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25 セネルス軍来たる

 《ヤイコブ視点》


「ヤイコブ! 足は大丈夫か?」


 テスニア王国軍のナハトが青い血に濡れた剣を払いながら、俺の方へ駆けてきた。がっしりした身体を覆う鎧にも魔獣の血が飛び散って青くなっていた。乱れたねずみ色の髪を左手で掻き分ける。


「ああ、大丈夫だ。さすが騎士だな。ドルガを一人で倒すんだから」


 俺はナハトに笑って答えると、腕の中に抱え込んでいた五歳の子供を立たせてやる。どこにも怪我がないことを確かめて、茶色い頭を撫でてやった。


「あのおじちゃんが退治してくれたぞ。もう、怖くないぞ。良かったなあ、坊主」


 子供は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を綻びの目立つ粗末な服の袖でぐしぐしやりながら、やっと笑い顔を向けてきた。


「ありがと、おいちゃん! おじちゃん!」


 俺は子供を抱き上げると、子供の家の方へ戻る。家からはまだずいぶん距離もあるのに、母親がおろおろとこっちを眺めているのが見えた。

 子供は母親に気がつくと腕から飛び降り、元気に駆けだして行く。それを見て母親が嬉しそうに駆け寄った。



 国境から一番近いザザト村へ行商人に変装して入ったのだが、その時から二人の仕事は商売でも偵察でもなく、魔獣退治になっていた。

 数は多くはない。一匹か二匹。やはり魔力を秘める魔獣の森の方へ大方の魔獣は向かっているのだろう。それでも中には物好きがいて、はるばる荒れ地を越えてやってくる。魔獣もまた手近な餌場と見るのか、まずはこの村目指して流れてくるらしい。


 一緒に組んだナハトは騎士で今回の潜入隊のリーダーだった。砦の隊長のロワクレスほどの高い魔力ではないが、同じように魔法を剣に込めることができる。ナハトの得意は氷属性だった。彼の剣を受けた魔獣は傷口から青い血を凍らされて動きが鈍くなる。そこを頭を落として止めを刺すのだ。


 年齢がいって第一線を退いていた俺は体力は無論、足に怪我もしているしで、魔獣退治の戦力にはなれない。組んだのがナハトで良かったと安堵する。

 俺たちが村に来た時には既に魔獣に襲われていて、死傷者も出ていた。さっきの子供の父親も畑に出ていたところを襲われて命を落としている。

 柵でバリケードを築き鍬や鎌などあるだけの武器を持って、村人総出の悲壮な覚悟で魔獣に相対していたところだった。


 魔獣の森を避けて南側から遠回りしてはきたが、砦の魔術師からもらった魔獣避けの魔道具を村の東に並べ、怪我人の治療をするのが俺の担当だ。

 ナハトは馬から偽装の荷車を外して騎乗し、剣を腰に村を見回り、荒れ地に出て、魔獣を発見するやこれを退治する。

 村人にとって、もはや俺やナハトが行商人でもなくセネルスの人間でもないことなど問題ではなかった。それほどに村の存亡をかけて切羽詰まっていた。



 そして、たいして待つこともなく、もっと先の村や町へ潜入した仲間が次々と伝令として駆けて来た。セネルス軍が予想以上に早くやってくる。伝令はそのまま馬を飛ばし西の砦へと走って行った。

 今、セネルス側で残っている潜入組は、ここザザト村と一つ手前のサナズア村だけだ。

 だが、魔獣が襲うこの村を見捨てて、砦へ戻ることは俺にもナハトにもできなかった。


 先の伝令たちでセネルス軍の動きは十分読めるだろう。俺はこの村に留まり、セネルス軍の生き残りとしての責任を果たそうと決意した。


 ついにサナズア村から来た伝令を見送った時、俺はナハトに告げた。


「早く砦に帰れ。もうすぐにも軍がやってくる。あんたは見つかったらまずいだろ」

「お前はどうするんだ? それに魔獣の心配もある」

「軍隊が来れば魔獣も退治される。もう、大丈夫だ」

「お前は砦に行かないのか?」

「俺にはやることがある」


 ナハトは水色の目を俺の顔にじっと向けてきた。俺は彼の凝視に耐えられず目を逸らした。


「では、俺はあんたを守るためにここに残ろう」


 俺はびっくりしてナハトを見る。ナハトは三十五歳の逞しい顔に屈託ない笑みを浮かべた。男らしい力強い笑顔は、まだまだ若々しく眩しいほどだった。


「セネルスがあんたを信じるかどうかはわからない。だが、俺も砦の隊長もシュン君も、みんな、あんたを信じている。ヤイコブ、あんたは俺たちの仲間だよ。仲間を守るのは当然なことだ」


 俺は年甲斐もなく胸が熱くなって、涙が零れそうになった。俺はセネルス人ではあるが、テスニアを裏切ることは決してしないと心に誓った瞬間だった。




 それから一刻も経たないうちに、軍の先触れが現れた。村人たちが道に並び、軍の威容に膝をつき頭を下げて迎えた。これがセネルス国の流儀だ。王が廃されて二十年、共和制という名の軍事政権が国を動かしている。

 国のお偉方の思惑など、我々庶民には関係がない。毎日の暮らしは変わりなく、軍に入れば食いっぱぐれがないと言うことだけだ。


 俺は本隊が見えてくると軍の前に飛び出した。ナハトの姿を確認すると、彼は見えないように建物の影に身を潜めている。


「誰だ?」


 警護の兵が誰何する。


「俺は先のダフドット第十二師団所属、輜重担当のヤイコブです。第十二師団の事で報告があります」


 軍は歩みを止め、俺は司令官のところへ連れていかれた。司令官は俺と同じほどの年齢だが、軍人の割りには細身の体躯。日焼けのない白い顔には神経質に整えられた赤茶色の髭がぴんと立っている。たたき上げではなく、家柄で階級を得た口らしい。


「報告を聞く」


 鷹揚な声が聞こえた。俺は頭を下げたまま、十二師団が展開した魔法陣から出てきた魔獣の大群に襲われ全滅したこと、さらに制御を離れ危険な状態になっていることを切々と訴えた。


「そこから出てくる魔獣が、この村まで襲っているのです」


 そう言葉を結んで、司令官を見上げた。


「それで、どうしろと?」

「魔法陣は危険です。どうか破壊していただきたいのです」


 すると、司令官はからからと笑いだした。甲高い声が耳障りだった。


「語るに落ちたな。十分機能し、今も魔獣を敵国へ送り出している魔法陣を、自らの手で壊せと言うか? 敵に寝返った裏切り者め! こいつを捕らえろ! 陣営に着いたら、処分を行う。縛っておけ」

「司令官殿! 魔法陣は危険なのです! どうか、どうか!」


 俺の訴えは空を噛み、縄を打たれて軍の末尾の輜重車に繋がれた。


「行軍立て! 足を速める!」


 伝達が走り、軍隊は行軍を再開する。

 俺は輜重車の動きに引き摺られる形で歩き出すしかなかった。

 村人たちがそんな俺を悲痛な顔で見つめる。


「ヤイコブさん……」

「おいちゃん!」


 しかし、軍隊への恐怖に誰も何も言えない。


「世話になったな。みんな元気でな」


 見送ってくれる村の人達に、俺は乾いた笑み浮かべるので精一杯だった。その眼の端に、家の裏手から軍を睨みつけているナハトの姿を捉えた。


 ――俺のことはもういいから、砦へ帰ってくれ!


 俺は心の中で叫ぶしかなかった。


 ***


 それは地獄絵図だった。

 地の底にあるという魔界の恐怖がこの世に現出していた。



 破壊されたキャンプ地跡を見た司令官たちは、軍の壊滅が魔法陣の所為だとはからきし考えようともしなかった。青黒い泥のような染みや水たまりのあとがあったが、魔獣の死骸はなかった。

 セネルス軍を急襲したのはテスニア王国軍で、ダフドット第十二師団は命を賭けて魔法陣を守ったのだと判断した。


 司令官は軍兵と魔術師たちを魔法陣へと向かわせた。

 魔術師は魔法陣の出来栄えを確かめ、損傷していたら修復するために。

 軍兵はその魔法陣を守るために。

 司令官と将官は指揮統率するために。


 そして地面を割いて青紫の蔓が一斉に伸びた。魔術師も、将兵も、司令官も、何の抵抗をする暇もなく蔓に捕らわれた。


 キャンプ地跡の片付けや新たな陣の設置のために離れた場所に居て難を免れた将兵は、仲間を助けようと剣を取って駆け付けて行った。が、彼らも同じ運命を辿っただけだった。


 輜重車に縛られていた俺は、ただその様を眺めるしか術はなかった。


「ヤイコブ」


 すぐ傍らで声がして、ナハトが縄を切ってくれた。


「足は痛めていないか?」


 輜重車に引っ張られながら、足を引き摺り歩いていた様子を見ていたらしい。正直、骨がきしきしと軋むように痛かったが、大丈夫だと頷く。


「あれが、例の魔法陣か。凄まじいものだな」


 ナハトが恐怖を滲ませた声で呟いた。


「森を抜けては戻れない。村へ引き返す」


 俺は頷いた。たぶん、これから魔獣が大挙して押し寄せてくるだろう。村人を守らなければならない。

 ナハトが引いて来た馬に相乗りして、行軍してきた道を走り始めてどのくらいたっただろうか。


 それは、衝撃だった。


 ず…………ん!


 馬が棒立ちし、俺たちは地面に投げ出された。身体中ががくがくと震えて地面に座り込む。恐怖のあまりに腰が抜けた。青ざめ引き攣ったナハトの顔を、俺はただ見つめるばかりだった。

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