20 錬金術師ローファート
《シュン視点》
東棟のやつらはあんな魔術師ばっかりかと思ったが、廊下を進む限りでは普通だった。ただ、静かなことと、誰にも行き会わないくらいだ。一番初めの部屋にアレを置いているのは、彼が言うようにバリケード的な意味合いなのだろう。
きっとリーガン術師のようなまともな人がほとんどなのだ。彼だけが例外な変人に違いない。
燭の火が灯る薄暗くて陰気な廊下を渡って突き当りの扉を開けると、草が生い茂る中に踏み込んだ道が細く続いている。その先に昇って来た月に照らされて小さな棟が白々と浮かび上がっていた。
乱雑に生えている雑草と思ったが、目を凝らすと文字が書かれている札があちこちに立っているのが白く見え、薬草など有用な植物を栽培しているらしい。
棟の前に来ると、ぼろぼろに崩れたのを修理した跡や黒焦げの部分などが目にできた。建物自体は砦そのものより古くはなさそうだが、痛みが激しい。
正面にある木の扉をノックしながら、危険物注意だよと忠告されたことを思い出す。
扉を開けてくれた人物は、夜目にもきれいな長い銀髪の持ち主だった。さらさらした髪を掻き上げながら、緑色の目でじっと見てくる。黒いローブを着た長身の男で、兵士としても通用しそうながっしりした体格だった。上背はロワクレスぐらいあるかもしれない。歳は三十台中頃か。色気のある整った顔だった。
しばし俺を眺めていたが、ふと気づいたように身体を斜めにして俺を中に通してくれた。
外にいても判った。硫黄、硝石、その他多くの鉱石が部屋中に転がっている。そして、大きなテーブルにはガラス管やら濾過器やらその他、用途不明の様々な器具。
ここの部屋も彼一人で占拠しているらしい。
兵士よりはるかに少ない十数人の魔術師が、西棟よりずっと小さいとは言え東棟全部を宛がわれている理由がわかる。一室に振り分けられる平均人数が格段に少ないのだ。理由は共存が難しいから。傍迷惑なペットを飼ったり、危険な研究をしたりしているからだ。
「お客がくるのは珍しいね。ようこそ?」
「入り口の部屋の人に訊いてきた。ローファートさんですか?」
「ああ、テートに聞いたの。良く教えてもらえたね。気に入られたね」
スライム男はテートというのか。別に気に入られなくてもいいんだが。むしろ、遠慮したい。
「で、僕に何の用?」
ローファートが興味を隠しもしない無遠慮な視線でじろじろ見つめてくる。
「いくつか欲しい鉱石があるので、それを分けてもらうか、採れる場所を教えてもらおうと思いまして」
「ふーん? 鉱石をね。君、変わったものに興味あるんだね? 僕と一緒? 気が合いそうじゃない?」
ローファートが不必要に側に近寄ってきて、顔を眺める。
「君、きれいな目だね。黒曜石みたいだよ。欲しい石があったらいくらでもあげるよ。代わりに、僕も君からもらっていい? ギブ・アンド・テイクだよ」
ぞくりと背中に悪寒が走った。この男もまともじゃないかもしれない。
「目は上げられないぞ? 見えなくなっては困る」
「そんな残酷なこと、僕はしないよ。冷静な顔の下に隠れる怯え。いいなあ。僕の好物」
あ、だめだ。こいつもマッドな奴だ。
テレキネシスでローファートを拘束しようとしたが、発動しない。
ぎょっとした顔をしたのだろう。ローファートが嬉しそうな顔をさらに近づけた。
「何かしようとした? ここには弱いけど結界を張ってあるんだ。時々、爆発したりしちゃうんで、安全のためにね。そのせい?」
結界か。どうも俺の異能と結界は相性が悪いらしい。セネルスの結界は移動・侵入に対する結界だったからテレポートを阻害した。ここのは物理・破壊に対するものなので、テレキネシスの発動を邪魔すると言うわけか。
「君って、異世界から来たって噂があるんだけど、ほんと? すごく興味あるなあ。でも、異世界ってほんとかも知れないねえ。君から魔力を感知しないもの。普通、魔力0では、人は生きていられないはずなんだよ?」
ずいっと寄って来るので、俺はずりっと後退る。
「君を調べさせてもらえないかなあ。ねえ? ぜーんぶ。外からも中からも? いいでしょ? 嫌だって言っても、もう、逃がす気はないんだけどねえ?」
「断る! 俺はロワから、他の者に身体を触れさせるなと言われている。俺はロワのものだ。だから、自由にはさせない」
ずり、ずりっと下がれば、ローファートもずいっずいっと迫ってくる。踵が壁に当たった。背が部屋の壁につき、進退窮まってしまった。
その俺を捉えるように、顔の左右に手をついて見下ろしてくる。
こいつを投げ飛ばせるだろうか? 俺は相手を値踏みする。体格いいからな。体術とかやっていそうだし。
「ロワクレス隊長が? つくならもう少し本当らしい嘘つかなきゃ。隊長は確かに怖いけどね。でも、あの人がそんなこと言うはずないでしょ? あの人は、誰にも興味示さない。あんなにいい男で、あんなにいい身体してるのにね。どんな美人だって口説くこともできないんだよ。知っている? 隊長は氷鉄の騎士って呼ばれてるんだよ。あの凍り付いた鉄のような目! 僕でさえ、くじけちゃったものねえ。だめだめ、そんな嘘ついちゃ。お仕置きだよ?」
「ロワは俺の上官だ。嘘じゃない!」
「ねえ、君。可愛子ぶりっこも度を過ぎると、嫌味になるんだよ?」
ローファートは苛ついたように顔を顰めると、俺の上着の合わせ目を両手で掴んで引き千切るように開いた。
と、ローファートの動きが止まる。彼の目は俺の左胸を凝視していた。俺もそこに目を落とし赤いうっ血痕を見た。
ローファートの喉がごくりとなって、上着から手を離し、さらに一、二歩下がる。離したままの形に伸ばした手が小刻みに震えていた。
「う、そ……。ロ、ロワクレス隊長の、しょ、所有痕……。き、きみ……、本当に……、隊長の? うあ、殺される……」
真っ青になって震えるローファートに、俺のほうが驚いた。
確かに、さっき胸にしつこく吸い付かれたとは思ってはいたが。
「この痣がロワのものだって、どうしてわかるんだ?」
「君、分からないの? 隊長の魔力がくっきり残ってるでしょ。ただの愛撫の痕じゃないよ。自分の所有だって意思を籠めて残した痕なんだよ」
「へ? へえ……」
俺は胸のキスマークを眺めた。なんだかとても嬉しい気持ちが湧きあがってきてしまった。