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赤く染まる花~永遠に残ると信じられる花の話~



 その村では、人が生まれると白い花が渡される。

 村人はその花を片時も肌身離さずに生活する。


 すると、その白い花は持ち主から何かを吸い取るようにして、少しずつその花弁の色を赤色へと変えていく。


 そして花が真っ赤に染まる時、持ち主の寿命が訪れる。

 死体は泡のように消え、後には血のように真っ赤な花だけが残る。


 それは悲しくないように、せめてもの名残として。


 花は村外れの崖の上の花畑に墓守によって植えられ、世界が終わる日まで咲き続ける。


 * * *


 みんな泣いている。

 僕も泣いている。


 一週間前までは元気に小麦粉をこねていたおじいちゃんは突然倒れると、その後はベッドから身体を起こすことも出来ないほど弱り切って、遂には寝たきりのまま死んでしまった。


 死んだおじいちゃんの身体は毛布に隠された足先から泡のような小さな粒に変わっていく。

 それは膝、胴、頭へと伝播していき、ふわふわと空気の中を揺蕩い消えてゆき、最後には身体の跡が残ったベッドと真っ赤な花だけを残していった。


 油は高価なために小さな窓から入る光だけの薄暗い木組みの家の一室に僕や僕の姉と弟の喉が張り裂けそうなほど泣き叫ぶ声や母のすすり泣く声、父の押し殺した泣き声が石畳の床や古ぼけた壁の木板に反射して響く。


 そんな中、玄関のドアをドンドンと叩く音が聞こえる。


 それは荒々しくはないが、悲しみに暮れる僕の心を荒立たせるには十分だった。

 父は強く目元をこすると、目の周りはまだ少し赤いが、今まさに家長の地位を継承した男らしく堂々とした態度で玄関を叩く男を出迎える。


 男は墓守だった。

 墓守はまるでおとぎ話に出てくる魔法使いのように全身を顔まですっぽりと隠した黒色のローブを纏っている。

 墓守は土が入っているが、何も植えられていない植木鉢を持ってやって来た。


 この村では人が死ぬと墓守がやって来て、故人の残した花を植木鉢に植えて、村外れの崖の上の花畑に持っていくのだ。


 墓守はベッドの上の花を父から受け取ると、慎重だが慣れた手つきでそれを植木鉢に植えて、遺族に一礼すると家の外に向かって歩き出す。

 墓守の後ろには父が、その後ろには弟の手を引く母が、その後ろには僕と姉の順番で並んで家の外に出て、硬い土の道を歩いていく。


 村の中はいつもは仕事のない子供たちが遊びまわっていたり、女たちが水くみの桶を抱えて歩いていたり、男たちが仕事をしているが今だけは誰もいない。

 途中、点々と存在する家々から人の押し殺したような息遣いだけが聞こえる。


 この村では人が死に、花が運ばれる時は家から出ないことがしきたりなのだ。

 故人をしのぶ沈黙の中、墓守の先導によって僕たちは村から離れて行き、少し傾斜の険しい坂を上り、村の外れの崖の上にたどり着く。


 そこにはおじいちゃんが残したのと同じ真っ赤な花が一面に咲き誇った花畑があった。

 その花畑には人一人は何とか通れる踏みならされた道があって、僕たちはそこを花を踏まないように進んでいく。


 そして、花畑の一角―――植木鉢と同じぐらいの大きさの穴が掘られている場所の前に墓守は座り込む。

 墓守は植木鉢から土ごとおじいちゃんの花を丁寧に取り出すと、穴の中に入れて、花の根元に優しく整えるように土をかける。


 そして手を合わせ、墓守は唇を動かして何事か呪文のような祈りのような言葉を口にする。

 少しして花の正面の場所を父に譲ると、父も手を合わせる。母も弟と一緒に手を合わせ、僕の番が来ると僕も両親に倣って意味も分からずに手を合わせ、姉も同じように手を合わせた。


 一巡してから、僕たちは母に押されるようにして元来た道を戻っていく。

 父は墓守に「よろしくお願いします」と頭を下げてから、僕たちに追いついてくる。


 僕たちはそのまま家に帰ると、夕食を食べて各々が自由に寝る前の時間を使い始めた。

 父は奥の部屋に籠って木を彫っている。母は一番大きな部屋で安楽椅子に腰かけて外を見ながらゆらゆらと揺られ、姉は何も分かっていない弟にせがまれて部屋の隅で木とぼろの布で作られた人形でおままごとをしている。


 父も母も眉間にしわを寄せて、何か難しいことを考えているように黙りこくっているために家の中の空気は重かった。


 僕は逃げるようにいつもより早い時間に家族で眠る部屋に入って、布団を頭からかぶって横になる。

 横になるが、眠くはならず逆に頭がやけに鮮明に冴えてくる。


 頭の中で思い浮かぶのはおじいちゃんのことだ。

 小さい頃、肩車をして遊んでくれたおじいちゃん。山に入って、たくさんの山菜について教えてくれたおじいちゃん。パンはこねる時、小麦粉はもっと力を込めてこねるんだと教えてくれたおじいちゃん。‥‥。

 たくさんのおじいちゃんとの思い出ばかりが思い出される。


 おじいちゃんが死んでしまった時に狂うほど泣いて、全てを出し尽くし枯れてしまったと思っていた涙がまだまだ足りないようで溢れ出てくる。

 枕をぐっしょりと濡らすほど泣いて、泣いて、泣いて―――。

 泣きつかれると僕はいつの間にか眠ってしまっていた。





 おじいちゃんが死んでも、時間は止まってくれない。

 日々の生活はおじいちゃんが死んだことなんてなかったことのように進んでいく。


 太陽が山から顔を出す前に僕は起きて、調理場で小麦粉に水を加えてこねる。

 父も母も何も言わずもくもくと手を動かしている。おじいちゃんが倒れてしまって空いた仕事もいつの間にか分け合って、まるでおじいちゃんなど初めから存在していなかったかのように仕事をしている。


 朝の仕事が終わると、僕は邪魔だと外に追い出される。

 いつもならば、同じように仕事のない子供たちと遊ぶのだが今はそんな気分ではなかった。


 森の中。おじいちゃんが教えてくれた僕とおじいちゃんだけの秘密の場所―――森の中に突然現れる円形にくりぬかれたような空き地。そこにある予め用意されていたように座り心地の良い岩の上で僕は考える。


 死ぬ、とは何なのだろうかと。

 いつか僕も家族も村の人たちも、誰もが死ぬことは知っている。

 しかし、親しい人が初めて死んで僕は死を身近なものに感じたために『死ぬ』とは何かこれまで以上によく考えなければならないと感じたのだ。


 でも、幾ら考えても取っ掛かりすら見つけることが出来ない。

 死ぬということが寂しいものなのか、辛いものなのか、それとも幸せなものなのかそれすら僕には分からない。


 僕は胸ポケットの自分の花を見る。

 僕の花は贔屓目に見れば、僅かに赤みがかっているように見えなくもないが、それは目の錯覚で、やはりまだ何にも染まっていない真っ白な花だ。


 そうこうしながら考えていると、背後で何かが草を踏む音が聞こえた。

 僕は跳ねるように立ち上がり、熊か猪かと背後の何かを確認しようとする。


 だが、そこにいたのは墓守だった。

 昨日と同じ黒色のローブを着て、重そうな水の入った水瓶を運んでいる。


 墓守は花畑の傍に住んでいるため、僕が母に店番を任され、尚且つその日が墓守は半月に一度食料買い込みに来るときが重ならなければ関わることもない。それに、パンを買うときも黙って金を払い、会釈をすると黙って行ってしまうために話したことはなく、何と言えばいいのか分からなかった。


 向こうはこちらに気が付くと、空き地にまで入ってきて疲れたような息を吐いて水瓶を地面に置くと、

「おはよう」

 と想像以上に若々しい声でそう言った。


 何となく顔の見えない墓守の年齢は父と同じぐらいだと思っていたが、姉よりも少し上成人したばかりの若者のように聞こえた。その上、僕が勝手に思い込んでいただけか、村の中では無口なだけなのか墓守はやけに饒舌だった。


「こんなところで何をしている?

 いつもは同じ年くらいの友達と一緒に走り回ったりして遊んでいるのに、今日は何かあったのか?

 喧嘩でもしたの?」


 思った以上にぐいぐい来る墓守に僕はたじろぎながらも

「別に‥‥」

 と答えると、墓守はそこでようやく何かを察したようで「そうか」と低い声で言うと、再び重い水瓶を持ち上げると、その場から立ち去ろうとする。


 僕はその背中を見ながら、死に最も近い仕事をしている墓守ならば僕のこのもやもやとする悩みを溶かしてくれる何かしらの考えを持っているのではないかと考えた。


 そこで、僕は墓守の背中に「待ってよ」と呼びかける。

 墓守は水瓶が重いために難儀そうにこちらに振り返ると、「何だね」と答える。


「『死ぬ』とは何でしょう?」

 と僕が尋ねると、墓守は少し厳しい目つきで僕のことを見た後、指の先だけを動かしてこちらに来るようにジェスチャーをする。


 僕が近づくと、

「その話は長くなるから、向こうでしよう。

 それとその代わりと言っては何だが、少し持つことを手伝ってはくれないだろうか」


 そう手をプルプルさせながら言う墓守が持つ水瓶の側面に指を掛けて持つと、向こうと言うのが何処かは分からないが、墓守に促されるままに水瓶を持って森の中を進んでいく。


 途中からは疲れ切った墓守の代わりに水瓶を僕が一人で持ち、身軽になった墓守が軽やかに僕の前を先導してたどり着いた場所は崖の上の花畑だった。

 僕は疲労の溜まった腕から最後の力を絞り出して、水瓶をゆっくりと土の上に置くと墓守は「ご苦労様」と笑いながら言った。


 疲れきり、へたり込む僕の前で水瓶から小さな水瓶で水を掬いとると墓守は花に水を与え始めた。


 花に水を与えながら、墓守は僕に尋ねた。

「『死ぬ』って何だろうね?」

 と。僕が聞いたことと同じことを聞いてきたのだ。整え切れていない息では抗議の声を上げることも出来ないために、墓守の顔を睨むと「ごめんごめん」と墓守は謝る。


「別にふざけているわけじゃないんだよ。

 おれは死んだことがないから、死ぬことは何なのか分からないんだよ。

 臨死体験という言葉もあるが、それも結局死んだわけではない。

 だから結局の所、『死ぬ』ことは死者の領分であって、生者には死ぬまで一生分からないことなんじゃないかな」


 そんなことは分かっている。

 でも、それを分かろうとして、僕は考えていたのであって、そんなことを聞くために重い水瓶を運んだ訳ではないと顔で抗議する。

 すると、


「分かってる。

 だから、墓守の仕事として死に対してどう向かっているのかを話すことにしよう。

 それは何の役にも立たないかもしれないが、君が望むのならば話をしよう」


 僕が「お願いします」と言うと、墓守は一つ頷いて話し始めた。


「まず、死ぬことが怖い。そして、だからこそ人は不死を夢見る。

 これは分かるな?」


 僕は頷く。

 僕は自分が死ぬことを考えるとぞっとする。それはまだ真に迫った恐怖ではないが、それくらいならば僕にでも分かる。

 それに不死を求めるおとぎ話は多い。

 僕も永遠に生きられるようになればどれだけ良いだろうかとよく夢想する。


「なぜ、死ぬことが怖いのか。

 それには二つの理由があると思う。一つは自分という存在が消えてしまうことが怖いんだ。これは単純で分かりやすい。

 二つ目は、忘れられることが怖いんだ」


 一つ目は良く分かる。でも、二つ目は良く分からないと言うと、墓守は「それは君が何も積み上げていないからだ」と言った。


「おれは二つ目の方が怖いよ。多分、君のおじいちゃんも。

 自分の人生をかけて積み上げてきたものが、壊されるではなく、ただ忘れられる。それはまるで自分の人生を無価値なものだったと言われるような恐怖だ。


 その恐怖を和らげるために俺がいる。

 人の生きた証を、残していった花をこうして永遠に保存する。何百年も経って、自分を知っている人間はおらず、まるで初めから存在していないようになったとしても。

 ここには確かに存在の欠片が残るように」

 墓守は一つの花に優しく触れながらそう言った。


「でも、花は枯れるでしょう?」

 僕がそう言うと、

「枯れない!枯れさせはしない。これは思い出の花だから」

 墓守は必死な顔で語気強く僕の言葉に重ねるようにそう否定する。


 僕はその時、墓守のあまりにも必死な表情に永遠なんてそんなものがあるはずがないと否定することが出来なかった。しかし、顔には出ていたようで「信じられないのなら」と墓守はこちらに来るように手招きをする。


 そして、花を一つ指して「触れてみな」と言った。

 それはおじいちゃんの花だった。


 僕が恐る恐る花弁に指の先端を触れさせると、その花から暖かな何かが流れてきた。

 それはおじいちゃんの記憶だった。

 少し皺の少ないおじいちゃんが嬉しそうに赤ん坊の頃の僕を抱いている。大きくておおらかだったおじいちゃんの記憶。


 墓守は「魔法みたいだ」と呟く僕に言った。


「たまには思い出してあげてほしい。

 人間を不死にすることはおれには出来ないけど、思い出を繋いでいければ人の記憶の中で人は永遠に生き続けることが出来ると思うから」


 その後、再び一人で花畑を訪れて、花に触れても同じ体験は出来なかった。

 だから、今となってはあの時の体験が幻だったのか、夢だったのか。それとも他の何かだったのか僕には分からなくなってしまった。


 しかし、その体験とすっかり暗くなって僕が家に帰ろうと坂を下っている時に振り返って見た、墓守が一つの花に向かって許しを乞うように頭を下げている格好のために僕はそれから墓守の下に通うようになったのだ。


 彼がその時誰のことを思い出していたのか、そんな話が聞きたくて。


 * * *


 私は胸ポケットのすっかり赤く染まってしまった花を見る。

 花が赤く染まる間にも、母が死に、父が死に、パン屋を継ぎ、妻が出来、子が出来、孫まで出来てしまった。


 私は今自分の昔話を布団を被っている孫娘の枕元で寝物語として語り終えた所だった。

「ねえ、明日はどんな話をしてくれるの?」

 孫娘は早速、私にはあるか分からない明日の話をおねだりする。


 私は少し考えて、

「そうだな。『魔王に敗れた魔法使い』の昔話をしよう。

 魔王に敗れ、勇者だった友を失い、それでも自分に出来ることがあるに違いないと信じて、暗黒に染まる世界から友との思い出の詰まった故郷の村を隠した魔法使いの話だ」


 でも、今日はもう寝なさい。

 そう言って孫娘のおでこにキスをしてから、私は家族の眠る部屋を出た。


 私が死んだ後、孫娘はいつまで私のことを覚えていてくれるだろうか。

 例え、孫娘が私のことを覚えてくれていても、その子供や、そのまた子供は恐らく私の存在すら知らなくなるのだろう。


 しかし、死の恐怖は薄かった。

 あの墓守と花畑だけは永遠にあり続けるとそう()()()()()()()―――――。


(追記)

 途中まで永遠はないと言っていたのに、最後に永遠を信じると言わせたことについて。

 それはやはり永遠なんてないからです。花畑は冒頭でも書いたように世界が終わる日までしか残らないし、墓守も同様でしょう。

 でも、その時のことを知らず、考えないようにすることによってしか死の間際の恐怖を薄めることは出来ないだろうと思ったからそう書いたのです。

 本来は本文の中に分かりやすく書くことですが、どうしてもうまい具合に挿入する方法が思いつかなかったのでここに追記として書かせていただきます。m(__)m


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