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王太子の思惑

「どういうことです! アンドレア・ジルベールの騎士任命取り消しとは!」

「あーあーあー、ユルバン、落ち着くように。まだ確定ではないよ。私のところで止めてある」


 スハール王国騎士団総帥の肩書きを持つ男の執務室に押し掛けて問い詰めるユルバンを落ち着かせるよう、部屋の主は書類を捌く手を止めて顔を上げた。

 月光のように静かに光をはじく銀の髪を長く伸ばして肩口でゆったりと結わえ、底知れぬ深みを持つ緑の瞳が思慮深く凪いでいる。切れ長の眉は整い、鼻筋は高く、顔立ちは造形された彫像のように整っており、高貴さが滲み出る居ずまいはそれだけで賢王たる風格を醸し出す。

 スハール王国王太子であるレオナードは、ユルバンの追求に手に持つペンのインクを丁寧に拭いとってペン立てへと戻した。


「アンドレア・ジルベールの内定取り消しは私の指示じゃない。ファイサル王子のハレム入りの打診とまとめて、宰相の差し金だろう。スハールの伯爵がファイサル王子を弑そうとしたのを揉み消すためにご機嫌とりをしようとしてるのは明白だ」


 机の上の書類をまとめながら、レオナードは事実と共に自身の見解を述べる。

 ユルバンが執務机にダンッと派手な音を立てて両手を叩きつけ、レオナードに詰め寄る。レオナードに迫るユルバンの赤い瞳は、怒り故か一際明るく輝いていた。


「なぜ彼女なんだ……! 他に手頃な人材はいるでしょう!」

「ファイサル王子がアンドレア嬢にご執心なのは知られているからね。それに彼女は個人として、まだまだ立場が弱すぎる」


 ユルバンの指摘に、レオナードは至極当然の事のように返す。

 アンドレア・ジルベールは能力があるとはいえ平民の出で、後ろ楯はヒューゴー・ジルベール子爵。ヒューゴーはスハール王国騎士団長を長年勤め、本人はそれなりに政治的発言はあるが所詮は子爵家で脅威にはなりえない。アンドレア本人の年齢は丁度適齢期に入る頃で、騎士ができるくらいの健康体。第四騎士団長としての地位はまだ内定のみで就任式もまだ。研修期間の功績は騎士見習いと同じで表だったものではないから、都合よく改竄が可能。

 宰相からしてみれば、これ以上ないほど権力で捻り潰しやすい人材といっても過言ではなかった。

 レオナードがその事を一つずつ挙げていくと、ユルバンは我慢ならないと言うように、唸りながら王太子の執務机を殴った。


「だからといっても、彼女は騎士団長として選抜された人間だ。ただの騎士ではない!」

「だからこそだよ。アンドレア・ジルベールはヒューゴーが推薦し、私の一存で選抜した人材だった。あわよくば王太子(わたし)の息がかかった人間ではなく、宰相(じぶん)の息がかかった人間を据え置く狙いもあるだろうな」


 淡々と事の次第を述べるレオナードが、深く椅子に腰掛け直す。足を組み、肘置きについた左手で頬杖をつき、疲れたような顔をしてユルバンを見た。


「時間の問題だね。今はまだファイサル王子に打診という段階だから、内定取り消しも内々の話で納められるはずだった。それがあっさり広まっている。分かりやすいほどのファイサル王子への圧力だ」


 深く息を吐き出したレオナードに、ユルバンは拳をグッと握り、目前の為政者を睨み付ける。


「……騎士は、女性騎士は、(まつりごと)の駒ではありません。彼女達の実力は本物です。腕力で叶わないのならば、技や智で男を凌駕する。それを腐らせる気ですか。ヒューゴー様はそういったものを掬い上げ、今まで目が届かなかったところへ差しのべようとしていたのではないのですか」


 感情ではなく、正しく論を説くユルバンに、レオナードは微笑を浮かべた。

 その笑みはまさしくその通りだと言わんばかりのもので。


「ユルバン。お前、アンドレア・ジルベールをどう思う?」

「どう、とは」


 唐突にレオナードが話題を変える。

 ユルバンは眉間に皺を寄せ、その赤い瞳に僅かに困惑の色を浮かべるとおもむろに口を開く。王族のレオナードの問いに答えないという選択肢はない。


「……戦闘能力は非常に高いです。入団前にカヤック村でフォレスト・ウルフを殲滅したことからも、対魔獣戦に関しては国内でも屈指の実力です。騎士としての礼節も身についている。男の騎士と並んでも遜色はないでしょう。現場投入しても問題なく対応できています。騎士としての資質は文句無しに持ってます」

「当然さ。ヒューゴーが仕込み、お前が可愛がっていたのだから。彼女が本当に男ならお前の後継だっただろう。それくらいはできてもらわないと困る」


 レオナードの含みのある言い方に、ユルバンは視線を鋭くした。


「……それはどういう意味です」

「第三騎士団所属アンジェ・ジルベール。国の中枢、それも王太子の膝元で性別が詐称できるわけがないじゃないか。アンドレア嬢には最低でも男と同じ仕事量をこなせるようになって欲しかったし、それが可能であると証明をしてもらわねばならなかったからね。才能があっても適性のない者には、こんな大きな改革の主軸は務まらないだろう?」


 女性騎士団の設立はレオナード主導のもと、ヒューゴーが手足となってかなり早い時期から計画されていた―――それこそアンドレアが騎士団に入団した頃からで。

 かなり無茶のある計画だったとレオナードは自嘲する。アンドレアに適性がなければ当然、さらに性別が知られてしまえばご破算になるような計画だった。

 だが途中の空白期間はあったものの、アンドレアはうまい具合にレオナードの掌で転がり、第四騎士団設立にまでこぎつけてみせた。むしろ空白の期間を置いたことで騎士団からアンジェの面影を薄め、女性としてのアンドレアを印象づけることができた。

 レオナードは唇の端を持ち上げて不敵に笑って見せる。上に立つ者としての顔で、ユルバンを見やる。


「女性騎士団の設立は慈善事業じゃない。私の実績として積まれるものだよ。だからこそ中途半端に終わらせるつもりはない。やるなら完璧を目指す。そのために十年もかけてヒューゴーと共に下準備してきたんだ。今さら横やりを入れられるなどたまったもんじゃない」


 頬杖をついて話すレオナードに、ユルバンは姿勢を糺した。

 言うなればアンドレアは、レオナードが自分の地位を磐石なものにするための駒の一つだ。それも長い時間をかけて育て上げた優秀な駒。それを簡単に奪わせるつもりはないということだろう。


「……貴方の考えは理解しました。しかし実際にどう動かれるおつもりなのです。時間が無いと仰ったのはレオナード様です」

「そうだね。まぁ、だからこうやってちょっと他の仕事の手を止めて真剣に向き合ってるわけだけど―――」


 レオナードが思案顔で天を仰ぐ。

 丁度そのとき、執務室がノックされる音が響いた。

 レオナードが誰何するより早く、扉が開かれる。


「お兄様!」


 ノックをした人物は、扉の開閉と同時に雪崩のような怒涛の勢いでまくし立て始めた。


「聞きましたわ! わたくしのアンジェをファイサル王子へ嫁にやると! そんな惨いことをどうしてなさるのです! アンジェはこれからの未来を切り開く女性騎士の先頭に立つ者ですわ!もし婚姻を結ぶのだとしても、 外つ国に嫁すのではなく、せめて国内の、それこそ長い間アンジェに懸想していらっしゃったユルバンのような殿方の元へ嫁ぐのが筋ではなくて!?」


 銀の髪をなびかせ、怒りで深緑の瞳を明らめ、王女らしからぬ勇ましさでやってきたのは、レオナードの妹姫リオノーラだった。

 本来なら淑女の嗜みとして、扉はノックしてから、部屋主が誰何し、それに答え、来訪の挨拶を交わす、という基本中の基本であるマナーを正しく守るのだけれど、今日ばかりは気が急くせいですっ飛んでしまっていた。

 その上、兄であるレオナードの元に来客がいることを確認もせず、はしたなくも大きな声で抗議の声を上げてしまった。

 だがそうやって国民の理想の王女像をかなぐり捨てててまでも、彼女はアンジェの第四騎士団長就任の内定取り消しに反対の声を挙げる一心で兄の執務室に来たわけだが。


「……あら、お邪魔でしたかしら」

「………………」


 リオノーラの抗議声明にダメージを受けたのはまさかのユルバンだった。

 ユルバンは思わずその大きく無骨な手で顔を覆ってしまう。その耳が赤くなっているのをレオナードは目敏く見つけた。

 レオナードの唇がにんまりと弧を描く。


「リオノーラ。淑女としてのマナーがなってないね。でもとても興味深い話を聞けたから、お説教は無しにしてあげよう」


 リオノーラの無作法を咎めつつも、レオナードは身体を起こし、背筋を伸ばして椅子に腰掛け直す。

 そしてリオノーラが勢いに任せて言っていた言葉を反芻して、ユルバンを見た。


「ユルバン、お前、アンドレア嬢に懸想してるのかい」

「……」

「だから食い下がってきたのか」

「…………」

「お兄様、アンジェの方も満更ではなさそうですのよ」


 唇を固く引き結び、黙秘を続けるユルバン。

 そんなユルバンを差し置いて、リオノーラがレオナードへとさらに進言する。

 リオノーラの申告にレオナードはますます笑みを深める。


「へぇ。そうなのかい?」

「ええ。ただアンジェは今、騎士になることで手一杯ですわ。わたくしはそんはアンジェとユルバンを見守る中で、いずれは女性騎士も自由に婚姻を結べるようにしていきたいと思っていたのです。……それなのに、こんな悠長なことを言っていられそうにもない状況となってしまいましたでしょう? わたくし、居ても立ってもいられなくて」


 安城の騎士任命権を持つレオナードの元へと直訴しに来たという。

 リオノーラの一連の訴えに頷いたレオナードは、うんともすんとも言わずに石像のように顔に手を当てたまま棒立ちになっているユルバンに視線を戻す。

 リオノーラの判断は正しい。もし王や裏で手を引いているであろう宰相に直訴したところで、アンジェがスハール王国の人身御供としてファイサル王子へと押しつけられる決定が覆ることはない。

 だがレオナードならば。

 ヒューゴーが連れてきたアンジェを試金石として選び、自らの利のために利用しようとしているレオナードであれば、少なくとも一人の少女の純粋な願いを眩いほどに輝かせて万事を綺麗にまとめることが可能だ―――否。


「たとえ不可能であろうと、あの口うるさい宰相を黙らせるにはやって見せるしかないだろうね」


 古い慣習や因習に囚われ、新しき風を阻もうとする老獪を思い出し、レオナードは不敵に笑った。

 そして未だ石像の真似事をしている赤髪の大男に、一つ、尋ねる。


「ユルバン、答えろ。お前はアンドレア・ジルベールを女として求めるかい?」

「…………」

「黙秘は認めない。答えろ、ユルバン・オークウッド」


 ごくごく私的な内容に、ユルバンは無言の抵抗をするが、レオナードに命じられ、項垂れた。

 うつむくユルバンの表情は見えない。

 何を思っているかも分からない。

 けれど。


「……俺は、アンジェを……アンドレアを好いている。騎士としても、女性としても」


 紡がれる言葉は雄弁だ。

 ユルバンの返答に満足そうに頷くレオナードはさらに質問を重ねる。


「そのどちらかを選べと言われたら?」

「騎士のアンジェを取ります」


 即答だった。

 意地悪にも取れるレオナードの二者択一の質問に、ユルバンは迷いなく答える。


「……騎士こそ彼女の本質だ。俺がアンジェを好ましく思うのは、彼女がひたむきに騎士を目指し、俺の背中を追おうとしてくれているから。俺はアンジェが俺を追う限り、その先を行き、彼女を導く義務がある。その道を阻むことは決してしない」


 ユルバンがゆっくりと顔を上げる。

 まるで自分に言い聞かせるような言葉を語った男は、心がずっと決まっていたのだろう。

 迷いも何もない真摯な眼差しで、レオナードをひたりと見据えた。


「故に私はこの気持ちを自覚した時に決めたのです。アンドレア・ジルベールに愛を乞わないと。―――その代わり、彼女が己の隣に並び立つその日まで、その視線の先にいる贅沢を誰にも渡しはしないとも」


 最後の言葉と共に、ユルバンの瞳孔が威嚇するように細まる。

 両の赤い瞳は炎のように揺らめいて、その奥底で熱情をくすぶらせていた。

 ユルバンの強い意思に感服したレオナードが、したり顔で頷く。そしてペン立てに戻したペンを再び手に取り、ペン先にインクを含ませた。

 まだなにも書き付けていないまっさらな紙を一枚、執務机の引き出しから取り出すと、レオナードはペンを走らせる。

 流麗な筆跡で素早く文字を綴ったレオナードが一枚の書状を書き上げると、それをリオノーラへと渡す。


「時間がない。リオノーラ、お前にも手伝ってもらうよ」

「ふふ、もちろんですわ」

「それとユルバン。お前はアンドレア嬢から同意を得るように」

「は?」


 レオナードの要領の得ない命令に、ユルバンは素の言葉で聞き返す。不敬だったかという言葉が一瞬脳内をよぎるが、ユルバンがレオナードの命令を脳内で解釈するより早く、レオナードがもう一度しっかりと命じ直す。


「婚約の同意だ」

「……は? 誰の……?」

「お前とアンドレア嬢に決まってるだろう」


 一拍置いた。

 むしろ一拍も置けば、様々の情報がユルバンの脳内を駆けめぐり、埋め尽くした。


「……は!? こんや……っ!? いや、待て! 女性騎士は結婚ができないと!」

「今はね。だから婚約だ。だがそれも、第四騎士団の披露目までには撤廃させる」

「いや、しかしっ、そんなことをしてもファイサル殿下への打診は……!」

「そのための布石をリオノーラにしてもらうんだ。お前はとにかく、アンドレア嬢から婚約の同意を得ることだけに専念しろ。とにかく彼女を早急にこの国に縛りつけることが優先だ。目には目を、歯には歯を、噂には噂で、だ」


 まるで罠を張り巡らせ、静かに獲物を待つ捕食者のように、レオナードは口角をつり上げてユルバンに微笑みかけた。


「婚約さえ同意してもらえれば、最悪結婚が十年、二十年先になっても良いだろう? なんたってお前は騎士になりたい娘に惚れたのだからな。騎士になった女と堂々と結婚するといい」


 王太子の話す将来設計図の鬼畜さに、ユルバンは愕然とした。




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