◆恋愛四角関係
いつもの練習室。
グランドピアノの前に座って一音鳴らす。
すぅ、と息を吸い、歌い始めたのは私の大好きな映画の挿入歌。
本当はカンツォーネとかシャンソンとかを歌うべきなんだろうけど、到底声楽で食べていく事なんて叶わないって事を知っていた私は音楽は楽しむべきだ、なんて学生にあるまじきグータラな考えから、数ヶ月前から既に好きな歌を好きなように歌うようになっていた。
それでも課題はちゃんとこなすし、コンクールで賞を取れるくらいには頑張っていたので誰にも文句を言われる事はなかった。
カタン、と私以外誰もいないはずの練習室の中から物音がしたような気がして歌うのをやめた。
物音はどうやらピアノの影からしたらしい。
おそるおそる立ち上がり、物音のした方に足を向ける。
「……誰かいるの?」
そう言うのと彼を発見したのはほぼ同時だった。
ピアノの影、壁に寄り掛かるように静かに寝息を立てていたのは、この学校で唯一作曲を専攻しているという「竹内 灯夜」だった。
私の女友達がこぞって噂しているだけはあって、整った顔で目を閉じている様子は少し見とれてしまう程だった。
「その曲」
そんな彼が目を瞑ったまま口を開いた。
「ふぇ!?」
驚いた私に気づいたのか、少し意地悪そうな表情でこちらを見、微笑んだ。
「その曲、俺も好きなんだ。」
そう言って彼は歌の続きを口ずさみ始めた。
「ほら、続き歌ってよ?」
そう急かされ、彼の歌声に合わせて歌い始める。
元々ユニット曲だったそれは一人で歌うよりも表情豊かに練習室にこだました。
途中、映画の中のヒロインになった気分になって彼の手を取り、ミュージカルのようになりながら彼も同じように本当に楽しそうに歌って踊って
一曲が終わる頃には手を取り合って笑顔で見つめ合っていた。
「………あ…ご、ごめんなさいっ!」
我に還り焦って手を離した。
今まで彼氏は愚か、男友達も殆どいなかった私はあまりにも慣れない状況に赤面しながら俯いた。
そんな私を前にして彼は覗き込むように私を見て、ふぅん?なんて少し考え込んでから、とても面白ものを見つけたような口ぶりで言うのだ。
「遠野 和花はドMと見た!」
「……は?」
キョトンとしている私に再度手を差し出して彼は言う。
「あ、俺は作曲やってる竹内灯夜。確か同じクラスだったよね?」
「うん…多分そう、だね?」
差し出された手を握り遠慮がちに言うと彼は大笑いして言う。
「何で疑問形っ!?」
「いや、えっとー…すみません、男子とあんま話したコトないんで…っ!」
「いやいや、そこ問題じゃないでしょ!」
そうして話す内に彼とは自然に仲良くなった。
それから幾月か経った今では親友と呼べる程になるなんて、その時はまだ分からなかったけど…。
* * * * *
「って、ゆーのが私と灯夜の馴れ初め!以上、私の罰ゲーム終わりっ!」
海外研修初日。…と、言うよりも既に時間的にはとっくに二日目を過ぎているのだけど。
いつもの四人組で部屋割りされていた私達は夜中だというのに飽きもせずトランプなんかで騒ぎ立てていた。
「お前らなあ…学校きっての変人コンビだっつっても普通初対面でミュージカルやるかー?」
そう呆れたように言ったのは同じクラスでヴァイオリニストの高木浩史。
「違うでしょ、こーじ!この二人だからこそ成せる出会いじゃないの、まさしく!」
と、褒めてるんだか貶してるんだか分からないような事を言いつつ浩史を叩いたのが浩史の彼女で隣のクラスのピアニスト、広野麻衣。
二人共、それぞれ麻衣は私の高校からの親友で、浩史は灯夜の高校からの親友だった。
それが私と灯夜が知り合って仲良くなったのがきっかけで、ものの数ヵ月で見事にカップルとして成立していた。
その数ヵ月はあまりにも皆で一緒にいた時間が多すぎて、二人の関係の始まりを今まで聞く機会を逃していた…と、言うよりも二人共恥ずかしがって今まで話してくれなかったので、罰ゲームにかこつけて聞き出してやろう!と、ゆー灯夜との策略だったのだが、どーにもこの二人、トランプが妙に強い。さっきから約20試合挑んで、全て私か灯夜が負けているときたもんだ。…もはやイカサマ?
「ちょっと、ほのかちゃーん?イカサマとか失礼な事考えてるんじゃないでしょうねー?」
「ま、麻衣ちゃん違うよ!そんな事思ってないんだからっ!」
長年一緒にいると心の声を読まれる事もしばしばあって焦る焦る…。
「に、してもだ。お前ら弱すぎだろ?せっかくギャンブルの街に来たのに怖くて賭けもできねーじゃん。」
そうそう、海外研修で来たアメリカ・ラスベガス。夜中だというのに妙にハイテンションなのは、ただただ海外研修に浮かれているだけではなく、外の眩いばかりの夜景に眠気を奪われたというのも一理あった。
むしろ夜に栄える街と言っても過言ではないのだから当たり前か。
「ちょっと待て浩史、まずな、元々ばばぬきはギャンブルじゃない!」
そう、指差して言った灯夜を呆れたように一瞥した後、苦笑い気味に浩史は言った。
「そんな自信満々に言われても一体何連敗してんだよ。」
「う…っ!まあ、運が無いのは認めよう…」
「あはは。あ、そう言えば麻衣ちゃんと浩史君は明日の自由行動どうする予定?」
私のそんな質問に不意をつかれたように一瞬固まって、顔を赤くした麻衣が答えた。
「ま、まだ未定…。」
「あー、お前ら初デートか!海外で初デートとかリッチだなーっ!」なんて茶々を入れながら部屋を出ようとしていた灯夜に小さく手招きされて私も立ち上がった。どこに行くのかと思っていた私に気がついたのか、
「んじゃ!俺らちょっと飲み物買って来るから明日のデートプランでもゆっくり考えときなーっ!」
なんて言いながら部屋を後にした灯夜を追い掛けて私も部屋を出る。
そうしてしばらくホテルの廊下を歩いて、不意に灯夜が振り返った。
「付き合いたてのカップルのお邪魔にはなりたくないじゃん?」
なんて皮肉げに笑う灯夜を見て、私も同じように笑ってしまった。
「確かに!あの二人、照れ屋だから尚更だよね。」
言いながら歩く私は、灯夜と二人になれる時間ができた事を嬉しく思っていた。
本当は出会ったあの日に恋に落ちていたんだと思う。だけど、募る想いよりも速く仲を深める形になってしまった私と灯夜の関係を壊すのが怖くて未だに想いを伝える事ができずにいた。
「あ、和花。見てみな?」
そう言った灯夜の声で我に還る。
立ち止まったのはホテルのロビー。それなりに高い階に部屋があったので、大きな窓から見える夜景はまるで光の絨毯を上から眺めているようだった。
「うわ…すごい…」
思わずため息が出てしまうような景色を眺めながら、知らない間に随分と時間が経ってしまっていた。
「俺さ、この海外研修が終わったら学校退学するんだ。」
それは突然の、思いもよらない告白だった。
「え……?」
あまりに唐突な事で頭がついていけていない私に、再度確認をするように灯夜は続ける。
「実は、さ。俺元々母子家庭だったんだよ。親父がまだ幼稚園の頃に病気で逝っちゃって…。まあ昔の話だし、母さんと二人で暮らすのはもう普通だったけど。…それが先月、母さんが倒れてさ、…親父と同じ病気だって言われた。」
「…………」
その話の内容に私はただ黙って聞き続ける事しかできなかった。
「親父の時は結局助からなかったけど、母さんはまだそんなに病気も進行してないし、あれから医療技術も発達して今なら治せるかもしれない…。だけど、その為にはちょっとお金が必要でさ。俺が音大に通い続けるのはちょっと無理っぽいんだよね…。」
そう言いながら夜景に向けていた視線を私に向けて、くしゃり、と乱暴に頭を撫でられる。
「そんな顔すんなって!あーもー、俺いっつもタイミング悪いんだよな、ごめん!」
そうやって茶化そうとするのが灯夜の精一杯の強がりだって私は分かってたから、何も言う事があできなかった。
「あとさ、この話は明日まであの二人には内緒な!せっかくの旅行なんだから楽しまなきゃ勿体ないじゃん?」
言いながら笑う灯夜の手をそっと握りしめる。
ちょっと驚いた風の灯夜に、なるべく優しく、泣かないようにしながら声をかける。
「じゃあ…明日はいっぱい楽しまないとね?灯夜が一番に楽しまなきゃ、でしょう?」
瞬間、私は灯夜の腕の中にいた。
しゃくりを上げて揺れる灯夜の体をそっと抱きしめて、彼の涙が止まるまでそうしていた。
長いような短いような時間が経った後、顔を上げた灯夜はまだちょっと涙声で言う。
「ごめんな、和花と居るとどうも安心しちゃって…気が緩むんだよな。」
その言葉に小さく笑いながら答える。
「いいよ、全然。私は何にもしてないし!」
「あー…っ。俺かっこわるー…」
言いながらちょっとしょげたように座り込む灯夜の肩を叩き、隣に座る。
「かっこ悪くないっ!男子たるもの、すぐにしょげる方がかっこわるいわよっ?」
「なっ、しょげてねーよ!」
「そうー?」
からかうように笑う私の頭にポン、と手を置き、落ち着いた灯夜の声音が耳元で響く。
「……ありがとな、和花。」
「…うん。」
言うならこのタイミングしかなかっただろう。
だけど私には『好き』って伝える勇気はなくて…ただ、こうして隣で一緒にいられる瞬間を大事にしたいって思ってた。
灯夜はまだきっと…麻衣の事が好きなんだろうな、なんて。
麻衣が浩史と付き合う前に相談に乗っていた頃を思い出す。
一目惚れだって言ってたな、灯夜。
同じ男で親友だった浩史に手伝ってもらう為に麻衣を紹介したのに、あっと言う間に親友に想い人をさらわれちゃうなんて。
私の好きな人本人なのに、私と同じような境遇で…。
本当は仲良くいられてるのが奇跡のような四人なのかもしれなかった。
お互いに色んな想いを隠しながら、ここまで来たんだから。
何やってるんだろう、って時々思う。
だけど灯夜への想いがなかなか消えないように、その切ないけど心地の良い環境から抜け出す事もなかなかできないでいた。
いつか私を見てくれる日が来るかもしれないって思っては灯夜の視線を追いかけて、そこにある浩史の隣で笑う麻衣の姿を見つけて…。
いつまでも手の届かない追いかけっこ。
『What time is it?』
今、私の人生で、何をする為の時間なの?
そう自分に言い聞かせながら、諦めようとしていたけれど。
もう、本当に終わりにしよう。
告げない恋は告げない恋のままで。
そっと胸の奥にしまっておこう。
「さて、そろそろ本当に部屋に戻んないとな。」
「あ、そうだね!飲み物買って部屋に戻ろうか?」
言いながら立ち上がり、もう一度窓越しの夜景を眺める。
いつかこの景色も私の思い出の一部になるんだろう。
そうしてこの景色を思い出す時、灯夜に恋した日々も同じように思い出すんだろうって、ぼんやりと思った。
BGMは[Higsh School Musical2]より
「you are the music in me」で♪+゜