吸血鬼と外食します。
恐らく。これが彼の性格なのだろう。
薫は心底悔しそうな顔をして玄関で仁王立ちしていた。
その目はもちろんエリュに向けられている。
ひなたは苦笑し、優香は相変わらず微笑ましそうに見つめ、エリュは不思議そうに首を傾げる。
かれこれ数分はこの状態だ。
「…こ…っ」
「こ…?」
「この間は…悪かったわよ…っ。」
「この間?」
薫はこの間、つまりエリュとの初対面の日の事を言っているのだ。
ちなみにこの言葉を言うためだけに家で予行練習をしていたのは内緒だ。
その言葉にエリュは少し考えて切り返す。
「え?俺何かされたっけ。」
うーん…と考えるエリュに薫、キレる寸前。
すかさずひなたが補足を入れる。
「あー、ほら。この間さ、薫、結構エリュの事悪く言っちゃってたでしょ?だから…」
「んー、しょうがないんじゃねぇの?」
あっさりと答えるエリュに薫もさすがに困惑した。
今度は優香が首を傾げている。
「しょうがないの?」
「うん。だってさ、それってひなたの為に言ってたんだよな。」
「そ、そうだけど…。」
「じゃ、いいや。」
にっ。と笑ってエリュは答える。
自分の事をあれだけ悪く言われていたのにまったく彼女を責めることもなく。
ただ、ひなたの事だけを考えて。
「いいやって…あんたプライドとかそういうの無いわけ…?」
「あるよ?でもさ、もし俺が…えーっと…薫?の立場だったらたぶん同じように怒ると思う」
「それは…そうだけどさ…。」
「それに、それがこの世界の“人間”の俺たちに対するイメージ。なんだろ?」
うーん。と困ったように笑いながらエリュは説明する。
悲観するでもなく、不快な表情をするでもなく。さらりと言ってのける。
ちなみに、ひなた達の世界の吸血鬼像。
ある日、その一例が見てみたいと言うので吸血鬼物でホラー映画のDVDを借りて見せてみると彼は大爆笑していた。
というのはまた別の話。
「……ひなた…。」
「え?」
「こいついつもこんな感じなの…?」
「う、うん。そうだけど」
「薫ちゃん、ひとを指さしちゃだめだよ?」
ふふふ、と微笑ましく笑いながら優香がツッコミを入れる。
納得がいかない様子で薫はエリュを見ていた。
「買い物?」
「そ。夏服買に行こうと思ってね、ひなたも誘おうと思ったんだけど……」
そこで薫はちらりとエリュの方を見る。
3人が会話する様子を傍観しようとしていた彼は首を傾げる。
「俺のことは気にしなくていいぜ?留守番してるから。」
「え…。」
その言葉に困ったのはひなただ。
確かに薫と優香で女3人買い物をするのも悪くはないだろう。
でもその間、エリュは一人、この部屋でひなたの帰りをじっと待つことになる。
そこまで考えたところでひなたも彼の方を振り向く
いいよ?と言うように笑う彼。
「ね、ねえ…4人で…いかない…?」
「え?」
「いいの?」
「そうだね〜。みんなで行ったほうがたのしそうだし。」
ひなたの言葉に三者三様のリアクションを見せる。
とりあえず、この場合3人で悩んだ場合の決定権は
「薫…だめかな…」
「なによもう…なっさけない顔して頼み込まないでよ…」
ひなたに言われ、薫は肩を落とす。
相変わらず優香はにこにこと微笑んでいて、エリュは首を傾げて。
とりあえず。結論は出たようだった。
とあるショッピングモールの一角。
「別に全部持たなくてもいいのに…」
エリュはひなたの買った荷物を全部持ってくれていた。
とりあえずここまで二軒。
さして量は無いがさすがに全部持ってもらうと少し申し訳ない気分になる。
「いや?重くないし別にいいよ。それに俺の分も買ってあるんだし。」
「でも…」
そうひなたが言うとエリュは空いている方の手でひなたの頭を撫でる。
大丈夫。と言いたいのだろう。
と、エリュは薫の方にも手を差し出す。
「ん。」
「は?」
「荷物ちょうだい?」
「え?」
「だから荷物。重そうだし。」
「ちょ、ちょっと!これくらい一人で持てるわよ!」
失礼な!と言わんばかりに薫はよいしょ。と荷物を持ち上げる。
当初の目的だっただけに薫はひなたよりも服を買っていて若干重い。
そして比較的華奢なひなたよりもさらに一回り小さくてこれまた華奢なのだ。
一人で荷物を持っている姿を見て大変そうだなぁ。と感じたのだろう。
ちなみに優香はまだ何も買っていないので除外。
恐らく、彼女が何かを買っていればその分も持ってやっているはずだ。
“自分ができることで何かひとの役に立てる事があれば”という信条に従ってのことだ。
やがてエリュは薫が持っている荷物を下から抱えた。
「えっ、ちょっとっ…!」
「あー。手、かたが付いてるな。」
「素直に持ってもらったらよかったのに」
「薫…意地っ張りだもんね…」
「う、うるさいなぁもうっ!」
口々に感想を言うひなたと優香に顔を赤くして反論する薫。
それを横目に眺めつつ、よいしょ。と薫の分の荷物を抱えなおした。
何軒か回り、それなりに荷物も増えたところで昼食にすることにした。
と、薫があることに気が付いた。
「…あ。」
「へ?なに?」
「え、何か買い忘れたの?」
「違うわよ。」
ひなたも優香もエリュも首を傾げる。何だろう。
少し考えたところでひなたも気が付き、あ。と声を上げた。
昼食。でも“彼の昼食”と言えば。
「ど、どうしよう…。」
「人気のないところがいいわよね」
「でもそうそうないよ?こういうとこ。」
「さすがにトイレはダメだし…」
んー。と考え込む3人に首を傾げるエリュ。
彼女たちが何を考え込んでいるのかあまりわかっていない。
「ちょっと!あんたも考えなさいよ!自分の食事の事よ!?」
「ん?」
指摘され、あぁ。と納得する。
エリュの食事というのはもちろん吸血行為に他ならない。
彼の場合、我慢していると腹が雄弁に物語ってくれるので先に済ませておいた方が無難だ。
「ひ…非常階段…とか…」
「でも通るときは通るわよ?子供とか。」
「うえぇ…どうしよう…」
「1階の階段下のスペースなら見つからないよ?」
「それいいかも!!」
とりあえず食事場所決定。
荷物をどうしようか。と迷ったエリュに薫が声をかける
「あぁもう!見ててあげるからさっさと行ってきなさいよ!」
「ありがとう」
にっ、とエリュが笑うと薫は顔を赤くして目をそらした。
それを不思議そうな顔で見つつ、エリュはひなたについて行った。
非常階段の階段下。少し薄暗く、埃っぽい。
「なるべく早く済ませないとな。」
「う、うん。そう…だね。」
今からするのは彼にとっては単なる食事であるはずなのにひなたは何故か妙な羞恥を感じる。
恐らくそれは血を飲んでいる時の彼の雰囲気がそうさせるのだろう。
エリュは彼女の前に跪き、ひなたの着ている薄い長袖をするりと捲る。
そうしてその白い肌にゆっくりと牙を立てた。
二人で協議を重ねた結果。一番飲みやすく、かつ、ひなたがギリギリ恥ずかしくない場所がそこだった。
どこであれ、恥ずかしい事には変わりないのだが。
ちなみに、オーソドックスに首筋から飲もうとしたところ、
ひなたから突き飛ばされて往復ビンタされたのでそこは避けている。
しかも相当怒らせてしまったらしく、その日は食事をさせてもらえなかった。
そんなわけで、腕から飲むことにしたのだ。
「…ごちそうさま。」
「う、うん…。」
「うまかったよ。ありがと」
にっこり。と笑うエリュ。いつもの笑顔、先ほど薫に見せた笑みではなく、優しい笑顔。
ひなたが顔を赤くして俯いていると、いつものようにハンカチで優しく口を付けた場所をぬぐっていく。
これが最近の日常なのだが、どうしても慣れるという事が無い。
彼に吸血行為をされるたびに、必ず羞恥を感じてしまう。
ただ単に腕を晒しているだけなのだが。
彼に、すべてを見られているようで。
「た、ただいまー…」
「遅い!」
「おいしかった?」
「うん」
「そっかぁ」
「優香、ソレ普通に聞くことじゃないでしょ!?」
まるで何か料理を食べてきたのかとでも聞くような優香に素直に答えるエリュ。
はじめは驚いていたものの、もうすっかり慣れてしまったのか彼の行為にあまり違和感を感じていないようだ。
よいしょ。と再び全員分の荷物を持ち直すエリュ。
これがひなたの分で…と間違えないように確認しなおす。
エリュの腹が膨れたところでようやく全員カフェに入ることにした。
薫、優香、ひなたの順で注文を決めていく。
しかし、人間の食べ物にあまり馴染みのないエリュはどうすればいいのかよく分からない。
困ってひなたに相談したところ。
「コーヒーとかどうかなぁ。」
血って苦いし。と彼にだけ聞こえる声で言う。
エリュは少しだけ悩んで、頷いた。
一応味覚だけはあるので頼むだけ頼む。
その方が違和感がないと感じたからだ。
カフェの風景を見ながら、エリュは故郷を思い出していた。
そう言えば、故郷にもこんな場所があるよな。と
ぼんやりとテーブルを見つめ、考える
懐かしい思い出。けれどもどこか悲しい思い出。
もう、顔も思い出せない。幼い頃の思い出。
優しく微笑む口元、名前を呼んでくれる声…
「…リュ…」
冷たくなった、その躰…―
「エリュ!」
「え?」
薫に怒られてエリュは現実に引き戻された。
目の前にはいつの間に来ていたのか湯気を立てたコーヒー。
ひなたも優香も、心配そうに彼を見つめている
「…エリュ、大丈夫?まだ食べたりなかった?」
「や、そういうんじゃないよ」
心配そうに問うひなたに笑顔で返す。
本当に笑えているのか分からないが、彼女には心配をさせたくなかった。
不安になったのか、ひなたはエリュの額に手を当てた
柔らかなそれでいてあたたかい手のぬくもりが伝わってくる。
「本当に大丈夫だよ。言ったろ?俺たちは頑丈だって」
彼女の髪を撫で、エリュは程よく冷めたコーヒーを口に含んだ。
熱くて、苦い味が、口の中に広がる。
それは、今の彼の心のようだった。