第42話 Saludos
「て、天に召します我らが神よ…………ど、ど、どうかご慈悲を……我が御霊を救いたまえ――――」
歯を時折カチカチと鳴らしながら、僧侶トーフは一心不乱に祈りを捧げる。
長年パーティーを組んできた彼の仲間達は、今や変わり果てた姿となっている。
屈強なリザードマンの軍勢を退けた事もあった。
獰猛なつがいの人喰い竜を討伐した事もあった。
いつしか慢心し、驕り高ぶり、自らを特別視した者達の成れの果て。
「神よ――神よ――神よ――――」
かつては敬虔な僧侶であったこの男もそうだ。
海よりも深かった信仰心は、今では都合の良い免罪符へと成り下がり、男が捧げる祈りの言葉は只の言葉の羅列とかわらない。
ただ一つ惜しむらくは。
もし仮にこの男がかつての信仰心を失っていなければ、ただならぬ妖気漂うこの場所に、神の眷属を降ろす事も可能だったのかも知れないのだが。
「ねーねー、本当にあんた達って勇者一味? ちょ~っと、お姉さんに教えて欲しいんだけどさぁ。この世界の【正義】の定義ってやつがいまいちピンと来ないのよね。あたし達ぃ、こっちに来たばっかりでぇ。あ~んまりその辺良く分からないのよね」
デスクイーンの問い掛けにもトーフは応える様子を見せなかった。
祈りと死の恐怖の果てに到達した、深いトランス状態。
現実逃避、最終的な自己防衛
そしてデスクイーンはいよいよ白けた視線を投げ掛ける。
「神よ――神よ――神よ――――」
神ねぇ。
一応、神なら目の前にもいるんだけど。
彼女の字名は「デスクイーン」
元々、死神の長として北欧で名を轟かせていた彼女は、まさしく死を司る女王なのである。
神の定義も知りたいところ。
たぶんこっちの世界の神って、あたしの知ってる神とは違う気がするわ。
スカズィ、フィヨルグ、ニョルン……
今は亡き古き盟友達の顔が次々と浮かぶ。
「呼んで。神、早く」
ふと、感情の無い声が聞こえる。
ゴブリン達の解放を終えたホムンが戻って来たのだ。
しかし反応を示さないトーフに対して、ホムンも直ぐに興味が失せた様だ。
ふっと天を見上げるホムン。
空には黒煙、そして血の様に赤い夕焼け。
「いるの? 神、どこ」
問いかけるも、返事はない。
彼女は本当に神を、いや、霊的存在を見てみたいのだ。
ホムンクルス――疑似生命体――である彼女は、肉体はあれど魂についてはその存在が定かでは無い。
果たして自身に魂があるのだろうかと自問すれば、彼女はいつだって答えに窮してしまうのだ。
「会ってみたいな、九十九神~♪」
大切に扱われた物には、すべからく魂が宿ると云う。
お気に入りのインディーズバンドの曲を歌うホムンの青い瞳には、ようやく薄まり始めた黒煙がまるで曇天の様に映った。
「神よ――神よ――神よ――――」
火災はゴブリン達の手早い消火活動によりみるみる鎮火していく。
そこかしこに生えている黒色の樹木も貢献した様だ。
これは「ブラッドツリー」と呼ばれる無葉樹であり、血液と良く似た成分の樹液を多量に含んでいる。
その為、乾燥や熱には滅法強く村に必要以上の延焼が拡がるのを防いでくれたのだ。
デスクイーンは混乱が収まりつつあるのを確認すると、いよいよトーフへと最終通告をする。
「そろそろわかったでしょ? あんたの信じる神なんて何処にもいやしないんだって事。そうじゃなきゃ、あんまりチャイム鳴らし過ぎて嫌われちゃってるんじゃないの~」
「言うな、言うな、言うな、言うなぁぁぁっっ!!」
突然トーフが立ち上がり、デスクイーンへとつかみかかった。
しかしあっさりと足払いをされ大地へと這いつくばると、動けない様にその頭をデスクイーンに踏みつけられてしまう。
いないのなら、諦めもつく。
しかし、いるのにも関わらず呼び掛けに応じないのだとしたら。
つまりはそういう事だ。
デスクイーンは、足下のトーフに対して初めて幾ばくかの同情を覚える。
が、それはそれ。
まるで空き缶でも踏み潰す様に、足に力を込めたその時、
「貴様ら何をしている!!」
研ぎ澄まされた一本の剣の如き声が、デスクイーンの背後から突き刺さった。
◆
聞き覚えのある声ね。
嫌な予感と共に、デスクイーンは振り返る。
広場の入り口、簡素な木製門の下に、一人の女性騎士が仁王立ちになりこちらを睨み付けていた。
ロゼリア王国騎士団「白バラ」隊長のクラリスである。
クラリスはデスクイーンの顔を確認すると、つかつかつかと急ぎ足で向かってくる。
「お前は帝国の変態秘書! こんなところで一体何をしている。この村の惨状はどういう事だ、詳しく説明して……おい、そこにいるのはトーフか!?」
驚きの声をあげるクラリス。
「そ、その声は「白バラ」のクラリス? た、助けて……ぐえっ」
デスクイーンが踏む力を強める。
「あらあ、逃げちゃ駄目よ。クラリス残念ね、こいつはあたしの獲物なの。横取りは良くないわ」
「却下だ。その者はロゼリア王国の民の一人。「白バラ」の名において、この状況を見過ごす訳にはいかない。今すぐその踏みつけている足をどかせ」
「喜ぶ人だっているのよ、あなたも一度試してみる?」
徐々に高まりつつある緊迫。
互いに譲る気など毛頭無い。
そんな二人の間にすっとホムンが割って入る。
「誰? 白い鎧、キラキラ」
「そっか、ホムンは初めてよね。こないだ帝国に来た例の騎士団、そこの隊長さん」
デスクイーンに促され、クラリスが名を名乗る。
「ロゼリア王国騎士団「白バラ」隊長のクラリスだ」
「妖魔帝国医療室室長補佐付ホムン。Saludos」
深々とお辞儀をするホムン。
「あ、ああ。よろしく頼む」
それを見たクラリスは僅かに表情を和らげた。
日本式の普通の挨拶だったが、無防備な頭部を見せる行為はクラリスに好印象を与えた様だ。
「ちょっと、なんで最後スペイン語?」
「ミケの依頼。言葉が通じる仕組み、謎」
「ふうん」
と、そこに広場の入り口から駆け寄ってくる人物一人。
マルチナだ。
「クラリス様~。重症者には片っ端から回復薬を使ってきました! 火の手もだいぶ弱く……って、あれ? デスクイーンさんじゃないですか。こんなところで何を、あ、えっと、隣の青い髪の人は、どうも初めまして。うわっ、誰かいるっ……トーフさん?」
クラリスとマルチナは近隣を巡回していたところ、村から上がる黒煙と火の手を見つけ急ぎ駆け付けてきたのだ。
「どうやら我々に敵意は無さそうだな。だが、お前達の言葉次第ではこのクラリス容赦はしない。さあこの村に何があったのか、詳しく説明してもらおうか」
「こいつに聞けば? あたし達、後から来たから事情とか良く知らないのよ。もし正式な任務とかだったなら…………許してね」
デスクイーンは足をあげ、トーフを解放する。
「うわああああっ」
一目散にクラリス達の元へと駆け出していくトーフ。
「あ、あああっ! クラリス殿、た、助けてくださいっ!! こいつらが村を、村を襲って!! わ、私達はそれを止めようとしただけなんだ……こいつらがっ、とにかくっ、悪い、悪い、悪い、悪いっ!!」
「落ち着いて下さい、トーフさん。仮にも勇者パーティーで神職を務めるあなたが何をそんなに……」
「マ、マルチナッ!! 騙されるな、こいつらは人じゃない、悪魔だ!! す、すぐに殺さなければならんっ!」
デスクイーンが思わず「ぴゅ~っ」と口笛を吹く。
「目撃者多数」
ホムンはそう言って忙しなく動き回るゴブリン達を指し示す。
「ク、クラリス殿っ! 私は勇者の仲間、神に選ばれし者ですよ! 亜人の戯れ言に惑わされてはなりませんっ!!」
いよいよ追い詰められたのか、トーフはクラリスの足元へと這いつくばる。
余程地面が気に入ったのか、靴でも舐めそうな勢いだ。
そんなクラリスの瞳は、実に冷ややかだ。
「で、あんたはどっちを信用するのよ」
「その前に一つ確認させてくれないか? この者は紛れもなく勇者パーティーの一人なんだが、そうであれば他に三人いた筈だ。そいつらは今どうしている」
「これ、それ、あれ」
ホムンが変わり果てた姿となっている勇者達を順に指差した。
急いで確認しに行ったマルチナが青い顔をして帰ってくる。
その表情だけで充分だったのか、詳細な報告は聞かずにクラリスは話を進める。
「お前らがやったのか」
「ええ、仕方なくね。正当防衛って言葉、こっちの世界にある?」
「過剰防衛と言う言葉もあるぞ」
「やだ。一応戦闘態勢を整えるまでは待ってあげたわよ」
クラリスは考える。
勇者ハクサイ達一行は数年前のある日、ロゼリアへと流れ着いてきた。
それは度重なる問題行為で、他国を追われた結果だ。
クラリスは彼等をロゼリアに受け入れる事に反対の意を示したが、その当時彼女は隊長ではなく単なる一騎士であり、結局はロゼリア国内でも有数の発言力を持つ「ナザール」侯の庇護下に置かれる事になる。
余計な衝突を防ぐ為、ハクサイ達とは距離を取っていたクラリスだったが、ここで不安が一つ。
本当にこの変態秘書が倒したのだとしたら。
ナザール侯は、妖魔帝国侵攻への名分を得た事になる。
そして勇者一行を単独で倒せるこの秘書の戦力は、純粋な脅威だ。
ハクサイ達はまがりなりにも勇者パーティーである。
問題も随分と多かったが、実力はそれなりにあったはずだ。
しかし付近には大規模な戦闘の形跡は見られない。
相当実力に差があったと見るべきか。
思案するクラリスに、トーフが語り掛ける。
「クラリス殿! わ、私は一度国に帰り、ナザール様へこの事を伝えてくる。あ、足止めを頼んだぞ」
まだ半分抜けている腰。
それでも何とか村を出ようと必死だ。
「まあ、待て」
トーフの肩をクラリスがメキリと掴む。
苦痛に顔を歪めトーフがその場にうずくまる。
「その前に、その手に持つメイスを良く見せてみろ。随分と血肉が付着しているみたいだな。他所の国ではどうだか知らないが、ここロゼリアでは亜人等と言う下らん定義は存在しない。人は人だ。この場で私が処分を決定しても良いのだが、一応規則だからな。宮廷裁判を受けてもらおう。まあこれだけの事をやらかしたのだ。アレは免れないだろうがな」
「ま、まさか、開かずの……」
クラリスが掴んだ肩から手を離した。
「終わった……。ひ、ひひ。ひーっひっひっいぃっ……」
どうやらトーフは、これから起こるであろう自身の未来を想像して、精神が壊れてしまった様だ。
これで少しは時間が稼げるか。
クラリスはそんなトーフを冷たい目でちらりとみて、すぐにデスクイーンの方へ顔を向けた。
「お前らも一応取り調べは受けてもらうぞ」
「絶対嫌よ、何をどうやったらそこの男みたいになるのよ」
「拒否、断固」
「大丈夫ですよ。お二人には普通に調書を取らせてもらうだけですから」
「マルチナちゃんの頼みでもちょっとね」
「拒否、ごめんね」
「なんだ。随分と態度が違うじゃないか、だが悪いがここはロゼリア王国領内だ、法には従ってもらう。私は言った筈だ。『国王様に話を通すまで迂闊な行動は慎め』と。なのにお前達はあの壁から外に出て、揉め事を起こした。それが自分の意思に依る、依らざるは関係は無い」
「……承諾」
ホムンががっくりとうなだれた。
抵抗する力を根こそぎ持っていかれた様だ。
「ちょっとホムン、何負けを認めてるのよ。諦めたらそこで試合は終了よ」
「無理。ついてる、百点差」
「お二人とも大丈夫ですって。あ、そうだ。ロゼリア王国にも美味しい紅茶があるんです。調書を取った後にご馳走しますから」
みんなの視線がデスクイーンへと集まる。
「OK。私達の負けね」
言いながらも。
威勢良くムチをバチンっと地面に打ち付け、デスクイーンは言葉を続ける。
「じゃあ第二試合と行きましょう。ルールは簡単、先に泣いて謝った方の負けよ」
「ふふ、良いだろう」
クラリスが思わず笑う。
ここまで読み通りであったのだ。
この村で何があったのかは、既に把握出来ていた。
本当に知りたいのは、デスクイーンの強さ。
戦って推し量るのが理想だが、下手をすれば国と国の問題にも成りかねない。
あくまでも彼女から、妖魔帝国側から仕掛けたと言う事実が欲しかったのだ。
「マルチナ、村人の救助を最優先。被害状況の調査報告書も頼んだぞ」
「ホムン。ゴブリンちゃんたちの解放をよろしくねー」
クラリスがすっと長剣を抜き構えをとる。
柄には見事なバラの彫刻があしらわれており、彫刻品として見ても美しい。
デスクイーンはムチをさすりながら、舌なめずり一つ
クラリスと改めて向かい合って感じるのは、勇者ハクサイ達とは明らかに別次元の強さ。
本能と経験。
闘いにおける二つのビッグネームは、口を揃えて「危険だ」と言っている。
いいわぁ、魔法少女達のお遊戯じゃ正直刺激が足りなかったのよ。
うっすらと紅潮する頬。
潤む瞳は「待て」の解除を必死に堪える犬の様だ。
でももう少しだけ我慢…………この娘、あたしが腕を振り上げた瞬間に飛び込んで来る気だわ。
二人の距離はおよそ五メートル。
デスクイーンのムチであれば十分に届く距離だ。
「どうした? お前の距離だろう。その手に持っているのはおもちゃか?」
動かないデスクイーンに対して、クラリスがいかにも安い挑発をする。
「ご名答~。そうね、あたしにとってはおもちゃ同然の武器。でもお子様相手にはちょうどいいわ」
デスクイーンも負けじと挑発する。
とにかく口喧嘩でも負けたくないのだ。
「ふん。確かに、子供におもちゃを与えるのは、おばさんの役目だな」
「あら~頭悪そうな顔して、なかなか面白い事言うのね。うふふふ」
「笑うとしわが目立つな」
「あなたこそ△☆▲※じゃない」
「黙れ、○▼※」
「何よ! ;¥!”#$%がっ!」
「はあ? この#&▲∴÷;のくせにっ!!!」
「うふふふふふふふふ…………殺すっ!!!」
勝負あり!
先に動いたのはデスクイーンであった。




