第二話 決闘
礼董院学園は賢からしてみればアホほど広い。
これほど広く作る理由があったのかと、設計者を小一時間ほど問いただしてみたいほどに。
そして、その校舎裏もその広い敷地に見合う広さを誇る。
四季折々の花々が咲き誇る裏庭。
その中央に、賢は蓮と共に赤城に連れられてやって来ていた。
周囲には人の姿がちらほら見える。
円形に刈り込まれた芝の上で、賢はため息をつきながら隣でにこやかな笑みを浮かべている蓮に視線を向けた。
応じて、彼女もにっこりと微笑みを返してくる。
その状況に再びため息が漏れ出る。
意味不明な状況と、決闘の言葉が指す内容に出来の良くない彼の頭は、考える事を放棄していた。
「それで始めましょうか? 準備はよろしくて?」
「決闘としか聞いてないんだが……決闘って何をするんだ? まさか、アンタと俺とが殴り合いでもしようって言うのか?」
「ええ、その通りです」
冗談めかして言った賢のセリフを赤城は肯定した。
まさかもって、肯定されると思ってもいなかった賢は一瞬言葉を失った後、彼女をまじまじと眺めた。
長い金髪に青みがかった黒の瞳を持つ可憐な少女、隣の蓮とは違う、メリハリの良く分かる肢体。
成程美少女だ。
それも並のでは無く極上という形容が付くだろう美少女。
さりとて、その肉体に違和感は感じられない。
そもそもとして、戦う者として鍛え上げられているような気配がまるでない。
引き締まった肉体をしてはいるが、あくまでも常識の範囲。
少なからず、筋骨隆々の賢に決闘を挑んで勝ち目があるようには見えない。
「いや……アンタが?」
「ええ。私が」
「……どう考えても勝負にならんだろうから、辞めといた方が良いんじゃないか?」
「侮り……では無く、心底からの忠告のようですので、此度の言葉は不問といたしましょう。ですが」
言葉と同時に指を鳴らす。
すると、目の前の空間が歪んで犬が現れた。
それもタダの犬ではない。
全身を朱色の炎で染め上げられた犬だ。
犬に火がついて燃えているとか、そう言う類のものでは無く。
燃える毛並みを持つ犬だ。
そんな現実にあってはならないような犬が中庭に現れた。
「は?」
意味不明な状況に賢は絶句する。
決闘という時点で絶句に足る状況だったが、虚空より大型犬よりも遥かにでかい犬が唐突に出現すれば、言葉の一つや二つ失うのも当然だろう。
真紅の毛並み。
燃ゆる炎を身に纏うその犬は、主たる少女に人撫でされると、賢の方向へと向き直る。
そして、中庭を揺るがすほどの大きな唸り声が、この荒唐無稽な現状を事実として認識させる。
「……は?」
「赤城家は召喚術における大家。地獄の番犬、ガルムを召喚した程度で驚かれていては困ります」
「いや……えっ?」
「それでは、こちらの準備は整いました。貴方の準備はいかほどに? ……この場に立つという事は当然として、準備は万全だと思いますが」
「はい?」
疑問符を肯定ととらえたのか、賢には判別が出来ない。
そもそも、目の前の光景をいまいち飲み込めていない彼に、状況の把握しろという方が酷と言うべきか。
ともかくとして、賢の言葉を皮切りに、ガルムが一直線に賢へと駆け来る。
サーベル染みた巨大な牙を見せつけるように大口を開き、賢の頭をかみ砕かんと迫る。
その理不尽な状況に、賢は考える事を止めた。
そもそもからして、難しいことを考える脳みそはない。
全ての疑問は、殴ってから考える方向へと思考をシフトさせる。
水音が響いた。
ごしゃりという、何かが砕ける音と共に。
大口を上げて迫る巨犬の顎を真下からかち上げるように賢が拳を振り抜いた時の打撃音だ。
開かれた大口は、強制的に閉口させられた。
そして左腕でカチあげると同時に、右ストレートを犬の顔面に叩き込む。
再び音が響く。
頭蓋が粉砕されたときの鈍い音。
粉々に砕けた感触に、賢は苦い表情を浮かべた。
「……え?」
その光景を見て言葉を無くしたのは赤城だった。
地獄の番犬ガルム。
北欧神話において軍神を打ち滅ぼすとされる神話の猛犬だ。
その猛犬、本来なら人の身で抗うことなど不可能な存在。
それを、ただの拳をもって一撃で砕いたとなれば、言葉を失うのは当然だ。
焔火となって消えていくガルムの姿をしり目に、賢は赤城に向かって踏み込んだ。
紫電が如くの踏み込み。
その上で、まるで音のしない踏み込み、同時に拳を赤城に向かって振り抜くが、轟音と同時に賢の拳が静止した。硬質のガラスに向けて拳を叩きつけたような感触。同時に何かが砕け散る音が響く。それと同時に、触れていた感触が消え去った。
赤城と賢の距離は数十センチ。
次の一撃で賢に軍配が上がる。
それを悟った赤城は飛びのきながら、その手のひらより火炎を撒いた。
魔力を用いた、純粋精霊魔法。
咄嗟に放たれたとは言え、その威力は人一人を丸焼きにして余りある。
その一撃を再び拳で薙ぎ払う。
魔法により生み出されたエレメンタルを何の魔法的技法を用いない拳によって破却する絶技に、赤城は目を見開くことしか出来なかった。
更に賢は踏み込んだ。
その踏み込みを回避するために、空間を歪め赤城は距離を取る。
瞬間移動による緊急回避。
しかしその手段を行使してさえ、賢は即座に反応して赤城を追う。
まるで現れる前より、現れる先を認識していたかのような詰め方をもって、赤城に追いすがる。
新たな使い魔を召喚する隙を一切与えず、握りこんだ拳を彼女の前に突き付けた。彼女の前で拳が静止する。その状況に追い込んで、賢は彼女に向かって問いかけた。
「これで、俺の勝ちで良いのか?」
「え、ええ。貴方の実力、この目に焼き付けさせていただきました」
その言葉を聞いて賢は大きく息をついて拳を下ろした。
そして、蓮の方へと向き直った。
彼女は満足げな笑みを浮かべながら、先の決闘を眺めていたようだった。
自身の勝ちを疑っていなかった彼女の態度に、賢は喜んでいいのやら、それとも、何の説明もなしに決闘へと立ち向かわせたことに対して、怒ればいいのか、自身の感情を持て余した。
とは言え、聞かなければならない事はある。
「なあ、この学園のお嬢様方はみんなこんな風なのか?」
「こんな風、というのは?」
「さっきの召喚術……だったか? ああいうのを使えるようなのばっかりなのかって事だ」
「ま、ね。昔から魔法使いは魔女である事が多い様に、魔法使いの才覚は女子の方が強いから」
「……え、何? 女の子って魔法が使えるものなの?」
「無論、一部の上流階級の人間に受け継がれている特異技能ではあるけどね」
「上流階級の人間。……となると、お前も?」
「ま、ね」
「知らなかったんだが」
「教えるタイミングが無かったからね」
「ちょ、ちょっとお待ちなさいお二方」
二人の問いかけに赤城が、割り込んだ。
その表情には驚愕の感情が浮かんでいた。
「つまり、貴方は魔法の事を一切知らず、この学園に入学なされたと。そう言う事でよろしいのですか?」
「まあ、生憎俺は庶民だからな。魔法が実在するなんてことはついさっき知ったよ」
賢の言葉を聞いて再び、赤城は驚愕の表情を深めた。




