時代は動く
「第四騎士団設立の稟議書……?」
「そうだ。その初代騎士団長に、お前を指名する」
突然のヒューゴーからの指名に、アンジェは一瞬だけ戸惑ったが、スープを横にどけて、本格的に書類を読み込み始める。
概要はなんとなく理解した。
高位身分の女性の護衛や潜入捜査、犯罪事件時の被害者への対応など。
男性が苦手な分野をサポートしつつ、今までは女性冒険者に賄わせていたような仕事までが業務内容になるようだ。
そして次項の騎士団規則を読み進めていくうちに、アンジェはなるほどと理解した。
「生涯の結婚を禁ず。なるほど、これがくせ者ですね。こんな条項あって、人が集まりますか?」
「知らん。だから言ったんだよ、女性としての幸せが剥奪される覚悟でやれってな」
不満げに言う辺り、ヒューゴーはこの条項が気にくわないというのは見てとれた。
そしてそれに文句を言わない辺り、この第四騎士団設立の稟議において、この条項があることが必須とも取れた。
「女性は子を産み、育むもの。一度子供を産んだらそう簡単に復帰できなくなりますからね。理解はできます」
「理解が早くて助かるな。んで、ここから重要。お前はこれからようやく結婚適齢期だ。そんな時期にこんな面倒な騎士団に入るとなれば、当然そのしがらみが生まれるわけで……」
「私には関係ないですね」
くどくどと言い募ろうとしたヒューゴーを、アンジェはズバッと切り捨てた。
そして机の端からペンとインクを手繰り寄せると、食事中にも関わらずそのままペンを握る。
「あっ、お前! 気が早───」
「はい、成立です。これが欲しかったんでしょ、ヒューゴー様?」
アンジェがインクを乾かすついでにひらひらと書類を振ってやると、ヒューゴーが大袈裟なくらいに大きなため息をついた。
「お前、もう少し考えてからでも良かったと言うのに……」
「別に。私は騎士に戻れるならなんでも良いです。結婚もする気はないですし」
「そんなこと言って。良い男ができた時、苦労するぞ?」
「そんな人現れませんよ」
「いいや、現れるね。絶対現れる」
「現れても結婚はしません」
「どうしてそう言いきれる」
「だって私、子供欲しくないですもん。結婚したら、子供を生まないといけないでしょ?」
アンジェが答えれば、ヒューゴーもようやく口を閉じた。
それから数拍の間、逡巡すると、最後に一言だけ言い添える。
「アンジェ、殉職する騎士がなぜ死ぬか知っているか?」
ヒューゴーの問いにアンジェは首を傾げた。
「弱いからですか」
「違う。生きることに未練がない奴だよ」
そう言うと、ヒューゴーはアンジェから書類を取り上げると、机の端に乱雑に置いた。
「ほら飯だ。さっさと食え。んで、片付けて、俺は寝る」
「はい」
強引に終わらせた会話だが、アンジェは素直に頷いた。
すっかり冷めてしまったスープを口に運びつつ、アンジェはヒューゴーの言葉を脳内で反芻した。
生きることに未練がないということは、いったいどういうことなんだろうか。
別にアンジェは死にたいわけじゃないし、死なない程度の力量はあると自負している。そしてそれはヒューゴーの認めるところだったはず。
ヒューゴーの言葉は難解で、アンジェは胸の内をもやもやとさせていた。
「あの人が企んでいたのはこれか……!」
第四騎士団設立の話がユルバンの耳に入ったのは、ヒューゴーと会ってから三日後のことだった。
第一、第二の騎士団の騎士団長と副団長と共に王と騎士団総帥から呼び出されたユルバンは、そこで第四騎士団設立の話を聞いた。
そしてその騎士団長に「アンドレア・ジルベール」が任命されることも。
執務室に戻ったユルバンは第四騎士団に関する資料を読み、その資料を叩きつける。
「何が結婚だ! 結婚禁止を言い渡しておいて何をふざけたことを!」
「荒れてますねぇ、団長」
ヒューゴーが来てからと言うもの、どこか上の空だったユルバンが、一転して荒れ狂っているのを見たケヴィンは、ユルバンが叩きつけた資料を拾い上げる。
そのまま資料に視線を通す。
「女性騎士ですか。いいんじゃないですか? 女性王族の護衛等が強化されますね」
「それは分かってる。騎士団規則を見ろ」
ユルバンに言われた通り、騎士団規則を読んだケヴィンは首をかしげた。
「うちのと少し違いますね。生涯の結婚を禁ず、ですか。まぁ女性は結婚して家に入るものですから、ここで規制するのも一つの手では?」
「ぐっ……」
ケヴィンの言うことは最もなのだ。
最もなのだが。
もやもやとするユルバンに、ケヴィンがさらっと言う。
「むしろ女性騎士になるような酔狂な人間に、結婚願望があるんですかね? 女冒険者を見てくださいよ。皆ムキムキです。女性らしさなんて求められませんからねぇ」
軽い口調で笑うケヴィン。
ユルバンは余計に不機嫌な表情になると、ケヴィンを睨み付けた。
「あいつはムキムキじゃない」
「え、何をそんなに怒っているんですか」
ふいっとそっぽを向いたユルバンに、ケヴィンは困惑する。
ユルバンは無言で執務机に座ると、怖いくらいに黙々と仕事を始めた。
ケヴィンは自分の発言のどれがユルバンの気に障ったのか分からず、眉間をしかめながら第四騎士団設立に関する資料を読む。
そしてその初期メンバーに見覚えのある名前を見つけると、なるほどと頷いた。
「アンドレアさんがいるじゃないですか。良かったんじゃないです? アンジェの代わりに双子の妹が入団できるんですから……あっ、分かりました。うちの騎士団に入らないから拗ねてるんですか? でもそれは規則的にも致し方ないことですので……」
「ケヴィン。うるさい。仕事しろ」
珍しくおしゃべりになっていたケヴィンをユルバンが一睨みすれば、ケヴィンはすっと口を閉じた。
だがまだ言い足りないことがあるのか話したそうにチラチラとユルバンの方に視線を寄越してくる。
だがユルバンはそれを黙殺し、目の前の書類を処理することに専念し始める……が。
「無理だ。集中できん」
「は? え、ちょっと団長?」
「外に出る。訓練場に出るから、何かあったら呼べ」
どうにも脳裏にアンジェのことがちらついて、ユルバンは立ち上がる。
ケヴィンがユルバンを止めようとするが、こうなったユルバンはもう止められないのは百も承知だった。
「団長、仕事! まだ仕事が!」
「知るか。体がなまる」
ユルバンはそう言って部屋を出ようとするが、はたと何かを思い出したように机に引き返した。
ケヴィンがほっとしたのもつかの間、机の引き出しの中から一枚の紙を引き抜くと、ユルバンはそこに何事かを書き込んでケヴィンに押しつけた。
「俺が戻るまで、それも処理しておけ。もういらん」
そう言って部屋を出ていったユルバンの背中を見送り、ケヴィンはため息をついた。
「まったく……後で自分の首を絞めるのは自分だっていうのに……」
ぐちぐちと胸の内を吐露したケヴィンは、半眼で押しつけられた書類に目を通す。
さらっと目を通すつもりだった書類だが、書かれていたことを脳が認識した瞬間、ケヴィンは思わず二度見をしてしまった。
ユルバンが適当に書きなぐった書類。
それは、アンジェ・ジルベールの退職届を許可するというものだった。