詠えない吟遊詩人
「腹減ったな」
呟くギルを一瞥しただけで、サクは何も言わずに市場の中を進んだ。
「なあ、魔法で食い物出してくれよ」
「出来るわけないだろう。大体魔術を使えない奴というのは、魔術を軽く考えすぎている。一つの魔術を使う為には術者の体力と気力がかなり消費される。いいか。俺が魔術から食い物を生み出すということは、俺自身を食らうという事と変わりないんだ」
「御託はいいよ。それにそんな腹壊しそうなまずそうなものなんて、いらない」
ボッ。
火焔の球がギルの顔を掠める。
「あちー! って、てめえ。何するんだよ!」
「腹減ってるんだろう? 焼いたら食えるかと思って、とりあえず焼いてみようと思ったんだが」
「俺は自分の肉を食う趣味はない!」
チリチリになった髪を大事そうに撫でながら、ギルがサクに食って掛かる。
「あっつーーーい!!」
ドボン。
絶叫と何かが水に落ちる音が、ギルの背後から大音量で響く。
それぞれ買い物の為に歩いていた人たちが、音のした方角を振り返る。
「お前のせいだぞ」
「避けたお前が悪い」
詰め寄るギルを押しのけ、サクは市場の中央に位置する噴水に向けて歩き出した。
少しでも罪悪感をサクが持っているかどうかは、ギルの窺い知らぬところである。
「大丈夫か」
噴水の中に背中から落ち、右腕の袖を焦がしている男にサクが声を掛けると、男はぶんぶんと首を縦に振る。
「手を貸してやれ」
「えー。やだよ。何で俺が」
「お前が避けたから、お前の責任だ」
淡々とした様子のサクに、ギルは思いっきり嫌な顔をした。
「自分が元凶なクセに」
ザバンっと大きな音を立てて噴水の水が柱になり、ギルの前にそそり立つ。
サクは相変わらずの調子で、自分より頭一つ背の高いギルを睨みつける。
「何か言ったか」
「いーえ。なーんにも」
目の前で繰り広げられている出来事に目を白黒させたまま、男は噴水の中で腰を抜かしていた。
その男の腕をギルが掴み、ひょいと持ち上げて噴水の淵に座らせた。
「あ。あの。どうも」
男はそれを口にするのが精一杯だった。
全身を灰色のローブで包み、顔さえも隠している多分魔法使いの男。
そして決して華奢ではない自分を軽々と腕一本で持ち上げた大太刀を背負う男。
どこからどう見ても、怪しさ全開だった。
関わり合いになりたくないという感じで、人々は遠巻きに彼らを見つめ、噴水に落ちた災難な男に同情した。
こんな男たちに助けられるなんてと己の不幸を呪い、気付かれぬように男は財布を懐奥深くにしまいこんだ。
新手の強盗かもしれない。
男は二人に警戒心を緩めるような事はしなかった。
「あ。竪琴!」
男は命よりも大事な商売道具を探した。
「これか?」
サクの指差す方向に転がる竪琴を必死で掴み、二人に取られぬように胸の前で抱きしめた。
「吟遊詩人?」
「……はい。まだレベル1ですけれど」
ギルの問いかけに、男は答えた。
レベル1がどういう意味かなんて、ギルは考えなかった。
「へー。じゃあ詠ってみせて」
笑顔で言われると、別に裏なんてないような気もして、男は竪琴を構えた。
「では一曲」
……。
「やめろ! 今すぐやめろ! 何だその歌は。お前それでも吟遊詩人か!?」
サクが両耳をふさいで、彼としては珍しく大声を上げた。
「ジョブチェンジしたばかりなんです。遊び人レベル50まで上がって立派なヒモになれたんで、夢をかなえようと思って」
竪琴を愛おしそうな目で見つめ、男は夢を語りだす。
「昔、子供の頃、生まれ故郷の村に吟遊詩人の人が来たんです。その人みたいに色々なところを旅して、沢山の人に歌を聞かせて一時の夢を与えたい。その為に吟遊詩人になったんです」
興味なさそうに男を見つめ、サクが腕組みをする。
ギルはニコニコと笑っているだけで、特に何も口を挟もうとはしない。
「で、お前は元々遊び人だったんだな」
冷たい口調のサクの様子など気にせず、男は紅潮した顔で話を続ける。
「はい。元はヒキコモリでした。それからニート。パラサイトとレベルアップして、素敵なマダムのヒモになれたんです」
「……その話は長くなるのか?」
「はい?」
「では終了だ。これ以上は聞きたくない。こちらにも色々都合がある」
サクは無理やり男の話を切り上げさせた。
しょんぼりとした様子の男に、ギルは人のよさそうな笑いを浮かべて話かける。
「それ、立派な竪琴だね。どうしたの」
「買ってもらったんです。マダムに。やっぱり道具って大事じゃないですか。年代物で高級品なんですよ、これ」
「演者が悪ければ、宝の持ち腐れだろうに」
サクの毒に、男は気付いていない。
ギルも敢えてサクに何も言おうとはせず、徹底して無視する事に決め込んだ。
このサクという男。息を吐くように毒を吐く。
いちいち気にしていてはきりがない。
「そうなんだ。いいマダムと出会ったんだね」
ヒモの意味するところを理解する事もなく、ギルは男に笑いかけた。
にこやかに歓談する二人の様子を、サクはつまらないものを見るかの様な目で一歩離れてみている。
メシの種。
軍資金。
手っ取り早く。
サクの頭の中のそろばんが、勢いを立てて動き出した。
「それ、呪われてるぞ」
ボソっと呟いた言葉に、男はきょとんとした顔でサクを見つめる。
「どういう意味ですか」
「キミは元来音痴ではないはずだ。美しい声でマダムを魅了していたのではないか」
「……はあ? 多分ボクのテクニックとか話術とか色々だと思いますけれど」
何を言っているんだといわんばかりの顔で、男が答える。
ギルは白い目でサクを見ている。
また何か企んでいるな、と言わんばかりに。
「そのキミがあのような歌声でしか詠えないというのはありえない。それは呪いの竪琴だ。どんな優秀な演者もその竪琴の主人となった途端に、下手糞な歌しか歌えなくなる」
もっともらしく熱弁をふるうサクの様子に、男は魔法に掛かったように聞き入った。
ボクはもっと上手く詩を紡げるはずだ。
こんなはずじゃない。
伝説の吟遊詩人になれるんだ。
と思いつつ、サクの言葉に首を縦に振った。
「悪い事は言わない。これは手放した方がいい。楽器屋では何も言っていなかったか」
男は一気に青ざめ、唇を震えさせる。
「そういえば、いわく付きって……。やっぱり呪われているんですか?」
はぁっとギルが溜息をつく。
それが男の背中を後押しした。
「こ、これ貰ってください。呪いの竪琴なんていりません。どうぞ。また新しいのをマダムに買って貰いますから」
「そうだな。その方がいい。いや、もしかしたらキミは吟遊詩人よりも向いている職業があるかもしれない」
ごくっと男は唾を飲み込んだ。
そしてサクの指差す方向を見る。
そこには愛しの金づる。もとい、マダムが心配そうな顔で立っていた。
「あの美しいマダムの心を癒せるキミだ。その優しい心を生かす職業を探し、あのマダムと共に幸せを築くのはどうだ」
「ボクに向いている職業はなんですか」
「それは自分でよく考える事だ。あのマダムの懐事情もあるだろうしな」
続けた言葉は、ギルにしか聞こえないような小声だった。
あれをマダムと言い続けられるサクってすごいな、とギルが心の内で思っていることを男は知らない。
遠めに見たその体格は、普通の女性よりも横幅が広く、遠目から見ても存在感バッチリだった。
「ありがとうございます。ボク、行きます。これ、どうぞ」
男は竪琴を押し付けるようにギルに手渡し、マダムのほうへと小走りで駆け寄った。
「これ、どうするんだ」
「売るに決まってるだろう」
涼しい顔のサクに、ギルはやっぱりなーと言葉を続ける。
「詐欺師か、お前は。あの饒舌。何かあると思ってたんだ」
「人聞きの悪い。あの下手糞な歌を二度と聴かされるのはゴメンだったし、お前腹減ってるんだろう」
竪琴をギルの手から奪い取り、サクはじーっとそれを見つめた。
「呪いの竪琴。口から出任せだったが、これは本当かもしれないな。人の念が絡んで解けそうにない」
「何か言ったか?」
ギルの問いかけにサクは答えず、この竪琴は一体どこに持っていこうかと頭の中の道具屋武器屋一覧から適当な店を探していた。




