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これは、大義名分

 アンジェはロランドから言われたことを悶々と考えた。

 自分がユルバンと結婚するなんて未来、想像したこともなかった。

 ただ望んでいたのは、その隣で凛と立つこと。

 自分の剣が、無駄なんかではなくて、ユルバンのように何かのために、誰かのために奮えることを誇りとしたかった。

 女だてらに剣を奮う意味が、この国ではあんまり歓迎されないことは知っている。

 元冒険者だったヒルダの話を聞いてみると、やはり肩身の狭い思いをしていたようで、世の中ままならないものだとつくづく思っていた。

 そんな中で一度は諦めたものの、もう一度手を伸ばせる機会に恵まれて、一心不乱に騎士を目指していたアンジェは、どうにも昨日のロランドの言葉が消化できずに胸の中でくすぶった。

 自分が結婚……それも、ユルバンと。

 想像できない。

 だって年が親子ほどとは言わなくとも、一回り近く離れているのだ。

 その上、あの鼻。

 アンジェは忘れていない。自分が騎士をやめようと思ったきっかけとなった原因のことを。

 それを全てひっくるめて、ユルバンと結婚できるかと言われれば、やはり、否、と答えると思う。

 だからどうしてロランドが、アンジェがユルバンを好きだとか宣ったのかがやはり分からなくて。

 ユルバンの事は憧れているけれど、否定的な面ばかりが目について、やっぱり男女の関係を意識するには難がありすぎた。ロランドがああも確信して言えるのが不思議で、アンジェは首を捻って唸る。

 そんな百面相をしながら王城の区画にある王太子の執務室へとやってくる。


「仮設第四騎士団所属、アンドレア・ジルベールです」

「入れ」


 許可を得たアンジェは堂々とその扉をくぐった。

 王太子の執務室は落ち着いた色調の家具が備わっていて、そこそこ広い。本来ならば何人もの補佐官が仕事をしているその部屋には今はただ三人しかいない。正面の執務机に座っている王太子レオナード。そしてその近くに立つ人物達に、アンジェは目を丸くした。


「姫様に、ヒューゴー様?」

「よう。アンドレア。ややこしいことになってるな」


 にやりと笑うヒューゴーにアンジェは肩をすくめる。どうやら一連の騒動を知っているらしいヒューゴーに、何も隠し事はできない。

 部屋に入り、そのまま王太子の執務机に歩み寄ると、椅子に深く腰かけた王太子がアンジェを見据えた。


「アンドレア・ジルベール。此度呼ばれた理由は分かるかい?」

「……城内の噂のことでしょうか」

「そう。分かっているなら話は早い」


 にこりと笑ったレオナードに、アンジェが緊張で肩を強ばらせる。

 アンジェは何を言われても受け入れるつもりがあった。

 例えそれが、ファイサルの希望を受けて嫁ぎ、騎士を辞めることだとしても。

 唇を引き結んだアンジェがじっと王太子を見据えると、レオナードは柔和にその眉尻を下げた。


「そんなに警戒しなくて良い。単刀直入に言えば、君にはこのスハール王国に残ってもらう方針でいるからね」


 レオナードの言葉に、アンジェは少しだけ目を見開いて、強ばらせていた肩の力を抜いた。

 だけどその直後、レオナードはさらに言葉を重ねる。


「君には今まで通り、騎士を目指してもらう。第四騎士団の設立は決定事項だからね。一年どころか、もう何年も前から進めてきた事だから、これを今さら取り止めることはできない。……その上で、君にはさらにもう一つ、役割を果たしてもらいたい」

「役割、ですか?」

「そうだ。スハール王国初の女性騎士団団長だけではなく、職業婦人としての役割だ」

「しょくぎょうふじん……」


 聞きなれない言葉にアンジェは繰り返し呟くと、ヒューゴーが横から割って入る。


「働く女性のことだ。諸外国では近年、女性の権利として提唱されているところが多くてな。結婚し、家に入り、子を育て、家庭を守るばかりだった女性が、埋もれるしかなかったその個の能力を使用して、文武官に登用されるのを推奨している国が増えている。うちの国も、この流れに則って優秀な人材を登用する枠を増やしたいってぇわけだ」


 アンジェはこっくりと頷く。要するに、女性騎士の先駆けとなるアンジェの役割と同じだ。

 それなら今も十分に果たせているのではないだろうか。女性騎士として、アンジェはその立場を確立させた。今は少々揺らぎかけているが、それが解決するのも時間の問題だろう。

 いまいちレオナードとヒューゴーが言いたいことが読み取れないアンジェが、眉間にほんの少しだけ皺を寄せる。すると、リオノーラがその鈴のような声で教えてくれた。


「アンジェ、ごめんなさい。女性騎士団の設立だけでは足りないのです」

「足りない、とは……?」

「今のアンジェの状態のようなことですわ。女だからと舐められて、今のままでは結婚を盾に政治の道具にされてしまう可能性があります。女性は子を生むと家に入ってしまうものでしょう? 子が育つには五年十年かかります。国も、その空白の席をいつまでも確保はしていられないのです」


 だからこその、結婚禁止の規定。

 空白の席をいたずらに残しておかないようにするための原則だ。

 アンジェもそれは理解しているつもりだった。

 そして今回、それを逆手にとられてしまい、政治の道具の一つとしてアンジェの人生が消費されようとしているのもまた、理解していた。

 でもこれは、仕方ないことだと思っていた。

 でも、この目の前にいる方々はそれを良しとはしないらしい。


「分かっていると思うけど、君の今の状況は私の望むところではないんだ。君の首をすげ替えることは容易いけれども、君以上に騎士道を知る女性はいないしね」

「……それは、どういう……?」

「君が第三騎士団にいたのは、偶然では無かったということさ」


 勿論、機密事項だから口外しないようにという王太子の言葉に目を見開いたアンジェは、そのままヒューゴーを見た。

 ヒューゴーはニヤリと人の悪い顔をすると、アンジェの頭にポンと手を置いた。

 したり顔のヒューゴーに全てを悟ったアンジェは深々とため息をつく。手の平で転がされていたことに少しだけ恨みがましい気持ちにはなるけれど、怒る気にはなれなかった。

 アンジェは頭に置かれたヒューゴーの手を邪険に払うと、まっすぐと王太子を見た。


「仰ることはなんとなく理解しましたが……それで実際、私の立ち位置が具体的にはこれまでとどう変わるのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

「そうだね。その事だけれど……」

「アンジェ! ユルバンからこの件について何か話しているのではなくて?」

「ユルバン団長とですか?」


 レオナードの目配せて、リオノーラが少し食い気味にアンジェに何かを確認してくる。けれど唐突なユルバンの名前に思い当たることも何もないアンジェは、きょとりと瞬きをした。

 その反応に、レオナードとリオノーラが顔を見合わせる。

 ヒューゴーも一連の話を知っているのか、眉をしかめた。


「あんの馬鹿、肝心なところでヘタレたな」


 ヒューゴーがぼそりと呟く。

 リオノーラが弾かれたようにヒューゴーを見上げた。


「そんなっ! だってもう一週間ですわよ!? 時間がないのは分かっているでしょうにっ! わたくし、外堀も埋めましたのよっ?」

「ちょっとこれは人選間違えちゃったかなぁ……。リオノーラ、彼、辞めとく?」

「いいえ駄目です……! それでは本当にただの政の道具と変わらないですわ……!」


 悔しそうに声を荒げるリオノーラに、アンジェは困惑する。まさかリオノーラがここまで感情をむき出しにして何かを訴えるとは思っていなかった。

 アンジェはおずおずとリオノーラに声をかける。


「姫様、その、話が読めないのですが……」

「アンジェ……! ねぇ、アンジェ、アンジェも、結婚するなら愛する殿方との方がいいわよねっ」


 うるうると瞳を潤ませて、リオノーラがアンジェに訴える。

 でも訴えられた内容に、アンジェはさらに戸惑った。


「……私は、別にどなたでもいいのですが。仕事上必要であれば結婚いたしますが、特に結婚願望はありませんし」

「そんなことないでしょう! あなた、ユルバンを好いてはいないのっ?」


 アンジェはぽかんと間抜けな顔をする。

 ここでもまたユルバン。

 どうして? なぜ皆、アンジェはユルバンを好いているのかと聞いてくるのか。

 ほとほと困りきってしまって、アンジェは少し弱った声で答える。


「……憧れてはおりますが、それ以上でも、それ以下でもありません」

「そんなことはないわ! だってユルバンは貴女の事を好いていますもの!」

「姫様、それはユルバン団長が面倒見がいいからですよ。それにこの話が、私の呼び出しとどう関係があるのです?」


 話が逸れていっていると感じたアンジェが軌道修正を図ろうとすると、リオノーラがさらに言葉を重ねようと口を開こうとする。

 だが、その直前で、パンパンっとレオナードが二度、手を打った。

 アンジェとリオノーラはレオナードに視線を向ける。


「戸惑うのも無理はない。でもリオノーラの話が全く無関係ではないんだよ」

「それはどういう……」

「アンドレア・ジルベール。これは命令だ。君にはモデルケースになってもらいたい。そのためにまずは婚約をしてもらおうと思っている」


 婚約という言葉に、アンジェはたじろいだ。

 それまでふわふわとしていた物が、急にアンジェに鎖のように絡みついてくる錯覚に襲われる。

 ふと、ロランドが言っていた言葉が脳内をよぎった。


 ―――アンジェはさ、たぶん、結婚しないといけないんだよ。


 やっぱり免れないらしい。分かってはいたけれど、いざ実際にそうなると、些末事とは思えない。

 自分が結婚する。結婚するということには、自分の隣に誰かが立つ。その誰かを想像して、アンジェの胸が詰まった。

 不快だった。

 見もしない誰かが、自分の隣に立つのが。

 自分が隣に立つのは、隣に立って欲しいのは、隣に立ちたいのは、ただ一人だけ。

 不快な胸の内を抑えるように奥歯を噛み締めると、ヒューゴーがぼそっと毒を吐く。


「ったく、こんな顔させるなんて、未来の義息子には仕置きが必要か?」

「私の命令を無視しているのだから、手ぬるい仕置きは駄目だよ?」


 ぼやくヒューゴーに、レオナードがふふ、と黒い笑みを浮かべた。

 ぐるぐると巡る思考に手の平をぐっと握りしめていたアンジェの手を、リオノーラがそっとその白魚の手で包み込む。


「アンジェ。そんな顔をしないで。わたくし、言ったでしょう? ユルバンを好いていないのかと」

「…………それが、なにか」

「お兄様、わたくしから告げても?」


 リオノーラがレオナードに確認をするように問いかけると、レオナードは苦笑気味に頷いた。

 それに満足したリオノーラはまっすぐにアンジェを見据える。

 きゅっと握られた手に力が込められた。


「アンジェ。貴女にはユルバン騎士団長と婚約していただきます。そして二人の婚姻を、お兄様だけではなくわたくしも、全力で支援させて頂きます。事後承諾になってしまって申し訳ないけれど、そのための布石は既に打たせていただきました」


 今度こそ、アンジェの思考が止まった。

 王族命令の、婚約。

 それもユルバンと。

 しかも既に布石が打ってある?

 ぐるぐると思考が巡る。

 何度も口を開閉したアンジェが、のろのろとヒューゴーを見た。


「ヒューゴー、さま」

「なんだ?」

「私、結婚するんですか?」

「そうだな。だが、婚約から婚姻までの期間はえらく長いぞ。お前らの婚約を盾に、さっき言った女性騎士だけの話ではなく、職業婦人が結婚を盾に排斥されないための環境を整備することになるらしいからな」


 飄々とそう言うヒューゴーに、アンジェは一度口をつぐんだ。

 そして迷子のように視線をさ迷わせて、もう一言だけ、ヒューゴーに尋ねる。


「………………婚約したら……ユルバン団長の隣に立てますか」


 それはアンジェの芯。

 一度は諦めた。けれどもう一度と手を伸ばすことを許された、変わらない志。

 不安に揺れるアンジェに、ヒューゴーには豪快に笑った。


「安心しろ。騎士としても女としても、お前以外の誰にも許されねぇ場所になる」


 ヒューゴーはそう言うと、ひどく優しい瞳でアンジェを見た。


「アンジェ。俺が見込んだんだ。もっと欲張れ。怯えることは許さねぇ。やり遂げろ。お前の人生、預けれる奴はもう決めてあるんだろ?」


 人生を預けられる人。

 そう言われ、ようやくアンジェは視界が開けた気がした。

 そしてくしゃりと表情を歪め、唇を引き結び―――強い意思で王太子レオナードに向き合う。

 アンジェは胸に手を当て、膝を落とし、頭を垂れた。

 最上級の騎士の礼。

 恋だの愛だの分からないアンジェだけれど。

 でも、憧れた人の隣に立てる大義名分が貰えるのなら。

 自分の人生、まるごと一つかけて、その隣に立ちたいと願った場所に行けるのなら。


「レオナード王太子殿下。謹んでこの婚約をお受けいたします」


 これ以上、嬉しいことはないと思った。




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