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迷犬騎士団長の優れた嗅覚

 ドレスのように華やかでありながらも、落ち着いた色調であるワインレッドのジャケット。上体にぴったり沿いつつ、剣帯を兼ねた腰のベルトでボックスプリーツに切り替わっているワンピースはジャケットと同色で、膝に絡まないように短めだ。スカートの下は足に沿う黒いレギンスを履いているが、他の騎士に目配せすればジャケットと同色のスラックスを着用している騎士もいる。そして足元にはしっかりとした履き心地の良いブーツ。

 唯一、ジャケットの上から騎士団長のみが着用を許される式典用のマントを肩に留めて、アンジェは大勢の人の前で、騎士団の頂点に立つ王太子へと膝まづく。

 佩いていたレイピアをアンジェが王太子へと恭しく差し出すと、王太子レオナードはそれを手に取った。


「アンドレア・ジルベールを我が国の騎士に任命する」


 剣先がアンジェの肩に触れ、レオナードより宣誓の言葉が授けられる。


「ここに宣誓を。汝、謙虚、誠実、礼儀を守り、決して誓いを裏切ることなく、国を欺くことなく、弱者には常に優しく、強者には常に勇ましく、己の品位を高め、堂々と振る舞い、民を守る盾となれ。主の敵を討つ矛となれ。騎士である身を忘れることなかれ。問おう、汝は我が騎士としてこれら全てを誓えるか」


 晴れ渡る太陽の光が大きな天窓から差し込み、レイピアの刃が光を反射してチカチカと輝く。

 静けきった広間の中、重々しく響いたレオナードの言葉を受けて、アンジェがその誓いを優しく風に乗せる。


「この身ある限り、忠誠に従い、誓います」


 涼やかな声と共に、アンジェが誓いの口づけをその剣へ贈る。



 ―――今日この日、スハール王国初の女性騎士が誕生した。



 ◇



「アンドレア、よくやった。俺は鼻が高いぞ」

「……ありがとうございます、ヒューゴー様」


 いい加減、もの好きな貴族に囲まれるのにうんざりとしていたアンジェにヒューゴーが声をかけてくれる。

 第四騎士団設立を記念した夜会。アンジェは第四騎士団の騎士団長として出席したところ、今まで表だって接触をするのを控えていた貴族達に囲われて辟易としていた。

 ヒューゴーがちらりと目配せすれば、一通り挨拶し終えた貴族達は渋々と立ち去っていく。ようやく一息つけたように深く息を吐き出したアンジェに、ヒューゴーがニヤリと笑った。


「人気者だな、アンドレア」

「……本名で呼ぶのやめてくれます? 違和感がありすぎて鳥肌立ちそうです」

「ひっでぇな。だが我慢しろ。貴族の中には勘ぐる奴もいるからな」


 何を勘ぐられるのかピンとこなかったアンジェが眉を潜めると、ヒューゴーが肩を竦め、グラスを傾けた。


「ま、この話は人がいるところでするもんじゃねぇし。おら、乾杯」


 ヒューゴーに促されて、アンジェもグラスを傾ける。

 カツン、とガラスの清んだ音が鳴った。


「どうだ? 騎士になった気分は」

「馴染みすぎてもう何年も騎士をしていたみたいですね」

「まー、お前はな?」


 アンジェの性別を偽って騎士団に放り込んだ張本人だ。ヒューゴーはアンジェの言いたいことを完璧に察してにんまりと笑う。


「油断するなよ。まだまだ始まったばかりだ。本格始動すれば去年以上に厄介事が舞い込むだろう。まぁ、女性騎士団の設立だけじゃなく、リオノーラ姫が色々動いているから、五年も経たずに軌道に乗るだろうが」


 ヒューゴーに言われ、アンジェはリオノーラが最近意欲的に取り組んでいる事業について思い返した。

 それは保育事業。

 働く女性を支えるため、結婚か仕事かという二者択一という状況を改善し、女性の生き方の幅を広げるための事業だという。

 乳母のような人を集めて、外に出て働きにいく女性のかわりに幼子の世話をするという。王族貴族の乳母の慣習から発想を得たらしい。

 確かにその事業が形になれば、結婚に伴う退職は半数に減るかもしれないなと思いつつ、まぁ自分には関係なさそうだとぼんやりと思う。

 その思考を読まれたのか、ヒューゴーがジト目でアンジェを見た。


「お前、自分には関係ないなと思っているだろ」

「まぁ。だって文官ならともかく、妊娠したら体力仕事の騎士団はきつくないです?」

「任務はきついだろうが、その間は事務仕事して、出産後に復帰すれば良いだろうが」

「確かに。それなら在籍したままでいられるんですね」


 感心したように頷くアンジェに、ヒューゴーはゆらゆらとグラスを満たすワインを波立てる。


「ま、お前が考えるようなのがこの国の普通だわな。だが、お前はこれからその最先端を行く前例になって貰うんだ。覚悟しとけよ」

「覚悟とは?」


 きょとんとするアンジェに、ヒューゴーは笑った。


「未練を残す覚悟だよ。んじゃ、後はお待ちかねのヘタレ野郎に譲る。俺は他の挨拶終わったら先家帰って寝るぜ。朝一で発たにゃならん」


 無理矢理に話を打ち切られる。

 もう少し食い下がったが、これ以上は話さない姿勢を見せるヒューゴーに、アンジェはそれ以上追求できない。


「慌ただしいですね。次はいつ戻られるんです?」

「一ヶ月くらいの予定だから、そんなにかからんと思うが」

「そうですか。お気をつけて」

「おう。お前もここからが本番だ。頑張れ」


 同じ家に帰るというのに、ここで別れの挨拶をするのは奇妙な気持ちになるが、アンジェは今日主役の立場なので最後まで夜会に参加しなければならない。残念だが、また暫くヒューゴーとはお別れだ。

 グラスに口をつけて喉を潤していると、巡らせた視線の先に赤毛の騎士を見つけた。

 大きな体躯を黒を貴重とした騎士の正装で着飾り、かっちりと髪型も決まっている。

 それなのに赤毛の騎士は顔色が悪く、その赤い瞳が死んだ魚のように虚ろで濁っており、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 他の参加者もひそひそと遠巻きにして見ている。見かねた給仕が別室で休んではと進言しているが、赤毛の騎士は大丈夫だの一点張りだ。

 アンジェはさすがに放っておくのが忍びなくて、その騎士へと近づく。


「ユルバン騎士団長、ご機嫌よう……ではないですよね。私と一緒にバルコニーへ行きませんか」

「あああああ、アンジェ……! ようやく見つけたぞ……! 助けてくれ、鼻がっ! 鼻が曲がりそうなんだ!」

「そんなことだろうと思いました。行きましょうか」


 そう言ってアンジェは手を差し伸べる。

 ユルバンは今すぐアンジェの匂いを嗅ぎたくなるのを寸前で思い止まり、エスコートをするためだけになんとかその手を取った。

 バルコニーの近くまで行けば、夜の風がにわかに吹き込んできた。風を浴びるため、人々の喧騒から外れてバルコニーに立つ。


「どうしたんです。前回の夜会の時は平気そうだったじゃないですか」

「一人でいたら令嬢に囲まれたんだ……しかも風上に、香水を付けすぎたらしい令嬢がいてだな……」

「それは災難でしたね。早々にバルコニーに避難すれば良かったのに」

「アンジェにまだ挨拶していなかっただろうが」


 ぐったりとその場にしゃがみこんでしまったユルバンを見下ろしながら、アンジェはまた一口、グラスに口をつける。


「私のことなんてほっといても良かったじゃないですか。必ず挨拶しないといけないわけじゃないでしょうに」

「見捨てるつもりか」

「そうは言ってないです」


 アンジェが呆れたように言い返すと、ユルバンがムッとしたように顔を上げた。


「俺の婚約者殿は薄情者だ。俺が令嬢に囲まれて鼻が死んでもいいらしい」

「まだ公表されてませんし、それとこれとは話が違います。というか、そもそもなんで令嬢に囲まれてたんですか」


 チクチクと刺ついた言葉を投げかれられたアンジェが至極全うに反論すれば、ユルバンがふいっと顔を隠すように下向ける。


「……いや、いつものことだ。というか、たぶん、その内に、なくなる、はずだ」

「なんで片言なんですか」


 アンジェが突っ込むが、ユルバンは答えず黙してしまう。

 まぁ良いけれど、と思ってグラスを傾ければ、もう中身は空っぽだった。ヒューゴーと分かれた時はまだ半分も減っていなかったのにと思いながら、グラスを掲げる。

 透明なガラスが、夜空をたわめた。

 ぼんやりとそれを見ていると、このあっという間の一年の出来事が思い返された。


「もう、一年経つんですねぇ」

「……そうだな」

「色々ありましたね」

「ああ」


 アンジェがユルバンと再会し。

 カヤック村の危機を救い。

 第四騎士団の仮説が決まり。

 お茶会でリオノーラを刺客から護り。

 第三騎士団で遠征に行き。

 熱砂の国の王子と出会い。

 あれほど結婚から逃げたアンジェがユルバンと婚約を交わすことになり。

 そしてとうとう、偽りのない真の騎士になった。


 あまりにも濃く、そして風のように過ぎていった一年だった。

 そして、それまで諦めかけていた夢へ向かって、がむしゃらに駆け抜けた一年でもあった。

 感慨深く思っているのはユルバンも同じようで、しゃがみこんだまま、アンジェと同じように空を見上げる。


「……アンジェ。俺の隣なんかで、後悔はないか」

「は? なんでそんなことを聞くんです」

「今だから言うが、お前が俺の隣を望んでくれていたことが未だに信じられなくてな。ニ年もの間避けられまくっていたんだ。それがあっさり一年で、……昔以上の距離にいるのが信じられない」


 ぽつりと宙に放り投げられた言葉。

 アンジェもまた、その言葉を噛み締める。


「……すみませんでした」

「謝らなくて良い。俺も迷惑をかけてしまってたんだからな」


 お互い様だと言うユルバンの言葉に耳を傾けながら、アンジェもそうでしたねと頷く。

 二人で星の瞬く空を見上げては、なんとなくこの波瀾の一年についてぽつぽつと話す。

 しばらく話し込んでいたが、ユルバンがふとアンジェのグラスがとうに空になっていることに気がついて立ち上がる。


「中に戻るか」

「え、いいですよ。もう少しここにいても」

「主役をいつまでも一人占めしておくわけにはいかないだろう」

「鼻は大丈夫なんですか?」

「お前の側に立つからマシになる……はずだ」


 またこの人は自分の匂いで中和すると気持ち悪いことを考えているのだろうかと、目をそらすユルバンを見ながら思っていると、ユルバンが情けなさそうにアンジェを見やった。


「……………………駄目だろうか」


 その表情に、アンジェの胸の内に何かが込み上がってくる。

 ユルバンの背中を追いかけていた。

 常に先にあるはずの背中を見ていただけでは知らなかったユルバンの姿。

 きっと昔の、まだ子供だったアンジェではこんな情けない姿は見せなかっただろう。

 アンジェが追いかけていたユルバン・オークウッドという人間は、常に、かっこ良くて、強くて、凛々しくて、頼もしい人だった。

 そんな人の情けない姿をアンジェはこの瞬間―――可愛い、と思ってしまった。

 アンジェは密かに跳ねる心臓の音を聞かれないようにゆっくりと星空からユルバンへと視線を移す。

 表情を引き締めようと思っても、どうしてもゆるりと口元が緩んでしまうのを止められなかった。


「仕方ないですね。私を盾にでもなんでもしてください」


 今日は汗もかいていないし、変な食べ物も食べてないから、恥ずかしがらなくてもいいだろう。堂々としていればいいだろう。

 昔、ユルバンが言っていた。

 「悪人と善人では匂いの質が違う」と。

 だから犬のように鼻の良い生き物は、悪人には近寄らず、善人に懐きやすいのだと。

 ユルバンのことを懐いてくれる犬のようだと思えば余計に可愛く思えたし、体臭のことも気になりはするが、以前ほど過剰反応しなくても良い気がした。

 それに昔はこれが普通だった。

 側にいて当たり前だった。

 そして今度はぐっと距離を縮め、隣にいることが当たり前になる。

 憧れていたその場所だけではなく、望んでいたもの以上が今、アンジェの手が届く場所にある。

 それがたまらないほど嬉しい。


「団長」

「なんだ」


 呼び掛ければユルバンは振り返ってくれる。

 アンジェは静かに照らす月の下、夜空を背にユルバンに笑いかける。


「これからも末永く、よろしくお願いしますね」


 騎士としても。

 一人の女としても。

 『アンジェ』という人間を受け止めてくれる寛大な人。

 ユルバンは一瞬だけ目を丸くし、そのルビーのように情熱的な赤い瞳を蜜のようにとろりと溶かした。


「当然だ。これから、だからな」


 ユルバンがエスコートのために手を差し伸べてくれる。

 アンジェはその手を取った。






 いつか、ヒューゴーに言われた言葉を思い出す。

 騎士の強さの秘訣。

 それは未練だとヒューゴーは言った。

 アンジェは自分の中の未練を思う。

 幼い頃から背中を追った人がいた。

 一度はその背から目をそらした。

 叶わぬ願いを夢見た自分が嫌いになった。

 でもそんなアンジェを見つけてくれた人達がいた。

 選択肢を与えてくれた。

 期待してくれた。

 心に寄り添ってくれた。

 隣に立つことを望んでくれた。

 だから騎士になれた。

 騎士になれれば本望だ、それ以上はないと思ったけれど。

 でも足りない。

 まだ満足できていない。

 アンジェの夢は、常に自分より前を行くユルバンに並び立ち、その隣で歩んでいくことだ。

 人生をとして、そうありたいと思う。

 もしこれが、道半ばで潰えてしまっていたら。

 きっとアンジェは悔やむだろう。

 まだだと。

 未だ道のりは長いんだと。

 ユルバンが歩んでいく限り、きっとアンジェも歩んでいく。

 それがアンジェの望みであり、未練になっていく。

 そうあればいいと、切に願う。







【迷犬騎士団長の優れた嗅覚〜私の匂いを覚えないでください!〜 完】

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