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夜営準備

 スハール王国の首都の北側には連なるように二つの山があり、その山を二つとも越えねばスハール王国屈指の商業都市であるガーランド侯爵領へたどり着けない。

 ガーランド侯爵領首都への行き来こそ二つの山に阻まれて不便ではあるが、ガーランド侯爵領と隣接する領とは通商が盛んであり、特に茶葉や煙草などといった嗜好品やガーランド侯爵領が面する海でしか獲れない海産物など、そういったものが名産品として高く取引されていた。

 当然、首都でもガーランド侯爵領の名産品は需要が高い。

 他の領地を幾つも経由すれば商品を安全に運べるに違いなかったが、ガーランド侯爵領の商人はあえて魔獣の潜む山と渓谷を越えて首都へと直接売りつけに来ていた。

 理由は簡単、茶も煙草も海産物も、鮮度が命。

 他の領地を経由した分だけ、商品は劣化し、価値が下がってしまうのを恐れているからだ。

 だから首都の北側にある渓谷は重要な場所だった。

 魔獣が活発ではガーランド侯爵領だけではなく、首都の経済も一部停滞しかねない。

 それゆえ早期解決が望まれたため、遠征部隊が派遣されることとなったのだが―――


「シェリー、その荷物……」

「あっはは、全部持ってきたんだあんた!」


 首都を出発し、日が沈みきる前に一つ目の山の浅いところで夜営地をこしらえていたアンジェは、後からやって来た年上の部下を見て天を仰いだ。

 班が違ったシェリーとヒルダだが、アンジェと同じく遠征部隊に組み込まれていたらしい。他の女騎士よりは話しやすい二人と一緒でアンジェは心強かったが、シェリーが背中に背負っていた荷物を見て唖然としてしまった。

 パンパンに膨らんだ背嚢に何が入っているのかなんて容易に察することはできる。

 できるが、それを指摘するべきかどうか、アンジェは悩んだ。

 アンジェが悩む隣で、ヒルダも同じ事を思ったのか、妙なところで遠慮がちなアンジェの内心を代弁するかのようにシェリーの背嚢を指差して指摘した。……笑いながらだけれども。


「配属された班長にこれを持っていくように言われたのですが?」

「うん……中身は見た?」

「ざっくりと。必要なものは既に取り揃えてあると言われましたし、私自身も必要なものと認識しましたので」

「ぷ、くく……シェリー、あんた、夜営したことないだろ」


 笑いすぎて声が震えるヒルダに、シェリーがムッとする。


「ありませんが、軍人として心得くらいはあります」

「んじゃ、これ本当にいると思う?」


 そう言ってヒルダが適当にシェリーの背嚢から引っ張り出したのはボディジェルだ。風呂上がりに使われる、今人気の保湿クリーム。


「とてもよい香りの軟膏ではありませんか。夜営時に疲れた足をマッサージするのは良いことだと思いますよ」


 アンジェとヒルダは顔を見合わせた。

 軟膏……?


「シェリー、これは軟膏じゃないよ。城下で人気のお店で売ってるボディジェル。肌の保湿をするやつ」


 アンジェが訂正してやると、シェリーは目を丸くした。


「化粧品だったのですか!? てっきり、疲労回復用の軟膏かと……!」

「シェリー、あんた面白すぎない? じゃあこれはなんだと思ったのさ」

「化粧品は、どこかに潜入するためかと……」

「シェリー、今回の私たちの相手は何? 人間?」

「魔獣……」

「魔獣に色仕掛けでもする気かあんた!」


 堪えきれないというように、ヒルダがケラケラと大声を上げて笑い始めた。

 対するシェリーは自分の間違いを笑われて羞恥で顔を真っ赤にさせ、言い訳をするかのようにそんなヒルダを非難する。


「だが仮とはいえ、上長が用意したものです! 必要だから用意されたのではないのですか!?」

「まぁ、そうなんだろうけれど……」

「明らかに、男から見た理想の女像のような荷物だっての」


 アンジェが苦笑ぎみに濁せば、ヒルダが鼻で笑った。


「まったく、おままごとみたいな夢を詰め込んだ背嚢なんて気持ちが悪いね。女だろうが戦場じゃ男と変わらんよ。綺麗な服も、美しい化粧も、全部血で汚れる。夜営だって同じだ。宿がなければ土の上で寝る、風呂も入れない、おめかしするだけ無駄ってもんさ。こういうのはちゃぁんと相応しい時と場合があるってこと、男は分かっちゃいねぇんだから」


 絶句するシェリーに、ヒルダが呆れたような顔になる。


「あんたもなんだい。ここにベッドや風呂があるとでも思ってたのかい? 汚れたらすぐに綺麗な服に着替えれるとでも?」

「……そんなことは」


 否定はするものの、その声の小ささでシェリーの中で夜営というものがどういうものかしっかり分かってはいなかったことが伺える。

 シェリーは元軍人とはいえ、それは限られた範囲での事だった。

 辺境伯の私設部隊のうち、辺境伯の奥方の護衛を主にしていた。女性護衛のエキスパートではあるだろうが、こういった野性味のある任務とは無縁だったのが裏目に出てしまった。

 羞恥でうつむくシェリーに、アンジェがなんとかフォローをいれる。


「……まぁ、これに関してはそもそも準備している騎士団側が間違ってたわけだから。報告と進言はしておく」


 アンジェの言葉にうつむいたままこっくりと頷いたシェリー。

 別に不要なものを持ってきたところで咎められるようなことでもないので、アンジェは気にしないように声をかけておく。

 ヒルダも呆れはしたものの、そのあとすぐにシェリーに鞄の中身について話題を振っていた。シェリーが軟膏と間違えたボディジェルの使い心地とか、含まれていた化粧品のブランドについてとか。

 ヒルダは女冒険者として、決して女を捨ててきた訳ではなかった。武と美を兼ね備えるがモットーなので、化粧品や最近の流行などにも敏感だった。

 アンジェもシェリーと一緒にヒルダの話す「王都最新流行ファッション」についての講座を聞いていると、不意に名前を呼ばれた。


「アンジェ、こっちにこい」

「はい」


 呼んだのはユルバンだった。

 アンジェはシェリーとヒルダに席を外すことを伝えると、ユルバンの方へと小走りで駆け寄った。

 ユルバンは夜営地の端の方でアンジェを呼ぶと、人目を忍ぶように少しだけ夜営地から離れるべく、林の中へと入る。

 アンジェもそれに着いていく。

 夜営地の明かりからあまり離れすぎない且つ、人の話し声も聞こえにくい場所まで来ると、ユルバンは足元に転がっていた倒木の上に腰を下ろした。

 アンジェがその場でそのまま立っていると、気づいたユルバンが眉根を寄せた。


「お前も座れ」

「いえ。私は立ったままで」

「無駄に俺の首を疲れさせるな」


 ぶっきらぼうにそう言うと、ユルバンはアンジェの腕を引っ張って無理やり自分の隣に座らせた。

 仕事の話をするならきちんとした方がいいと思っていたのに、ユルバンのよく分からない言い分で隣に座らされたアンジェは困惑気味に疑問符を脳裏に浮かべる。

 不思議に思いながらも、呼びかけたのはユルバンだ。何か用事があっての事だろうと思ったので、あえて横道に反れるような発言は控えることにする。


「団長ご用はなんですか?」

「あー……それは、だな……」


 さっきまでの威勢はどこへやら。

 途端に口ごもり始めたユルバンに、アンジェは首をかしげる。


「何かご用があって呼んだのでは?」

「そうなのだが……」


 アンジェは気づいていないようだが、実はユルバン、アンジェと二人きりになってしまったことに唐突に緊張してしまった。

 発端は先日のドレス事件。アンジェはすっかり忘れているようだが、羞恥心を煽られたユルバンの方は忘れていなかった。

 アンジェへ声をかけた理由も忘れて、ユルバンが脳内でアンジェのドレス姿をリフレインしていると、業を煮やしたアンジェが立ち上がった。


「用がないなら戻ります」

「あぁ、待て、待て、思い出したから、待て」


 ごほんと咳払いしたユルバンに、アンジェは浮かしかけた腰をもう一度倒木へと下ろした。

 まだちょっと様子のおかしいユルバンが、視線をさ迷わせるものの、話を切り出した。


「……まずは先日の王女の茶会の件だ。凄まじい活躍だったそうだな。カヤック村での事といい、腕が落ちていないようで何よりだ」

「はぁ……ありがとうございます?」


 ものすごく今更な言葉にアンジェは気の抜けた返事を返した。

 あのお茶会はもう二週間近く前になる。本当に今さらだった。

 でもそういえば、この一ヶ月……いやカヤック村での魔獣騒動以降、二ヶ月近くユルバンと個人的に関わることはなかった気がする。互いに多忙だった身であるが、アンドレアがアンジェであると知られた一件以降、落ち着いて話をする機会がなかったように感じた。

 アンジェはユルバンを見上げた。

 燃えるような赤い髪に、力強い赤い眼差し、恵まれた体躯。

 小さい頃からずっと憧れていた人。

 座っていても頭一つ分は背の高いユルバンに、アンジェはずっと憧れていた。

 そんな人から労われて嬉しい限りではあるけれど、手放しで喜ぶにはちょっとだけ時間が経ちすぎていた。

 曖昧に答えたアンジェに、ユルバンはもう一つ咳払いをする。


「……アンジェ、つまらないことを聞く。アンジェに恋人はいるのか?」

「は?」


 ここからが本題かと身構えたアンジェに、ユルバンは予想外なことを聞き出した。

 すっとんきょうな声をあげたアンジェに、ユルバンは「ああいや、待て」と手で制す。


「野暮な質問ではあると承知している。俺たちと違って、第四騎士団には特殊な規則が定められることも。だが、アンジェはちょうど年頃だ。同じくらいの令嬢ならば、今頃ドレスに身を包み、蝶よ花よと愛でられて、己の生涯の伴侶を見繕う時期だろう。そういった生活とは無縁になることが惜しくはないのか、と……」


 ユルバンが恐る恐る窺うようにアンジェに尋ねた。

 アンジェは以前、男に生まれたかったと言った。

 だが、女性でも騎士になれる道が切り開けた今、その心境に何か変化があったのではなかろうか。

 ユルバンの脳裏には、人気のいない夜の廊下でロランドとアンジェが仲睦まじそうに語らっていた姿が焼きついている。

 もしかしたらアンジェも、好意を寄せていることを隠そうともしないロランドが気になっていたりはしないだろうか。

 それにドレス。

 あのアンジェがドレスを着ていたのだ。

 可愛らしさと凛々しさを兼ね備え、そこらの令嬢にはない芯を持っていたアンジェは、ユルバンも言葉を失うほど魅力的な女性だった。

 ユルバンは認めざるを得なかった。

 アンジェは女性であることを。

 だからこそ、アンジェを少しは女性らしく扱うべきなのかもしれないと思い、話を持ちかけたのだが―――アンジェはそれに苦笑いを返した。


「ヒューゴー様と似たようなことを言いますね」

「何?」

「ヒューゴー様にも言われましたよ。これから結婚適齢期に入る私に、女としての幸せを剥奪される覚悟はあるのかと」

「そうか……それにはなんと答えたんだ」

「私には関係ないです、と」


 アンジェがさらりと断言すると、ユルバンが眉をひそめる。


「関係がない?」

「結婚するつもり、無いんです。結婚したら子供を産まないといけないでしょう? 私に子育てなんて無理ですよ」

「そうか?」

「そうですよ。こんながさつで、男勝りで、跳ねっ返りな元孤児が、きちんとお母さんをやる自信はありません」


 飄々とした口ぶりのアンジェに、ユルバンはそういうものなのだろうかと首を捻る。アンジェの物言いに引っ掛かりを覚えたけれど、それが何かを突き止める前に、アンジェが立ち上がった。


「話がそれだけなら戻ります。夜営準備をサボるわけにもいかないので」

「……そうだな。すまなかった。意味のないことに付き合わせた」

「いいえ、別に……あ、そうだ。ついでに私からもご相談が……」


 アンジェは思い出したように手を打つと、ユルバンに遠征用の女性用荷物の話をした。今後活かす機会があるかは不明だが、持ち物に関して男女の性差はほとんどないということを伝えておく。

 ユルバンはケヴィンやネイトといった自分の部下たちのやらかしに深々とため息をついて、是と答えた。

 話が終わればもう用はない。

 アンジェは天幕を張っているはずのシェリーとヒルダの元へと戻っていった。





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