おや?団長の様子が……
ファイサル王子の歓迎パーティ。
夜会での開催となった今回のパーティは、当然の如く女性参加者はパートナーとの出席が余儀なくされる。
アンジェもまた、パーティに参加するにはパートナーが必要だった。
ファイサル王子がなんとかアンジェを連れ歩こうと画策していたけれど、リオノーラの手配のお陰でそれはなくなり、変わりにあてがわれたのが。
「団長? 顔がすごいことになっていますが」
「問題ない。いつもこんな顔だ」
「普段の八割ましで厳しいお顔になってますが」
アンジェが困り顔でパートナー役を見上げる。
しなやかなアンジェの腕が絡むのは、黒いジャケットに黒いトラウザーズ、赤の差し色のネクタイや胸飾り、騎士としてマントを肩からかけるという装いをしたユルバンだった。
赤髪に映えるその盛装姿が新鮮でアンジェは気がつけばついついユルバンの方を見ているのだが、ユルバンはドレスアップしたアンジェを見てからずっとしかめ面のままで厳しい表情をしている。
何かしら不満に思っているのだろうけれど、アンジェが聞こうにも頑なに口を開かないユルバンに、アンジェもそろそろ辟易してきた。
(もしかしたらパートナー出席が嫌だったのかもしれない……。姫様、なんで団長を選んだの……)
アンジェのパートナーにユルバンが来たのは、リオノーラが指名したからだ。
あまり夜会やこういった場所を好まないユルバンにとって、アンジェのパートナー役というものはひどく面倒なものだったのかもしれない。
そもそもユルバンは女性の化粧の匂いを苦手とする。密になり、夜会とあれば普段より一層気合いの入る女性の身嗜みはユルバンにとって地獄のような場所に違いなかった。
そしてそのすぐ隣には、アンジェがいる。
普段はほとんど化粧をしないアンジェも、今日はハンナ率いるリオノーラ付きの侍女によって顔の造形が変わるくらいの化粧を施され、身体には香油が塗り込められた。隣にそんな爆弾がいれば、さすがのユルバンも不機嫌になって仕方ないと思う。
「すみません、団長。こんな茶番に付き合わせてしまって」
「謝るな。お前が気にすることではない」
「でも……」
「俺が良いと言ったら良いんだ。それとユルバンと呼べと言っただろう」
「あっ、すみません」
アンジェが恐縮しながらユルバンに謝る。
そうして話しているうちにも、アンジェとユルバンは会場へと流れるように入っていく。
会場へと入った瞬間、賑やかだった人々の声がわずかになりを潜めた。
そしてひそひそとアンジェとユルバンに注目するような視線を四方八方から感じた。
「……なんか見られてます?」
「こんなものだ。見慣れないものがいれば皆が注目する」
なるほど、とアンジェは頷いた。
アンジェは知らないが、ユルバンは第三騎士団長の団長であるため、基本的に王家主催の夜会は出席義務がある。その割には任務だ仕事だと断り続けていた。その上、珍しく出席したとしても一人での参加だった。
それが今日、初めて女性のパートナーを同伴しているのだ。注目されるのは当然とも言えた。
「……臭い。非常に臭い。すぐにでも壁に穴を開けて通気性を良くするべきだ」
「ユルバン様、大丈夫ですか? バルコニーの方なら風があると思うので、そちらの方まで行きましょう」
どこか虚ろな目で物騒なことを言い出したユルバンに、アンジェはひやりとした。ユルバンの鼻の良さがこれほどまでに彼を苦しめるとは思っていなかった。
リオノーラが指名したとはいえ、アンジェはユルバンに対して申し訳なくなる。せめて自分に塗り込められた化粧や香油の匂いがユルバンを苦しめないようにとそぅっと身体を離そうとすると、ユルバンがアンジェの腰を抱いてぐっと引き寄せた。
ユルバンよりも華奢で小さなアンジェはされるまま、ユルバンに密着する。
アンジェが驚いてユルバンを見れば、ユルバンは不機嫌さを隠しもしない顔をしながらアンジェに一瞥をくれた。
「離れるな。お前ので中和してるんだ。行くな。お前が離れたら鼻が死ぬ……」
「は? 中和、ですか?」
何を、と聞く前にユルバンが答える。
「そうだ。お前の匂いだけ集中してかぎ分ければ、そっちに意識が持っていかれるから他のが気にならなくなる。まだマシになる」
「え……」
ユルバンは大真面目に答えているけれど、アンジェにとっては聞き捨てならない言葉だった。女子としての本能か、さっきよりも強固にユルバンから離れるべきだと身体が判断してユルバンから距離をとろうとする。
「離れるなと言ってるだろう!」
「え、何のことですか? 私は普通ですよ。あ、ちょっとこれは近づきすぎじゃないですか?」
「目をそらすな、腰を引くな、距離をとろうとするな!」
ぐいぐいと二人で付かず離れずの距離で攻防を繰り広げながらもバルコニーの近くまで移動する。
その道すがら、このパーティーの主役を見つけ……というよりも見つかった。
「アンジェ~! すごいなぁ! えらい別嬪さんになってもうてまぁ!」
「ファイサル様」
アンジェに猛アピールする異国の王子ファイサルが、それまで話していた人達を振りきるかのようにアンジェとユルバンを見つけて近づいてきた。
純白の一枚布を身体に巻くように着付け、その上から金の装身具で着飾ったファイサルは、いかにも異国の王子といえる風格だ。アンジェとユルバンはそろって礼を取る。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした、ファイサル様。お褒めにいただき光栄です」
「ええなぁ、ええなぁ。そんな可愛いアンジェを侍らせれるええなぁ。アンジェ、今からでもええからわしの隣来ん? 空いとるよ」
ぐいぐいとファイサルはアンジェに近づくと、手をがっちりと掴んだ。面食らったアンジェだが、すぐに申し訳なさそうにファイサルへと答える。
「どうかご容赦くださいませ。私にもパートナーがおりますので。ご紹介させていただいてもよろしいですか?」
「……ほぉー。それはもしかしてこっちの岩壁みたいなおっさんか?」
「おっ……」
アンジェはどう返しても事故になると思って慌てて口をつぐんだ。
ユルバンはまだ三十路にもなっていないが、その貫禄ゆえか年が老けて見えがちで、よくこうやって間違われることもあるが……相手は仮にも王子だ。当て擦りのようなその言葉はおそらくわざとだろう。
ユルバンは一瞬だけ眉をぴくりと動かしたが、王族を前にしているというのにふてぶてしい表情を崩さないまま、礼に則った自己紹介をする。
「お初にお目にかかります。スハール王国第三騎士団、団長のユルバン・オークウッドと申します。ファイサル殿下におきましてはご機嫌麗しく存じます」
「いやー、麗しくはないなぁー。わしがエスコートしたいっちゅーてた娘っこが別の間男のエスコートで来とるんもんなぁー。ご機嫌はよろしくないわなぁー」
ファイサルの全力投球の嫌味に、アンジェはユルバンに心の底で謝った。
でもそんなアンジェのことを知らずか、ユルバンはこれ見よがしにさらにアンジェの腰を自分にぐっと寄せると眉間の皺をますます深くさせた。
「殿下がどちらの娘に懸想しているかは存じ上げませんが、エスコートの同意を得られなかった時点でこの国では脈がないと決着がついているものです。早々に諦めて、次の候補を見繕った方がよろしいかと」
リオノーラから事情を聞いていたらしいユルバンがそれとなくアンジェの意思を代弁してくれる。
でもそれをファイサルは納得いかないと言いたげな表情でユルバンを見返した。
「……知った口聞きよって。でも残念やなぁ。スハールはそうなんやろけど、うちは違うんや。執念深い国やもんでなぁ。―――やからアンジェ、今からでもわしのパートナーならへん? 優遇するで?」
真っ直ぐに自分を射抜く金の瞳に、アンジェは息を詰めた。
ファイサルの王族としての風格のせいか、いつもより強気な言葉にどきりとしてしまう。
それでもアンジェは瞬き一つで呼吸を整えて、次の瞬間には否と答えていた。
「申し訳ありません、ファイサル様。何度も申し上げているように私には過分な申し出です。私に結婚の意思はありません。この国で、騎士として、身を立てたいのです」
「騎士になりたいのならうちの国でなればえぇよ。わしの護衛任務なんてやりがいあるでー?」
「……申し訳ありません。決してファイサル様が嫌いなわけではないのです。私には夢があるのです。理想とする御方がいるので、その人の背中を追うにはこの国でなければならないんです」
アンジェがはっきりと自分の心の内を明かせば、ファイサルの金の瞳が見定めるかのように細められる。
「アンジェ、意外と頑固やな?」
「頑固ですよ。じゃなきゃこの国で女性騎士団の設立なんて推し進められません」
アンジェがこっくり頷けば、ファイサルは大袈裟なくらいにため息をついて頭上を仰いだ。
「はぁ~、その気概、やっぱ欲しいんやけどなぁ。でもあんまりしつこくて嫌われたらそれこそ嫌やしな。今日はここまでにしとくわ 」
「今日は、ですか?」
「そ。まだしばらく滞在はするし、嫁探しの旅が終わる前にまた口説きに来てもええやろ?」
「……それは、私に言われても」
「明日のアンジェが気が変わるかもしれへんやん! それに期待して口説くだけや!」
胸を張るファイサルに、アンジェは肩をすくませた。めちゃくちゃなことを言ってはいるが、アンジェにファイサルを止める権限はない。
困ったように笑うアンジェに、ファイサルはからりとした屈託のない表情をアンジェに贈る。
「わし、アンジェが欲しいんや。誠実で、強くて、わしを裏切らない奴が欲しい。アンジェならそうなってくれそうやって思っとる。やもんで、諦めへんよ」
実直にそれだけを言うファイサルの押しの強さに、アンジェはたじたじになる。
ここまで求められたことなんて無いから、どうすればいいのかわからず、アンジェは落ち着かなくてそわそわと視線を動かす。
そんなアンジェの一歩前にユルバンが出るが、ユルバンが何かを言う前にファイサルはひらりと手を振った。
「さぁて、わしもう行くわ。他にも挨拶しんとあかんし? そろそろしびれ切らせる客人も居るだろうしな~」
嵐のようにやって来たファイサルはそう言い置くと、アンジェとユルバンから離れていく。
過ぎ去る嵐をほっとした表情で見送るアンジェだが、ユルバンの方はぎゅうっと眉間に皺を寄せてぶすっとした表情になる。
「ユルバン様? 顔がすごいことになってますけど」
「……アンジェ、絶対にネフシヴになんか行くんじゃないぞ」
「今のところ行く予定はありませんけどね」
「……アレじゃなくても、嫁に行くな」
「騎士になるので嫁に行く予定もないですけどね」
様子のおかしいユルバンをまじまじと見ていたアンジェは、どきっとした。
(また、この目―――)
ユルバンのルビーのような深紅の瞳の裏側に何かがある。
その裏側にある何かの感情が読み取れなくて、アンジェは戸惑った。
最近、ユルバンの瞳が何かをアンジェに求めるように語りかけてくるときがある。何が言いたいのか分からないけれど、普段はきはきと話すユルバンが何も告げないことからアンジェはその意味を深く考えてはいなかった。
でも、その瞳の奥に何かを感じるたびに、アンジェの心臓が不規則に脈を打つ。
ざわつく自分の感情がなんなのか分からなくて、今日もアンジェは視線をそらすことで考えることをやめた。
どぎまぎする自分の気持ちから目をそらし、バルコニーの方を見て、アンジェは気がつく。
「ファイサル様、バルコニーに出られたんですね?」
「それがどうした。挨拶は終わったんだからもう良いだろう」
「いえ、招待客に挨拶しに行くと分かれたのにバルコニーに行かれたのか、と」
本当に何気ない気づきだった。
でも違和感というか、何かがアンジェの頭に引っ掛かって呟いた一言だった。
でも一度気がつけば、その違和感の正体を言語化できる人間が隣にいた。
「……アンジェ」
「はい」
「すごく嫌なことに気がついたんだが」
「はい?」
アンジェの言葉に視線を巡らせていたユルバンが深々とため息をつく。
「今日の護衛の配置図を覚えているか」
「それは勿論。私も護衛に組み込まれていましたし」
そう言いながら、今の時間帯の護衛配置を脳裏に思い浮かべて、アンジェもそこでようやく違和感の正体に気がつく。
この時間、バルコニーの向こう側に広がる庭の護衛は手薄になっている。
庭であるし、招待客の目に触れぬように警備をするとどうしてもそういう時間が生まれる故のことではあるが……一国の皇子をそこに野放しにしてもいいかと言われると微妙なところだ。
「……行きますか?」
「問題はないだろうが……何か嫌な予感がする」
ユルバンは鼻が効く。
それは物理的にもそうだが―――第六感という意味でも、だ。
アンジェとユルバンは顔を見合わせると、腕を取り合ってそっと広間から抜け出した。
 




