27 青紫の蔓と、結界と
《ロワクレス視点》
魔獣の森の下を掘り通した通路を抜けた私は、愕然として立ち止まってしまった。
この場所からも判った。つい何日か前に見た魔法陣は、その時のものとはまるで異なる物であるかのように凶暴に巨大化していた。いったいどれほどの魔力を――人々を飲み込んだというのか。
私の勇猛な愛馬でさえ、怯えて後退る。
私は愛馬を落ち着かせながら、ゆっくりと進んだ。私の後に続く兵士らが息を飲み、恐怖の声を上げるのを背後に聞く。
立ち上がっていた赤い炎は劫火のように天へ伸び、その間に隠れて姿も捉えにくかった青い炎も高く激しく燃えているのが目にできる。その魔法陣は以前よりずっと森に近づいて見えた。それは召喚の場である魔法陣が、さらに拡大し大きくなっているということ。この位置からでも、そこから発する禍々しい力は圧倒的で、その威圧は私の肝さえ冷やした。
背後の森から夥しい殺気が押し寄せる。魔法陣から現れた魔獣の大群が森へと向かったものが、我々の軍が現れたのを見て襲いかかってきたのだ。
同様に、前方の魔法陣や、セネルス軍の陣営跡からも続々と沸き出し、青黒い波のように襲ってきた。
私はかねてからの作戦通りに軍を散開させた。砦全部隊とグレバリオ総司令官率いる騎士百人は魔獣を相手に。魔術師と残り騎士隊百人は結界前の青紫の蔓の始末を。私の第二騎士隊も半分に分かれてそれぞれに向かっていく。
兵士も騎兵も魔獣の大群に恐れを見せず、剣を抜き矢をつがえて果敢に立ち向かっていった。
***
魔術師は魔力を高め、術式を編んで展開する。魔術師各人に魔法の種類によって得意不得意があるものの、基本、術式を展開して魔法陣や高度の複合魔術を行う。
彼らは地を裂いて青紫の蔓の隠れた根を暴き、炎や氷の術式で攻撃した。
私たち騎士は魔力をそのまま力として放つ。術を展開せずに放つ。無意識による本能的な力の解放だ。この魔力解放の魔放と魔術、そして治癒術を総じて魔法と称する。
魔力が高い場合、制御されない魔放は時として破壊力となり人や物に被害を与えることもある。そのため、強い魔力の者は必ず魔術師の指導を受けることが必須であった。
私は剣に炎の魔力を纏わせると、愛馬とともに蔓の罠がひしめく中に踊りこんで行った。伸びて来る蔓を切り、捉われ犠牲となった遺骸ごと蔓の塊を炎で焼き払った。
伸びて来る蔓が少なくなってきたところを、リーベック老師を中心とする魔術師が地の術を展開させた。
地震が起きたように地面が揺れ、土が大きく割れた。
そして、ついに蔓の本体が現れた。大きく膨れ上がった巨大な植物の胴体は、幾筋もの太い脈が走りうねる青紫色の魔界の化け物だった。
丸く膨れた本体の下はなおも長く太い根が伸びて、それはおそらく魔法陣の中に一体化されているのに違いない。
炎の術式を編むリーベック老師たちへ、本体から何本もの蔓が触手のように伸びていく。それを私たち騎士が魔力を帯びた剣で切り落とす。
やがて、巨大な炎が蔓の本体を襲った。
グオオオオオ……ン。
それはまるで、蔓化け物の叫びのようだった。炎に焼かれ焦げていく蔓を打ち振りもがきながら、膨れた本体が爛れめくり上がり燃え上がっていく。
黒く縮み、かさかさの炭となり、多くの命を飲み込んできた蔓植物の化け物は、細かな塵となって熱で吹き起った風によって四散した。
そして、我々は巨大魔法陣の前に立ち、まずはその結界を打ち破るべく全力を挙げての闘いに望んだ。
先日、私が見た魔法陣は砦の西棟ほどの大きさだった。それでも、魔法陣としては脅威的な大きさなのだが、今は王都神殿や、王城さえも飲み込みそうなほどの巨大さになっている。
ヤイコブの話ではもともと西の砦正面ホールより少し大きいほどの規模だったらしい。地面に魔術師たちが印を描いていくと、文様が赤や青の光に輝き出したと言う。それが、ある時を境に自ら炎を上げ出し、広がり始めた。同じ頃、体調不良を訴える者が続出してきた。
魔術師たちが、施設した魔法陣の異変にうろたえ、対処しようと努力していたが……。
結果は、私とシュンが先に目撃した有様となったわけだ。
魔法陣に付随する結界は、そのまま魔法陣の魔力の強大さに比例する。先に私が感知した時より、結界の強さは幾数倍にも強化されていた。以前でさえ、結界を破るのに高位魔術師十人は必要と思えたのに、私たちの力で果たして破ることができるのだろうか?
腹の底が冷たくひりつくような危機感を覚えた。
だが、ここで怯むわけにはいかない。肝心の魔法陣を破る全段階で諦めては、犠牲になった多くの命が浮かばれない。萎えそうになる心を奮い立たせ、私は騎士隊と魔術師たちに結界攻略の命令を発した。
私たちの背後では、騎士や兵士らが大地を覆いつくすような魔獣との果てしない戦いを繰り広げている。
グレバリオ総司令官の赤褐色の髪は獅子のように波打ち、重い剣の一太刀で魔獣を頭から真っ二つに切り裂いた。
魔法陣側ではブルナグムが頭が二つあるガラドを蹴飛ばし、横から来たドルガの首を切り落としていた。
濤声や咆哮、地響きが土煙りの中で絶え間なく鳴り響いている。
しかし、結界に向き合う私たちの耳にはそれすらも聞こえなかった。
リーベック老師もリーガン術師も、魔術師全員が全力で術式を展開して結界を攻撃した。
私も、騎士達全員が持てる魔力の全てで魔放をぶつける。
炎が、氷が、雷電が、あらゆる属性の魔力が結界に注がれた。
結界は目に見えないが、魔力がぶつかる空で七色に光を散らし、太陽よりも明るく輝いている。
ぱたり、ばたり。
力を使い果たした者が一人二人と倒れていく。砦の十五人の魔術師、王都から応援に駆け付けた三十人の高位魔術師、王都の騎士百人、砦の私の第二騎士隊五十人。これだけの人数の全力の魔力を受けて、なおも結界は揺るぎなく持ちこたえているように見えた。
――この魔法陣は化け物か! こんなものが、この世に存在していいものか!
長い時間が経ったような気がした。それともまだそれほどでもないのだろうか?
砦の者も王都の者も、大半の者が力尽きていた。私の隣でリーガン術師が膝をついた。限界を迎えたのだ。
その横ではリーベック老師がぜえぜえと荒い息をついていた。彼ももう力が尽きかけている。
――なんて強固なんだ!
滝のような汗を流しながら、私は絶望を覚える。この結界を破ることは不可能なのか。例え破れたとしても、さらに強大な魔法陣を叩く力は残されていないだろう。
――シュン! 私のシュン!
黒い瞳で真っすぐに私を見つめる彼が脳裏に浮かんだ。
私を信頼してくれるシュン。
死ぬなと言ってくれたシュン。
私の唯一無二。
私は最後の力を振り絞る。負けるわけにはいかない。ここで負けたら、この魔法陣は世界を飲み込む。シュンも飲み込んでしまうだろう。
私の想いは力となって、尽き果てようとした身体に新たな力を漲らせた。
鉛のように重くなった両手を結界にかざす。
私の命よ、炎となれ!
シュンを守る炎となって、燃え上がれ!
紅蓮の炎が吹き上がり、結界にぶつかっていく。
きしっ。ぴしっ。
輝きを放って魔力を跳ね返していた結界に光の亀裂が走る。
びしびしびし。
ぴきり、びきり。
そして、ついに不動に見えた結界に臨界が訪れた。
カシャーン
音がしたわけではない。だが、まるでガラスが砕けるように。
あれほど強固だった結界が、ついに砕け散った。
どおおおおおん!
熱風のように魔力が噴き付けた。
私も、膝をついたリーベック老師も、両手両膝をついていたリーガン術師も、騎士も魔術師も、まるで暴風にあったかのように吹き飛ばされた。
結界が消えた魔法陣から、ダイレクトに凄まじい魔力が噴き出してくる。
――なんなのだ? これは? これでも魔法陣なのか?
まるで別物だ。魔法陣のレベルではなかった。魔界そのものが口を開いているかのようだった。
例えるなら、噴火口から噴き上がる溶岩のように。
地面の底から、灼熱の禍々しい魔力が噴き上がっていた。
そして、青黒い魔界の獣どもが揺れる霧の中から滲むように現れ来る。
私はかくりと砕けそうな膝を励まして立ち上がり剣を構えた。同じように騎士達が必死に己を励まして立ち上がっていく。
魔術師たちは既に起き上がる力も失せていた。完全に力を使い果たしている。
この状態で、この魔界の穴を閉じることができるのか? 現れて来る魔獣を倒すのも精一杯の状態で。
「ロワ! 下がって! 少しでもいい。遠くへ離れてくれ!」
突然、シュンの声が聞こえた。空耳かと振り返ると、すぐ後ろに彼がいる。手には筒状のものを二十本ほど抱えており、さらに空中に大きな金属の箱が浮かんでいた。
「結界が破れれば、俺があの中へテレポートすることができる。あとは、俺にまかせてくれ!」
「シュン! 何をする気だ?」
叫ぶ私の腕をローファートが掴んで引っ張る。
「ロワクレス隊長。ここは危険です。もっと下がってください!」
そして、周囲のみんなにも大声で叫んだ。
「みんな! ここから離れろ! 走って遠くへ行くんだ! 走れない者は、負ぶって連れて行け!」
その声に、倒れていた者達も這うようにして移動を始める。少しでも歩ける者は動けない者に肩を貸し、誰もが避難を始めた。
ローファートは私の腕を掴んだまま、さらにリーベック老師を抱えると強引に引き摺るように走り始めた。
「ローファート、離せ! シュンが!」
なおも叫び手を伸ばす私に、シュンが声を放った。
「ロワは自分の仕事をやってくれた。次は俺の番だ」
そして、シュンは私の目の前から消えた。