第9話 ダイちゃん
――妖魔帝国「医務室」
一人の老人が少女と向かい合うように椅子に腰掛けている。
老人はシワシワの白衣を身にまとい、分厚いレンズの老眼鏡をかけている。
背がかなり低く、立って比べれば、少女よりも小さいかも知れない。
顔には幾つものシワが刻まれ、干し柿の様だ。
白衣もシワシワ、顔もシワシワ。
もうシワッシワである。
彼はれっきとした妖魔であるが、外見はほとんど人間と変わらない。
一つだけ人間と違う点があるとすれば、額から申し訳程度に生えている一本の角だろうか。いや、見ようによってはコブにも見える。
しかし、彼は妖魔帝国の建国時より歴代の妖魔大王に仕えてきた、筋金入りの妖魔だ。
内科に外科に眼科に歯科に肛門科まで、何でもこなすスーパードクターである。
そんな名医が今から少女の目を診察するところである。
少女の横には心配そうに妖魔大王とデスクイーンが立っている。
「先生っ! どうかこの子の目を治してあげてくださいっ! お願いしますっ」
必死にDrに訴えかけているのは妖魔大王だ。
「あー。邪魔」
そんな妖魔大王を、しっしっとコバエを追い払うかのように、手を振り追い払うDr。
少女は妖魔大王のTシャツの裾をぎゅっと握っている。
これから何をされるのか不安に思っているのだろう。
「あー。つかめん」
Drは先程から少女の目を覆う包帯をつかもうとするのだが、なかなか上手くいかない。
それもそのはず、プルプル、プルプル手が震えているDr。
高齢の為か、Drの手は絶えず震えている。
「あー。ホムンや。この子の包帯を外せ」
「はい。Dr」
ホムンと呼ばれた看護師の女性がすっと、現れる。
あまり表情が無く、マネキンや人形の様な印象を受ける。
彼女はホムンクルスのホムンだ。
その昔、西洋の悪の錬金術師が造り上げた疑似生命体である。
錬金術師の最終兵器であり、高い戦闘能力を有するホムンであったが、デスクイーンと戦い、激戦の末敗北する。
そして錬金術師が倒れた後、行き場の無かった彼女をDrが引き取り、以降看護師として働かせているのだ。
「あら、ホムン。元気してる?」
デスクイーンはホムンにそう声を掛けて手を振る。
「はい。元気」
手を振り返すホムン。
その表情は、微かにだが微笑んでいるように見える。
「また、喫茶店でパフェ」
「いいわねー。あたし次は抹茶にしようかしら」
二人は意外に仲が良い。
実は彼女もデスクイーンと同じく地下アイドル活動をしている。
「親不知」と言う名前でソロ活動をしており、一部のマニアに熱狂的な支持を受けている。
デスクイーンと会話をしながら、ホムンがスルスルと手際よく少女の包帯を外していく。
「あー。ちょっとおめめ見るよー」
Drが優しく少女に話し掛ける。
小さく頷く少女。
「ホムン。頼む」
「はい」
ホムンが少女のまぶたを片方ずつ優しく開かせる。
のぞきこむDr。
「どうでしょう。治りそうですか?」
妖魔大王もDrと話す時には基本敬語だ。
妖魔として生きてきた長さ、経験が違いすぎるのだ。
「あー。これは白内障じゃ。手術と治癒の術で治る」
それを聞いて妖魔大王は力強くガッツポーズを取る。
「いよっしゃーっ! さすがスーパードクター!」
「きゃー! やったー!」
デスクイーンも跳び跳ねて喜んでいる。
そして妖魔大王は少女の小さい手をぎゅっと握る。
「聞いたか? 見える様になるってさ!」
少女は戸惑いながらも、少しだけ微笑んだ様に見えた。
「あー。うるさい、お前達。今から問診するから黙っとれ」
横ではホムンがカルテを準備している。
Drが少女に優しく話しかける。
「あー。何歳くらいから見えなくなったのかな?」
「……」
「あー。お名前は?」
「…………」
「あー。好きな食べ物は?」
「………………」
「ふぁっふぁっ。手強いな」
Drは笑っている。
サラは怯えているのか緊張しているのか、それともその両方か、妖魔大王のシャツの裾をぎゅっと握っていて離さない。
シャツは裾の部分だけ、もう随分伸びてしまっている。
「あー大王。頼む」
無理には質問を続けないDr。
代わりに妖魔大王が質問をする。
「お名前教えて欲しいなー」
少女は少しの沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「……サラ」
「サラか! いい名前だなー!」
妖魔大王の顔が笑顔で綻ぶ。
「名前……」
サラが妖魔大王のTシャツの裾を更に引っ張りながら、小さい声で尋ねる。
「え? わしの名前?」
聞かれてギクッとする。
妖魔大王には名前という物が無いのだ。
幼い頃は「妖魔王子」と呼ばれていたし、大王の座についてからはずっと「大王」か「大王様」である。
「わかってると思いますけど、妖魔大王なんて言ったら駄目ですよ。怖がっちゃいますよ」
デスクイーンが妖魔大王の耳元で囁くように注意する。
「え? ああ、そうだな……」
妖魔大王はひとしきり考えて、うんと頷く。
「そうだな。わしの名前は、ダイだ」
「ダイ……ちゃん」
サラが何回か繰り返している。
「そうそう、ダイちゃんだよ」
「ダイちゃん? 安直ね」
デスクイーンが口元を手で押さえ、クスクス笑っている。
「笑うなよー。いい名前だろ?」
妖魔大王は照れ笑いを浮かべ恥ずかしそうにしている。
「はいはい。じゃダイちゃん、事情は明日聞かせて下さいね。私はもう遅いので失礼します」
デスクイーンがそう言って、医務室を出ようとした時、暗黒騎士が血相を変えて入ってきた。
「ここにいたッスか! 探したッスよー」
「こら、騒がしくするな。どしたの?」
「大変ッス! 町に結界が張ってあって中に入れないッス」