21 ローファートの喜び
《ローファート視点》
彼を初めて見た時、夜の闇が人の姿になって降りてきたのかと思った。
艶やかな君の黒髪、濡れ羽色。
星の輝き宿す目に夜の深き闇を見て。
僕って詩人だなあ。ああ、あふれるばかりの自分の才能が怖い!
思わず恍惚と見つめてしまった。彼が噂の謎の少年だとすぐにわかった。こんな見事な黒髪黒目の人間なんて他にいない。
僕は戦闘現場のタイプじゃない。戦闘用の武器になる魔術具や魔物避けの道具、罠などの魔道具を作ったり回復薬や毒薬を作る錬金術師だ。
いろいろな素材を合わせて反応や効果を調べるのがなにより大好き。そのせいで、何度かボヤやちょっとした爆発とか起こしてるけど、そんなことは言わば職業的必然。気にするほどのことじゃない。
シュン君が――シュン、ああ、なんて素敵な響きだろう!――鉱石に興味があるって聞いて、運命を感じた。
鉱石とか液体の反応や性質を研究する魔術師って、意外に少ない。そういうのは治療師の分野だと思っている人が多いのだ。それよりも、火・水・土・風などの魔法を極めるほうに重点を置く。そういうのも悪くはないんだけどね。僕は調べる方が好き。
おいしくいただこうって迫ったら、一気に肝を冷やされた。冷やされたなんてもんじゃない。氷魔法で氷漬けにされたか、いくつもの剣を心臓に刺された衝撃だった。
隊長の所有痕! 左胸の心臓の上に真っ赤な花が咲いていた。
僕は身体の震えをなかなか止めることができなかった。脳裏にまざまざとあの氷鉄の眼差しが浮かぶ。問答無用で切り殺されると覚悟した。
僕が一番怖いもの。それは、怒り狂った大魔女とロワクレス隊長。この二つと比べたら、この世の何も怖くない。
僕の熱い恋は一瞬で終わってしまった……。
「硝石? あと、硫黄? 危険物だね」
シュンが用意できるかと訊いてきた鉱石はどれも取り扱いが厳重注意のものばかりだった。
「それを扱って、何回か爆発起こしたな。これをどうするの?」
シュンはなかなか教えてくれなかったが、しつこさには自信がある。僕の協力を仰がねば何も始まらないと彼もついに覚悟したのだろう。重い口を開いた。
「硝石と硫黄を加熱させて、ある物質を作る」
「あ、それやったことある! 強い匂いが出て、服に穴が開いたよ。あやうく、指まで溶かすところだった」
シュンが呆れた目を向けてきた。
「予備知識なしにそんな危険な実験をやっているのか?」
「いろいろ試してみなきゃ、分からないじゃない? 鉄を強い酸に漬けた時は、大爆発して危うく棟まで壊すところだった」
「よく無事だったな?」
額に手を当てて訊いてきた。頭痛でも起こしたか?
「たいてい実験は危ないんで、僕は軽く結界を張ってやっているからね。僕自身は大丈夫なんだ」
「……。なるほど。その時に出てきた気体は水素と言って、空気と混ざると大爆発しかねない。火気厳禁だぞ」
「水素?」
「原子番号1でHで表される物質だ。ちなみに、硝石と硫黄を燃焼させると、硫酸が得られる。H₂SO₄。劇薬だ」
「待って! 待って! 記録するから。紙、紙、ペンとインク、メモメモ」
慌ててテーブルの上に紙を拡げ、今言われたことを書きとめる。
「で、Hって、どう書くの?」
「ああ、こっちの表記じゃないものな。あとで、詳しく教えるよ。それより、今は緊急の要件があるんだ」
「教えてくれるのか? 約束だよ! 絶対だからね!」
シュンは硫酸を、ついで硝石とその硫酸を反応させて硝酸を作ると言う。作り方を聞きながら、僕は無我夢中になった。
――すごい! 凄すぎる!
シュンは色々な物質の性質に詳しくて、しかも製法にも長けていた。化学知識だと言う。
僕が今まで研究し続け、知りたいと思っていた知識と解答が目の前にあった。
――シュン様は僕の師だ! 神様、魔神様! 彼に廻り合せてくれてありがとう! 僕、シュン様にどこまでもついていきます!
うれしさのあまり抱きしめて口づけしたくなったけれど、ロワクレス隊長の氷鉄の目を思い出して辛うじて踏み止まった。これから夢のような知識に出会えるというのに、死んでなんかいられない。
それから植物油脂が取れるものはないかと聞かれた。石鹸の材料にするようなものがいいらしい。僕はラパスの実を提案した。ここの森でも取れるありふれたもの。油分が豊富で栄養価が高く、ロウソクや燭油の原料にもなる有用な木の実だ。
――あと、小麦粉? 木炭の粉でもいいって? 変わったものもいるんだね?
で、それらで、シュン様は何を作ろうというのだろう? 僕はわくわくとして彼の作業のお手伝いを始めた。
硫酸と硝酸を作製しながら、シュン様は塩酸を含む強酸の危険とその扱い方、性質を詳しく教えてくれた。
改めて、無造作に取り扱っていた自分が恐ろしい。同時に、それらの有用な働きを聞き、これからできる実験や検証に心躍らせる。反応力も高く、いろいろな生成物も作れるらしい。
結局、蓄えてあった硝石と硫黄を全て使い切った。
そのあと、知り合いの兵士らにも手伝わせてラパスの実を大量に集めた。なに、僕が一声かければ、喜んで?――半泣きで渋々かもしれないが――言うことを聞いてくれる親切な兵士や騎士や魔術師がたくさんいるんだ。
これに水を加え加熱処理して脂肪酸と糖蜜液にする。この糖蜜液――シュン様はグリセリンっていってたけれど――は、僕たち魔術師も、調理人も甘味料や保存料、粘性を利用した安定剤などいろいろ利用しているものだ。
しかし、このあとはシュン様一人で作業を行った。
「ここからの手順は秘密だ。この世界にこんなものを教えることはできない。どうか、ローファートも知ろうとしないでくれ。研究することを禁じる」
シュン様は僕を棟から追い出してしまった。
僕は仕方なく、頼まれていた何本もの中空の筒と中に詰めるためのおが屑や干し草、そして小麦粉の袋を集めに行った。