第18話:絶滅寸前のエルフの里〜トマトの香りは救済の福音〜
かつて「森の賢者」と称えられ、悠久の時を生きる気高き種族、エルフ。
神聖ロザリア王国の国境付近、古より精霊たちが集うとされた『古のエルフの森』は……。 今や見る影もなく、枯れ果てた灰色の立木が並ぶ死の静寂に包まれていた。
「……あ、あぁ……。精霊たちの声が、もう聞こえない。世界から、マナが消えてゆく……」
エルフの長であり、一族最高の高位魔導師でもあるルナリスは。 ひび割れた大地に震える膝をつき、力なく真っ青な天を仰いだ。
原因は明白であり、そして残酷だった。
王都の贅沢な魔導インフラや、勇者アレクサンドによる無計画な遠征を維持するために……。 神聖ロザリア王国が国全体の精霊回路から強引にマナを吸い上げ続けた結果、周辺の大地の生命力が完全に枯渇したのだ。
誇り高きエルフたちは飢え、深刻な魔力欠乏症によって次々と病に倒れた。
一族を象徴する眩い金髪は、砂ぼこりに塗れたようにくすみ。 白磁のようだった肌は土色に変色し、ひび割れている。
「ルナリス様……もう、限界です……」
「精霊樹は枯れ、魔力ポーションも全て底を突きました。このままでは、我らの一族は今冬を越せずに絶滅いたします……」
傍らに仕える幼いエルフの少女が、震える声で告げる。 その瞳からは、涙を流すための水分すらも失われようとしていた。
ルナリスは唇を血がにじむほど噛み締め、最後にして唯一の、狂気とも言える決断を下した。
「……北の、禁忌の地『デスバレー』を目指します」
「最近、あの死の谷の方向から……あり得ないほど濃密な生命の息吹と、伝説の黄金郷すら霞むような芳醇な大地の香りが漂ってきているのです」
「でも、あそこは古の魔王が眠る死の王の住処……禁忌の領域ですわ!」
「座して部族の滅亡を待つよりは、マシですわ。精霊たちの導きを信じましょう」
彼女たちは最後の魔力を、命を削るようにして振り絞り……。 蜃気楼のように遠く揺らめく「生命の信号」を辿って、過酷な死の荒野への旅に出た。
▽ ▽ ▽
数日後。
もはやボロボロになり、自らの杖を杖代わりにして歩くことすらままならなくなったルナリスたちが。 ついにデスバレーの物理的な境界線に辿り着いた時――。
彼女たちは自分の目が、いや脳が狂ったのではないかと、何度も渇いた瞼を擦った。
「……な、なんという……凄まじいマナの霧……!」
「呼吸をする、ただそれだけで、空っぽだった魔力回路が、パキパキと心地よい音を立てて満たされてゆく……!」
目の前に広がっていたのは、王国の国宝級の大理石よりも滑らかな、虹色の光を帯びてどこまでも続く「白い道」。
そしてその先には……。 太陽の陽光を浴びて神々しく輝く、見たこともないような超未来的な「黒銀の巨塔」が、堂々とそびえ立っていた。
「く、臭うわ……。この世の何よりも甘美で、そして暴力的なまでに力強い……命の源、大地の神髄の香りが……!」
ルナリスは誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のように、フラフラと、しかし必死の足取りで道を進む。
そして、彼女たちは一つの、およそこの世のものとは思えないほど美しい。 花々と緑が咲き乱れる『家庭菜園(レオン視点)』の前に辿り着いた。
そこには、麦わら帽子をのんびりと被り。 鼻歌を歌いながら真っ赤な実を一つ一つ丁寧にカゴに入れている、一人のどこか頼りなさそうな青年がいた。
「あ、珍しい。耳の長い、お洒落なお客さんたちだね。こんにちは」
レオンは屈託のない、しかし神のごとき慈愛に溢れた(とエルフたちには見えた)笑顔で。 カゴの中から一つ、メロンのように巨大で、ルビーのように真っ赤に光るトマトを取り出した。
「なんか、みんなすごい辛そうな顔してるよ? もしかして、また集団遭難?」
「ちょうど今、僕の庭でトマトが採れたところなんだけど、一つ食べてみる?」
ルナリスは、そのトマトの手のひらにズシリと乗る重みと……。 そこから発せられる『異常な波動』に、心臓が爆発しそうなほどの衝撃を受けた。
(ば、馬鹿な!? この赤い果実、ただの一つに込められたマナの総量が……)
(我がエルフの森の全盛期の数十年分よりも多いというの!?)
(創世記の伝説にのみ語られる『黄金の果実』ですら、これほどの純度は持っていないはず……!)
飢えと乾き、そして魔力欲求で意識が朦朧としていた彼女は。 エルフの誇りもプライドも何もかも忘れ、ひったくるようにトマトを手に取ると……。
そのままガブリと、野生動物のように食らいついた。
ガシュッ!
甘い、そして濃密な、世界のエキスそのもののような果汁が、口いっぱいに圧倒的な質量で弾けた。
「……ッ!!!!!」
その瞬間、ルナリスの体内でマナの超新星爆発が起きた。
全身の隅々の毛細血管まで行き渡るような、熱く芳醇な神聖エネルギー。
くすんでいた彼女の金髪は一瞬にしてプラチナブロンドの眩い輝きを取り戻し。 土色にひび割れていた肌は、生命の潤いに満ちた透き通るような白磁へと劇的に再生した。
さらに、彼女の背後からは「精霊王の光翼」が、かつての大賢者すら凌駕するほどの巨大な広がりでバサリと展開し。 周囲の森に精霊たちの歓喜のさえずりを取り戻した。
「ああ……ああああ……っ!! 神よ……!」
「救済は、真の王は、ここに……ここにいらしたのですね……!」
ルナリスはトマトの皮一枚、種一粒すらも愛おしそうに貪り、そのまま大理石の道に額を全力で叩きつけた。
「……大地の主、生命の新たなる創造神様」
「我ら誇り高きエルフ一族、これより貴方様の永遠の僕となり……」
「この聖域の庭の土に這いつくばってでもお仕えさせていただきます」
「どうか、どうか我が一族を……このトマトの一欠片、一滴の雫で構いません、お救いくださいませ!!」
「えっ? 土? ……いや、別にいいけど、そんなに豪華に驚かなくても」
「昨日ちょっと改良した、ただの自家製トマトだよ? まだたくさんあるから、みんなで食べてよ」
レオンは首を傾げながらも。 「エルフって綺麗だし、植林とかお花の造園作業とか詳しそうだな。ちょうど村に緑を増やしてガーデニングしたいと思ってたから、助かるかも」
と、軽い気持ちで絶滅寸前だったエルフ一族の受け入れを決定するのだった。
こうして、レオンの村に新たな種族『エルフ』が加わった。
だが、彼らが住むことになる場所が、レオンの「ちょっとした住み心地へのこだわり」によって……。 さらなる神話級の異空間へと変貌を遂げることを、彼らはまだ露知る由もなかった。




