24 風雲急を告げて
《ロワクレス視点》
「転移魔法を使ったというのか? だが、その子は人なのか? それとも自動人形なのか? まるで魔力を感じない。死体なのか? 死霊魔術でも、術師の魔力の欠片が宿るはずだ」
「シュンはちゃんとした生きている人間です。特異体質なのです。で、その特異体質の異能の力で特殊な転移を行えるのです」
「特異体質のう? あとで調べさせてもらえないか?」
「だめです!」
私は間髪入れずに断った。例え師であっても、シュンを渡すことはできない。
「それより問題はセネルス軍です。魔法陣へ新たな魔力を与えることだけは阻止しなければなりません」
「だが、まだ派遣する軍の用意も魔術師の選抜もこれからなのだぞ? どんなに急いだとしても5日はかかるだろう?」
グレバリオ閣下が懸念もあらわに告げた。焦った表情を浮かべるリーベック老師もそれには同意を示す。
「それに、その軍兵が全滅するとは限らない。うまく魔法陣を処分してくれるかもしれん」
「せっかく敷いた魔法陣をすぐに破壊しようとするでしょうか? あの魔法陣は、最初から徹底的に破壊する覚悟で臨まなければ、結局取り込まれ、全滅するばかりです。中途半端な意図で対するには、余りに凶悪な代物でした。私はこの目で見、我が魔力で感知してきたのです」
グレバリオ閣下のわずかな希望もきっぱりと否定する。結界を通してさえ感じたあれは、そんな甘いものではなかった。心底震え上がる恐ろしいものだった。
「だが、セネルス軍到着前にそれを壊すことは不可能だ。到底間に合わん!」
だんと拳を机上に打ち付けて、グレバリオ総司令官は苛立ちを表した。伯爵の出で、武勲の功も名高い四十一歳。豊かな赤褐色の髪は癖が強くて収まり切れず獅子のたてがみのように逆立つ。角ばった顎を持つ、ますます勢い盛んな偉丈夫である。
私もぎりっと奥歯を噛みしめた。セネルス軍がせめてあと六日、いや五日でも待ってくれれば。
しばし目を閉じた後、私はリーベック老師へ顔を向けた。
「老師、無理を承知での頼みです。魔術師統括協会のほうで、転移魔法陣を展開していただけませんか? 騎兵を含む五百人、いえ、百人でもいい。それだけの人馬を通す大きな魔法陣です」
「確かに、転移魔法陣なら今日にでも砦に着けるだろう。だが、それほどの規模を、短時間で展開するにはどれだけの人員と魔力が必要か判っておろう?」
「はい。それに、高位魔術師五十人もお願いしたい」
「無茶を言う。だが、実際猶予はないのだろう。わかった。すぐに取り掛からせる。同行する魔術師五十人は無理だが、三十人は用意しよう。グレバリオ閣下、騎士たちを統括協会前の広場へ集結させておいてくだされ」
リーベック老師はそれだけ告げると、慌ただしい様子で執務室を出て行った。また走って行くのかもしれない。ご老体に負担をかけてしまうと、密かに申し訳ない気持ちになった。
老師が動き出したので、総司令官も腰を上げた。
「急ぎ騎士を集めよう。ロワクレスも共に行くのか?」
「いえ、私はシュンとともに、一足先に砦へ向かいます。受け入れのほうの準備もありますので」
私も立ち上がった。シュンも傍らで立ち上がっていた。
「わかった。では、砦で会おう」
それで、総司令官自らが騎兵を引き連れてきてくれるつもりであることがわかった。私は感謝の気持ちを込めて騎士の礼を取る。
「それでは、グレバリオ閣下。砦でお待ちしております」
私はシュンの手を取り執務室を出る。何も言わなくてもシュンは判っていた。執務室の扉が閉じられたと同時に、シュンはテレポーテーションを発動させた。
***
「ブル! 間もなく騎士団と魔術師たちが転移魔法陣を通ってここへ来る。総司令官自ら指揮される。お迎えの準備だ! 急げ!」
「は? は、はいい!」
自室に到着した私はその足で執務室に駆けると、豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしたブルナグムに命令した。
いくら高位魔術師たちが総出でかかっても、騎兵を通すほどの大きな魔法陣を組むには三、四時間はかかるだろう。
だが、彼らが到着したら、直ちに魔獣の森の向こう側へ進撃したい。こちらもそれまでに攻撃態勢を整えておかねばならなかった。
砦内はにわかに騒然と慌ただしくなる。私も指図するのに忙しく、シュンが側にいないことにもうっかりしていた。
装備を整えた騎士や兵士らが部隊ごとに魔獣の森のトンネル通路前に整然と並んだ。魔物使いのテートはトンネルの最奥でいつでも最後の土壁を突き壊せるようミミズたちと待機している。魔術師たちも各々の装備を抱えて集結した。
それらを確認して彼らを見渡した私は、ここにきて初めてシュンの姿をしばらく見ていないことに気づき、愕然とする。彼はいつでも側にいるものと、当然のように思い込んでいた。
うろたえて周りを見回し、分隊の間を走り回っているブルナグムの姿を捉えると呼び止める。
「ブル! シュンはどこだ? どこにいるか知らないか?」
「あ、隊長! それは……」
ブルが引き攣った顔を私に向けて答えようとした。
その時、砦正面門の広い前庭に――軍馬が整列できるようにかなりの広い空間を整地してある――大きな魔法陣が縦に立つように生じた。
そこから総司令官グレバリオ総大将を先頭に、騎士二百人、高位魔術師三十人が現れ進み出る。魔術師を率いているのは魔術師統括協会会長リーベック老師当人だった。
「グレバリオ閣下、老師、速やかなご到着、感謝いたします」
「うむ。火急の時だ。二百人であるが、精鋭である。存分に働くことを保証する」
「ありがとうございます」
「ロワクレス殿、魔法陣を組む時間を急がせたので、この規模が精一杯だった。連れてきた魔術師は協会でも屈指の者ばかりだ。及ばずながら、私も全力を出そう」
「リーベック老師。心強い限りです」
私は感激した。私の魔力の強さが認定されて以来、リーベック老師は私のもっとも尊敬する師であった。老いたとは言え、老師の魔力はテスニア王国内でも飛び抜けて高い上位魔力の持ち主の一人である。彼が来てくれたことは万兵に値する。
総司令官とリーベック老師に魔獣の森の通路トンネル前で整列する砦部隊を紹介するべく足を運びかけた時、それがきた。
ず…………ん!
まるで大地が揺れ、天が落ちたかと思うような衝撃だった。
魔力の圧倒的な巨大さに、兵士らの膝が震え腰が抜けた。倒れた者もいた。騎士たちでさえ、怯える馬の手綱を落とすほどの動揺を覚えた。