12 朝から俺は驚きっぱなし
《ブルナグム視点》
黒髪黒目の小柄な少年が食堂の入り口から顔を出した。やっぱり十七歳には見えない。
今朝未明、このシュンが国境を越えてセネルスの兵士を捕まえて来た。怪我がひどく、現在鋭意治療中だ。
訊問可能な状態回復待ちなのだが、その一件はたちまち砦中に伝わった。
敵方の捕虜を連れてきたというだけで大スクープなのだが、昨日の魔獣の大群をあっという間に消滅させたのも、このシュンと隊長のコンビ技だということまで知れ渡っている。
昨夜は誰もがあわや全滅を覚悟しただけに、ちょっとした英雄として人気急上昇だ。隊長が後生大事に抱え込んでいるものだから、シュンの顔を知らない者も多い。
今朝も食堂では、謎の可愛い少年の話で盛り上がっていた。
おかげで俺は、詳しく聴かせろとせっつかれて落ち着いて飯も食えない。そこへ、本人がひょっこりやってきた。
シュンを見た男たちからおおーっと喜びのどよめきが上がった。
「ほんとに黒髪に黒い眼だ」
「可愛いな」
「いくつだ? 子供じゃないか」
「きれいな子だな」
「この子が魔獣をやっつけたのか?」
感嘆の声がざわざわと俺の耳にまで聞こえてくる。
俺はこっちへ来いよと、手招いた。
シュンも俺たちのほうへ来ようと進み出た。
その時。
びきっと食堂内の空気が凍り、静まり返る。
隊長がいつも以上の無表情を張り付け、強張った顔で入り口に立ったのだ。
シュンが気づいて後ろを振り返るより早く、隊長が彼を羽交い絞めにした。
「ぐぇっ」
カエルが潰れたような声が聞こえた。
あれは、どっから見ても抱きしめたってものじゃない。全力で締め潰している。
シュンの息が詰まって、顔が赤黒く変わってきた。
「た、た、た、隊長! ロワ隊長! し、締めてっす! 絞め殺してるっす!」
かくっと意識を飛ばしかけたシュンを見て、隊長が取り乱した。日頃の隊長からは想像もできない慌てようで。
そこにいた全員が、なにか恐ろしいものでも見てしまったみたいに、一様にあんぐり口を開けたまま固まっていた。
そして、デジャブな光景が俺の前にあった。
テーブルを挟んだ真向いで、隊長が座って飯を食べている。その膝にシュンを座らせたまま。
隊長は気味悪いくらいに機嫌が良かった。
いや、ほんと。不気味なことこの上ない。
にこりともしたことのない、表情筋はないんじゃないかという無表情の男が微笑んでいる。
あれは……微笑んでいるって表現でいいんだよな?
常日頃使ったことがないものだから、今一つ表情筋の動きが良くないんだ。
強張っていて、歪んでいる。
でも、やっぱり、あれは、きっと笑っているんだ。
使わないと筋肉って硬くなるもんな。
使い方すら忘れるもんなんだ。
隊長、きっと初めて使ったんだよ。
毎日朝起きたら、鏡の中へにっこり笑うって、大事だよな。うん。
ほら、シュンの顔を覗き込んで、にぃーって……。
た、隊長、ちょっとそれ、違うっす。それ、悪人顔っす!
なんか、悪だくみしている時の、やらしい笑みってやつっす!
なまじ顔がいいから、とっても怖いっす!
シュンはシュンで、不機嫌にぶすっとしているし。
まあ、無理もない。
隊長にがっしと拘束されたまま、膝の上から降ろしてもらえないのだから。
そのうえありえないことに、隊長がスプーンを持って、ほら、口を開けろ、あーんって、食べさせようとしている。
シュンは顔を逸らして本気で嫌がっていて、俺にパンを寄こせ、その皿を寄こせと言っては、手を伸ばして勝手に食べている。
――シュン君、君、隊長になんかやった? 隊長、壊れてるんすけど?
食堂内はさっきからずっと静かで、ことりとも音がしなかった。誰も席を立つことも、身じろぎすることもできないでいる。息さえしてないんじゃないだろうか?
シュンが口元にソースをつけた。ナプキンを取ろうと手を伸ばしたシュンにすかさず隊長がペロッと舌でそれを舐め取った。
カシーン!
石の床に落ちたフォークの音が静まり返った部屋中に響き、ここにいる誰もが、約二名を除いて全員飛び上がる。
――し、心臓に悪いっす!
精神的ダメージが絶大で。全員再起不能になりかねない。
シュン君、みんなの精神衛生のために、ちょこっとでもいいからにっこりしてくれたら、嬉しいんだけどな。
隊長の違和感たっぷりな笑みもどきの恐ろしさを中和してくれ。
天使の微笑ってやつで、癒して欲しいっす。
――ほんと、俺、涙目っすよ?
あれ? そういえばシュン君って、どんな笑い顔したっけ?
や、やば! 覚えがない!
シュン君もあまり表情を動かさない人種っぽかったっけ。た、隊長タイプ?
いや、それ止めて! せっかく可愛いんだからー!
拷問みたいな朝食タイムが終わって、誰もが疲労感を感じて食堂を後にした。
おかしいな。さっきまで、とっても和気あいあい、元気溌剌だったはずなのに。
***
治療室に集まったのは、隊長、副官の俺、そしてシュンと治療師のロド。寝台の上に座って顔を強張らせているセネルスの男の前に囲むように並んだ。
治癒を受けて休んだおかげで、頭の傷の出血も止まり、胸の打撲の痛みも治まっているようだ。骨折した脚は添え木を当てて固定されている。赤茶色の髪に白いものがちらほら見える。戦闘の現役から外れ、事務方などを担当しているのだろう。
「資材の下敷きになって瀕死の状態のところを、このシュンが助けたのだ。礼を言うがいい」
ロワクレス隊長が冷ややかな声で男に告げた。男は青い眼を見張ってシュンを見つめると、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。もうだめだと思っていました。俺はヤイコブと言います。資材輜重の担当でした」
「いろいろ訊きたいことがある。素直に答えてもらえるとありがたい。協力してくれれば、セネルスには帰してやれないが、不自由ないようにはしてやろう」
ロワクレスの言葉にヤイコブはもう一度ぺこりと頭を下げた。
「まず、魔獣の森の境界近くに、セネルスは軍を駐屯させていたのか?」
「はい。その通りです」
「規模は?」
「一個師団500人規模でした」
隊長がシュンへ視線を投げた。シュンが首を縦に振る。
「他には? 他に誰をどれほど駐屯させたのだ? その目的は?」
「いえ、ただの演習だったんで」
シュンが首を横に振る。
「駐屯場所には誰もいなかった。 駐屯していた軍はどうしたのだ?」
ヤイコブは明らかに驚きの表情を浮かべたが、急いで首を横に振った。
「ああ、きっと演習が終わって撤退したんです。俺は事故に遭って、きっと気づかれなくて置いていかれたんです」
「魔術師も大勢一緒だったのではないのか?」
「いえいえ。魔術師なんかいませんよ。誰も来ていません!」
隊長の質問に強く否定した。シュンが首を横に振る。隊長がシュンと視線をやり取りしている。シュンは隊長の視線が平気なのだろうか? だが、隊長の氷鉄の瞳をまっすぐに見るシュンの目も闇に沈む水のように揺るぎがなかった。
「何を隠している? お前が真実を告げていないことは承知なのだ。ことは、我が西の砦に関するばかりではない。おそらく、セネルスにもかかわってきているのではないのか?」
ヤイコブの身体が震え始めた。
「軍は全滅していたぞ。キャンプ地は破壊されていた。このシュンが見てきたのだ。何があった?」
「ぜ、全滅……?」
ヤイコブが信じられないと呟く。身体が小刻みに震えていた。
「炎の円は誰が設置したのだ? 何のために?」
ロワクレスが厳しい声で追及する。
「し、知りません! お、俺は知らない! 何も知らない!」
ヤイコブは真っ青になって首を振り続ける。身体から汗を拭き出し、ぶるぶる激しく震えていた。
「かん口令が出ている。口を滑らせれば当人のみならず、家族も一族も断罪される」
シュンがさらりと告げた。ヤイコブは目を大きく開いて少年を見つめた。
「あ、あ、なぜ、それを! 俺は、何も言っていない! 俺は何も知らない! 助けてくれ!」
「炎の円は、セネルスの魔術師が設置したのか? 何のために?」
「し、知らない! そんなものなどない! 俺は知らない!」
ヤイコブが叫んだ。だが、シュンはそんな叫びなど聞こえないかのように、表情も変えずに目を据えていた。その瞳が光を放ち始めたのを、俺は見た。背筋に震えがぞくりと走った。
「魔獣、出口? 魔獣が出てくる穴、を開いた、と? 森からここ、テスニアへ、魔獣を向かわせる、ため?」
シュンが単語を拾うように言葉を繋げると、ヤイコブと隊長がシュンへ顔を向けて固まった。俺もびっくりして見つめる。
「魔獣を? だから、急に魔獣の出現が増加したのか?」
「な、なぜ? なぜ? それを!」
驚愕に絶叫するヤイコブに、ロワクレス隊長は氷鉄の視線を向けた。ぞっとするほどに無表情の顔。
「隠し事はできない。お前が隠そうとすればするほど、露わになる。このシュンがお前の隠し事を読むからだ」
「ば、馬鹿な……。そんなことができるはずが……」
茫然と少年の顔を凝視するヤイコブ。俺も驚きのあまり、言葉もなくシュンを見つめるばかりだった。
「魔法陣……。ヤイコブが頭に描いている。三重の円と複雑な文様。呪文か? 赤い炎と青い炎で描くそうだ。何人もの魔術師が地面に仕掛けを施し、術を発動させた」
シュンがヤイコブをじっと見つめて語る。まるで頭の中に書かれている文字を読むように。その黒い眼は光を放ち続けている。俺は視線を逸らすこともできず、その光る目を見つめた。
「ひっ! ひいいっ!」
ヤイコブが頭を抱えて突っ伏した。シュンの視線から逃れようと。だが、考えまいとすればするほど、逆に隠したい秘密を頭に浮かべてしまうものだ。
「暴走? 仕掛けが勝手に大きくなり、手が付けられなくなった、と? 魔術師たちがそれを押さえようと総出で向かった? 魔物が続々と現れ、キャンプを襲い始めたのか」
シュンがヤイコブの胸の服を掴んだ。
「質問がある。青紫の蔓を見たか? 仕掛けを施した時に、蔓はあったのか?」
「蔓? 青紫の? いや、そんなのはなかった。なんだ? それは?」
ヤイコブが青い顔を硬直させたまま、首を激しく振る。
「そうか。では、あの蔓は暴走した仕掛けから新たに出て来たものなのだな? 仕掛けを制御しようとした魔術師を捉え、その力を吸収して、さらに仕掛けを強大にさせたのか」
シュンの言葉を理解してくるに従って、隊長も俺も事の重大さに気づき愕然とした。
ロワクレスの微笑の解説――印象が三人三様でなぜ違う?
ロワクレス本人は微笑んでいると思っているだけ。それが他人にどんな印象を与えているかは念頭にない。
シュンが第一話でロワの微笑を認めたのは、彼の目だけを見ているから。
偽りを表す顔の表情を気にする習慣がシュンにはない。常に視線を直に捉える。テレパスの彼はロワから真っすぐに向けられる優しい感情を受けながら偽りのない視線を見て、微笑んでいるとストレートに認識している。
ブルナグムは日頃から恐怖の氷鉄の眼差しを避けて、口元を見る習慣がある。その所為でどうしても顔の表情に捉われてしまう。それ故、微妙な印象を受けるようだ。