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囚われの女騎士を救うのは

 耳を貫くようなか細い音が、ユルバンの脳を揺らした。


「……なんだこれは」


 夜営地にて各班の戻りを待っていたユルバンは顔を上げた。

 鉄板で爪を研ぐよりもひどい、不愉快な音だ。

 顔をしかめたユルバンが夜営地の見張り番に音の正体を聞くが、見張りの騎士には聞こえないようで首をかしげられてしまう。

 あまり良いことではないのだが……この音の出所が気になったユルバンは、山の中へと入ることにした。留守を騎士に頼み、ユルバンはさっさと山の中へと分け入る。

 単独での探索は無謀であるが、五感が人より優れているユルバンならば危険はそれほどもない。迷うことなく、途切れ途切れで聞こえる音の方へと歩きだす。

 近づくたびに、何か焦燥感が募る。

 途切れかけていた細い音はやがて聞こえなくなり、ここ数日あまり嗅ぐことのなかった獣臭さを感じ始める。


「街道よりかなり離れるな……獣も一所に集まっていたのか」


 獣が人里より離れるのは別に良い。

 魔獣もそれを追い、人里から離れるから。

 だが、それが騎士団が来てから……というと、都合が良すぎる気もした。

 聞こえなくなった音の変わりに、獣の臭いを頼りにユルバンはかけた。音の方角と、獣の臭いがする方角が、ぴたりと一致した。

 一瞬だけ、わずかな血の臭いにユルバンの鼻がひくつく。

 ユルバンは空を見上げた。

 何かが頭上を不規則に飛んでいく。

 血の臭いを纏わせた大型の蝙蝠―――ブラッド・バットだ。

 ユルバンはブラッド・バットが来た方角を正確に見極める。不規則に飛んではいたが、獣の臭いがする方角と、謎の音がした方角と概ね同じだ。

 ユルバンは駆ける。

 力強い脚力で、獣道をものともせず突き進む。

 そして見つけた。


「ネイト! なんだこれは!」

「団長!」


 群れるブラッド・バットに襲われる騎士にユルバンは声をあげた。

 その騎士―――ネイトの足元には縄に巻かれて怯えた顔をする三人の男。

 何かがあったことは明白だが、ユルバンが状況を把握するには少しばかり判断材料が足りなかった。

 ユルバンがとにかく目につくブラッド・バットを切り捨て始めると、ネイトがそれを制する。


「団長、ここはいい! アンドレアちゃんを探してください!」

「アンドレアがどうした!」

「賊に連れ去られました! 一人です! ロランドが追おうとしたが、現在進行形で足止めくらってるっ!」


 ユルバンは首を巡らせた。

 岩影の奥の方にも、ブラッド・バットの群れが見えた。

 視認したユルバンはロランドの方へと向かう。

 ロランドは手数の多すぎるブラッド・バットに翻弄されていた。地面には何体もの死骸が落ちているが、その倍以上のブラッド・バットがロランドへとまとわりついている。

 牙や爪で傷つけられたのか、ロランドの顔や手などのむき出しの部分からは血が滲んでいる。

 ユルバンは状況を即座に把握すると、携帯していた装備品から火打ち石と油を取り出した。

 簡易治療用の包帯を手近な棒の先端に巻き、油を振りかける。本当は染み込ませたい所だが、時間がない。

 ユルバンはそれに火打ち石で火をつけ、松明を作ると、それを持ってロランドへと近づく。

 ブラッド・バットが耳障りな鳴き声を上げながら、松明を避けていく。


「だ、団長……」

「彼女はどこに」

「向こうにまっすぐ……すみません。僕も」

「来るな。お前はこれを持ってネイトの方へ。ブラッド・バットの麻痺毒で動きが鈍ってるな。ネイトと共に拠点まで戻って増援を呼んでこい」


 厳しい声でユルバンはロランドに命令する。

 ロランドは悔しそうな表情でユルバンから松明を受けとると、それでブラッド・バットを追い払いながらネイトの方へと向かった。

 ユルバンは二人の様子を確認することなく、ロランドが指し示した方へと走る。ブラッド・バットが追従してきたが、その全てを切り伏せた。


「アンジェ……!」


 連れ去られたというアンジェ。

 アンジェの強さならば、本来賊の一人や二人に遅れを取ることなどないというのに。

 ユルバンは夜の山を駆ける。

 不自然に潰れた草葉は賊の足跡で間違いない。

 暗がりとはいえ、ユルバンは迷うことなく賊の痕跡を見つけ出す。

 人、一人を連れ去るのだ。

 追われてる身では痕跡を消す暇も無いだろう。

 ユルバンは予測通り、岩場よりそう遠く離れていない場所で、アンジェを担いだ賊を見つけた。

 意識を失っているのか、ぐったりとしているアンジェ。

 常に凛とし、勝ち気だったアンジェが、ただのか弱い少女に見えた。

 そんな彼女を見た途端、ユルバンの中で何かがむくりと沸き上がる。

 腹の底に溜まるそれは―――怒りだ。


「止まれぇぇぇぇ!」

「うっわ、は?」


 賊が驚き、こちらを見る。

 月明かりに照らされたユルバンの鬼の形相を見た賊は飛び上がった。


「チッ、追手か!」


 賊は足を早める。

 だが、身軽なユルバンが追いつく方が早かった。


「止まれと言っている!」

「畜生!」


 賊は逃げきる見込みがないと知ると、唾を吐き捨て、意識のないアンジェを盾にユルバンと対峙した。


「動くんじゃねぇ! こいつを殺すぞ!」


 賊が怒鳴り返し、反射的にユルバンは足を止めた。


「ハハッ、追いかけてくるとはご苦労なこった。だがこちとら人質がいるってことを忘れてもらっちゃあ困るなぁ?」


 闇夜に慣れた目は、男の下卑た顔を浮かび上がらせる。

 ユルバンは痛恨のミスを犯してしまったことに気がつく。

 意識のないアンジェはただの人質だ。

 ユルバンは「騎士のアンジェなら」という考えがどうしても抜けていなかった。

 アンジェが普通の少女のように無力になる瞬間を、考えたこともなかった。

 それ故に、声をかければきっとアンジェが応えてくれるだろうと、全幅の信頼を寄せていた。

 ギチッと歯ぎしりするほどにユルバンは己の愚行を噛みしめる。

 状況把握ができていなかった。

 騎士団長ともあろう人間の行動ではなかった。

 後悔は後を立たない。

 そして賊はユルバンを待ってはくれない。


「よぉし、いいな。動くな。お前が動いた瞬間、こいつの喉元をナイフでかっ切ってやる。お前と俺の距離じゃあ、俺がナイフで切りつける方が早いってことくれぇ、分かるよな?」


 賊がユルバンに対し嫌な圧をかける。

 賊が言葉を発する度、ユルバンの中におどろおどろしい感情がとぐろを巻いていく。


「……アンジェを離せ」

「へぇ、こいつ、アンジェって言うのか。男でも女でもありがちな名前だな」


 賊はそう言うと、ふと面白そうに目を細める。


「そうだ、取り引きしようぜ」


 突然話を切り出した賊に、ユルバンは警戒の視線を向ける。

 賊は愉快そうに笑った。


「こいつの秘密を俺は知っている。それと交換しねぇか?」

「アンジェの秘密だと?」


 訝しげなユルバンに、賊は「そうだ」と答える。


「こいつの素顔って奴さ」


 賊がナイフを動かす。

 動こうとしたユルバンに、鋭く男が静止の声をあげた。


「動くんじゃねぇよ! こっからが見世物だ」


 男のナイフが、一気にアンジェの騎士服を切り裂いた。

 切り裂かれた騎士服の下に隠れていた、女性らしい滑らかな肌がさらされた。

 月明かりに照らされ、アンジェの白い肌が目を奪う。

 賊の奇行に絶句したユルバン。

 それを面白がるように男は、アンジェの騎士服を胸元の際どいところまでめくりあげる。


「天下の騎士団に女がいるなんてこりゃたまげたなぁ? 女がいる騎士団なんざ、頼りにならねえ。それも魔獣遠征に出るような騎士団にいるとはなぁ? あー、やだやだ、怖いねぇ」


 おちょくるように言う男は、さらに言葉を続ける。


「規律違反の女が混じる騎士団なんて信用がた落ち間違いなし。俺が捕まったら、この醜聞を牢屋の中から声高らかに謡ってやろう。だが、俺を見逃したら、お前たちはこの醜聞が揉み消せるって寸法だ。この女自体が、闇に消えるからなぁ……!」


 どこが取り引きなのだろうか。

 全くもってユルバンたち第三騎士団にとって益のない取り引きである。

 そもそも既にアンジェは女性騎士として登用が決まっている。男の取り引き材料としての前提が間違っているのだが、山籠りして世間から隔絶された生活を送る男には知るよしもない。

 だが、男の言葉がユルバンの逆鱗に触れたのに間違いはなかった。

 怒りの感情がぐつぐつと、ユルバンの腹の中で煮えたぎる。


「……女がいる騎士団なんか、頼りにならない、だと?」

「はぁ? んだぁ? 当たり前だろ。女のこの細い腕で何ができるんだ? 現に見てみろ。俺なんかに捕まっちまってよぉ」


 賊が鼻で嗤いながらアンジェの腕を掴む。

 ユルバンの赤い瞳が、炎のように煌々と揺らめいた。


「女だろうが、なんだろうが、騎士にはなれる。アンジェはそれを身をもって証明した」

「ハッ、何を言うかと思えば。意味が分からん」

「訂正しろ。アンジェを侮辱するな……!」


 ぎらりと瞳孔を開いたユルバンの、ただならぬ気配に、男は背筋を震わせた。

 ユルバンの怒りの闘気を全身に浴びて、男の身体が硬直する。

 まるで百獣の王が目の前にいるような圧迫感と、恐怖心が生まれ、男の顔は引きつった。

 知らず知らず、足が後ろへと下がる。

 その距離を、ユルバンが詰める。

 男はこの得たいの知れぬ緊張感に恐怖した。


「く、来るな! 近寄るな! なんなんだ! 何が気に食わねぇんだ!?」

「アンジェを侮辱し、貶める、お前の全てだ」


 ユルバンの殺気にも近い気迫に、男が錯乱する。


「殺す、殺すぞ!? 来るんじゃねぇ、よっ?」


 再びアンジェの首元に突きつけられたナイフ。

 そのナイフが、器用にからめとられて男の手から消えた。


「……は?」

「―――随分と、好き放題してくれたよね」


 声が響いたのは、男の腕の中。

 男の手から消えたナイフが、くるりと切っ先を変え、今は男の喉元に突きつけられる。


「団長。私、団長のそういうところ、本当に尊敬してる」


 意識を取り戻したアンジェが、場にそぐわない笑顔をユルバンへと向けた。



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