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異界寓話  作者: 来生尚
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魔法使いの笛の音

「いないものは仕方ないか」


 どのみち、いつかは別れるのだから。


 ギルはくいっと顔を上げて空を見上げた。


 俺がすべき事はただひとーつ! 龍を見つけることだ。


「なあ、サク」


 ふいに口から出た言葉に自分でも驚いてしまう。


 こんなに他人に依存していた事がかつてあっただろうか。


 そんなに長くない人生を振り返ってみても、記憶に無い。


「やっぱ魔法は便利だからかなー」


 そう結論付けて、ギルもまた歩き出した。



 サクはというと、正攻法で金を稼ぐ為にいつぞやの吟遊詩人のように噴水のある広場の前に来ていた。


 大体流しの芸人というのは、こういう広場を好む。


 幸い先客はいないようで、噴水の傍の一番目を引く場所に陣取る。


 相変わらず小汚いローブで全身を隠しているので、怪しい事この上ない。


 故に近寄ってくる者などいない。


 その笛が鳴り出すまでは。



 サクが母から借りた笛は「森の笛」


 緑の民なら誰もが吹くことが出来るが、普通の人間には鳴らすことの出来ない不思議な笛。


 それを入手する事は非常に困難で、珍しいモノを入手しようというコレクターの間では高値で取引される。


 そもそも緑の民というのが、所謂伝説の存在であり、その姿を生涯一度でも見ると幸運が訪れるというのだから「森の笛」の入手難度はかなり低い。


 まあ、見た目はごく普通の縦笛なのだが。


 ローブを脱がないままサクは空を見上げた。


 抜けるような青空には鳥の影さえ見えない。それでもサクは確信していた。


 これから起きることを。


 何故なら彼は「緑の民」なのだから。




 一小節。



 ふわりと風が巻き上がる。



 二小節。



 サクの足元で花が揺れる。



 三小節。



 行き交う人々がその足を止める。



 四小節。



 蝶がひらひらとサクの周りで踊りだす。




 たった四小節。それで十分だった。


 誰もが怪しげなローブの男を見つめる。


 舞う風が、サクの頬を撫でていく。


 が、風は知っている。サクの身を人々に晒してはならない事を。


 一陣の風は、サクを中心として渦を巻くように人々を巻き込んでいく。笛の音を人々に聞かせる為に。


 歌うように鳥たちがさえずりだす。


 それがまるでサクの笛の音の伴奏をするかのようであり、競演するかのようでもある。


 集まる鳥たち。


 最前列で聞き入る猫や犬。果ては鼠まで。


 なんていうことの無い曲のはずなのに、人のみならず全ての生命がサクの笛の音に魅了される。


 永遠に続くかに思え、それでいて突然曲調が一転。


 かと思うと、鳥たちに歌うことはまかせたかのように笛の音が止まる。


 止まるたびに、もっと聞きたいと集う者たちは思う。


 どうかこの奇跡のような曲が永遠に続きますように、と。


 まるで夢物語のようだと。


 吟遊詩人の語る物語の一節に迷い込んだのだと錯覚し、目の前の音と雰囲気に酔わずにはいられない。



 歩いていくうちに、ギルは奇妙な塊を見つける。


 人の塊。


 何かを見るかのようにしている人々の方が同じテンポで揺れている。


「変なの」


 口に出して言ってみたものの、いつものようにツッコミを入れてくれる相棒はいない。


 一体あれは何なのだろう。


 ギルもまたその場に近寄っていく。


 群集で幾重もの人垣が出来上がっていて、前に進むことも何が起こっているかを視認する事も出来ない。


 ただわかるのは、音。


 心に染み入るような高音。そして魂を振るわせるかのような低音。


 恐らく同じ楽器を使っているのだろうが、全く違った二種類の音が耳に飛び込んでくる。


 喜びを表現するかのような明るい音。深淵を表すかのような深い音。


 そして合間には喜ぶかのような鳥のさえずり。


 何故鳥?


 不思議に思って空を見上げれば、何羽もの種類の違う鳥たちが空で旋回している。


 ギルの国はこの国ほど文明が発達していない。


 しかし自然のモノと人間の間には明確な隔たりがある。


 それなのに、それなのに、目の前の光景にはその隔たりが無い。


 そしてよくわからないけれど、ギルの頭の中には波の音が響きだした。


 寄せては返す波の音。


 海辺にある神殿で、海の中に立ち尽くしていた美しい女性。


 今どうしてその人を思い出すのだろう。


 朝焼けの中、あの人はなんて言っていただろう。それすら思い出せない。


 でも、あの波が。


 あの波の音が聞こえる。


 ギルはずいずいっと人を掻き分けて前へと歩き出す。


 その中心に答が歩きがした。


 嫌な顔をされながらも、一歩ずつ確実に前へと詰めていく。


 この国の平均よりも背の高いギルはある程度前まで行くと、音を出している人物の正体に気が付く。



 サク。



 間違いなく肉を食わない自分の相棒。


 見たことの無い笛を唇にあて、多彩な音を放っている。


 こんな事が出来るなんて。


 サクと過ごした数ヶ月の間、一度も見たことがなかった。


 あの怪しい風貌も、この優しい音色の前では全く怪しさを感じさせないものになっている。


 それどころか「神秘」とさえ感じるほどだ。


 ざわっとギルの肌が粟立っていく。


 見上げた空が、あの神殿で見た一枚の絵と重なった。



 青い空。羽ばたく鳥。そして、龍。



 白くたなびく雲がまるで龍と呼ばれた生物のように見える。




 ふいに止まった音の合間に誰かが呟いた。


「緑の民?」


 それに同調するかのように「緑の民」という声が広がっていく。


 遠くにいても相棒がチっと舌打ちしたのをギルは感じた。


 そしてサクがどこかに行こうとするであろうことも。


 ざわめく人々を押しのけ、ギルはサクへと手を伸ばした。


 光の粒かサクを取り巻いている。


 一瞬でも遅れたら、もう出会えない。


 動物たちがギルに慄いて逃げる。駆け抜けて、そして薄汚いローブをぎゅっと掴む。


 ふわりと揺れたローブの向こう側でサクがチっと舌打ちした。


「一銭の稼ぎにもならなかった」


 世界は、サクとギルを切り離す。


 もうそこに怪しい二人組の姿は無い。




 残るのはただひたすらに広がる青空だけで。

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