第23話:竜族のペット化〜伝説の黒龍、胃袋に屈する〜
「……ぅ、ぐうぅ……っ」
「我が、我ら絶対無比なる龍の一族の王たる者が……」
「このような地を這う虫けらどもの住まう庭先で、無様に鼻血を出して醜態をさらすとは……!」
昨晩、レオンの仕掛けた「不慮のカラス除け結界」に音速で正面衝突して墜落した黒龍は。 デスバレーのふかふかに耕された土の上で、屈辱と自己嫌悪に全身を震わせながら目を覚ました。
その格式高い漆黒の鼻先には……。 レオンが魔法で即興作成した「超特大サイズ・神聖薬草(エリクサー原料)入りの絆創膏」が無慈悲にペタリと貼られていた。
怒りを込めて咆哮し、この忌々しい村を塵に帰そうとするたびに。 その傷薬から溢れ出す極上のマナの脈動が全身を優しく包み込み……。 龍の殺意を強制的にふんわりと溶かしてしまう。
「あ、大きいトカゲくん、やっと起きた? おはよう」
「鼻の骨の具合はどうかな、まだズキズキする?」
そこへ、爽やかな朝の陽光を背負い、チェック柄のエプロン姿で巨大な木製のおたまを手にしたレオンが、ひょっこりと顔を出した。
「……貴様ぁ! 驕れる人間め、我を誰だと思っている!」
「我は深淵より出でし万物の支配者、世界に終焉を運ぶ絶望の……」
「はいはい、絶望ね」
「それより、ちょうど昨日のバザーの打ち上げでカレーが大量に余っちゃったんだけど、食べる?」
「捨てるのもったいないし、トカゲくん力強そうだからたくさん食べられるでしょ」
レオンが、魔法で浮かせて持ってきたのは、人間用の鍋……などという生易しいものではなかった。
彼が、昨晩の墜落音を聞いて「これくらいのサイズかな」と鼻歌混じりに適当に錬金建築した……。 直径十メートルはあろうかという龍専用の『超巨大給餌ボウル』に入った、眩いばかりの黄金色に輝くカレーだった。
そこには、昨日の取引で「不用品」として出された世界樹の極上の根株や、Aランク魔肉の脂身……。 さらにはレオンが「味を整えるため」という理由で贅沢に投入した『神酒』。
そして自作の超強力香辛料『ドラゴンスパイス』がふんだんに使われていた。
(ふ、ふん! この我が高貴なる龍の舌を、そのような卑俗な人間がこしらえた雑多な混ぜ物で誘惑しようなどと……っ!?)
だが、朝の空気と共に立ち上るその香りを、ほんのかすかに鼻腔が捉えた瞬間。
黒龍の数万年の歴史を誇る鉄の理性とプライドは、ガラス細工のように音を立てて粉砕された。
それは、龍の果てしない寿命の中でもただの一度も触れたことのない……。 魂を、そして魔力の根源を直接掴んで揺さぶるような、抗いようのない「至高の悦楽」の香りだった。
(な、なんだこの芳香は……)
(肺腑に吸い込むだけで、空っぽになっていた魔力回路が歓喜の悲鳴を上げ、全身の鱗が疼いている……!)
(これを、これを食べずして、何が龍の王か!! 誇りなど、後で拾えばよいわ!!)
ガツッ!! バリバリッ!! ズズズゥゥッ!!
黒龍は、もはや自分が何を言おうとしていたか、自分が何者であったかさえも霧散させ……。 一心不乱に、かつ野性的な猛烈さで巨大ボウルの中のカレーへと食らいついた。
「……ッ!!!!!」
一口、その黄金のエキスが舌を通った瞬間、黒龍の脳内でマナの超新星爆発が起きた。
世界樹の濃密なエキスが細胞の一つ一つを爆発的に活性化させ。 神酒の成分が龍の魂を極上の多幸感と全能感で満たしてゆく。
全身の漆黒の鱗が波のように交互に逆立ち。 黄金色の稲妻のようなマナの火花が全身から撒き散らされた。
(う、美味すぎるうぅぅぅ!!)
(我がこれまで万年の時をかけて奪い、喰らってきたワイバーンの心臓や太古の秘宝の魔石など、これに比べればただの味気ない砂利だ!!)
(神よ! この世に生を受けたことに感謝いたします!!)
「お、すごい。そんなに気に入ってくれたんだ。良かった」
「おかわり、寸胴にあと三杯分くらいはあるからね」
レオンのその聖母のような一言を聞いた瞬間、黒龍は一つの真理に到達した。
(この男の側にいれば、私は……私は龍という種を超え、真の神龍、いや世界の理になれる)
(……いや、そんな哲学はどうでもよい。ただ、明日も、この黄金のカレーが食べたい。それだけで我が生に悔いはない!!)
「クゥーン……、クゥゥゥゥ……ン」
物陰から「うそでしょ……世界の終わりよ……」と絶句して見守るエルフのルナリスたちが目を疑う中……。
黒龍は、自らその威厳ある巨大な黒い翼を律儀に折り畳み。 太い首を地面に伏せて、レオンの足元に力いっぱい、巨大な頭をスリスリと擦り付けた。
「ほ、ほう。お前、本当に大きくて賢いトカゲだね。甘えん坊なのかな?」
「名前、真っ黒だから『クロ』でいいかな?」
「……グルゥ!! (訳:拝承! 本日、今この時を持って、我の真なる名は捨て去りました! 我は、貴方様の忠実なる番犬、『クロ』でございます!!)」
黒龍改め『クロ』は、命名された喜びのあまり、巨大な尻尾を千切れんばかりに激しく左右に振り回し。 背後にあったデスバレーの外壁山の一部を豪快に粉砕したが……。
レオンは「お、元気があっていいねぇ」と笑って顎の下を撫でるだけだった。
「よし、じゃあクロ。村の人口も増えたし、みんなを乗せて温泉街の予定地まで散歩したいんだ。乗せてくれるかな?」
「ガゥッ!! (訳:御意のままに、我が主よ! 背中の上を、揺りかごよりも静かに保つことを誓いましょう!!)」
数分後。
死の谷の上空を、伝説の黒龍が、一人の人間と数名のエルフを甲斐甲斐しく背に乗せて……。 まるでお散歩中のトイプードルのように尻尾を振りながら、上機嫌で飛行する姿が目撃された。
それを見た王国の国境守備隊の斥候は。
「し、正気か……。あの大陸を滅ぼすと言われた黒龍が……」
「人間を乗せて、空中タクシーのように楽しそうに飛行しているだと……?」
「世界が、世界の秩序が、音を立てて崩壊していくぞぉぉ……!!」
と、震える手で血書のような報告書を書き上げ……。 (※あまりの荒唐無稽さに精神異常を疑われて免職され)
また一人、神聖ロザリア王国の屋台骨を支える有能な人材が絶望と共に消えていくのだった。
「あー、クロくん。あそこの見晴らしがいい丘に、新しい大型スパ施設の土台を作ろうと思うんだ」
「ゆっくり旋回して見せてくれる?」
「ガブゥッ!(訳:お任せください、ご主人様!!)」
最強の「空の足」と、最も忠実な「番犬」を得て。 レオンの辺境スローライフ国家は、ついにその版図を大空へと広げる準備を整えたのだった。




