旧版Re:behind 鍛冶屋の髭ジイとの出会い編
◇◇◇
「次はここだ」
そう言ってウルヴが足を止めたのは、盾が一つと剣が二本交差した看板のかかった建物でした。
それはどうにも、さきほど見た『正義の旗』の拠点……そして周囲にあるそれ以外のものと比べてもいくらか見劣りしてしまう大きさです。
そんな少しだけ残念に感じるその建物、そこにかけられた看板や、ガラス張りの窓の向こうに見える店内。
それらは全てが、あんまりにもわかりやす過ぎる程に
「……武器屋?」
「ああ、そうだ。わかりやすいだろ?」
わかりやすいものでした。
◇◇◇
勝手知ったると言わんばかりに入り口に手をかけると、キィと音を立ててドアが開きます。
室内だから、では済まないくらいに体感温度が上がった店内は――――その暑さで焚き上げられたような――――油と金属のにおいが鼻をつき、サクリファクトは顔をしかめました。
カウンターには髭面の男が一人、虫眼鏡のような道具でナイフのような刃物を見つめていて、その表情は真剣そのもの。ロラロニーは怯えを隠そうともしていません。
「髭ジイ、今日も来たぞ」
「……いくらか待っとれ」
やはりそれなりの仲なのか、親しげに言葉をかけるウルヴと、それを受けても刃物から目を離さない髭ジイと呼ばれた男。そんなウルヴに続いて店内に入り込んだ "新人" 達は、きょろきょろと辺りを見回しています。
ランタンのような器具がぶら下がる店内は、炎の明かりを受けたような色合いではなく、現実世界のようなはっきりとした温白色で照らされていました。
壁にかかるのは、様々な武器。小剣、長剣、短弓、長弓、クロスボウ……。ハルバードやブロードソードもあり、 "新人" 達はそれを見て、きらきらと目を輝かせまます。
自身の腰には初期装備として与えられた武器があるものの、シンプルで粗雑な作りのソレは、やはり壁にかけられた物と比較して頼りなく映るもの。
もしかすると、ウルヴからの初ログイン祝いとして『どれでも一つ、好きなものを選べ』なんて言われてしまうかもしれない。そうだといいな、もしそうだったらあの魔剣的なものにしよう――――なにしろ男気がすごいし(もし口に出していたら、意味がわからないと一蹴されていたでしょう)――――なんてリュウジロウが考えていると、髭ジイと呼ばれた男がゆっくりと顔をあげました。
「…… "新人" か」
「今日は5人だ。粒ぞろいだぜ。いつもの通りよろしく」
「……ふん、いつまで持つかの」
いかにも鍛冶屋。まさしく偏屈。お手本のような頑固な職人。
小さめの体に力をぎゅっと詰めこんだようなむっくりとした体と、豪快に髭を携えた禿頭の彼は、手に持ったルーペのような道具を置くと、 "新人" たちの元へ来てその体をジロジロ見回します。
「……おっさん、ドワーフ?」
「……違う」
「素晴らしいお店ですね。立地もいい、質も良さそうだ。何より雰囲気が素晴らしい。こうまでファンタジー然としていると、私ですら柄にもなく胸が高鳴ってしまいますよ」
「……そうかよ」
「失礼にござんす! 失礼に――――」
「リュウジロウ、それはいい」
「おっとこいつぁ、重ねてご無礼!」
ひとり、ひとり。ねぶるように"新人"たちのアバターに視線を這わすと、一仕事終えたようにカウンターに戻る髭ジイと呼ばれた男。しかし今度は道具に目を落とすことなく、正面からはっきりと"新人"たちを見据えます。
「ワシの名は "髭切らず" 。二つ名は【鍛冶屋の髭ジイ】。ここで鉄を叩いてミツを吸っとる」
「ミツを……吸う?」
「『Re:behind』で生活して収入を得ている事をさす言い回しだ」
「そ、そうなんですか……」
「……ここの商品はお前らにはまだ早い。近くにワシに用があるとすれば、腰にぶらさげた灰汁のかかったなまくらの手入れくらいだろう。何かあったら金と武器をもってこい。出すものを出せば、元のなまくらに戻してやる」
まるで怒ったような口調と態度に、ロラロニーはビクつきます。無償の笑顔を注文しようものなら、一体どうなってしまうのでしょうか。
しかし、それをおいても話す内容興味深くはあります。ロラロニーは初期装備の棍棒(と言っても、武器というよりはうどんを伸ばしたりする事のほうが得意そうなものですが)を触りながら、髭ジイさんの言葉を真剣に聞いていました。
「エモノは何でもいい。弓でも剣でも、杖や棒でも見てやる。いや、見せに来い。身を護る為のもの、命を狩るためのもの、何にしたって、芯が曲がっちまったら使い物にならん。死にたくなければここに来い」
「でもさ~最悪死んでも……初期装備は落とさないんでしょ? じゃあメンテナンスもしなくてよくない? 私なんて弓だし、あんまり意味ないよーな……」
「…………ウルヴ、説明が足りんぞ」
「これからだったんだよ……丁度いいや、髭ジイ、頼む」
「……ふん」
さやえんどうまめしばの言も、最もでした。この『Re:behind』の世界において、初期装備は『そういう風に生まれたもの』として登録されるもの。ひどく単純で、出来の悪い物ばかりですが、アバターに紐付けられたもの。消失という事象とは無関係な存在。
リスポーンで元に戻るなら、金を払って直すのは『好みの問題』と思ってしまうのも、初心者が陥りがちな考えの落とし穴なのですから。
「嬢ちゃん、名前は?」
「さやえんどうまめしばっ! 花も恥じらうログイン初日のMetuberです!」
「…………っ」
髭ジイは僅かに表情を動かします。それは驚き、意外だという顔。しかし、その理由は誰にもわかりませんでした。
「……そうか。それじゃあ、さやえんどう。この『Re:behind』にログインしたのは何故だ?」
「……え~、そりゃあ、ここで冒険したり商売したり自由に生きて、金を稼いで、Metubeで稼いで……いい暮らしをしたいから? あと、面白そうだし」
「……そうか。それじゃあ、さやえんどう。この『Re:behind』を辞める時、お前はどういう理由で辞めると思う?」
「や、やめる!? 初日のプレイヤーにそれを聞きますか! 髭ジイさん!」
「……そっちの坊主はどうだ。商売に興味がありそうだったが」
「私ですか?……そうですねぇ。何にせよ "やりくり" が上手くいかず、月額が払えないであるとか、他者の嫌がらせであるとか、現実での体の調子や家庭の問題であるとか……そういった理由から、でしょうか?」
さやえんどうまめしばに代わりキキョウが答えたのは、限りなく正解に近いものでした。月額15万円という高額な料金を払えずにやめてしまう者。他のプレイヤーとのいざこざにより、この世界そのものを拒絶してしまう者。病気や怪我、家族の都合によりこの世界を去る事を強要される者。そのような者がいるのもまた事実です。
しかし、肝心の『この世界を去る理由として、最も多いもの』が入っていません。
「それらも、ある。よくある。ワシも、よく聞く。だがそれよりずっと多いもんがある。単純な話だ。死んだ衝撃で戻れなくなった奴が、とにかく一番に多い」
「……『死んだ時の衝撃』で、ビビっちまうんですかい?」
「そうだ」
それは確かに、さやえんどうまめしばが手にした情報の中に含まれている事でした。
"死ぬな"
『Re:behind攻略Wiki』のトップにも大きく赤文字で強調されている
単純ながら絶対に避けねばならぬことわり。
『初心者装備はリスポーンで戻る、だが死ぬな』
『死に戻りという言葉がある。死ねば戻れる。だが死ぬな』
『PKに狙われた時、ストレージに装備を全部突っ込んで死ねば装備は奪われない。だが死ぬな』
初心者用ページに書かれたそれは、一つの手段として『死ぬこと』を提示しながらも、間違いなく推奨されないという"誰か"の確固たる意思が伺えます。
そしてその "誰か" とは、恐らく『死ぬこと』を経験した者なのでしょう。
それほどまでの重さと強さで『死ぬこと』の恐ろしさを身をもって伝える頑なな言葉でした。
「感じるだろう、吹きすさぶ風を、隣人の息吹を、自分の腹ン中で鼓動を刻む心臓を。自分だけじゃない、周りのアバターも、現実とまるで違いがない。外身も中身も、極限まで "本物みたいに" 作られた世界だ。食う、寝る、遊ぶ、どれ一つ事欠かない自由で奔放な生き方を取れる世界。夢のようだが、現実との垣根が薄っぺらな、紛れもない現代社会の切れっ端だ。
笑える、泣ける、怒れる。この世界の中で、普通に生きる事が出来る。
歩いても、戦っても、鉄を打ってもなんら現実と変わらねえ。
今はまだ薄っすらとしか感じちゃいねえだろうが、ここで生きてりゃふとした時にはっきり感じる。ワシらはここで生きてるってな」
そう語る髭ジイの眼は、しっかりと"新人"たちを見据えていました。それは確かに、その向こうにいる"誰か"を感じさせる眼差しで、はっきりとした生の脈動が形作った息遣い。
テレビ番組で未だに喚く、したり顔で話すコメンテーターにはわからない、実感のこもった経験談。
その片鱗に触れ始めていた"新人"5人は、髭ジイの言う事がわかるような、わからないような。
それでも一つはっきりわかるのは、髭ジイの言葉の持つ熱さ。飾った言葉ではない、正直な想いです。
「作られたもんだ。結局は。そう感じるようになってるだけだ。単純に。
……だから、そういう世界だからこそ、死んじまったら、洒落にならん」
そこで言葉を一区切りすると、カウンター上にあったコップをぐいと傾け喉を潤します。髭ジイの見た目からすると中身はエールか火酒かと言った所でしたが、『Re:behind』の世界にアルコール飲料は存在しない(しているが酔わない)為、それとは違うものでしょうか。
「生きていると思えるように作られた世界だ。それが一時的とは言え消えるとなったら、それ相応のそれっぽさがある。データ上の体力が減ったぞ、少し残った、まだピンピンしているぞ……なんてこたぁねぇ。体力がなくなったぞ、死亡判定だ、気付けば『ゲート』に突っ立ってたぞ……なんてことは、ねぇんだ」
「……髭の大将は、死んだ事があるんで?」
「ある」
「……そいつぁなんとも……ご愁傷さま…………? いや、ちげぇな……」
「火を吹く獣だ。四足の。いい石が転がってる洞窟を見つけてな。調子に乗ってどんどん進んだ。まるで童話の菓子に釣られる童のように。
ふと気付けば囲まれていた。ツルハシでぶっ叩いてみたが、徐々に囲まれ、追い詰められた。
……示し合わせたように、せえので雁首揃えて火を吐かれた。一瞬で真っ黒焦げだ。ミスリルだってチーズみたいにとろけちまうだろうな。
痛みを感じる【メジャーコクーン】だったが、肝心なのはそこじゃねぇ。痛いより熱いより、眼の前を覆う冗談みてぇな爆炎と、皮膚が溶けていく感覚だ。
指先から体の芯まで、カンカンに焼かれて炭になるのがはっきりわかる。血が泡立って、目ん玉から煙を吹き出させて、頭の中までしっかり焼き尽くされながら、体が崩れていくんだ。
生きてる事を実感するのと同じだけ、死んでいくのを実感させられる。
いきなり死ぬなんて甘えはねぇ。徐々に、しっかり、丁寧に……これでもかってくらい死んでいくことをわからされる。
…………しばらくは炎に怯えて、仕事にならなかったもんだ」
ごくり、と誰かが唾を飲みこみました。その音が聞こえたのは、聞こえるシステムがあるからか、はたまた自分の出した音だったからか。ロラロニーにはわかりません。
髭ジイが語ったリアルな死。
この世界だからこそ語れる死という経験からくる言葉。
真に死に迫るその内容は、5人の"新人"たちに恐怖を植え付けるには十分なものでした。
「それでも耐えたさ。だからここにいる。
だがな、ワシはマシだったのかもしれん。この世界の"死"に条件があるとすれば唯一つ、死ぬまでアバターが壊される事だ。焼けて死ぬのも、砕けて死ぬのも、潰れて死ぬのも同じ"死"だ。
……犬の群れに食われた奴は、この世界を去ってから家に引きこもってる。体のあちこちに犬っころが貪り付いている映像が頭から離れず、犬の画像を見るだけで縮み上がっちまうそうだ。犬の散歩に出会った日には、恐怖の魔王の進軍を見たかの如くぶっ倒れるらしい。
ダンジョンの罠で圧死したやつは、エレベーターにも乗れなくなった。閉所恐怖症なんてぼんやりしたもんじゃねぇ。閉所で失神する体に変えられちまったんだ。
仮想だから現実の体には影響はねぇ。体の上と下を真っ二つに切り分けられても、ログアウトすりゃ横一文字に赤くなる程度しかフィードバックはされないからな。
だが、心は別だ。死んだ記憶は、一生残る。ワシのように耐える奴もいれば、耐えられん奴もいる。死ねばわかるが、リスクがでかい。
……わかったか。死ぬのは、やめとけ。この世界で、生きていたいのなら」
◇◇◇
「……なんか、凄い話だったねぇ。動画撮ればよかったかも……」
「髭の大将の忠告、涙が出るほど染み入ったぜ」
「……俺は正直、死んで死に戻りする気まんまんだった」
さやえんどうまめしば、リュウジロウ、サクリファクトがそれぞれに語ります。全部が全部にロラロニーはコクコク頷きました。凄い話だったし、忠告がありがたかったし、デスルーラはわからないけど死ぬ事もあるだろうとは思っていたからです。
生きている実感の分だけ、死んだ時にも返ってくる。リアルに死ぬことの恐ろしさを聞いた5人は、髭ジイの助言通り、死ぬという選択肢をきちんと除外するのでした。
「そうですねぇ。僕も驚きです。いえ、考えればわかったかもしれませんが。リアルであればあるほど、そういう時もリアルだ、という事は」
「現実的すぎる仮想現実の弊害だね~……ところで、ウルヴさんは?」
ふと見渡せばウルヴがいません。それに気付いたさやえんどうまめしばが問うと、
「あっ、なんだか髭のおジイさんとお話があるようで、そのへんにいろって……言ってました」
ロラロニーが答え、
「よっしゃ! お誂え向きの広場があることだ、ここいらで一発でっかく名乗りをあげさせて――――」
「……やるなら俺は他人って事にしといてくれよ」
「なんでぇ、サクリファクト! 俺っちの名乗りにケチつけんのかぁ!?」
リュウジロウとサクリファクトがじゃれ合います。
なんだかんだでそれなりに打ち解け始めた5名の "新人" たち。
思わぬ恐怖を掻き立てられた彼らは、無理やり明るい声をあげるのでした。
死への恐怖を打ち払うように、生きる希望を膨らませるのです。
同じだけ、終わりの時の絶望も、大きくなると知ったのに。