第22話:空からの刺客?〜最強の龍、結界に散る〜
その日、デスバレーの透き通るような青空は……。 突如として飛来した巨大な漆黒の影によって、かつてないほどの絶望に塗り潰された。
「……マ、マズイぞ。ありゃあ、御伽噺に出てくる伝説の……『古の黒龍』じゃねぇか……!」
ドワーフの名工バッカスが、震える手で愛用の巨大な槌を握りしめ、冷や汗を拭いながら天を仰いだ。
村の広場にいた元・魔導騎士団員たちやエルフのルナリスも。 上空から降り注ぐ、魂を凍らせるような強烈な「龍の威圧」に心臓を直掴みされ……。 その場で膝をガクガクと震わせて立ち尽くすことしかできなかった。
雲を切り裂き、太陽の光さえも遮りながら、天空を傲慢に旋回する漆黒の翼。
その一息で大国を一晩のうちに灰燼に帰すと謳われる、地上の生態系の頂点。
黒龍は、王都の劣化した不味いマナに見切りをつけ。 このデスバレーの奥地から溢れ出す、あり得ないほど芳醇で濃密な生命の香りに誘われて飛来したのだ。
「グルアァァァァァァッ!! 矮小なる地を這う虫けらどもよ!」
「この極上のマナの源泉は、我ら龍の一族が守護し、統べるに相応しい王土と認めてやろう!」
「直ちにその頭を地面へ擦り付け、全ての宝と命を我が前に差し出せ!!」
黒龍の雷鳴のような咆哮が響き渡り、周囲の連峰が共鳴して震え、世界樹の葉がざわめく。
黒龍は、支配の始まりを告げる合図として。 まずは景気づけに眼下の「不遜なほどに輝く小鉢(村)」を焼き払おうと、その凶悪な双顎に漆黒の極滅ブレスを集束させた。 分子レベルで物質を崩壊させる破壊の光である。
だが、地上の様子は黒龍の期待とは正反対だった。
「あ、なんか今日の鳥、すごい鳴き声が大きくてうるさいね」
「セリアちゃん、あそこの黒い大きなカラス……洗濯物の影になるし、干したてのシーツの邪魔になりそうじゃない?」
村の豪華な洋館のベランダで。 のんきに特製の石鹸の香りがするバスタオルをパンパンと叩いて干していたレオンが、眩しそうに目を細めて空を見上げた。
「カラス……ですか? 私には、かなり規格外に凶悪なトカゲに見えますけど……」
「そうだね。少し風も出てきたし、このままだと鳥がぶつかってケガしても可哀想だから……」
「念のために『防風・防虫・防鳥結界』の出力を……いつもの三倍くらいに上げて、ついでに『有害飛行物質の自動反射設定』にしておこうかな」
レオンは、リビングのエアコンの温度調節でもするような軽いノリで。 村全体を覆う不可視のドーム型結界――因果律すら反射する完全絶対防御壁の調整ノブを、カチリと一つ分だけ回した。
「ゴミめ! 我がブレスの錆となれぇぇっ!!」
黒龍が漆黒の滅びの光を発射し、さらに自らの山をも粉砕する巨体を、弾丸のように加速させて村へと突撃を敢行した。
ドォォォォォォォン……!
天変地異のような爆発音を夢想していた黒龍だったが、現実はあまりにも非情、かつコミカルだった。
彼が全魔力を込めて放った極滅のブレスは。 レオンの結界に触れた瞬間に、まるでおもちゃのレーザーポインターが鏡に当たったかのように「パシュッ」と情けない音を立てて七色に霧散し……。 そのまま空の彼方へと吸い込まれた。
そして次の一瞬――。
ベチャッ!! ゴフッ! べ、べはぁっ!?
「……ぅ、が……っ!?」
音速で結界に正面から激突したのは、黒龍の自慢の、格式高い漆黒の鼻先だった。
レオンが「鳥よけ」としてオンにした『有害物質のベクトル反転反射』が完璧に機能し。 黒龍の数万トンに及ぶ突進エネルギーは、100%の出力でそのまま彼自身の鼻骨と頭蓋へと完璧に跳ね返ったのだ。
「ぐ、げへぇっ!?」
首をグニャリとあらぬ方向に曲げ、鼻からは真っ赤な鮮血を噴水のように噴き出し……。 瞳をぐるぐると回しながら、世界最強を自称していた龍は地面へと真っ逆さまに墜落していった。
ズゥゥゥゥーーーン!!
巨大な地響きを立てて、村の裏手の空き地に頭から突き刺さった。 レオンが明日、ジャガイモを植えようと耕しておいたふかふかの黒土である。
「あーあ、案の定だ。言わんこっちゃない。やっぱり不注意に飛ぶからぶつかっちゃったよ」
「カラスにしては、ちょっと……いや、かなり図体が大きすぎたね」
レオンは溜息をつくと、救急箱を抱えて墜落現場へとトコトコと駆け寄った。 中には、先日適当に調合した「触れるだけで四肢が再生する神薬入りの特大ばんそうこう」がいくつも入っている。
「うわぁ、近くで見るとすごい大きなトカゲだね。鼻の骨が折れてるみたいだよ、セリアちゃん」
「可哀想に、不注意なんだから。とりあえず、止血のためにこの特製トマトのペースト(超高濃度栄養剤)でも塗ってあげようか」
「は、はい! レオン様、このトカゲ、なんだかすごく格式高い宝石を食べて育ったみたいな、不気味な黒光りをしてますね」
墜落と自己反射の衝撃で、脳をシェイクされたように揺らされ、かろうじて意識の端っこを保っていた黒龍の視界に……。 一人の『のんきな人間の青年』が映り込んだ。
その青年が手に持っているのは、ただの傷薬どころか、存在自体が一種の宇宙のバグ……。 触れるだけで魂を強制的に浄化し、昇天させてしまいそうなほどの、圧倒的すぎる神聖エネルギーを放つ真っ赤な果実の練り物だった。
(ば、馬鹿な……。あ、あり得ぬ……。なんだあの人間)
(あれは人間ではない。あれは……この世界の理、輪廻そのものを指先一つで書き換える、真の……根源の神……!?)
(我は……我はそんな存在に、シーツの邪魔だという理由で……『鳥よけ』で一蹴されたというのか……っ!!)
黒龍は、自らの最強種としての尊厳が「可哀想な、鼻血を出したトカゲ」としてレオンの無慈悲な優しさに蹂躙されていく絶望と……。 トマトの香りが脳を焼くような強烈な多幸感という、相反する極限の感情に挟み込まれた。
そのまま盛大に泡を吹いて、人生ならぬ「龍生」で初めての完全な気絶を遂げるのだった。
▽ ▽ ▽
一方その頃、王都。
「龍だ! 伝説の黒龍がさらに北へ消えたぞ!」
「あれはロザリアを捨て、魔王の根城を根こそぎ喰らい尽くしに向かったに違いない。おお、正義は勝つのだ!!」
暗い王宮の部屋で一人、勝手に希望の光を妄想して狂喜乱舞していた勇者アレクサンドは……。
その伝説の龍がものの数秒で「不注意なカラス」扱いを受けて鼻骨を砕かれたことなど知る由もなく。
勝利の美酒(魔法が切れて腐りかけたワイン)を一口飲んで、そのまま酷い食あたりに悶絶するのだった。




