22 留守番のゆううつ
蹄鉄が一糸乱れず地を蹴る音が響いた。鉄で補強された車輪がガラガラと幾重にも重なって柔らかい地面に轍を穿っていく。その後をざっざっと屈強な男たちの幾百もの足音が力強く踏みしめていった。
四頭引きの馬車の中にはローブに身を包んだ男たち。二頭引きの荷車には輜重が山と積まれて。
南西の都から東へ東へと、軍は威光を周囲に睥睨させて進んでいた。
***
《ブルナグム視点》
「伝令! 軍がネルビアを出発したという報せです!」
「伝令! 既にサナズアを通過しました!」
サナズアは2個手前の街だ。
――セネルス軍、早いっす! 予想より動き早いっす!
まだ、隊長は戻って来ていない。
「シュン君は? シュン君はどこにいるんすか? 最近、姿見てないけど?」
すると、俺の補佐の――無理やり第一部隊の部隊長ゴードンから強奪してきた部隊長補佐のアシュレイが、事務仕事の傍らで顔を上げた。
どうしてそんなことしたかって? 俺が知る限り、この砦の部隊の中で一番事務仕事に有能だったからに決まっている。ゴードンが泣いていたけれど、隊長に丸投げされた俺だって泣きたかったんだ。
「最近、魔術師の東棟に入り浸ってるみたいですよ。ローファートんとこに日参してるらしいです」
「ローファート? なぜ、選りによってローファート?」
思わず声が裏返った。
俺は頭を抱えて、机に突っ伏す。勢い余ってごつんと音がしてアシュレイが引いていたが、そんなことかまっちゃいられない。
錬金術師のローファートと言えば、年齢も見境なく見目の良い男たちの半数は食い散らかしているという噂がある節操なしの男だ。
銀髪で色気ダダ漏れのイケメンで、魔術師のくせに騎士でもやっていけそうなくらいに体格にも恵まれて。魔力も高くて、作る魔道具も高性能高品質と定評がある一流の魔術師だが悪い噂が絶えなく、王都からここへ飛ばされたとも聞いている。
――俺、隊長に殺されるっす!
そこへ軽やかなノックの音がして、シュンが現れた。噂をすれば影っす!
「ロワから連絡があった。迎えに飛ぶけど、何か伝えることはないか?」
「おお! 良かった! 実は、セネルスが思いがけず早くに動き出しているっす。もう2つ前の街を通過して、こちらには明日、明後日には着きそうな勢いっす。隊長には一刻も待てないと伝えて欲しいっす」
シュンが可愛い顔を強張らせた。
「わかった。行ってくる」
その場でふっと空気に溶け込むように消えた。
目撃するのは二度目だが、やっぱり傍らのアシュレイと一緒に目を丸くしてその場に固まった。
ややあって息を深く吐いて気分を変えると、アシュレイに準備の進捗状況を訊く。
「あー、例の掘り進んでいるトンネルはどこまで行ってるっす?」
魔物使いの魔術師テートに、魔獣の森の下を向こうへ突き抜けるためのトンネル工事を頼んでいた。
先だっての魔獣襲来の時に森のほうもだいぶ延焼しているので、道くらいなら突貫工事で作れないこともないが、なにせ毎日毎日魔獣がせっせと現れるのだ。
例の召喚魔法陣から出てくる魔獣たちは、遠くのセネルスの村より近くの森へと好んで来るらしい。最初からそのように設定された場であるからとも言えるが、やはり魔獣の森の魔力に惹かれて来るのだろう。それは、ロワ隊長も予測していた危惧だった。
魔獣と闘いながら工事をするのも面倒だし、頻発する魔獣対応と結界補修で人員をあらかた取られている。これ以上の余分な兵力は割けなかった。
だが、援軍到着し次第、セネルス側に進軍して行かなくてはならない。騎馬が通れる道くらいは確保しておかなければ、森でいらぬ時間を取られてしまう。
そこで暇そうに見えるテートにお出まし願ったわけだ。
「えー? 僕の可愛いミンミンたちをそんなことに酷使させるのー? やだなー」
魔術師連中って、どうしてこう非協力的なのだろう。おまけに我儘。何のために西の砦に来ているんだと問いたい。いや、一度訊いたことがあった。テート曰く。
『暇だったからー? お部屋余ってるしー、気兼ねなく好きホーダイできるしー、餌場あるしー』
それ以来、訊いたことはない。訊いてはいけない気がした。
「やってくれたら、秘蔵の蜂蜜一瓶やるっす。大瓶すよ」
「そうー? あと、地ネズミの罠、仕掛けてもいいー? 砦内のネズミ、あらかたネイレックたちが食べ尽しちゃってねー」
「やっぱり、お前んとこのペットだったっすか? 夜中に壁伝いにぬばーっと粘つく化け物がいたって苦情がきていたっす。巨大ヤスデも目撃されてるっすよ」
「いいじゃんー。ネズミ駆除を自主的にやってんだからー」
「ネズミの罠、置いてるところが判るようにちゃんと目印立てとくっすよ。以前、五人ばかりうちの連中が足挟めて、えらいことになったっす」
ネズミと言ってもこの森の地ネズミは体長五、六十センチはあるので、罠もそれなりに大きくて頑丈で、凶暴なのだった。
「兵士のくせに間抜けなんだからー」
テートが小声でぶつぶつ言った。俺はあえて聞こえなかったふりを通す。その事故があってから、森に餌用の罠を置くのを禁じていたのだ。
俺の涙ぐましい努力の甲斐あって、テートの巨大ミミズ『ミンミンちゃんたち』集団による、森のこちら側から向こう側へ向けての掘削工事が始まった。
さすが穴掘りのプロ。集団の力も侮れない。隊長が王都へ出発した翌朝から始まって、既に五日、トンネルは向こうへ突き抜ける手前まで掘り進んだと言う。
今は穴をさらに拡大しながら、ウミウシもどきが身体から出す粘膜で土壁を補強しているところ。匂いは生臭いが、乾くと白い膠のようになり強靭な膜となる。そうなれば匂いもそれほどきつくなくなる。本来土の中で卵を守る壁を作るための分泌物らしい。
「そうっすか。通り道はほぼ確保されたってことっすね」
アシュレイに頷きながら、俺は王都の方角へ視線を飛ばした。
隊長には一刻も早く帰ってきて欲しいのだが、同時に先ほど聞いたローファート爆弾も怖くって、帰って来て欲しくもないようなすごく複雑な心境だった。