第35話 重要なのは
「け、けーざこんさ、るちんぐ? 何だそれは?」
聞き慣れない言葉に、クラリスは思わず眉をひそめる。
「はい。我々はあらゆる場所に人材を派遣し、対価を得る事で財を得ているのです」
「何の為にだ? 傭兵の様なものか?」
「いいえ。我々は依頼主の、その組織のブレーンとなるべき人材を育てる為に人材を派遣しているです」
「ははぁ。つまりは軍師の教育係みたいなものですかねー。その発想は無かったですが、なかなか利を得たアイデアかと思います」
「……私はまだ理解できん。他国の人材を育てる事、それは自らの首を締める事になるのではないか?」
「逆じゃ。知財において我等の圧倒的優位性を示す事により、世界における我等の存在価値を高め、安寧へと繋げているのじゃ。お主も見たであろう、ここに住む童達の無垢なる笑顔を。あれこそが我等の安寧の証となろう」
「だが、だ。貴殿の言う安寧とは、他国の不穏があってこそ成り立つ物なのではないか? 私が憂慮しているのは目に見える軍備だけでは無い。軍略や戦術以外にも国を滅ぼす手段が、幾つもある事は事実だ。例えば経済的に他国を内部から支配する、それは一つの脅威とも取れるが」
「ほう。妾達が、他国が不穏になるべく扇動したり、経済支配を目論んでいるとでも?」
「違いますよ。クラリス様も私も、その可能性を納得出来る形で否定して欲しいんですよ」
「していない事を証明? いわゆる悪魔の証明ですね……しかし見ての通り我々は領土も僅かですし、豊かな資源もありません。人、そして知識のみが財なのです」
「その通りじゃ。そして妾達は如何なる軍略には知を与える事は無い」
「内政のみに助言すると言う事か?」
「いいえ。あくまでも我々は人を育てる事です。最終的な決定権は我々にはありません」
「うん……そう…………か」
クラリスは自身の顎に手をやり、しばし思案する。
「…………最初に『あらゆる場所に』と言っていたな。すまないが、どういう事か説明してくれないか」
「はい。今は話の流れで『国』に限定されてしまいましたが、我々が人材を派遣する場所はそれだけではありません。個人、組合、村、町等、多岐に渡ります。もちろん、依頼主の素性は徹底的に調査をさせて頂きますが」
「あー、商人ギルドとか、貴族とか、意外と依頼する者は多いかも知れませんね」
「そうだな。しかしそうなると、やはり経済支配の懸念は払拭出来ないな」
「仮にそうだとしたら、それは経済支配がもたらす負の影響の一面しか見ていないからに過ぎません。多角的な側面から見た場合……」
◆
(おい、デスクイーンー……あいつら何語を喋ってるんだ? 中国語かな)
(……)
(おい! デスクイーン)
(…………)
(無視? いや、まさかこいつ……)
(…………zzz)
(やっぱり眼ぇ開けたまま寝てやがるっ! こいつ、マジ何の役にも立たねぇ!)
かすみ達の議論に全く付いていけない妖魔大王。
マラソンで言えば、かすみ達の背中すら見えていないだろう。
しかし、そもそもだ。
かすみ達が喫茶「ドートル」に訪れたのは、ほんの偶然に過ぎない。
妖魔大王はクラリス達と、一体どんな話をする気だったのだろうか。
「むう……うむ…………解った……」
その時、クラリスが渋々ながらも頷いた。
額の汗を拭うかすみ。
狐御前の援護もあり、何とかクラリス達を説き伏せたらしい。
はぁ~一安心。
と、妖魔大王が思ったのも束の間。
「はい! じゃあ私から町長さんに質問良いですか?」
マルチナが元気良く手を挙げた。
え?
俺!?
突然のご指名に慌てる妖魔大王。
マラソンで言えば、折り返してきた選手に突然挨拶された感じだろうか。
狐御前とかすみも平静を装っているが、内心はハラハラしている。
特にかすみは精神を磨り減らしており、先程から心拍数が上がりっぱなしだ。
「待つのじゃ。妾達では不足か? その男は人望はあるが、少々抜けておってな。お主の問いに正確に答えられるか保証はせぬぞ」
万が一を考えて、保険をかけておく狐御前。
だがマルチナは「簡単な質問ですから、大丈夫ですよ」と、明るく返事をする。
「な、なんでございましょうか……」
恐る恐る妖魔大王が口を開く。
そしてマルチナはにこりと微笑み、実にシンプルな質問をした。
「町長さん、あなたはここを『町』と呼んだり『国』と呼んだりしていますが、何故ですか?」
◆
場が凍りつく。
笑顔を崩さないマルチナと、黙って珈琲カップを傾けるクラリス。
妖魔大王はもちろん、思考がショートしていた。
テレビ画面は砂嵐。
どれだけ頑張っても、ファミコンでPS3のソフトは遊べない。
見かねたかすみと狐御前が、すかさずフォローに入る。
「えっと、それはこの人が馬鹿だからです」
「そうじゃ。だから期待するなと言ったであろう」
散々な言い方だが仕方あるまい。
現にマルチナは「あー、なるほど」と頷いている。
だが次のマルチナの言葉に、狐御前とかすみは背筋に氷を入れられた様にドキリとした。
「じゃ、クラリス様がわざとこの町を『国』と呼んだ時、みなさん何の反応もしなかったのは、みんな馬鹿って事ですか?」
僅かにクラリスの口許が綻ぶ。
「く……国も町も、大して変わらぬじゃろうが。ここは稲荷と言う場所なのじゃ」
かろうじて狐御前が返答を返す。
単なる時間稼ぎだが、その間にかすみは記憶の糸を辿る。
ブラフ……じゃ無い。
確かに最初は『町』だったのに、今は『国』になっている。
いつから?
妖魔大王が一旦、事の成り行きを説明し終えた時、そこまでは確か『町』だった……。
そしてその後、ケーキを食べて、マルチナさんと色んな話をして……
あっ!
その後だ!
その後クラリスさんが「この国が~」って言い始めたんだ。
きっとマルチナさんはわざと話を中断させたんだ。
続く会話の中で、いきなり『町』から『国』と呼び方を変えたら不自然だから!
……でも何でそんな事を……。
妖魔大王は口からエクトプラズムを放出している。
「そして、その後はここは国だとして私達は話を進めていますよ。町民の皆さんなら違和感があって当然だと思いますが」
「そ、それは……」
言葉に詰まるかすみ。
おそらく、あたしと狐御前様は国とは言っていない筈……。
でもそれは国と言う言葉を否定しなかった理由にはならない。
相手の思惑が掴めない以上、迂闊な事は言えない、とかすみは考える。
「まあ、待つのじゃ。ここが国であろうと町であろうと、そなた達に何の意味がある。重要なのは妾達に敵意があるか、無いかであろう?」
そう言い返す狐御前の耳は、力無くぺたんと垂れ下がっている。
何とかして論点をずらしたいのだが、これは非常に苦しい。
「重要なのは、だ」
クラリスはそう言うと、正面でうつむく妖魔大王に向かって、たった一言の言葉を投げ掛けた。
「信」
とても重い……、重い一言だった。
その言葉を聞いた瞬間、妖魔大王の脳天から爪先までを、何かが一気に突き抜けた。
そしてその後に襲い掛かってくるのは、深い罪悪感。
妖魔大王の心に、沼に落とした鉄球の様に、ズブリとめり込みゆっくりと沈みこんでいく。
かすみと狐御前も、その言葉に対しては何も反論する事が出来なかった。
クラリスはそれ以上何も言わなかった。
自身の珈琲カップを手に取り、乳白色の液体を口に含む。
ごくり。
肌がぴりつく様な静寂の中、聞こえてきた喉を潤す音。
それは妖魔大王にとって、まるで有罪判決を下す木槌の音の様に感じられた。