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岩影にひそむ悪

 遠征一日目は特に何事もなかった。

 夜行性の魔獣が多い北の渓谷だ。街道はもちろん、街道から少しはずれた場所にまで足を伸ばして、夜間の間、見回りをする。

 午前中に仮眠を取り、午後に移動。

 夜になる前に拠点を作り、夜営体制に入るということを繰り返す。

 三日夜営を繰り返し、ガーランド領へたどり着いた遠征部隊は、そこで補給をかねた休息を一日とって、行きとは違うルートで渓谷へと折り返した。

 帰路にはいり、山間の川で拠点を作った六日目。

 同じ班内でも二手に分かれ、ネイトとロランドと組んで夜の森を探索していたアンジェは不意に言葉をもらした。


「……不自然ですね」

「どうしたぁ、アンドレアちゃん」


 先頭を歩いていたネイトが、アンジェの言葉を聞き取る。

 アンジェは思ったことをそのままネイトに伝えた。


「遠征に出てから、ブラッド・バットを一匹も見かけていません。他の魔獣はちらほらいましたが……群れている様子もありません」


 ネイトはにんまりと笑った。


「気づいたか。良い観察眼だな」

「北の渓谷の生息魔獣を知ってたら分かります。夜に哨戒するのも、ブラッド・バットが夜行性だからじゃないですか。魔獣の襲撃があるから遠征に来たのに、そのブラッド・バットが一匹も出ないなんて、普通に考えておかしいですよ」


 眉をひそめながらそう言いきったアンジェに、ネイトは考えるように顎に手をやった。


「アンドレアちゃんの言う通りなんだよなぁ~。ロランド、お前は何か気づいたか?」

「えっ……」


 二人の話を聞いていただけのロランドは、急に話を振られて戸惑う。

 その表情に、ネイトはやれやれとため息をついた。


「お前はもーちょい、頭を働かせな」

「それは言いすぎじゃないですか? というか、夜なんでそもそも痕跡採取も難しいのに……」


 ロランドの言いたいことが分かって、アンジェは苦笑した。

 確かに夜の哨戒は明かりが乏しく、視界が不明瞭になりがちだ。魔獣の痕跡採取も昼とは違って難しい。

 日が昇る明け方にも念入りに探索はしているけれど、それほど成果は上がっていなかった。


「痕跡もない、襲撃もない……魔獣はどこ行ったんだろう」

「だが被害は確実にあったんだ。どこか一ヶ所ならともかく、街道全域だから余計に的を絞りづらい。どっかに目立つ痕跡があれば良いんだが……」

「魔獣も移動してるんですかね?」


 アンジェとネイトの会話に、ロランドが思いつきで言う。

 それをネイトが鼻で笑い飛ばした。


「阿呆。この山のブラッド・バットは移動する習性なんかねぇよ。洞窟とか、岩肌がむき出しのじめっとした暗いところを好んで巣にするからな。餌だって動物の血だ。そこらにいる野生動物からチョロっとばかし血を吸うだけで事足り……」


 ネイトが途中で言葉を区切った。

 ロランドは首をかしげるが、アンジェにはネイトの言いたいことが何か察っせた。

 だからあえて、ネイトに聞く。


「……ネイト班長、ここまで野生動物もほぼ見ていません。野うさぎすら、見ていません」

「……そうだな」

「山から動物がまるごと居なくなるなんて、あり得ますか?」

「いや、ありえん。ありえんが……だが、それに近い勢いで動物が減る可能性は、ある」


 ネイトが厳しい顔でアンジェとロランドを見た。


「もしかしたら密猟者がいるかもしれん。そいつらが山の動物を狩り尽くしたのなら、ブラッド・バットの移動もうなずける」


 憶測かもしれない。証拠が何もない。だが、痕跡が何もないことが証拠になり得る。

 密猟者達が、自分達のいる痕跡を丁寧に消し去っていたのなら、痕跡がないのも頷ける。

 結論を導きだしたネイトは、さすが古参の騎士と言うべき勘の鋭さだ。

 そしてアンジェもまた、ネイトと同じ結論を導きだしていた。

 ロランドだけが唯一驚いているが、すぐに表情を引き締める。


「俺らが探すのは魔獣じゃなくて人間ってなると、探索は昼間の方がいいな。団長に進言しに戻るか」


 ネイトがそうぼやくと同時、アンジェたちの頭上が一瞬だけ陰った。

 月明かりを遮る雲のゆったりした流れとは明らかに違う陰り方だ。

 すぐさま上を見上げれば、一匹、二匹と、静かに夜の空を滑空する鳥の姿が見えた。


「今のは……」

「ブラッド・バットだ」


 ロランドの呟きを、アンジェが後を引き継ぐように言葉にする。

 烏ほどの大きさの、蝙蝠らしき影。

 吸血蝙蝠とも呼ばれるその魔獣をようやく見つけ、三人は互いを見て頷き合う。


「報告は後だ! 追いかけて、その寝ぐら突き止めるぞ!」


 ネイトの号令に、アンジェとロランドは威勢よく返事をすると、予備動作なく駆け出した。

 一番足が早く、すばしっこいアンジェが先行する。

 その後ろをネイト、ロランドの順で夜の森を三人は駆けた。

 森の木々に囲まれ、ブラッド・バットの姿を見失いかける。アンジェは手近な木の枝に飛び乗ると、枝から跳躍してブラッド・バットの姿を視認した。

 別の木の枝へと着地し、そのまま地面へと飛び降りたアンジェが、ロランドの後ろにつく。


「二時の方角です」

「ははっ、こりゃたまげたわ。兄妹そろって曲芸師並みの身体能力とはね」


 上から降ってきたアンジェにロランドはぎょっとし、ネイトも感心する様子を見せた。

 当の本人は肩をすくめるだけで、なんて事のないようにロランドと並走した。

 やがてブラッド・バットが岩崩でできたかのような岩で組上がった小さな穴に入っていくのが見えた。

 ブラッド・バットが一体、余裕をもって入れそうな大きさの穴に、ここが巣穴かと見当をつける。

 その巣穴に近づこうとしたアンジェを、ネイトが押し止めた。

 ネイトはアンジェとロランドに木の影に隠れるように指示をする。

 巣穴のある岩の山の奥、ちょうどアンジェたちからは死角になるところから、数人の男たちが姿を現した。


「餌は足りるか?」

「まだあるそうだ。外に飛ばした奴もそろそろ戻り始めるだろ」

「本当に戻るかね? 王都から騎士が遠征に来てるんだろ? もしかしたら討伐されてるかもしれん」

「そうなったらそうなった時だな。まだ他にも巣穴はあるし、俺たちの足さえつかなきゃ無問題」


 けらけら笑う三人の男たち。

 アンジェやネイトの予測は当たったようで、どうやらこの北の渓谷の不自然な魔獣騒動は人為的なもので間違いなさそうだった。

 アンジェたちは顔を見合わせ、互いに頷く。

 気配を圧し殺し、決して悟られないように迂回しながら男たちに近づいた。

 男たちはアンジェたちに気がつかない。

 ネイトの合図でアンジェたちは飛び出した。


「なんっ」

「がっ」

「う……っ」


 それぞれ顔面を殴ったり、首を絞めたりして、男たちの意識を軽く飛ばす。

 騎士にあるまじき闇討ちではあるが、状況が状況なので致し方ないだろう。


「ロランド、こいつら縛るぞ。アンドレアちゃん、君は穴の中の様子を確認。ブラッド・バットがいそうなら穴埋めて閉じ込めておけ」


 ネイトに言われ、アンジェは中にいるであろうブラッド・バットを刺激しないようにそうっと巣穴を覗き込んだ。

 人の目と合った。


「―――っ!」


 驚いて身を引こうとしたアンジェの首に、巣穴の中から腕が伸ばされ、握りつぶそうと力がこめられた。


「チッ!」

「アンジェ!」


 ネイトが舌打ちをし、ロランドがアンジェを呼ぶ。

 アンジェは必死にしめつけられる腕から逃れようともがく。


「オルァッ!」


 ネイトが盛大な気合いと共に、巣穴から伸びる腕に剣の鞘で殴りつけた。

 巣穴の中から男の呻き声が聞こえると同時、アンジェの首から手が離れる。

 酸欠で朦朧としかけたアンジェをロランドが支える。

 ネイトが、巣穴に向かって剣を構えた。


「出てこい卑怯もの! んな穴グラに隠れてんじゃねぇよ!」


 少なくとも一人、この巣穴の中に人がいる。

 ネイトが中にいる人物に向かって吠えるが、中から人の答えはない。

 そのかわりとばかりに、巣穴から数十匹ものブラッド・バットが飛び出してきた。

 ブラッド・バットは獲物を喰らわんと言わんばかりに、ネイトたちへと襲いかかる。

 ネイトはとっさに目の前のブラッド・バットを切り捨てた。


「邪魔くせぇ! アンドレアちゃん! 動けるか!?」


 咳き込んでいたアンジェをブラッド・バットから守るべくロランドが立ち回る。

 アンジェとロランドがすぐに動ける状態ではないと見るや、ネイトはすぐさま先ほど昏倒させた男たちの元へと駆けた。

 一方アンジェは、ネイトの声に応じるように大きく深呼吸して呼吸を整え、よろめきながらもなんとか立ち上がる。


「ロランド、アンドレアちゃん! 人の出入りが出きる場所を探せ! 混乱に乗じて逃げられねぇようにしろ!」


 ネイトは、先ほど昏倒させた男たちを守るため、その場を動けない。

 アンジェとロランドはそれぞれ顔を見合わせると、岩場へ向かう。

 ロランドは外周を巡るように動き、アンジェは不安定な足場をものともしないで岩場へと飛び乗った。

 まとわりつくブラッド・バットを切り捨てつつ、身軽なアンジェは岩を上って人が出入りできる場所を探す。

 岩が組上がっているような場所だ。どこかに人一人分くらいの隙間が―――

 不意にアンジェの足が空を切る。

 岩があるはずの場所に、岩がなかった。

 違う。


(岩が動いた……!?)


 思うよりも早く、アンジェは岩の内側へと落下する。

 喉がつぶれていて良かったかもしれない。

 無様な悲鳴を上げずに済んだ。

 だが状況は悪く、アンジェは岩の内側へ落ちる際に体のあちこちを岩に打ち付けてしまった。

 なんとか受け身を取れたものの、打ちつけた体はすぐに起き上がることができない。

 アンジェが歯を食いしばって耐えていると、彼女の顔のすぐ側に誰かの足が見えた。


「運が悪いねぇ、お前さん。この場所を見つけるなんてよぉ」


 男はアンジェのすぐ側にしゃがみこむと、アンジェの髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。


「あの野郎も思い切り腕を叩きやがって……左腕がまだ痛ぇ。どう落とし前付けてくれるんだ?」


 アンジェは痛みで顔を歪めさせるが、男の言葉に鼻で笑った。

 声を出そうとして喉がひりつくなかで、それでも絞り出すようにして言葉を吐き出す。


「……うしろめたいことを、しなければ良かったんじゃない?」

「威勢が良いじゃねぇか。だがお前、立場ってものが分かってねぇなあ」


 男はククッと笑うと、胸元に下げていた小指ほどの細さの笛を持ち上げる。


「その服見るからにてめぇら騎士だろ? 応援がつく前に外の二人とお前一人くらい、骨と皮だけにしてやらぁ」


 男が笛を吹く。

 音は聞こえない。

 男の表情は余裕である。

 だが、それまで控えめだったらしいブラッド・バットの翼の音が荒々しく聞こえ始める。

 どう見ても、男の笛が魔獣を操っているように見えた。


「っ、やめろ!」

「止めろと言って止めるわけがねーだろ」


 立ち上がりかけたアンジェの腹を、男が蹴り飛ばした。

 アンジェは体を折ると痛みに悶える。

 岩から落ちたダメージと、空間の狭さが災いして、アンジェはうまく身動きが取れない。

 圧倒的に、この魔獣を操る男の独壇場だった。


「うまくやってたと思ったんだがな? お前らの遠征も、一週間ぐらいって聞いてたから、鉢合わせしないようにしてたんだがよぉ。お前ら、思った以上に山の中に入ってきやがって。邪魔だっつの」


 男はアンジェの横顔に蹴りをいれる。

 アンジェは口内が切れ、錆びた鉄の味がにじんだ。

 度重なる体への負担に、さすがのアンジェも気が遠くなりそうだった。

 アンジェはこれまで怪我らしい怪我をしたことはなかった。男のふりをしていた頃は怪我をすれば厄介事が降ってくることが分かっていたし、騎士団を止めた後は死と隣り合わせにになるような状況になるなんてカヤック村のあの時以外なく、これまで一度も一方的な暴力に遭ったことなどなかった。

 それなのに、今はこうして一方的に殴られている。

 悔しくて、苦しくて、泣きそうになる。

 顔すらまともに視認できない暗闇のなか、男がアンジェに馬乗りになる。

 男のごつごつした手が、再びアンジェの首に回された。


「手下の魔獣は血の匂いに敏感でな。血を流されると困るんだよ。大丈夫だ、お前も外の二人も、すぐにブラッド・バットの餌になることには変わりねぇから」

「……ッ、ぁ」


 徐々に男の手に力が入っていく……と思ったら。

 不意に男の力がゆるむ。


「そういやお前、やけに細いな……? それにこの感触……ハハッ、こりゃおもしれぇ! お前、女か!」


 男の手が首から離れ、アンジェの胸元をまさぐった。

 男の声が気色ばむ。

 アンジェは嫌悪に顔を歪める。


「はなっ、せ!」

「黙れ」


 殴られる。

 アンジェがうめくと、男は値踏みをするようにアンジェを見た。


「チッ、明かりがねぇから顔の良し悪しがイマイチ分からんが……体はまずまずか? そこそこの値段で売れそうか」


 アンジェは愕然とした。

 この男、自分を売る気なのか?

 アンジェの腹に跨がり、両腕すら足で封じ込んだ男はぶつぶつと呟くと、「よし」と何かを決めたようににやついた。


「てめぇを売っぱらってやろう。元女騎士なんて、なかなかレア物になりそうだ」


 下卑たその声に、アンジェは鳥肌が立つ。

 男から逃れようと必死にもがく。


「無駄だ。騎士だろうと所詮は女の力だろ。抵抗するだけ無駄だ。……あー、ったく、うぜぇ。寝てろ」


 尚も抵抗を試みるアンジェに、男はめんどくさそうに声を上げると、その鳩尾へ思い切り拳を叩き込む。


「かはっ……」


 肺まで響く衝撃。

 苦しそうな息を吐いたアンジェは、そのまま意識が闇へと落ちた。




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