母と弟と木霊と森と
ギルと別れたサクは森の中に足を踏み入れた。
ここに求めているものがあるのかどうかはわからない。
が、それが無くては今の強盗稼業から足を洗うことが出来ない。
それはそれで構わないと思っている。
だが、そろそろ手配書の一枚くらい出てしまいそうだ。
故にしばらくは大人しく金を稼いだ方が良さそうだと判断した。
「おかえり」
「おかえり」
「おかえり」
森の中から聞こえる声に、うんざりとしたサクは溜息を吐き出した。
それでも聞こえる「おかえりコール」
「うるさい。ちょっと黙ってろ」
そう言って止まる相手ではない。
木霊相手に馬鹿馬鹿しい。
ふんっと鼻を鳴らしてサクは森を突き進んだ。
森の中に、一際輝く泉がある。
しまったとサクは思ったが、一歩遅い。
「兄さん」
声を掛けられてしまえば拒否する事は出来ない。
「……何か用か」
「父さんがそろそろ戻って来いって」
サクとは似ても似つかぬ髪色の青年が泉の上に浮かぶようにして立っている。
似ているのは瞳の緑の色だけ。
「帰らない。俺は緑の民だ」
「違う。兄さんは緑の民じゃない」
「緑の民だ。この髪の色も瞳の色も肌の色も。その全てが俺が緑の民だと言っている」
ローブを引き剥がすかのように脱いだサクに、サクの弟がふっと緊張を解くかのように息を吐く。
「無駄だよ。龍魂は既に兄さんの中にある。残念ながらそれから逃げる事は出来ない」
「煩いっ。黙れ!」
サクの手から稲妻が弟に向けて飛んでいく。
弟はにっこりと微笑んだままそれを受け止める。
否、その体を通り抜けて後ろの木にぶつかり、木が裂けた。
「緑の民のくせに、森に優しくないね」
嫌味な言葉と共に弟は姿を消す。
輝く泉も、最初からそこに存在していなかったかのように消え失せている。
「くそっ」
呟いた声は木々に吸い込まれていく。
「おかえり」
「おかえり」
「おかえり」
再び木霊たちが詠い出す。
そのうちの一つを手に取り、はーっと溜息を吐く。
「普通の人間は木霊に触れたり懐かれたりしねえんだよ、阿呆が」
木霊とともに、サクは森の奥へと歩いていく。
森の中、その奥深くに目的の地がある。
どうやら空間が上手い具合に歪んでくれたようだ。
「おかえりサク」
煩いくらいの木霊とは対照的に、張りのある声がサクの耳に届く。
「こいつらに、おかえりって言わすのやめて。煩い」
「ふふっ。それだけ好かれているって事よ」
緑の髪、緑の瞳、透き通るような白い肌。
サクと違うのは、その人物が丸みを帯びた曲線を持っていることだろう。
両者は瓜二つと言っても過言ではないくらいに似通っている。
サクの手に乗っていた木霊は、女性のほうへと飛び移る。
「帰ってきたの?」
木霊ではなく、問いはサクへと向けられる。
「まさか。寄っただけ」
「さっきエイに会った?」
「会った。うざかった」
くすくすっと女性は笑い声を上げる。
「二人しかいない兄弟なんだから仲良くすればいいのに」
「お断りだ」
肩を竦めるだけで、女性は何も言わずにサクに背を向ける。
「エイに会いに来たわけでも、帰ってきたわけでもない。何をしにきたの? サク」
「あれ貸して。母さん」
「あれじゃわからないわぁ」
「……笛」
ああと呟き、母と呼ばれた女性は溜息を吐く。
「帰ってきてくれると思って喜んでたのに。でもまあ父さんのところへ行かれるよりはいいかしら?」
意味ありげな笑みを浮かべ、母はサクに木作りの笛を手渡す。
ポンっと乗せられた笛を握り、サクは溜息を吐き出した。
「エイが俺の中には龍冠が既にあるとか言いやがった。俺の知らないところで何やりやがった?」
「あたしは知らないわぁ。そんなものには一切興味が無いもの。知りたければ父さんに聞いてちょうだいな。じゃあね、サク」
次の瞬間、サクは森の木立の中で一人佇んでいる。
家も母も幻想のように一瞬にして消えている。
森の民とも緑の民とも呼ばれる一族の魔法。
まだそこまでの技は会得していないサクは、手の中の笛を握り締めて溜息を吐くだけだ。
「めんどくせえ。あそこに行かなきゃならないのか」
頭の中には相棒の姿が浮かぶ。
「あいつ、回収してから行こうかな、一応」
サクは口内で呪文を詠唱し、森の木立の間から姿を消す。
それを見る者がいるとも知らずに。
「ギル」
突然の呼ぶ声に、ビクっとギルが肩を揺らす。
ちょうど肉を食んでいたところだった。
「いきなり声掛けんな。貴重な肉が口から出るところだったぞ」
「そしたらお前の腹の肉でも食え」
向かい側に座った相棒をギルは観察する。
数日前に別れた時と何も変わらない気がする。
うん、変わってないと思う。見た目は。
だけど何だろう。どこか刺々しさがおかしいような。
ま、いっか。
「やだね。自分の腹に口なんて届きませーん」
「……ああ。そうだな」
おかしい。確実におかしい。
これは明日、いや、今すぐ空から雹が降ってくる。いや、雪か? いやいや、槍かもしれない。
「お前、腹でも壊した?」
ボコォ。
腹を抉る空気砲。
これでこそサクだよなぁ。って俺の肉ぅぅぅぅ。
「きったねえ」
「お前がやったんだよ。お前がっ」
口から飛び出した肉をしかめっ面で眺めるサクに文句の一つも言わねば気がすまない。
「口から出さない努力が足りない」
「努力で解決するかっ」
普段なら倍返しが待っているところ、サクが無言を貫き通す。
なんか、本気で気持ち悪い。
吐きそうという意味合いではなく。
「お前、一人で稼ぐ気あるか?」
「無い」
「……だよな。じゃあ俺に付いて来い」
「何様だよ」
「サク様だ」
葡萄酒を口に含み、サクが立ち上がる。
「行くぞ」
肉を食うことに熱中している相棒にサクが声を掛ける。
「やだ。食い終わるまで行かない」
「なら置いていく」
バチっと二人の視線がぶつかり合う。
一触即発のその空気に、何故か周囲に緊張感が走る。
「肉だ」
「行くぞ」
「肉だ」
「行く」
「肉」
「行く」
「肉っ。肉っ。肉肉肉!!」
ギルの主張にサクが溜息を吐く。
「ならば置いていくだけだ」
バチっと二人の視線の間で火花が散る。
その間もギルは口に肉を運んでいる。
「お前は自分が肉を食わないから、肉の美味さがわからないんだ。だからそんなことを言える。俺は食いきるまで動かない」
「……勝手にしろ」
サクはぷいっと顔を背けて店から出て行ってしまう。
一人でどこかに行くわけがない。
ギルには確信があった。
「あれ?」
サクがいない。右を見ても左を見ても、ぐるりと周囲を見回してもサクがいなかった。




