剣士、地理と歴史を学ぶ
「どーせ聞いたって答えないって知ってるけど」
いつか帽子の少年に出会った砂漠。
そこに二人は立っていた。
「お前は一体何者なんだ? 何であんな事が出来るんだ? だろう」
サクがローブの向こう側で笑う。
こくりと頷いたギルにサクがその姿を陽光に晒す。
透き通る白い肌。緑の瞳、緑の髪。
かつて「異質」とギルが感じたサクの容姿。
その姿を見ることは決して稀ではないギルは、特段驚いた様子も示さない。
それにサクがどれだけ救われているのかも知らず。
「俺は緑の民。森から生まれ出でた、人とは異なる生き物だ」
「でもお前、人じゃん」
くすりとサクが笑う。
「そうだよ。人だよ。人と同じように生まれる。父親と母親がいて、十月十日間母親の腹の中で育って生まれた。でも人ではない」
「意味がわかんない」
「そーだろーよ。俺だってわかんねえんだからさ。ただ普通の人間には聞こえない声が聞こえる。普通の人間には出来ないことが出来る。普通の人間よりも植物に近い。ただそれだけ」
くるっと手首を返し、サクはその手の中に水球を浮かべる。
何をするのだろうと思う間もなく、水球は空へと舞い上がる。
空中でポンっと弾けたそれが砂漠の砂へと吸い込まれると、その一体だけが何故か緑豊かな土地へと変貌する。
一瞬前までは無かった木々が生え、芝生に覆われ、そしてピンク色の花が風に揺れている。
半径5メートルほどの「森」が発生した。
「それが?」
「そう。これが緑の民にしか出来ない事。最もこんな事が出来るのは俺と母さんくらいだろうけれどね」
「力が強いって事?」
「珍しく飲み込みがいいな」
「それは余計だ」
言ってから、ギルはしまったと体を身構える。
何か飛んでくるに違いないと思ったからだ。
だが予想に反して、サクからは何も飛んでこなかった。
「俺は緑の民で構わないと思っている。実際死ぬまでこの力が衰える事は無い。見たくれが変わるわけじゃない。なのに厄介事を押し付けてきたヤツがいる」
サクと過ごした数ヶ月の間、サクは一切自分の事を口にしなかった。
それは自分も同じだ。
どうして異国からこの国へ来たのか。それすらサクは知らない。
ギルの事を一切聞こうともしなかったから、サクと一緒にいられた。
多分、もうすぐ別れが来る。コンビは解消される。
わかっていて、ギルは耳を塞がなかった。
「ちょっと厄介事を片付けに行く。お前もくるか?」
「行く」
最後まで見守る事。それが二人の旅の終焉だ。
「で、どこにいくんだ?」
「クレア領の都まで」
ギルは首を捻る。
サクが行こうとしているところがどこなのか、さっぱり見当もつかないからだ。
移動に関してはサクの魔法に頼っている部分が多く、ギル自身、この国の地理を全く知ろうともしていなかったからだ。
どーせなんとかなるだろ? と構えていたし。
「それってどこ?」
「海辺」
ざっくりしすぎている答えだが、ギルはそれでいいやと思った。どうせ詳細を説明されたってわからない。
「じゃあついでに神殿の巫女様に会いたい」
「あー。前に言ってたお前の女ね。でも龍を捕まえなきゃ会って貰えないんじゃなかったか?」
「どーだろね。まあ行けば何とかなるよ」
「大雑把だな」
「だって龍なんてわかんねーもん」
「わかんねーもんを探すお前の神経がわからんわ」
呆れ顔のサクが5メートル四方の森から出て、砂漠の上に何やら書いていく。
地図のようなものだとギルは認識したが、異国の文字はわからないので読めない。
「大雑把なお前にわかるように大雑把に説明してやろう」
木の枝で長方形を砂の上に描き、それを四つに割り、さらにその中心に円を書く。
そのそれぞれにサクは文字を綴っていく。
「ここがクレア領。俺たちのいるところな。四角の右下。真ん中がリルド領」
「リルド領?」
「ああ。以前助けたでかい帽子の子供が住んでいるところだ」
思い出した。頭の二倍はあるであろう奇妙な帽子の少年。
名前はもう忘れた。
「右上がサルーン領。お前の故郷と接しているのはここだな」
「うん。山脈越えないと来られないけれどね」
さらっと言った言葉をサクは流した。
険しいと有名な山々があるが、あれを一人で越えてきたのだろうか。いや、まさかな。
「その隣、左上がグリッドル領。左下がキリュイ領。覚えたか?」
「無理」
「だろうな」
ふうっと溜息を吐きだしたサクだったが、今日はギルに対して攻撃の意志を見せていない。
理解できると最初から思っていないのだから失望する事も無い。
「覚えなくてもいい。理解しなくとも構わない。が、一つだけ教えておいてやる」
「偉そうに」
サクが空に向かって手を伸ばす。
あれー。珍しく怒らないのかと思っていたら、その拳が思いっきりギルの頭を殴りつけた。
「いってーな。何しやがる」
「実力行使だ。悪いか?」
「やるなら魔法で来い! じゃなくって、暴力反対だっ」
「それが人に教えを請う態度か?」
「何も教えてくれなんて言ってないっ」
にやりとサクが笑う。
「じゃあ龍のことを教えなくてもいいんだな?」
「神様、サク様。どうか教えて下さい」
あの美しい人に結婚の承諾を貰うためだ。サクに頭を下げる事などなんてこと無い。
超腹立つけどな。……言わないけれど。面倒だから。
そんなことをギルが腹の中で思っていることをサクは勘繰りもせず、笑い声を上げる。
「教えてやろう」
「えっらそー」
ついつい思ったことが口に出た。
しまったと思った瞬間には、ギルは砂漠の中に体が半分以上埋まっていた。
「そのまま黙って聞け」
サクの魔法で落とし穴に落とされたギルは素直にサクの話に耳を傾けることにした。
「龍ってのは太古の生き物だ。今はいない」
「えー? じゃあ俺巫女様と結婚出来ないの?」
「だろうな。お前が異国人だと知り、体よく断ったってことだろう」
あの美しい人が嘘を吐いたとは思えなかった。
でもサクの話に突っ込みを入れたら、多分今度は全身砂に埋もれる事になるだろう。
とりあえず黙って話を聞くことに決め、ギルはそれ以上の文句を口に出さなかった。
「ちなみにこの国には龍以外の化け物も多数存在する。リルド領の一角獣。サルーン領の亀」
「亀? 亀ってあの亀?」
「そうだ。それに蛇が巻き付いている巨大な亀だ」
ふーんと返事はしたものの、亀が化け物ってよくわからない。異国人のギルには理解不能だ。
「グリッドル領の虎。キリュイ領の鳳凰。全て神話の世界に出てくるのだが、それぞれの領地を統べていたらしい」
「いつ?」
「大昔。人なんかが生まれるずっと前だ。そういう風に言われている。そして今はいない」
「一匹も?」
「一匹もだ。ついでにそいつらを全て支配下においていたのが仙人。その娘が巨大な帽子を被った、砂漠で死に掛けていた子供が探している仙人姫だ」
うーんと下半身が埋もれたままギルは考える。
どうしてそんな事をサクが突然言い出したのか。
よくわからないけれど、龍などいないのだということを言いたいのか。
「そいつらと匹敵する化け物が緑の民。そういう認識なんだ」
ああ、そういうことかとギルは納得した。
つまりは自分が化け物だという事を言いたかったのだろう。
「じゃあ緑の民が生きているなら、龍だって生きている可能性がある」
「はぁ?」
心底呆れた顔のサクにギルがにっこりと笑いかける。
「龍もいるよ、きっと」
何も答えず、サクは口内で呪文を詠唱する。
次の瞬間、砂漠には人影はなくなっていた。




