第29話 門の内側は異世界でした。
門に付けられた通用口から中へ入る一行。
足元には門の外と同じく草原が広がっている。
壁は稲荷町から百メートル離れて作られている為、入ってすぐに稲荷町と言う訳ではない。
「むうう、なんだ? あれは……」
クラリス達の眼には少し遠目に、今まで見た事の無い奇妙な建物が映っている。
それは知識深いクラリスの記憶をいくら辿っても、あてはまる建築様式は出てこなかった。
草原を歩き町へ近づくにつれ、二人の驚きは次第に好奇心へと変わっていった。
「クラリス様! あの建物高くないですか!?」
高いと言っても五階建てのビルである。
しかしローゼシア王国では城や物見塔を除けば、五階建ての建物は数える程しか無い。
「高いな……それに見事な四角形だ。レンガでも石造りでも無いな」
「必要以上にガラスをはめ込んでますねー」
「ん? 向こうに見える子供達は何をしている。何の作業だ?」
ふと足を止め、クラリスが指を指した。
そこには、数人の子供達がボールを蹴りあいサッカーをやっているのが見える。
草原は子供達には絶好の遊び場であろう。
「ん? あれはサッカーじゃないかな」
「さっかあ??」
初めて聞く言葉。
クラリスは思わず口に出してしまう。
「マルチナ、聞いた事あるか?」
「うーん。聞いた事はありませんが、おそらく手を使わずに足か頭でボールを操作し、決められた場所へ球体を運び、得点を競っているのでは無いでしょうか」
その回答に思わずマルチナを二度見する妖魔大王。
いやだわ、何この子……。
一体どういう思考回路をしていれば、そこまで辿り着けるのだろうか。
「何故そんな不便な事を? いやまて、訓練か……。戦場で手が使えなくなった時、足でも戦える様に訓練をしているのだな」
一人で納得するクラリス。
「多分違うと思いますよー」と言うのはマルチナだ。
「じゃあ向こうに見える者は何をしている?」
クラリスが次に指さした方向には、一人のおっさんがゴルフクラブを持ちスイングの練習をしている。
草原はおっさんには絶好の練習場であろう。
「ん? あれはゴルフだけど」
「ごるふ??」
やはり顔にはてなマークを浮かべるクラリス。
まあ、これが普通の反応であろう。
「マルチナ、聞いた事あるか?」
「うーん。聞いた事はありませんが、おそらくあの棒で球体を打ち、いかに少ない打数で決められた場所へ球体を運べるかを競うのでは無いでしょうか」
思わずマルチナを二度見をして、おまけにもう一回振り向く妖魔大王。
勘?
推測?
どちらにしても怖い。
「何故そんな不便な事を? いやまて、訓練か……。手に持っているのが『ごるふ』と言う武器で、正確に相手の急所を狙えるように訓練しているのだな」
またもや一人で納得するクラリス。
こいつはほっといても良さそうだな……と一安心する妖魔大王。
クラリスとマルチナが何かを推察する時は、大抵正反対の結論が出る。
一般的な事柄に関しては突拍子もない事を言い始めるマルチナだが、事不可思議な事柄に関しては神がかった推察力を発揮する。
その事をクラリスも重々承知しているので、マルチナの意見を尊重するようにしているのだ。
「大人も子供も戦闘訓練をしているとは……」
「多分違うので、報告書には載せないでおきまーす」
マルチナは建物の方が興味をそそられるらしい。
「味一」の看板をさらさらっとスケッチしている。
「じゃあじゃあ、あの向こうに見える女は何をしている。何の作業だ?」
クラリスが指さす方向では、おばさんが洗濯物を干している。
でかい壁によって日当たりが極端に悪くなってしまった為、草原で洗濯物を干す人も出てきたのだ。
風通しが良い分、幾らか乾きやすい。
「ん? あれは洗濯物を干しているんだけど」
「せんたくものっ!?」
「クラリス様。普通ですよ」
「え? あ……ああ。そうだな」
「あのー。町に早くいかない?」
再び歩き始める一行。
短い草が生い茂る地面から、足下はアスファルトへと変わり、クラリス達はようやく稲荷町へと一歩を踏み入れるのだった。
◆
「見た事が無い造りの建物だな……」
キョロキョロと興味深そうに辺りを見回すクラリスとマルチナ。
ちょうど配給の時間が近いためか、町にはたくさんの人達が表に出ていた。
妖魔大王達に、気づいた人々が次々と声をかける。
「こんにちはー、町長」
「よっ! 電気も水道もばっちりだよ! ありがとー」
「サラちゃーん、今度遊ぼー」
「あの……暗黒騎士さんのサインをお願いしたいんですが……」
「お豆を煮たんだけど、持っていきなさいな」
笑顔で手を振り、一人一人に丁寧に返事をする妖魔大王。
そんな妖魔大王と町民達を見て、クラリスが感心しながらデスクイーンに話しかけた。
「随分と慕われているようだな」
「当たり前です。この方は大王ですよ」
「大王?」
クラリスの眉間がぴくんと反応する。
「えーと、今は町長ですが、いずれは大王に……なーんちゃって、おほほほ」
「ふむ。町長は野心がもの凄い、と」
マルチナがスラスラと紙に記録する。
「お待たせー。こんなに煮豆もらっちゃったよー」
「サラ、お豆すきー」
煮豆の入ったタッパーを両手に持ちながら、妖魔大王とサラが帰って来た。
「ん? どしたの」
「いえいえ。なんでもありませんわ、ほほほ」
デスクイーンが口に手をあて、わざとらしく誤魔化す。
「この柱はなんだ? そこら中に建っているが。訓練用か」
クラリスは電柱に興味が移った様だ。
電柱を不思議そうに眺めて、触ったりなでたりしている。
「君は何でも訓練に結び付けるんだね……」
その時、一頭のサードウルフが電柱に近づいて来ておしっこをした。
「なっ!! サードウルフッ!?」
クラリスがドキリとして慌てて身構える。
完全に油断していた。
町の中に獣がいるとは思いもよらなかったのだ。
そこにワーウルフのポチの助がやってきた。
見た目は人では無く妖魔のまんまである。
不思議な事だが稲荷町の人達からは「クール!」と評判が良い。
ポチの助の手にはリードが握られている。
よく見るとサードウルフはリードに繫がれている様だ。
「あー、すいませんね。大丈夫、怖くないですよ。一番大人しい子ですから」
「いや、貴様の方が怖いから」
クラリスが冷静にツッコむ。
鋭い牙に、血走った眼。
耳まで避けた口からは長い舌がだらりと垂れ、滴り落ちるヨダレ。
両手にはすべてを切り裂く鉤爪が鈍い光を放っている。
「オオカミの獣人さんですか? 珍しいですね。人と共に暮らしているなんて」
「あれ? あんまり驚かないんだね」
妖魔大王が尋ねる。
即、討伐対象に認定されると思っていたのだ。
「オオカミの獣人さんが別種族と一緒に暮らしているのは驚きですが、獣人さんは王国にもたくさんいますから」
「しかしサードウルフが良く懐いたな」
サードウルフはブルンブルンと千切れんばかりに三本の尻尾を振っている。
「もしかしてだが……イナリ草原にサードウルフの姿が見えなかったのだが、何か関係があるのか?」
「あー。この子達サードウルフって言うの? それならうちで全頭飼う事にしました」
「何っ!?」
その言葉にクラリスは冷や汗が出た。
もし妖魔大王の言う通り、イナリ草原中のサードウルフを飼育し手懐けているのだとしたら、その戦力は侮りがたいものとなる。
「やっぱまずかった? 生態系とか崩しちゃうかなーとか思ったんだけど……。やっぱ草原に戻そうか?」
「いやいやいや……ちょっと待て」
イナリ草原を通る旅人や商人達からの、サードウルフ被害報告も年々増加の一途を辿っており、王国の悩みの種の一つだった。
しかしそれが無くなるのだとしたら……。
こいつらが敵か味方か確かめてからでも遅くは無い……とクラリスは考える。
「一旦はこのままで良い。草原には戻さないでくれ」
「はーい」
素直に返事をする妖魔大王。
「ふむ。戦力増強の疑いあり、と」
マルチナがスラスラと羽根付きペンを走らせる。
「じゃ、私はこれで」
と、散歩の続きに行こうとするポチの助を妖魔大王が呼び止める。
「あっ、ちょっと待ってくれ。さっき煮豆を貰ったんだけど、俺の部屋の冷蔵庫に入れといてくれないか」
ほい、とタッパーを差し出す妖魔大王。
「えーっ。片手が塞がってるんですよ、無理です」
「頼むよ。すぐには帰れなさそうでさ、ちょっと食べて良いからさ」
「知ってます? 私は肉食なんですが……」
「大丈夫、大豆だから。畑のお肉、畑のお肉」
ポチの助は、はぁとため息をついて妖魔大王からタッパーを受けとり、散歩の続きに歩いて行った。
ポチの助の後ろ姿を見送る妖魔大王。
横にはサードウルフがぴったり寄り添うように歩いている。
あいつにサードウルフの世話を任せたのは大正解だった様だ。
妖魔大王は満足そうに頷く。
地下には何百頭とサードウルフの群れが大広場に集められている。躾が上手くいったら、町民達にも触れ合ってもらえるかな?
それにいつまでも地下じゃ可哀想だしな。
元々は草原で暮らしていたんだし。
そのうち地上にサードウルフ専用の運動場でも作ってやるか……と妖魔大王は考えながら歩くのだった。




