第6話 味一
暗黒騎士が一匹のサードウルフの前に行き、しゃがみこむ。
「おーよしよし。お手」
すっと右手を差し出す。
警戒心は0である。
「グルルル」
サードウルフは唸りながらゆっくりと近づいてくると、スンスンと右手の臭いをかぎ、そのままがぶりと噛みついた。
「ぎゃーっ!」
「あはは。何やってんの」
と、妖魔大王の背後に忍び寄った一匹のサードウルフが、尻に噛みつく。
「あいたーっ!!」
妖魔大王が叫ぶ。
二人の悲鳴を機に、一斉に襲い掛かるサードウルフの群れ。
サードウルフは一匹での戦闘力は大したことは無いが、群れでの戦闘力は高く、大型の魔物をしとめる事すらある。
既に二人はサードウルフの群れに噛み付かれ、今や姿はほとんど見えない。
が、二人は倒れてはいない。
直立不動のままである。
「いい加減にしなさい……」
妖魔大王からわずかに滲み出す妖気。
「もーっ! お座りっ!」
妖魔大王が少しだけ強い口調で声を発した。
その瞬間、すべてのサードウルフが二人から牙を放し、行儀よくお座りをした。
耳はぺたんと垂れ、尻尾を股の間に巻き込んでいる。
「もうー」
「大王様、大人げないッス。飽きるまで噛ませてやればいいんスよ」
「お前はム〇ゴロウさんか」
大王はお気に入りにTシャツが汚れていないかチェックしている。
妖気でカバーしていたので穴こそ開いていないが、よだれでべたべたである。
「あーあー。これは奪衣婆に怒られるかなー」
奪衣婆とは妖魔帝国の洗濯部門の責任長を務めるお婆さんだ。
元々は三途の川で亡者の衣服をはぎ取っていたのだが、その衣服の回収力の高さに妖魔大王が目をつけ、地獄からわざわざスカウトしてきたのである。
妖魔達の中には着替えを面倒くさがる者も多い。
「洗濯物の下に入れちゃえばわからないッスよ」
「そーだなー」
顔を見合わせて、いひひと笑う妖魔大王と暗黒騎士であった。
◆
「よしっ!」
妖魔大王はまだお座りを続けているサードウルフに対して命令をする。
お座りから解放されたサードウルフ達は、尻尾を振って妖魔大王の周りに群がってきた。
「よしよし。お前らもう人間を襲うんじゃないぞ。」
妖魔大王はひとしきりサードウルフ達の頭を撫でてやると、次の命令を出す。
「ハウス」
サードウルフ達は「くーん」と鳴くと、名残惜しそうに草原の中へと消えていった。
「可愛いッスねー」
「噛み付かなきゃなー」
「いや、それはエゴッスよ」
「えっ!?」
ドキリとして暗黒騎士を二度見する妖魔大王。
何となく暗黒騎士は物悲しそうな顔をしている。
(聞かなかったことにしておこう……)と思う妖魔大王。
(エゴって何て意味だったッスかね……)と思う暗黒騎士。
「しかし……どう思う。この世界」
妖魔大王が真面目な顔をして尋ねる。
「正直見当がつかないッス」
「だよな。じゃあ、次の3択から選んでください」
「突然ッスね!」
1.世界は核の炎に包まれた。海は枯れ、地は裂け、全ての生物が死滅した。
2.実は我々は魔法少女によって皆殺しにされたのだ。
そして妖魔だけの世界に生まれ変わったのだ。
3.これは夢だ。やはりお酒の飲みすぎは良くない。
「はいどーぞ」
「えー正直どれも外れな気がするッス。まー、3が一番平和ッスかね」
「ぶぶーっ」
「じゃ2」
「ぶぶぶーっ」
「じゃ1」
「ぷーくすくすっ。残念でーしーたー」
「大王様」
「なんだ?」
「斬っていいっすか」
暗黒騎士が腰の魔剣に手を掛けた。
「わーまてまて! 今のはお前を試したんだよ! ほんの冗談だよ、冗談。」
妖魔大王が慌てて暗黒騎士をなだめる。
「じゃ正解を教えて下さいッス」
詰め寄る暗黒騎士に対して、妖魔大王は一つ咳ばらいをし、話し始める。
「魔法少女が帰った後の大王の間で、ものすごい閃光と揺れがあっただろ。
「あー確かにあったッスね」
「あの直前にな、なにやら凄まじい魔力が膨大していくのを感じたんだ」
「へー。つまりそれが原因に繫がると」
「うむ。多分だが、あれは膨大な魔力を暴発させて、時空を破壊し、強制的に対象を異世界に転移させるという禁断の術ではないかと思う」
「そんな技があるッスか!?」
「ああ。先代の大王の時に一度だけ似たような事があったそうだ。その時は未然に術を防ぐことが出来たそうだが……」
妖魔大王も母親から話でしか聞いたことが無い。
父親と伝説の魔法使いとの戦いを寝る前によく聞かされていた。
「帝国ごと異世界に来たってわけッスか。なるほどー」
そう言うと暗黒騎士が右方向をすっと指差す。
「じゃあ、あそこに見える「あれ」も一緒に転移してきたんスかね」
うん?
妖魔大王は暗黒騎士が指差す方向に目を凝らしてみる。
闇夜に隠れて良く見えないが、何かあるな。
四角い?
上に看板?
何か書いてあるな……。
中……華……?
「げっ!! 味一じゃん! あれ」
驚愕の表情で叫ぶ妖魔大王。
「やっぱ、そうッスよねー。地上のあの辺一帯の建物も転移して来てるッスね」
味一以外にその周りの見知った建物が、地上にあったそのままにいくつも建ち並んでいる。
「建物だけならいいんだがなあ」
人間を巻き添えにする魔法少女など妖魔大王は認めない。
妖魔大王の心には静かな怒りの炎が宿っていた。
その時背後で悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーーーーっ!!」
女の悲鳴である。
その跡には何かが崩れる音。
馬のいななきも聞こえる。
「味一の確認と悲鳴どっちッスか」
「もちろんこっちだ!」
妖魔大王は悲鳴のした方へ走り出していた。