第36話 ひょっとして自覚無いんですか?
カチャカチャ、カチャ…………。
厨房の奥でマスターが洗い物をしている。
サーーッ。
キュッ。
水を僅かに流しすぐに止める。
そしてグラスと布の擦れる音が続く。
マスターの姿は隠れて見えない。
だが、その一挙一動が目に浮かぶ。
隣のテーブルのソファでは、くうくうとサラが寝息を立てている。
喫茶店の外からは、ガラガラガラ…………ピシャン、と窓を開け閉めする音。
時折、びゅうびゅうと強く吹く風。
遠鳴りに子供達の笑い声。
どれも先程までなら誰も気に留めなかった、日常に溶け込んだ音。
少し耳を澄ますだけで、世界はこんなにも多様な音に溢れている事に気付かされる。
しかし。
今、妖魔大王達の周りは、指を動かすのも躊躇われる様な沈黙が支配していた。
クラリスが放った言葉。
「信」
そのたった一本の槍は、どれだけ高い壁を建てようと、どれだけ強固な結界を張ろうと、それらを意図も容易く打ち破り、それぞれの心にずぶりと突き刺さった。
最初に沈黙を破ったのは、妖魔大王であった。
すっと顔を上げ、正面に座るクラリスを見据える妖魔大王。
瞳には何かしらの決意を宿している。
「クラリス。済まなかった……ここから全てを話そう」
妖魔大王は深く深く頭を下げる。
クラリスは何も語らない。
だがそれは、非難や無視の類では無い。
クラリスこの短時間で妖魔大王の人となりを、ある程度正確に把握していた。
で、あれば。
次に妖魔大王が取る行動は……。
妖魔大王はすっとクラリスから視線を外す。
「狐御前、かすみ。二人共ありがとう。巻き込んでしまって本当に悪かったな」
それを聞いた二人は何も言わず黙って頷いた。
そして妖魔大王は改めてクラリスへと顔を向けた。
「この二人は俺が巻き込んだだけで、何の非も責も無いんだ。すべては俺のせいだ。二人を責めないで欲しい」
そしてクラリスは漸く口を開いた。
静かにゆっくりと、一言一言に信念を込めて。
「無論だ、元より誰も責めるつもりは無い。私はお前達が異世界から来た事も、敵意が無い事も理解はした。が、お前達は……それが何か迄は分からないが、私達を欺こうとしている。それは信ずるに値しない行為だ。そして如何に敵意が無くとも、その様な勢力が領土内に存在する事は【白バラ】の名に懸けて私は許さない」
そして僅かに微笑を浮かべ、まだうつむき加減でちょっぴり涙目のかすみと、バツの悪そうな表情を浮かべている狐御前へ話し掛ける。
「狐御前にかすみ。二人との論議、実に楽しかった。ここ数年は、王国の如何なる学者達にも言い含められた事など無かったのだがな。経済コンサルティングか……もし本当に実現するのであれば、是非我が国でも依頼を検討したいものだ」
「ほ、本当にごめんなさいでしたっ!」
「いや、これは妾の愚じゃ。不礼を謝する……獣故の浅知恵であったわ」
そんな二人を慌てて止めるのはマルチナだ。
「あっ、本当に良いんですよ~。あんなに楽しそうに話しているクラリス様は久しぶりに見ましたから。私じゃクラリス様と論議は無理ですもん。あ、マスター。この『エスプレッソ』って何ですか?」
マルチナは近くにいたマスターに声をかけた。
マスターは隣のソファで眠るサラの為に、ブランケットを持ってきて掛けてあげたのだ。
「ふむふむ。じゃ、その『エスプレッソ』をお願い致しますっ」
マルチナが元気に手をあげる。
マスターは「承知致しました」と、にこりと会釈をしカウンターの奥へと向かう。
何度も繰り返されるこの光景。
マルチナはボーッとマスターの背中を見つめている。
それに対してクラリスは、マスターの珈琲作りの技量に深い感服を覚えながらも、マルチナには半ば呆れた視線を向ける。
二人は何一つ変わらない。
何一つ。
その様子を見て、かすみはほんの少しだけだが心が軽くなったのを感じた。
妖魔大王と狐御膳は、それを察して心の中でクラリスとマルチナに礼を述べた。
「Zzzz……」
これはデスクイーンだ。
ケーキをたらふく食べ、コーヒーをがぶ飲みし、やっとこれから話し合いが始まるといった早々に戦線離脱した彼女。
クラリスは寝ている――とは言っても目を開けたままだが――デスクイーンに声を掛ける。
「そこの秘書も……それは寝たフリなのか? もう普通にしていいぞ。ずっと奇妙な空気の振動を発しているな。おかげでこの場にいる者達の、呼吸や鼓動の乱れが正確に感知出来なかった」
「やだ。バレてたのね」
……どうやら本当に寝たフリだったらしい……。
デスクイーンは自覚していた。
戦闘に関しては、生態系ピラミッドで言えば頂点の一番尖ったとこにいる彼女だが、こと議論の場においては、最底辺も最底辺。
そのレベルは、プランクトンの一種である「ミドリムシ」の鞭毛にひっぱたかれて、逃げ出す始末。
そこで彼女は「かけ」に出た。
今、自分が立ってる場所。
その足元を。
その最底辺を、更に下へ下へと掘っていったのだ。
一見すると、生態系ピラミッドから抜け出すかの様な振舞い。
だがそうでは無かった。
彼女はひたすらに掘った。
それはもう、Mr.◯リラーばりに掘った。
その硬い足元を。
その細い指先で。
やがて…………。
はい、ここまで。
まあつまり、会話の矛先が自分に向かない様に寝たフリをしつつも、皆のサポート役に徹していたのだ。
「なあ、全てを正直に話す前に……一つだけ質問させてくれないか。その……いつから気付いていたんだ? 俺達が何かを隠している事に」
妖魔大王がクラリスに恐る恐る聞いてみる。
自分で言っときながら「どっかの探偵ドラマの犯人役みたいだなぁ」と、しみじみ思う妖魔大王。
そのくせ、いつもそう言ったシーンになると「自分から聞くなんて、こいつには悪のプライドが無いのか。お~やだやだ」と、独り言を言ってる事は忘れている。
その位、本当にいつバレたのか不思議で仕方無かったのだ。
「最初からだ」とクラリス。
「最初から?」と妖魔大王。
おうむ返し。
小首を傾げながら、おんなじ事を聞き返す様は本当のおうむの様だ。
「ああ、最初からだ。お前が門から出て来て『この町の町長』と名乗ったところからだ」
「うあっ!? いくら何でもそんなに早いわけないだろ?」
驚きの発言に、当たり前に驚く妖魔大王。
「私も気付きましたよー。怪しすぎて、逆に罠かと思ったんですけど……。あれ? ひょっとして自覚無いんですか?」
自覚も何も……。
いつもより寝癖がひどい? それともシャツにジーンズにサンダルだからか?
……いやいや、待てよ、そうか。
この町の町長って実は変か?
この町のって自分で言ってんのに、わざわざまた町を付けるなって事か?
正解はこの町の長……いや、でもそんな変じゃ無いぞって言ってる俺もいる。
そもそもだ。
本当にこれだけで解る?
一番最初だぞ。
それで本当に解ったんだったら、名探偵順位ランキング、断トツの一位じゃないか。
本当はこの店に入店した後の、会話の話の中で気付いたんじゃないのか?
でかくて巨大な違和感を感じる……!
俺の脳内会議でもその意見が過半数を越えている。
思考のラビリンスに迷い混む妖魔大王。
もはや脱出は困難に見える。
「楽にしてやれ、マルチナ」
「はい、えーとですね。私達が入ってきた、おっきな門がありますよね。その上にデカデカと【妖魔帝国へようこそ】って彫られてましたけど……」
ぶーーーーっ!!!
後頭部に隕石が直撃した様な衝撃を受ける妖魔大王。
「あと、あれな。門の両サイドの巨大な彫刻。右側は驚く程にお前にそっくりだ。何とも奇妙な立ち方をしていたが……。下には「↑妖魔大王(ジョジョ立ち)」とあったぞ」
腹を抱えて笑うデスクイーン。
かすみは身内の恥の様に感じたのか、真っ赤な顔を両手で覆っている。
「……左側には何があったのじゃ?」
「左側は良く解らなかったな。丸い巨大な人の顔の様な……しかし見事な出来栄えだったな。自然と心が洗われていく様だった」
「え~。私は悪趣味だと思いましたけど~」
(だるまか? まあ妾で無ければ良い……)
狐御前は心底ほっとした。
数日後、裏門に自分の姿と「↑狐御前(笑)」が彫られている事に気付くのだが。
「まあそう言う事だ。しかし門から出て来たお前は町長を名乗った。私の問いかけにも、ここは町だと答えた。不自然極まりなかったが、あえて追及せずに様子を見ていたのだ」
「ああ……ああ……」
ぼんやりと虚空を見つめる妖魔大王。
ああ、恥ずかしい。
そりゃ不自然だわな。
俺でもおかしいと気付くよ。
「後は……マルチナ見せてやれ」
「まだあるのかよっ?」
「ああ、これは見せておかなければならない」
クラリスは、デスクイーンが今までに一度だけ『大王』と呼んだ事は伏せておいた。
今さら言う必要も無い。
「これ何か判りますか?」
と、マルチナが小さな物体をテーブルの中央に置いた。
皆がそれを確認する為に、顔を近づける。
「良く見えない……」
そう言いながら、一番近くまで顔を近づけたかすみだったが「きゃっ」と、小さな悲鳴をあげながら即座に顔を引っ込める。
それは小さな虫の頭部らしき物。
一見カブトムシのオスの様にも見えるが、決定的に違うのは、角の先端に付いた小さな人の顔だ。
男性の様だが髪は無く、目を見開き苦悶の表情を浮かべている様に見える。
「なんだこりゃ。虫……だよな」
「妾の記憶にも無いわ。何と珍妙な……」
「皆さん、見た事ないんですね。じゃほぼ決まりですね」
「これはイナーリ草原にしか生息していない珍しい虫だ。だがその珍しさ故に世界では良く知られている。この虫は地中のかなり深く……そうだな、二~三十メートル付近だろうか。その辺りに巣を作り、そしてその生涯を地中で暮らす大人しい虫だ」
「地中で暮らすには不便な頭部に見えますけど……でも私達がその虫を知らない事が、異世界から来た証明の一つに成り得るって事ですか?」
「そうだな。だが一番重要な事は『この虫がこの町を取り囲む壁に埋まっていた』という点だ」
ああ~。
デスクイーン以外の三人が、首をガクンと下に傾ける。
「もう死んでましたけど、門の側の壁から頭だけ外に出る形で埋まってたんです」
「身体ごと掘り起こそうとしたんだが……、凄まじい強度だな、あの壁は。並の斬擊や打撃等では傷一つ付かない。そこでやむなく頭だけ切り取った、と言うわけだ」
「つまりあの壁、このイナーリ草原の土で作ったんですよね? で、壁の前の深い掘はその土を掘った後を利用して作った、と」
クラリスとマルチナが畳み掛けるように話を繋げていく。
ほぼほぼバレてると思って間違い無いだろう。
「はい、仰る通り……」
「では、どうやって短期間であれだけの壁を作れたのか、その辺も踏まえて全てを説明してくれ」
◆
――中華料理屋「味一」
「へい、いらっしゃいっ!! おっ、町長じゃねぇか! 随分と疲れた顔してんなぁ、いつもので良いかい?」
「こんばんは~、大将。うん、いつもの」
「おうよっ。ちょっと待ってなぁ!」
威勢の良い声。
大将こと「山田 味一」はすぐに背中を向け準備を始める。
客はなるべく待たせない主義だ。
「あっ、遅かったッスね。大王様」
奥のテーブル席には暗黒騎士が座って、もやし炒め定食(肉無し)を食べていた。
穀物や野菜類は、妖魔帝国内の水耕栽培での収穫量で十分賄えるし、備蓄も余剰分がいくらもあるので問題ないのだが、食肉類はそうもいかない。
現在は妖魔帝国の科学技術部で、豆もやし→大豆→ソイミートの開発に着手はしているが、味、食感、栄養面での懸念も心配されている。
地球にいた頃の食肉自給率は一割にも満たなかった。
特に魚介類については全てを外部からの調達に頼っていた為、皆にまだ配給をする事が出来ないでいたのだ。
ちなみに暗黒騎士の夢であった妖魔帝国産「もやし」は、既に量産体制に入っている。
「お前本当にそれ好きだよなー、もやし」
もぞぞぞっと大量のもやしを口に放り込む暗黒騎士。
しゃきしゃきと小気味良い音が、BGMよろしく店内にこだまする。
「……っぷ。もやし最強ッス。で、交渉はどうなったんスか? 二人が出ていってからスゲー時間経ってるッスよ」
「ま~何とか……国に持ち帰って国王に相談するってさ。俺達に敵意が無いのだけは解ってもらえたよ」
「上出来じゃないッスか! 正直そこまでみんな期待して無かったッス。あ、狐御前のおばちゃんは来ました? 声掛けといたんッスけど」
「あ~あれ、お前の指示!? 来たよ、来た。かすみも連れて。マジ助かったわ~。サンキュー」
「最初はミケかほねぞうにしようかと思ったんスけど、あいつら人化出来ないッスからね。俺もだるま男爵も論外だし」
「……思い出した。ダルマ男爵、あいつはどこにいる」
「ど、どうしたんッス……か? 殺気がビンビン伝わって来るんスけど……」
「後で門の外側見に行くぞ、あいつめ……両手両足をつけてやる」
と、
「はいよっ! お待ちぃっ!」
妖魔大王の前に運ばれてきたのは、湯気かおる出来立ての味噌ラーメンと大盛りのチャーハンだ。
「あれ? 大将、俺いつも半チャーハン……」
「俺のおごりだ、しけた面すんなよっ! たらふく食って元気だしな。お前一人頑張らなくてもいいんだ。お前の後ろにはみんなが付いてんだ、それを忘れんなよっ!」
「大将~……。ありがとう、頂きますっ!!」
妖魔大王はそう言うと、口一杯にチャーハンを放り込むのであった。