第41話 鍋を楽しむデスクイーンとホムン
「じゃ、さっさと終わらせちゃいましょう」
そう言ってデスクイーンが、ベルト代わりに巻き付けていた鞭をするりと引き抜いた。
どうやって巻き付けていたのだろう?
無数に付けられたトゲトゲが見るからに痛々しい。
「面白い。殺る気か?」
剣を包む淡い青色の光は、勇者ハクサイの全身をも優しく包む。
スキル【英雄】
身体能力を著しく強化する能力だ。
青い光はそれを使用した副作用ではあるが、デスクイーン達を侮れない敵と見なしたからだろうか。
しかしまだ、互いに距離はある。
その横、僅かに半歩下がった位置で、戦士ナガネギが斧を構える。
防具は急所のみに重点を置いた、金属鎧。
手入れが行き届いているのが素人目にも分かる。
更に後方では魔導師トリニクが魔力を練り始め、僧侶トーフは呪文詠唱による集中状態へと速やかに行動を移すのが見える。
近世の地球人では決して見られない光景。
デスクイーンは思わず、ぴゅうと口笛を吹く。
ふふ、やっぱり鍋もたまには良いわぁ。
何から手を付けようかしら?
早くっ…………早く煮えてっ!
興奮が徐々に高まってきたのか、真っ赤なボンテージに良く似合う鞭を、バシンと地面に打ち付けるデスクイーン。
と、
「食べない? じゃ、ホムンいく」
「はあ!? ちょっと!」
言うや否や。
ホムンが一気に駆け出した。
目標は…………先頭で剣と盾を構える勇者ハクサイだ。
両者の距離、十メートル。
だが、時間にしては一秒にも満たなかった。
最短距離でハクサイの構える盾の、死角となる延長線上の位置へ。
そしてそのまま死角を維持しながら、一瞬でホムンはハクサイの懐に身を屈めて入り込んでいた。
あの青い女は何処へ消えた!?
ハクサイが眼を素早く左右に散らす。
が、いない。
上は真っ先に確認した。
飛行魔法や、跳躍力には最大限の警戒をしなければならない。
灯台もと暗し。
構える盾が邪魔をして、懐のホムンが見えなかった。
いや、正確にはホムンが構える盾を利用したと言うべきか。
しかし正面にいたにも関わらず、ハクサイにホムンの動きが全く見えなかったのは何故か。
答はシンプルだ。
まばたきをした次の景色には、既にホムンがいなかったのだ。
消えた、と思った。
だからこそ不用意に動けない、動かない。
多少なりとも積んできた強敵との戦闘経験……故に命を落とす。
屈んでいたホムンが、すっと膝を伸ばした。
ハクサイの前にいきなり現れるのは、ホムンの美しいが無表情な顔。
その二人の唇は触れ合う程に近い。
ガシャン。
驚きの余り、構えていた盾が手から離れてしまう。
逃げるべき
その音がハクサイを正気へと戻したが、もう手遅れだ。
がしっと、両肩をホムンに捕まれる。
どうやら、ここが彼の最後の分岐点だった様だ。
「頂きます」
ホムンは背中をわずかにのけ反らせ、ハクサイの顔面に頭突きをした。
グシャッ!! …………ッッシュウゥゥゥッッ!!
もう一度言う、ただの頭突きである。
だがその威力は頭突きのそれでは無かった。
勇者ハクサイの横で斧を構えていた戦士ナガネギは、不幸にもその瞬間を見てしまった。
視界の隅に、ナガネギは一瞬だけ見慣れない青い色を捉えていた。
【英雄】のスキルじゃねえ。
すぐに覚える違和感。
ナガネギは横にいる勇者ハクサイへと、注意のアイサインを送ろうと黒目を動かす。
――――――居た。
全身一気に総毛立つ。
しゃがみこみ、下から勇者を覗き上げるホムンの姿。
恐怖がナガネギの心を強く縛り付ける。
ただ、見ている事しか出来なかった。
ハクサイの顔面にホムンの頭が容易くめり込む姿を。
ワンテンポ遅れて、中身を噴き出しながらはじけ飛ぶ後頭部を。
「ひっ!!」
小さな悲鳴が、遠巻きに並ばされているゴブリン達から上がる。
距離が遠い分、映像は荒い。
だがナガネギは違う、その映像は至極クリアだ。
ホムンの頭は、まだ半分以上ハクサイの顔の中に埋もれている。
不意にズルリと頭をあげるホムン。
真っ赤に染まる顔の表面には、所々に訳の分からない物体が。
それらを青く長い舌がペロリと綺麗に拭き取っていく。
そしてホムンが両肩から手を離すと、ようやくハクサイは仰向けに崩れ落ちた。
彼の自慢だったイケメン顔は、巨大な鉄球でも打ち込まれたかの様にひしゃげ、中身はすっからかんになり脱ぎ捨てたマスクの様になっていた。
「手加減。難しい」
ホムンはそう言って、ナガネギの方をしっかりと向いた。
大きな羽飾りの着いた立派な兜が、仲間の返り血を浴び濡れている。
中央には家紋だろうか、勇気の象徴であるドラゴンの紋章。
だがとうとう歴戦の戦士ナガネギは、心を恐怖に完全に支配された。
「うわあぁぁぁっ!!」
悲鳴に近しい雄叫びをあげながら、馬鹿でかい斧を力任せにホムンに振り下ろす。
「……」
ホムンはつまらなそうにすっと半身だけ身体をずらし、その一撃を難なく躱すと、勢いで下がったナガネギの頭を両手でつかみ、そのご立派な兜ごと左右から力任せに押しつぶした。
兜の間からは――ザクロに例えるなら――真っ赤な果汁と果実が滴り落ちている。
ホムンはそのままナガネギの頭を捻り切ると、頭上に掲げ、滴る果汁を浴びる様に飲んだ。
魔導士トリニクは背中を向けて走り出していた。
彼我の戦力差を一瞬で見抜いたのだ。
年齢的にも経験豊富なのだろう。
神に祈りを捧げる僧侶トーフを捨て置いて、だがこれは良い判断だ。
時間稼ぎにはなるだろう。
まあ、彼女達が相手でなければの話だが。
補助魔法による脚力強化。
まずはとにかく広場を抜けなければ。
次に遮蔽物の多い所へ行き、身を隠しながら機を見て村を離れる。
ゴブリン達を盾にする選択肢は、トリニクには浮かばなかった。
だからと言って、彼が善人だと言う証明にはならない。
単にホムン達を見て、そんな甘い道徳心が通用する相手に見えなかっただけだ。
老体とは思えない速度で、デスクイーン達の右手奥に見える入り口へと駆けていく。
「はんっ。勇者の仲間ともあろう者が逃げるんじゃないわよ」
ヒュンとムチを一振りするデスクイーン。
トリニクとの距離はもう二十メートルは離れている。
しかし鞭の先端から発生した衝撃波によって、身体を切断……いや身体を細切れミンチにされながらトリニクは吹き飛んでいく。
そして二、三件の木造の建物を破壊し、最後は村の焼却炉に突っ込むと、晴れて無機物の仲間入りを果たした。
「やっぱり、焼き鳥も良いわよね。軟骨入りよ」
「好き。砂肝」
「いいわね。この世界にもあれば良いんだけど……あ、あとビールね」
「イネ科に類似した種子反応。付近探す?」
「やった! もしかしたら栽培してるのかもね。もしそうなら少し貰えないか聞いてみましょ」
つい今まで戦闘をしていたとは思えない会話をしながら、デスクイーンは僧侶トーフの元へ、ホムンが繋がれたゴブリン達の方へと向かう。
ゴブリン達は皆青ざめた顔をして、近付くホムンの事を見ている。
無理も無い。
圧倒的な暴力で自分達を蹂躙したハクサイ達を、圧倒的な暴力で惨殺して見せたのだ。
ホムンが腰ベルトからナイフを一本抜く。
当たり前だが、ざわめくゴブリン達。
「怖い?」
言いながら、ゴブリン達へとすたすたと近付いていくホムン。
勿論縄を切るために取り出した物だが、ゴブリン達には通じていない。
もうパニック状態である。
あっちへ逃げよう、こっちへ逃げようとするが、全員縄で手足を繋がれているのだ。
その内に縄が絡まってゴブリン達は一塊になると、いよいよどうも出来なくなり地面に座り込む。
「怖い?」
そりゃ、怖いだろう。
ホムンからしたら事実確認をしたいだけなのかも知れないが。
と、その時ゴブリンの塊の中から小さいゴブリンが飛び出してきた。
先程のどさくさで縄が偶然外れたのだろう。
自由になっている手足には、縄の後がはっきりと残っている。
そのゴブリンはホムンの前に手足を大きく広げ、立ちはだかった。
「み、みんなを喰う気だなっ! 近寄るなっ!」
「通じる、言葉? 大丈夫、ゴブリンは特に美味しくない」
「ひっ!」
その場の全員がドン引きした。
一応、その場を和ませる為のホムンなりのジョークのつもりだったのだが、今の状況では洒落にならない。
精一杯の勇気を振り絞りホムンの前へと出た子供も、また腰が抜けてしまった様だ。
「なーにやってんのよ、早く縄切ってあげなさい。子供には笑顔よ、笑顔」
遠くから聞こえてくるデスクイーンの声。
ホムンはふと、サラと最近練習しているある事を思い出す。
それは笑顔の練習である。
いつも無表情なホムンをみかねて、サラが提案したものだ。
「いーい? まだぜったいに、だれにもみせちゃだめだよ、ぜったいだよ」
と、サラにはキツく言われていたが、思い切って子供に見せてみる事にする。
にちゃぁぁ……
哀れ。
ホムンの笑顔をアリーナ席で見た子供は、気を失ってしまった。
あちゃ~と額をペンッと叩き、やれやれと大袈裟なジェスチャーをするホムン。
その顔は、もう無表情。
すっかり大人しくなったゴブリン達の縄を、手際よくナイフで切っていく。
デスクイーンはその様子を呆れ顔で見ていた。
そして次に視線を足下へと移す。
「さあ。で、そろそろお祈りは済んだかしら? ご希望の逝き方があれば聞いてあげるわよ。あたしのお薦めは賽の目切りだけど、やっぱり鍋なら――――あれ。あの切り方何て言うんだっけ……。ねえ、あんた知らない? あの長方形の切り方――――」
デスクイーンが気さくに話し掛ける相手は、うずくまり一心不乱に祈りを捧げる僧侶トーフ。
問い掛けに応える様子は、見られない。
絹ごしかしら、すぐに崩れそうね。
そんな事を考えながら、デスクイーンは男の祈りが終わるのを辛抱強く待つのであった。