私の憧れ、騎士団長
「団長……?」
「無事かアンジェ! 怪我はないか!」
「あ、ありません」
「そうか、ならいい。よくやった。よく、一人で村を守った。強くなったな、アンジェ。お前はやはり素晴らしい騎士だ」
ユルバンが赤い目を細めて笑う。
団長に誉められた。
最後に団長に誉められたのはいつだっただろうか。
騎士団にいた、二年前だろうか。
漠然とそう思ったとき、アンジェの中で、どこか張りつめていた糸が、ぷつんと切れた。
ぽろりと、涙がこぼれる。
一つこぼれてしまえば、ぽろぽろと涙の粒が頬をいくつも転がり落ちていって。
「ど、どうしたアンジェ! やはりどこか打ち付けていたのか!?」
目を見開き慌てるユルバンに、アンジェは首を振る。
「いいえ、いいえ……怪我はどこも」
「なら何故泣く」
ユルバンの問いに、アンジェは折れた剣を握り、ユルバンを見上げる。
「団長。私は、騎士ですか」
「何を今さら。お前は騎士だ。それ以外の何者でもない。退職届のことだったら無効だ無効。俺は受けとる気なぞ最初からないぞ」
ユルバンはアンジェの問いに答える間も、彼の背丈ほどもある大きな大剣で、襲いかかってくるフォレスト・ウルフの頭蓋を叩き潰し、血を流さないで絶命させていく。
「……私は、女です。私は、アンドレアです。スカートだってはいています。それでも私は、騎士に見えますか」
「なんだ、そんなことか」
ユルバンははまた一匹、魔獣を屠る。
赤く短い髪が炎のように揺らめいた。
「道中、頭に風穴の空いた骸を幾つも見た。小さな切り傷はあれど、魔獣の死因は全て違わず貫通した頭の傷だ。首を落とすでも、腹をかっ切るでもなく、あんな戦い方をするのは、俺の知る限りお前だけだったな」
ユルバンは笑う。
大剣を担ぎ、立ちすくむアンジェに手を伸ばす。
「剣の癖まで寸分違わない双子なんて見たことがない。俺はお前の剣が好きなんだ。お前の剣に惚れてるんだ。そんなお前の剣を見間違えるわけがない。真っ直ぐで、勇敢で、正確に急所を突いてくるその剣筋を。なぁ、アンジェ?」
ユルバンの言葉に、アンジェは嗚咽をのみこんだ。
ユルバンはずるい。
ユルバンの嗅覚が衰えない限り、そもそもアンジェとアンドレアを別人にすることなんてできないと分かってはいた。
だから覚悟はしていたのに。
(ここにきて、剣の癖で)
決め手は、顔でも、匂いでもなかった。
ユルバンはことあるごとにアンジェの剣に惚れているのだと言う。
アンジェの剣は、確かに力任せな他の騎士よりは一風変わっているけど、これまでずっとユルバンがアンジェの剣にこだわる理由が分からなかった。
でもユルバンは、アンジェの剣をちゃんと見ていたのだ。
アンジェはなんとなく、自分は他の騎士のようにはなれないとは思っていた。
幼い頃から、性別の違いというものをひしひしと感じていたのだ。
だから自分だけの技を磨いた。
その練習相手を一番沢山してくれたのが、ユルバンだった。
そんなユルバン相手に磨いた剣でバレるなんて、アンジェは少しだけ、ユルバンのことを見誤っていたのかも知れなかった。
(まぁ、もともと団長を騙すなんて到底無理だったんだろうけれど)
でも、団長の「アンジェの剣に惚れている」という言葉が本心だったと知って、その上で、本当は女だったアンジェに対する豪胆さが垣間見えて、なんだかアンジェは唐突に全部が馬鹿らしくなった。
「団長。ごめんなさい。騙すつもりはなかったけど、結果的には騙してしまって。退職届けは受理しなくて結構です。その代わり、これが終わったら、私を規律違反で処分してください」
「何故だ」
「騎士は男性しかなれないでしょう? 女である私は規律を犯していますので」
そこまで言いきったアンジェは、ユルバンに笑った。
とびきりの、笑顔で。
「私なりの、けじめです。お願いですよ、団長」
そう言って折れた剣を魔獣から抜き取ると、アンジェは短剣のように剣を握る。
ユルバンは難しい顔をすると、しぶしぶと頷いた。
「規律違反の処分か……。考えておこう」
「お願いしますね。これで私も存分に戦えます」
アンジェはそう言うと、ワンピースの血にまみれた裾を揺らして剣を構えた。
「団長、数は」
「七。アンジェ、足止めをしろ」
「はい」
「俺は二時の方向から攻める。お前は十字の方向の奴を足止めしろ」
「はい!」
ユルバンからの指示が出るや否や、アンジェは瞳孔を極限まで開いて、ユルバンの示した方角目掛けて突っ込んでいった。
討伐はしなくていい。
折れた剣では何もできないのは分かっている。
だけど、足止めくらいなら。
アンジェは腕だけを伸ばして、あたりをつけていた草むらに剣を突き立てる。
『ギャンッ!』
「逃がさない!」
草影にいたフォレスト・ウルフの顔面に、投げつけるように折れた剣先をぶつけた。
折れた刃では頭蓋骨を貫通しなかったが、フォレスト・ウルフの脳を揺らしたようで、魔獣は地面につぶれるようにして倒れた。
血を流せばまた仲間を増やされる。
ならば、血を流さない方法で魔獣を倒せばいいだけ。
ユルバンのように、頭を潰せばいいのだ。
だが、アンジェの腕力では昏倒させるまでが限界で、息の根までは止められなかった。
でもそれもユルバンが後々処理してくれるだろう。
アンジェはもう一体、同じように昏倒させると、三体目に視線を巡らせる。
不利を察したか、じりじりと後退するフォレスト・ウルフ。
魔獣が逃げようとした瞬間、ユルバンの怒声が耳朶を打つ。
「アンジェ!」
「はい!」
アンジェは駆け出す。
膝にグッと力をこめ、瞬発力を持ってフォレスト・ウルフに接近した。
ユルバンの声が背中を押す。
騎士団を出た後も鍛練は続けていたアンジェの身体は、二年前よりもしなやかに動く。
アンジェはフォレスト・ウルフが自分の間合いに入るところまで追いかけると、躊躇わずに折れた剣を投げつけた。
剣はフォレスト・ウルフの足を切りつけ、フォレスト・ウルフが前のめりになって倒れた。
血は流れたが、頭部を貫通させたときほどではない。今のうちなら後で十分痕跡が消せれるだろう。
他六匹を瞬殺したユルバンがアンジェの隣にやって来る。
「よくやった」
アンジェを労ったユルバンは、そのまま最後の一匹を絶命させる。
これで、終わった……のだろうか?
不安になったアンジェがユルバンを見上げると、ユルバンは真面目な顔をして頷いた。
「終わりだ。魔獣の臭いの数はこれだけだ。村へ戻るぞ。もしさらに魔獣が来ても、折れたなまくらでは満足に戦えないだろう」
ユルバンの言う通りだ。
アンジェはこっくり頷くと、投げつけた剣と、折れた刃先を拾った。
ユルバンが来たということは、村に騎士団が来ているということだ。
場所さえ覚えておけば、魔獣の死骸処理も手早く済ませてくれるだろう。
アンジェは踵を返したユルバンを追う。
ふとその背中を見たアンジェは何とも言えない気持ちになった。
二年前まで、よくこうしてユルバンの背中を追いかけて歩いていた。
ユルバンの背中は、昔と変わらない高さだ。
アンジェの身長が止まった、二年前のまま。
剣を握って、二人で魔獣を倒して、アンジェはユルバンの背中を追っていた頃のまま。
……夢だった。
いつかユルバンの背中を追い越して、隣に立つことが。
でも、アンジェは女だから。
二度と彼の背中を追うこともないと思っていたのに。
自分から断った道のはずなのに、未練がましくアンジェの胸にわだかまるものがある。
「団長」
森を歩きながら、アンジェはユルバンに声をかけた。
ユルバンは肩越しにアンジェを見る。
「なんだ」
「団長は自分の嫌いな所ってありますか」
口から出た言葉は、アンジェの心の声の一つ。
ユルバンは視線を前に戻すと、真っ直ぐに歩きながらアンジェに言葉を返す。
「鼻だな。仕事では役に立つことも多いが、プライベートではそうもいかん。現に、部下に引かれまくった挙げ句、犯罪者予備軍の扱いを受けたからな」
アンジェも苦笑いをする。
つい数日前、まさしくその現場にいたから、よく覚えている。
「その節は、すみません」
「いや。あの後、ケヴィンにもデリカシーがないと叱られた」
ユルバンがそう言って笑う。
確かにあの時のユルバンの言動はデリカシーに欠けるものであったので否定はできないのだが……かといって潔く肯定もしづらくて、アンジェは曖昧に笑って誤魔化した。
「アンジェこそどうなんだ。お前はあるのか? 自分の嫌いな所」
ユルバンが聞き返す。
アンジェは素直に答えた。
「女に生まれたことです。力じゃ男に勝てないし、戒律で騎士にもなれない。それなのに私は人よりちょっとだけ剣を奮うのが得意なんです。宝の持ち腐れってきっと、この事を言うんですね」
淡々と取り留めもなくアンジェがその内心を語れば、ユルバンは立ち止まる。
立ち止まって、アンジェを振り返った。
「剣を握るだけなら、女でもなれるものはある。冒険者や傭兵、自警団なんてものもあるな。何も騎士にこだわることはない。お前の腕ならどこでもやれるだろう」
「それを団長が言いますか」
女とは知らなかったとはいえ、騎士団に引き留めようとした張本人の口から出たとは思えない言葉だ。
アンジェがからかうように指摘すれば、ユルバンはばつが悪そうに、がさつに髪をかき回した。
そんなユルバンを真っ直ぐ見据えながらも、アンジェはまた一歩、歩を進めてユルバンに並ぶ。
「私がなりたかったのは騎士なんですよ、団長」
アンジェは自分よりも、頭一つ分より大きいユルバンを見上げる。
「初めてあなたを見てからずっと、あなたの背中を追いかけていたんです。それこそ私だって団長の剣が好きだったんです。力強くて、誰にも負けない気迫を持っているあなたの剣が。いつか私が、あなたの隣に立てることを夢見ていたくらいに」
だけど、ユルバンの隣に立ったアンジェは自嘲気味に笑った。
「でも私の夢は叶いません。女だから。これからは団長と会うこともないでしょうね」
「なぜだ!? 会うぐらいは問題ないだろう!?」
アンジェの肩を掴む勢いで迫るユルバンに、アンジェはたじろぐが、おもむろに首を振った。
「私なりのケジメですって。あなたの顔を見ると、どうしても夢見てしまうんです。また、あなたと一緒に剣を奮えるんじゃないかって。今日のように、まるで騎士だった時のようにできるんじゃないかって。でも無理なんですよ。私、女だから」
アンジェは笑った。
「私、男に生まれたかったです。夢が叶えられない女の私は、嫌いです」