7.試験の日
「あら!トーマス先生!おはようございます。」
「あぁ、寮母さん。おはようございます。今日も早くからお掃除ですか。いつもお疲れ様です」
「えぇ、一日でもさぼるとすぐ落ち葉で一杯になっちゃうから……。」
とある日の早朝。
メロディアス音楽院に併設された寮の門の近くで二人はばったりと出会い、挨拶を交わす。
トーマス先生と呼ばれた青年、歳は二十五歳で、五年前からここ、メロディアス音楽院に教員として採用された青年である。
対する寮母さんと呼ばれた女性は、二十年以上に渡ってメロディアス音楽院の寮母を務める割腹が良く、人の好さそうなエプロン姿の婦人だった。
お互いにどうやらお喋り好きな様で、朝の挨拶から世間話へと移り、様々な話題で会話に花が咲いているようだった。
「ところで、トーマス先生。まだ学院はお休みでしょう?えらく朝早くから、ご出勤かい?」
「やだなぁ。もうあの時期じゃないですか。いつものアレですよアレ!」
「あらあら!もうそんな時期だったのね!すっかり忘れてたわぁ。」
寮母さんのほうきを掃く手は世間話をしながらも止むことは無かったが、ここにきてピタリと止まり、手を口に当てて驚いている。
対するトーマスは少し億劫そうに空を見上げ、溜息を少しばかし零した。
「トーマス先生も大変ねぇ。しんどいなら誰かに代わってもらったら?」
「え?いえいえ!!そんな!まぁ確かに大変ですけど、やりがいはありますし、子供達の未来もかかってますしね。精一杯努めさせて頂きますよ……」
「はははっ!そうだね!子供達の為だ!頑張んなさいよ!」
バシィッ!!とした音が響き、トーマス先生の体がビクリと跳ねた。
寮母さんの闘魂注入、平手打ちが背中へと見舞われたのだ。
トーマスは苦笑いを浮かべながら背中を摩り、その場を後にするのだった。
トーマスは板張りの廊下を歩きながら、また溜息をつく。
二十歳になった時にようやく二級奏者の試験に合格し、晴れて自分の夢であったメロディアス音楽院の教員という職に就くことが出来た。
彼、トーマス・スチュアートは、音楽一族の出でもなく、貴族の出でもない。
唯、音楽が好きで、少しばかり才能があっただけの商人の息子だった。
治めるべき土地が無い奏者の進路は2つしかないと言っても過言ではない。
一つは軍属の奏者になり、兵士になる事。
そしてもう一つは、国営のメロディアス音楽院の教員となり、後継の育成に携わる事。
生来争いが苦手であるトーマスは、勿論軍属なんてお断りだった。
唯音楽からは離れたくはない。
治めるべき土地がある貴族達も戦ともなれば駆り出される。
だが唯一、メロディアス音楽院の教員だけは、徴兵も免除される。
彼が教員を目指すのは、当然の事と言えた。
しかし、なろうとしてそう簡単になれないのは当然で、まず教員になる資格の絶対条件として二級奏者の資格を取る事が挙げられる。
下級奏者という見習いから始まるこの資格は、在学中にも試験を受ける事ができ、殆どの人が五級程で卒業を迎える。
因みに、下級から、九、八、七、といった順番で上がっていき、一級を超えると、更に準特級、特級、聖楽級という上位資格が存在している。
半端な才能で一級を超える事はまず不可能であり、殆どの奏者は一級の壁を超える事が出来ずに一生を終えるとされている。
そして彼、トーマスは平均通り、五級で卒業を迎えた。
そうなると、最早進路は決まったような物で、彼は卒業した一七歳から軍属の奏者となった。
軍属とは言っても、現在は平和そのものであり、軍属を離れたいという執念に後押しされて、彼は奏者の勉強に励み、、僅か三年で二級まで昇りつめたのである。
まぁそれはさて置き、彼のこのどうにも冴えない表情に億劫そうな態度。
これの原因が、これから始まる一年に一度の学院の行事が関係していた。
そう、入学試験である。
彼が三年という短い期間で二級まで登ることが出来た事には、彼の才能もその一端を担っている。
それは、絶対響感という特殊な能力。
音楽を奏でた時の魔力の響きが見えるのだ。
まぁ、見えたからといって、それをどうこうする事が出来るのも一つの才能が必要な訳で、彼がこれを使いこなし、上手く利用する事が出来るようになるには時間が必要だったのだ。
そして、彼が教員へと見事合格し、2年が経った頃、彼の絶対響感という才能に目を付けた学院から白羽の矢がたったのは必然であった。
試験官になれ、と。
絶対響感は、才能のある者を見抜くのに便利な能力とも言えたからだ。
入学前、七歳の子供達の奏でる魔曲は言っては悪いが、不完全な物が多い。
否、殆どである可能性も高い。
その拙い魔曲から才能を垣間見るに、非常に便利な能力なのだ。
話を戻すが、彼がなぜこんなにも億劫そうなのか。
その理由は、何も子供達の下手な演奏を聴きたくないだとか、仕事が面倒くさいだとか、そういった類の事では無い。
ただただ単純に、大変の一言に尽きるのだ。
メロディアス音楽院の受験者は、国内外から広く募っている為、人数が半端ではないのだ。
多いときには千人に達する勢いの時もある。
朝から夕方までの数時間。
彼とその他、五人、合計六人の試験官達は、子供達一人ずつが演奏する魔曲と向き合わなくてはならない。
魔曲で才能を見極め、少しの面接という繰り返しを、何百と繰り返すのだ。
その数時間は、数日間続く。
少しぐらい億劫になるのは許してあげてほしい。
重い足取りで試験場へと到着したトーマスは、木製のスライド式のドアを開け、中へと入る。
どうやら自分が最後であった事に少し焦り、慌ててドアを閉めて自分の席へと駆け足で向かった。
長机の奥に並べられた木製の椅子に腰かける五人の試験官達は総じてトーマスより先輩だ。
その内の一人は、副楽院長なのだから、彼が慌てるのも無理はない。
まぁ、少し遅れたのは彼のお喋り好きが原因である事は明らかなので、彼の肩を持つことはここでは出来そうにないが……。
「すいません!おはようございます!!」
「遅いなぁ、遅いよ。トーマス君。君が一番に来ていると、私は思っていたんだけどね?」
「す、すいません。ファーカー先生……」
「まぁまぁ、いいじゃないか。遅刻という訳でも無いだろう?ファーカー君」
「それはそうですがね。少し新人に甘いんじゃないですか?グレイス副楽院長」
「ファーカー先生、トーマス先生ももう四年目ですよ。新人って程でもないでしょう」
「アラム先生まで……、新人でない、というなら尚更……」
「あのー、すいません。五年目です……。いえ、何でもありません」
「はいはいはい!そこまでそこまで!子供達に聞かれでもしたら示しがつきませんよ」
「面白いからほっとけばいいよ。ロア先生」
「そうも行かないでしょう。全く、ステッドマン先生は……」
トーマスが席に着くと同時に、次々と言葉が飛び交う。
丸メガネを付けた壮年の男性、ファーカーと呼ばれた彼は機嫌が悪そうに踏ん反り返り、トーマスを睨んでいる。
そして彼を宥めているのは、赤く艶やかな長髪に、黒く大きい瞳が印象的な女性。
二〇代だと言われれば納得してしまう程若々しいが、その落ち着いた雰囲気や佇まいに、副楽院長という肩書まで聞いてしまうと、もう少し上なのかもしれない。
まぁ女性に年齢を訊ねるのはどこの世界でも失礼なので、秘密という事で納得してほしい。
そして、同じく窘めに回るのは、隻腕の男性。
何処かで傭兵をしていましたと言われても信じてしまいそうな風貌だ。
歳は三十代半ばと言った所で、ツンツンと跳ねた黒髪に、眼光鋭い男性である。
そして、そんな多種多様な三人に向かって静かにするようにジェスチャーを送る真面目そうな女性に、欠伸をしながらほっとけと仰る不真面目そうな女性。
彼等、彼女等が、今年度、メロディアス音楽院の試験官達であった。