プロローグ
心地よく耳へと届いてくる音色に俺は目を覚ます。
と同時に、どうやら眠っていたらしいという事を認識した。
そして今なお響いてくる心地よい音楽に耳を傾ける。
聴いた事がある音だが、それほど身近とは言い難い音色。
暫く聴き惚れていた所で、その音色を奏でる物の正体に思い至った。
そうだ、これはヴァイオリンの音じゃないだろうか?
寝起きという事もあってか、ハッキリしなかった意識が段々と明確になってきた。
そして、可笑しな事に気付く。
何故ヴァイオリンの音なんかが聞こえてくるのか。
そもそも、ここは何処なのだろうか。
目を開けて周りを見渡そうとするが、思うように体が動かない。
目に映るのは木造と思しき天井のみ。
ひとまず落ち着こう。
そう考えた俺は、眠る前の事を思い出そうとする。
しかし、うまく思い出せない。
どういう経緯で眠りについたのだろう。
疲れ果ててベットにダイブ?
違う。
明日も速いからそろそろ眠ろう?
違う。
段々眠くなってきたな……。そして寝落ち?
違う。
どれも違う。
もっと遡って思い出そう。
そうだ。
俺はアイツと一緒に街にいたんだ。
雪が降りそうな、そう、寒い夜だった。
自動販売機でアイツの好きなお汁粉と、俺が好きなコーンポタージュを買った。
そして、アツアツの缶をそのまま持っていられなくて、ポケットに忍ばせた。
俺はゆっくりとアイツの傍まで近寄って、ポケットからお汁粉の缶を取り出してそっと頬に触れさせた。
「あっつい!」と声を上げて、飛び上がるアイツを見て俺は笑う。
文句を言いながら俺を睨みつけてくるアイツに、俺は適当に謝りながらホイッなんて、無造作に缶を放り投げた。
慌てた声を上げながらそれを受け取り、自分の好きなお汁粉だった事を確認したアイツは、ご機嫌斜めだったはずが、直ぐに人好きのする無邪気そうな笑顔を向けてくる。
そして、アイツは悴んだ手を温める為にお汁粉の缶を両手の平でコロコロと弄んだ後、ゆっくりとそれを飲み干した。
俺も隣でコーンポタージュをゆっくりと飲み干し、ほぼ同時に二人の準備は完了した。
アイツは隣でしゃがみ込み、地面に置いたケースを開けて取り出す。
それは使い古されたアコースティックギター。
手慣れた手つきで、手際よくチューニングを済ませたアイツが目配せしてくる。
そろそろやろうか。
あぁそうだな。
言葉を発するまでもなく伝達する意志に、少しの心地よさを感じながら始まる。
二人の音楽。
俺とアイツ。
双子の妹と兄である俺が奏でる音楽。
アイツがギターで俺が歌。
好きな歌を好きなだけ歌った。
幸せな毎日だった。
その日常を思い浮かべただけで幸福感に包まれた。
目の前に座る観客たち。
少しずつ増えてきたのが嬉しかったっけ。
と、そこまで思い出した所でふとブレーキがかかる。
まるで誰かにそれ以上はダメだと言われた気がした。
襲い来る不安感を無理矢理抑え込み、俺はまた意識を思い出に集中させた。
音楽を楽しそうに奏でる俺達が脳裏に浮かび、その直後に襲い来るのはけたたましく不快な甲高い音。
俺達の音楽をかき消して響くそれに、観客たちの悲鳴が重なり、更に不快感は増していく。
直後に、無慈悲に、情け容赦なく、吹き飛ぶのは目の前の観客達。
俺はその光景を即座に意識の片隅に追いやり、隣にいる妹へと手を伸ばした。
覆いかぶさる様に、倒れ込み、直後に襲い来るのは一瞬のようで永遠とも言えるような激痛だった。
体の上を何かが通り過ぎたのが解る。
胸より下の感覚が無い。
俺の体の下にいる妹の顔を見た。
口元に流れる一筋の血と、虚ろに開かれた瞳。
叫びたかった。
心の底から、叫びたかった。
叫ばないと狂うと思った。
しかし、そこで俺の意識は途切れた。
俺はゆっくりと目を開けた。
死んだ。
俺も妹も。
じゃぁ俺はダレだ?
涙が流れるのを感じた。
そして不意に止むヴァイオリンの音。
そして、俺を上から覗き込んでくる一人の男性の姿が見えた。
「あれ?起きたのかい?リーナ。ん?おいおい、どうしたんだい。リーナ涙なんか流して……。可笑しいなぁ……、鳴き声聞こえたかな?音で聞こえなかったのか、悪い事したなぁ……」
何を言っているのかは解らなかったが、男性はオロオロとした様子で俺を覗き込んでいる。
何だか大きく感じる様な気がするが気のせいだろうか。
いや、そもそもこの周りの木の柵のような物は一体。
そう考えた所で突然俺を襲うのは浮遊感。
徐に目の前の男性は俺へと手を伸ばし、有ろうことか、俺を抱き上げたのだ!
は?俺が小さいのか?
「よーちよーち、ほーら、パパでちゅよー!私の可愛いリーナちゃん!泣き止んでおくれー」
依然として彼が何を言っているのかは解らないが、どうも声色から察するに俺をあやそうとしているらしい。
そして今なお規則正しく俺をゆすりながら背中をさすっている。
信じたくは無いが、俺はどうやら赤ん坊になったらしい。
軽く眩暈を覚える現実に、俺はどうしていいか解らず、されるがままにあやされ続けるのだった。