恋する男のエトセトラ
「巫女様、ノゾミって名前なんだ」
頬を染めて呟くギル。
サクは心底呆れて溜息を吐き出した。
名前さえも知らないのに、彼女? 結婚?
「はい。ギルバート様」
微笑むノゾミの頬も紅潮している。
ま、ま。まさかの両思い。
サクは思わず弟のエイの顔を見た。
しかしエイはふうっと息を吐いて二人の様子を見るに留まる。
驚くとかといった、サクのようなリアクションを取る事は無い。
「ノゾミはギルバート様がお帰りになられるのを、一日千秋の思いでお待ちしておりました」
「……ありがとう」
照れて頭をボリボリと掻く姿に、サクは溜息を吐き出した。
なんかもう、どーでもいいやという気分で。
「ねえ、サク」
耳元でギルが囁く。
「一日千秋ってどういう意味?」
ぐいっとその顔を押しのけ、サクが「バーカ」とギルに囁く。
知らなくても異人なのだから仕方が無いかと思いなおしたが、既にギルの意識はノゾミに向けられていたので、そう思った自分のほうがバカのように思えてきた。
「エイ」
サクはギルから離れて弟のエイの傍へと歩みを進める。
腕組みをして立っていたエイは、視線をサクへと投げかける。
至近距離で二人並んでいると、髪の色も肌も色も全く違っているが、印象がとても似ている。
本当に兄弟なんだなと、ギルはちらっと見ながら思った。
が、それは一瞬の事。
視線はノゾミに一直線。
「会いたかった」
「わたくしもです。ギルバート様」
外野の見えていない二人は、二人だけの世界を構築しだす。
「そう言って貰えるなんて嬉しいな」
「ふふふ、当たり前じゃないですか。だってギルバート様は」
ポっと頬を染め、ノゾミが視線を逸らす。
「俺が、何?」
「やだ。そんな事恥ずかしくて言えませんっ」
両手で顔を隠すようにしてイヤイヤと首を振るノゾミの姿に、ギルの鼻が決壊する。
止まりかけた鼻血がつーっと垂れてくる。
「あのアホ。どんだけ鼻の粘膜弱いんだよ。恥ずかしいヤツ」
そんなサクの罵倒など、ギルの耳に届くわけが無い。
エイはぷっと堪えきれないように笑みをふきだした。
「それでも対女性の経験値はギルバートさんのほうが上でしょうに」
「ぬぁぁにぃ?」
地の底から出てくるような声に、エイが肩を竦める。
「だって兄さんのその姿を見て逃げない女なんていないでしょ」
「いるっ。絶対にいるっ。この世のどこかにいるはずだっ」
ムキになるサクに対して、エイがふっと鼻を鳴らし、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「童●が必死すぎ」
「そーいうお前はどうなんだよっ」
「女性にはもてますよ? 不自由してません」
初めてサクは弟エイに敗北を認める。
くっそー。この容姿じゃなかったら……今ほど緑の民の特徴を色濃く残す自分を忌々しいと思ったことは無い。
緑の髪じゃなければ、肌が異様に白くなければ、世の中的にはイケメンの部類に入るはずなのに。ちくしょー。
その性格に難がありすぎて、女性から敬遠されていることに、サクは気が付いていない。
「兄さん」
「……なんだ」
「困ったら商売女という手もあるんですからね。まあ多感な年頃は過ぎているので、犯罪者に成り下がるような真似はしないでしょうけれど」
「お前は俺を何だと思っている」
「兄だと思ってますが?」
はーっと溜息を吐き出したサクの背をエイがぽんっと叩く。
「だから一人で色々抱え込まなくていいんですよ」
「ふーん。で、カッコイイこと言ったわりには、何で俺に龍魂寄越した。あれはお前のものだろう?」
「その話は今はしません」
きっぱりと言い切り、エイはくいっと首でギルとノゾミのほうを差す。
ああ、まずはあのバカの恋愛問題を解決しなくてはいけないのか。
でも面倒だから、傍観者に徹しよう。
サクはそう結論付けた。
「神殿は禁煙?」
言いながらサクが煙草に火を点ける。
倣うように弟のエイも煙草を咥えるので、どうやら禁煙ではないようだ。
二人が紫煙を燻らせて見つめる先には、バカップルにしか見えない二人がはにかんでいる。
「ギルバート様」
「なに?」
「わたくしも、ギルって呼んでもいいですか?」
「え? どうして?」
「だって、お兄様だけがギルバート様の特別みたいな気がして。わたくしもギルバート様の」
あははははとギルが乾いた笑いを浮かべる。
「別にサクは特別なんかじゃないし。ただの相棒」
「相棒?」
「そう。旅を共にする為のね。だけどノゾミちゃんは違うでしょ?」
なんだろうというかのように、ノゾミが首を傾げる。
そんなノゾミの髪を撫で、ギルが笑う。
「ノゾミちゃんは、俺が一生一緒にいたい人でしょ」
甘ったるい囁きに、一気にノゾミの体温が上がる。
傍目に見ても明らかなほどに。
「……ギルバート様」
「俺とずっと一緒にいてくれる?」
微笑むだけでノゾミは何も答えない。
ふふふという声だけが、虚しくギルの耳に届く。
「ええ。あたりまえじゃないですか」なんていう期待していた通りの答えは返ってこない。
待てど暮らせど、望む答えは返ってこない。
ニコニコ笑っていたギルも、さすがに不安になったのか、段々表情が曇ってくる。
結婚式の日程を決めると息巻いていたのが、まるで嘘のように。
先ほどまでの甘い雰囲気など、とうに払拭されている。
「ギルバート様。お約束いたしましたわよね?」
どこか硬質で冷ややかささえ篭められた声がノゾミの口から発せられる。
にわかにその声がノゾミのものだと思えず、思わずきょろきょろとギルは周囲を見回してしまう。
だがやはり声の主はノゾミだ。
「龍を連れて来てくださいって」
すっとギルの目の前にこの上に「乗せろ」と言わんばかりに、ノゾミの手が差し出される。てのひらを上にして。
が、ギルが龍をその上に乗せられるわけが無い。
「あのさ、龍って、もう、いないんでしょ?」
困ったギルは搾り出すように問いかける。
それに対し、ノゾミは不思議そうに首を傾げる。
「連れて来てくださったから、ノゾミに会いに来て下さったのでしょう?」
ギルは助けを求めるかのようにサクを見つめるが、サクはふいっと視線を逸らしてしまう。
あいつめー。何か嘘を教えたな、さては。
「龍を、龍魂をわたくしに下さいな、ギルバート様」
「やっぱり狙いはそれか」
「そういうことか」
紫煙を吐き出しながら、兄弟は異口同音の言葉を吐き出す。
互いに互いの目を見つめ、こくりと頷きあう。
「ギルバート様、龍魂を」
ずいっと一歩踏み込まれ、ギルは困ったように後ずさる。
「そんなもの知らないよー。りゅうこ?」
「りゅうこんですわ。りゅう・こ・ん。持ってないのなら、どの面下げてきやがったんですか、ここまで」
ニコニコと笑いながら言うが、逆にそれが凄みがあって恐ろしい。
ギルは心底困っていた。
ノゾミの突然の変貌も、それから謎の龍魂についても。
確かに龍を連れてきてと言われたけれど、さーっぱり意味がわからない。
愛しの巫女様の結婚の条件がそれだってのはわかってるけれど。
困って困って困って。
「サクー。さっきのあれ、やって。弟さんと戦ってた時の」
にやっとノゾミが笑んだ。
「お兄様が持っていらっしゃるのね。返して下さいますよね、お兄様」




