19 魔術師の巣窟
《シュン視点》
王都へ向かったロワクレスを見送った俺は、魔術師がたむろしている東の棟へ向かった。事態は深刻で急を要すると言うのに、俺の足は弾むように軽い。
ロワクレスが上官になったのだ。もちろん、公的なものじゃない。俺とロワクレス二人だけの限定だ。それを言うなら、俺自身の言動も上官に対するものとしては相応しくない。
それでも、ロワクレスが認めてくれた。上官と思っていていいと。これより嬉しいことなどあるだろうか!
東棟へ踏み入れると、雰囲気ががらりと変わった。西棟での体育会系の暑苦しさが廊下にまで溢れてくるような活気がない。大きな声を出すのも憚るような根暗さと、ひそひそと密談でも交わし合っている秘密めいた雰囲気が滲み出てくる。
森などに出かけていた連中ももう戻ってきているだろうに、人の気配が少ない。ここが魔術師の巣窟か。
いや、魔術師を怪しい集団とか言ってるわけではないんだけどな。俺にとっては、やっぱり魔法って理解不能なわけで。たぶん、彼らには俺の異能のほうがよっぽど不可解なんだろうけど。
リーガン術師、いないかな? 俺にとって唯一面識のある顔を求めて、そっと最初の部屋の扉をノックした。
「はーい」
声を聞いて扉を開けると、いきなり俺の顔にびちゃっと何かが引っ付いた。
「あー!」
甲高い声が聞こえたが、俺はそれどころじゃない。ゼリーみたいな感触のやつがぺったりと顔を覆って息ができない。両手で掴んで持ち上げる。クラゲみたいな感じで、しつこく引っ付いてる。それをむりやりぺりりと引きはがした。青いプルプルした下膨れの水滴形がむぞむぞと蠢く。
生きている!
俺は思わず放り投げた。
「うわー! プーちゃん!」
黒い服を着たやつが慌ててその青い奴を抱きとめた。
「びっくりしたー? 可哀想にねー」
得体の知れないそれを胸に抱いてよしよしと背中? を撫でている。
「ひどいね、君。プーちゃんは親愛の挨拶しただけなのにー」
挨拶? 襲ってきたの間違いじゃないのか?
「なんだ? それ?」
「スライムだよ。君、知らないのー?」
びっくりしたように目を見張ってから、改めて俺を上から下までしげしげと見た。
床までの丈の黒いローブを着た男はそばかすの浮いた二十代くらいで、ワラ束のような髪だった。ここの基準でいけば細身なんだろうが、俺から見るとそれでも十分背も体重もある。ここでは、俺が見上げなくていい体格の成人男性はいないらしい。
「黒い髪だあ。君って、最近砦に来た子―? 隊長が連れ歩ってるって言う?」
スライムを抱いたまま俺の前まで来ると目を覗き込んだ。後生だからその青い奴、近づけないでくれ!
「ほんとに黒い眼! 神秘だー。その眼、欲しいなー。保存液に付けて飾りたいー」
こいつ危険な奴っぽいぞ。青いプルプルした奴を平気で抱いてるし。俺、そういうゼリー系生物、苦手なんだ。
その時、視界の隅に不穏なものを見つけて目をやった俺は、ひくっと固まった。
むき出しのひび割れた石壁にぬらりとした粘液を分泌する軟体動物がぬるぬると動いている。ナメクジみたいな感じだ。ただ、そのサイズが半端なく巨大だが。
俺の視線を辿ったスライムの男が、ああ、と頷いた。
「あれは、ネイレック。僕のペットの一つ。おいしいんだよー」
「……」
ひょこひょこと巨大ナメクジに近づくと、その端っこを無造作にナイフで切り取った。それを俺の前に突き付ける。
「食べてごらん。ぬるっとしておいしいんだ。食感がさいこー」
「ペットなんだろう? 切ったりして可哀想じゃないのか?」
「君って優しんだねー。大丈夫だよー。ネイレックには痛覚がないんだ。すぐに再生するしー」
見ると、切られた箇所はもう判らないくらいに元に戻っていた。いや、その前に、ナメクジ食って大丈夫なのか? 確か寄生虫がいるとか聞いたことがあるぞ?
「お、俺はいらない。遠慮する……」
「そう? おいしいのにー」
奴はぺろりとそれを喰っちまった。
気が付いてみると、天井には巨大な化け物ヤスデがキチン質の身をぎらぎらとぎらつかせて無数の足で歩いているし、そっちの柱にはヒルみたいな奴が細長―く天井から床まで伸びている。ソファの影にいるのは、巨大ウミウシっぽいやつ。あっちにはミミズのでかいのが集団で蠢いている。
――な、なんだ? この部屋は? なんだ? こいつは?
「ここ、ほんとは5人部屋なんだけど、なぜかだーれも一緒になりたがらないんだよねー。この子たちはとっても繊細だから、こんな入り口のとこじゃなくて、奥の静かなところに部屋欲しかったんだけどー。ここにしろって、強制されちゃってて。なぜかなー?」
男がこっちを見ながらちろっと笑った。解って言ってるな。
「この子たち、勝手に廊下に出ちゃうしねー。西棟の人達はだからー、だーれもここに来ないんだよー。来れるのは、ロワクレス隊長とブルさんくらい。隊長はこの子たち見ると問答無用で蹴飛ばすしー。ブルさんは飛び越えてスル―するんだ。だから、ここはとーっても静かで気持ちいいー」
俺は引き攣った笑いを浮かべるしかない。
「君も歓迎するよ。この子たち、君のこと好きだってさー。不思議だよねー。魔力全然ないのにねえ」
「その魔力って、分かるものなのか? ロワもそういうこと、言ってたけど」
「うーん、側に行くと自然に分かっちゃう? 何となく分かるんだよねー。誰でも大なり小なり魔力はあるんだ。ないのは死体だけー。生きている人間は誰にでもある。だから、君にはびっくりなんだよー。僕らからしたら、君ってー死人と同じって認識になっちゃう。でも、ちゃんと生きてるしねえ。魔力が0で生きている人間は、初めて見たよー」
「そ、そう……か」
褒められているのか、けなされているのか、珍獣扱いか?
「そういえば、何か用があったのー? こんなとこまで来てるってー?」
「ああ。鉱石扱っている人いないかなと思って。ちょっと探したいものがあるんだ」
「それなら、一番奥の廊下から外へ伸びてる離れの棟のローファートさんかなあ。あそこは危険物扱いで隔離になってるんだー」
「そうか。ありがとう。行ってみるよ」
俺の目当てはそこにありそうだと、扉を開ける。
「ローファートさんも危険物だからー、気をつけてねー」
「え?」
廊下に出た俺の背に、スライムを抱えた男が注意を呼びかけて扉を閉めた。