ドレスアップに心揺らして
お茶会の当日、アンジェは朝から辟易していた。
お茶会の支度という名目で早朝に呼び出されるのは良い。ドレスやら化粧やらをリオノーラが用意してくれるというのだから、意地を張って相手の顔をつぶしてしまわないよう、素直に甘えさせてもらった。
ドレスがアンジェにとって少々動きづらいのも我慢できる。腰周りや足さばきに多少コツがいるものの、意識すれば剣を振れる程度の誤差だ。
愛剣を持てないのも致し方ない。アンジェは『貴族の令嬢』としてお茶会に参加するのだから、武器を持てるわけがない。それなりに体術にも心得があるし、いざとなったら誰かの剣を借りれば良い。そもそもそんな事態がこないに越したことはないけれど。
では何がアンジェをそうまで疲れさせるのか。
それはリオノーラのおしゃべりだ。
「嬉しいわ、嬉しいわ! アンジェはやっぱりわたくしの見込んでいた通りだったわ! 漆黒の髪にエメラルドの瞳、身長ももわたくしと変わらない。わがままを言えば多少お肌が日に焼けているけれど、でもそれも引っくるめてわたくしと並べば、おそろいの人形のように見えるのではなくて!?」
アンジェのドレスは薄紅を基調にしたドレスで、レースの手袋を着用している。腰から下はボリュームが控えめで裾が短い。長さと色味の違う薄紅の布が三枚重ねられ、その一番上に白の大胆なレースが重ねられているというものだった。
全身総レースと言っても過言ではないだろう。
レースの技法はとても繊細で、難しい技巧ほど金額もつり上がると聞いている。
それがドレスだけでなく、ゆるく巻いた黒髪をまとめるヘッドドレスにまで使われているのだから、アンジェはもう顔が引きつるのを必死に押し留めている状態だ。
色も薄紅なせいか、かなり可愛らしいドレスになってしまっていて、それがさらにアンジェに不釣り合いな気持ちにさせてくる。
だがリオノーラは完璧に仕上がったアンジェを見てご機嫌なのだ。仮とはいえ、主人である以上、アンジェは何も言えない。
リオノーラの方はといえば、色こそ空のような水色ではあるが、アンジェとまったく同じ形のドレスを着ていた。髪も銀髪で、アンジェより長くはあるものの、ゆるく巻いて、ヘッドドレスで軽く留めてある。
リオノーラが主張するように、アンジェとリオノーラのこの状態を後ろから見れば、色の違う一対の人形とも取れなくはないぐらいに、リオノーラはアンジェとドレスを揃えていた。
「ふふ、可愛いわ、可愛いわ、アンジェ! ふふ、あぁ、こんな可愛いアンジェを連れて歩けるなんて、わたくしは幸せだわ!」
「姫様の気が晴れるのなら良かったです」
「お茶会までまだ時間はあるわね。せっかくだからお庭をお散歩しましょう! きっと皆、アンジェを見て噂するわ! その上、こんなに可愛らしいのに、一度剣を持てば秘めた力を解き放つ女の子。あぁ、なんてかっこいいのかしら! 不謹慎ですけれど、誰かわたくしの命を狙いにこないかしら? そうしたら戦うアンジェを見られると思うのよ!」
きゃあきゃあと囃し立てるリオノーラを、彼女の侍女ハンナがたしなめた。
「姫様、さすがにお言葉が過ぎますよ」
「ごめんあそばせ? でもね、ハンナ。ハンナも見てみたいのではなくて?」
「見たいですが、それはそれ。姫様に身の危険が及ぶのだけは、仕えるものとして言語道断でございます」
ぴしゃりと言えば、リオノーラも聞き入れ素直に発言を撤回した。
「そうね。わたくしの身体はわたくしだけのものではないものね。配慮にかけました」
「分かればいいんですよ。でも、確かに女性らしさを普段から出しても良いと思いはしますね。今は男性用の騎士服をそのまま女性サイズにされているようですから」
ハンナが壁際に立つ、シェリーとヒルダを見た。
ついさっきまでアンジェも着ていた女騎士の制服は、ハンナの言うとおり、従来の騎士服をそのままサイズを合わせたものだ。
アンジェは懐かしい騎士服に袖を通せたことを感慨深く思っただけで、デザインについては特に異論はなかったが……制服に男女差は必要なのだろうかと首を捻る。
「失礼ながら発言いたします。制服ですし、男女で区別をつける必要はないと思いますが……」
「いいえ、いいえ。これは重要なことでございます」
シェリーがアンジェの内心を代弁するかのように主張する。
だがそれをハンナは即座に否定した。
「そもそも、男性と女性では身体の作りが違うのです。自分の身体に合わない服は、動きに自然と制限を設けてしまうもの。例えばヒルダ様。あなたの場合、バスト周りが合っておられないようにお見受けいたしますが、いかがでしょう? そのために一つサイズの大きいものを着ておられる。袖が余っているのはそういった理由ではありませんか?」
「よく分かったね? 確かにそうだけども」
ヒルダは目を丸くした。
確かに彼女は袖が余っているため、インナーは常に袖をまくっていた。騎士服のジャケットの袖も余っており、手が隠れてしまっている。
「シェリー様も、一見着こなしているように見えますが肩幅が余っておられます。そのジャケット、ご自分で袖を詰められましたね?」
「すごいですね。そうです」
シェリーも感嘆の声をあげる。シェリーも制服のサイズが合わず、騎士服のジャケットを自分で手直ししていた。
「アンジェ様もですよ。アンジェ様の場合、小柄な割には制服の丈がぴったりですが、少々バストの辺りがきついのではないですか?」
「……言われてみれば?」
「アンジェ様は少しずつ女性らしく身体が変化している時期です。お胸が成長されれば、ヒルダ様やシェリー様のように、サイズが合わなくなっていくでしょう」
アンジェは「アンジェ」がかつて着ていた制服をそのまま着ている。
体型の申告をしたら、アンジェが二年前まで着ていた制服が残っていたのでそのまま使わせてもらえたのだ。
成長期も終わってしまったので問題なく着用してはいるが、確かに胸元の違和感はあった。自分が太ったのかとも思ったが、ハンナの言葉を聞いていると「女性らしさ」というものが出てきている証拠なのかもしれない。
ほんのりと膨らんだ胸元に目をやる。
今はドレスアップしているせいか、強調され、普段より大きく見えた。
じぃーっと自分の胸元に視線をやっていると、不意にリオノーラが声をあげる。
「そうだわ!! 第四騎士団がきちんとお披露目される暁には、わたくし自ら第四騎士団の制服をデザインいたしましょう!」
「えっ?」
「今は借り物の制服でしょうけど、本格的に第四騎士団が設立されたら、式典服も必要になりますもの! それに騎士ですから動きやすさも兼ね備えなければ! 可愛くて、かっこよくて、機能的! それがこのスハール王国女騎士の先駆けよ!」
ハンナもまんざらではないのか、リオノーラの宣言に笑顔で拍手を送る。
そんな二人を、アンジェ含めた女騎士三人は呆気に取られた様子で見ていた。
ぱちぱちと瞬きを繰り返していたアンジェの手を、リオノーラがぎゅっと握る。
「だからアンジェ。いつかわたくしの騎士になって頂戴ね。約束よ」
微笑むリオノーラはとても眩しい。
アンジェはリオノーラの期待に少しだけたじろいだけど、悪いものではなかった。
「がんばります、姫様」
「ええ、がんばって頂戴ね、アンジェ」
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく声を立てて笑った。
所用で王宮を歩くユルバンの脳内は、昨夜の出来事でいっぱいだった。
昨夜は数日起きに行われる、夜の哨戒任務の日だった。
南の森に棲む魔獣はフォレスト・ウルフを含め、基本昼型だ。
だが北の渓谷に棲む魔獣には夜行性の魔獣もおり、滅多にないが、こちらも人里に降りてくることがある。
これに目を光らせておくのも、第三騎士団の仕事だった。
その任務のため、夜半の集合へと向かおうと執務室を出た際に、ユルバンは偶然にも見てしまったのだ。
アンジェとロランドが仲睦まじく話しているのを。
話している内容を聞くのは悪いと思っていたが、静かな夜だ。断片的にだが、ユルバンの耳は二人の会話を拾いあげてしまった。
話の端々は他愛もない内容のように聞こえたが、一つだけ、やけにユルバンの耳に響いた言葉があった。
『僕が騎士になったのはアンジェを守るためだから。死んだらアンジェを守れないじゃないか』
いやにはっきりと聞こえたロランドの言葉の後、アンジェとロランドが近すぎるほどに近寄って、その姿が重なったのも、印象的で。
あれからずっと、胸の内で何かがとぐろを巻いていて、スッキリしない。
そんなもやもやを抱えたままユルバンは、夜の哨戒任務に関して報告を上げるべく、騎士団総帥の元へと赴く。
騎士団の総帥は、基本、国王か王太子が兼務する。
今は王太子が兼務しているので、ユルバンは王宮にある王太子の執務室へと赴こうとしたのだが、道中、ふと視線をあげた先に王女と見慣れぬ美少女が女騎士を従え歩くのを見た。
「まぁ、ユルバン。ごきげんよう」
「リオノーラ王女におかれましては、ご機嫌うるわしく」
「ふふふ、ありがとう」
略式ではあるが、王女と挨拶を交わしたユルバンは次いで、視線をその隣に向けると、なんとも奇妙なものを見ている気になった。
淡い薄紅のドレスに、ゆるく巻いた黒髪。細いとは思っていたが、ドレスでさらに腰をきゅっと絞った姿はぽっきり折れないか不安になりそうだし、こぶりの胸がふっくらとあるのも視覚に違和感を与えた。
だが、薄くだけれど白粉をはたき、淡いピンクの紅をさしているその顔は、間違いなくアンジェのもので。
「アンジェか……?」
「お疲れ様です、団長」
ドレスをつまみ、腰を落として、ユルバンを上目遣いに見ながら、アンジェが女性らしく挨拶をする。
ユルバンは女性らしく振る舞うアンジェに目を見張る。
同時に、胸にとぐろを巻いていたもやもやが、きゅっと心臓を締めつけた。
「団長? どこか体調でも?」
「いや……なんでもない」
急に左胸を掴んだユルバンに、アンジェが小首をかしげながら尋ねた。
その様がなんとも愛らしくて、少年姿で共に剣を打ち合っていた時とは比べ物にならないくらいの緊張感をユルバンに与えた。
(……どうしてこんなに動悸がするんだ。何故、俺は緊張している? 目の前にいるのはアンジェだぞ)
悶々としながら自問自答を胸中で繰り返していると、リオノーラがユルバンへと話しかけた。
「ユルバン、そんなにアンジェを見つめて……なぁに、あなた、アンジェに懸想でもしているの?」
「け、けそ……っ!?」
ドキッとした。
ヒューゴーの言葉がよぎる。
「アンジェと結婚……」
「え?」
「は?」
ユルバンは自分の心の声が漏れ出ていることに気がついた。
目の前でアンジェの目がみるみるうちに丸くなっていく。
ユルバンの全身に巡る血が、沸騰したかのように熱く沸き出した。
「よ、用があるので失礼する!」
自分の失態に羞恥で穴に埋まりたくなりつつ、ユルバンは足早にアンジェ達を追いこして王太子の執務室へと向かった。
残されたリオノーラ達。
リオノーラとシェリー、ヒルダは、今、目の前で起きた出来事が信じられず、互いに目配せし合った後、アンジェへと視線を向けた。
アンジェもまた、目の前の出来事に驚いたけれど、すぐに思考を切り替えた。
「姫様がおかしなことを言うから、団長の思考回路が空回りましたね」
「アンジェ、さすがにその反応は可哀想よ……」
リオノーラは敏感にユルバンの中に眠るアンジェへの『想い』を汲み取ったというのに、肝心のアンジェは全く気づいていない様子。
これはやるせない……と思ったリオノーラだが、不意に閃いた。
リオノーラは、去り行くユルバンの背中と目の前で済まし顔をしているアンジェを見比べて、一人で微笑む。
対するアンジェはリオノーラが笑みを深くする理由が分からず、首をひねるばかりだった。