彼が嘘を行っていないと気付いたが故に、理解していそうな蓮の方へと鋭い視線を向けた。
その視線を受けた蓮は、苦笑しながらも解説を続ける。
「至極単純な理由だよ、赤城君」
「単純?」
「そう。拳というのはどんな時代、どんな場所でも最初の武器であり、同時に最後の武器でもある。拳を固め相手に叩きつけると言う行為は、ただそれだけで、或いはただそれだけであるが故に、魔法生物や神話生物に対しての武器となる」
「神話時代にさかのぼる原初の武器。成程、効かないはずが無い。それは理解できます。人が、人という種が持ち得る原初の武器。それが拳なのですから。ですが……」
「無論、その程度で打倒される程、魔法生物に神話生物は軟じゃない。だけどね、時にいるものだろう? あらゆる常識を無視して、意味不明な身体能力を持つ人間は。そう言うのを総称して英雄と呼ぶのさ」
「英雄。その中でも最もたちの悪い、どういう理屈で強いのか理解できない類の英雄ですか」
「その通り。理論理屈のつかない、単純明快にただただ強い。そう言う存在が賢君だった。それだけの事だよ」
そう言うと、蓮は賢の側に歩み寄った。
そしてしなだれかかろうとするのを、賢によって押しとどめられて、少し頬を膨らませ拗ねたような態度を見せる。
そんな、可愛らしい彼女の態度を見せても賢は一切頓着しなかった。むしろ、鬱陶しそうな態度を見せる。
その態度に蓮は肩をすくませながら、赤城の方を向いた。
「それじゃあ、決闘の敗者が勝者に求めるものを求めてもいいかな?」
「え、何それは?」
「勝利には名誉を敗者には負債を。当然の事だよ、賢君」
「その通り、ですわね。ぐうの音も出ない理屈。である以上、この身に出来得る限りの事はさせていただきますわ、えっと……賢様?」
「ああ、自己紹介さえまだだったか。俺の名前は森野賢。何処にでもいるただの庶民だよ」
「お戯れを。あれ程の力を持つ者がただの庶民であってなるものですか」
「そうは言われても、事実俺は庶民だからなぁ」
困ったように賢はそう答えた。
その答えに赤城はどこか納得できないような表情を浮かべ、再び蓮の方へと視線を向けるが、蓮も彼女に対して頷きを返すだけだ。
「それよりも、自己紹介をしたんだ。アンタの名前も教えてくれよ」
「……赤城芹華。よろしくお願いしますわ、森野君」
「あはは。それよりも決闘の勝利者は何を望むのかな?」
楽し気に聞いてくる蓮に対して賢は心底不思議そうに返した。
「いや、今名前聞いたし、それでいいじゃん」
「は……相も変わらず欲がない」
そう言って蓮は笑うと、芹華の側へと近づいていった。そして耳元で囁くように彼女に言う。
「賢は優しいから何も求めないけど、私は違うよ?」
ゾクリとする声音。
背筋を凍らせる、悪意に満ちた声。
その言葉を聞いて、その威圧を受けて怯む程彼女も弱くはない。
蓮に対して言葉を返そうとしたその時、二人に近づいて来た賢が蓮の首根っこを掴んだ。そしてそのまま、彼女を引きずってその場を後にする。
まるで猫でも回収していくように蓮を回収していく賢の姿に、言葉を無くしたまま芹華はその場で立ち尽くした。
「何をするのさ、賢君」
「どうせお前は余計なことをするから、それをさせないようにしただけだ。わかれ」