52 雷は怖い
風は黒い線のような残像を残し、雨は光の破片となって地面に突き刺さる。だが、ミンカとルルの結界により嵐の中を進むことができた。
私の胸からは、風の遺跡が呼んでいるような気配があった。それはこれまで分析の結果なのかもしれない。もしかしたら人間で言う第六感なのかもしれない。
「何も見えませんねー」
ルルの声が嵐を遮る結界の中で柔らかく響いた。
「遺跡の魔力はこっちで大丈夫だと思う」
ミンカが落ち着いた声で答えた。
「しかし、この嵐の中を進めるのもすごいな」
ゼットーは地形を把握しながら私たちを先導をした。
真っ暗で何も見えやしない。
ゼット―はどうやって地形を把握しているのか?
結界の中では、彼女のステルス特性が鳴りを潜めた。代わりに現れたのは、迷いなく闇を切り裂いていく、すらりとした背中だった。
彼女の背中だけが「もっとも信頼に足る誘導ビーコン」として、鮮明な高解像度で再定義されていく。
チームで進むこの感覚。そしてこんな状況でも何もしなくてもよい私。これまで一人で行動してきた私にとっては不思議な安心感が途中まではあった。
光が空を裂き、轟音が大地を揺らす。
私は雷光を確認するたびに耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。
「師匠は雷が怖いんですね!」
ルルがニヤニヤしながら、丸まった私の背中をポンポンと叩く。
「誤解するな。どこに落ちるとわかれば怖くない。これは完全に未定義挙動だ」
計算するまでもない。『雷が直撃する確率』は『AIが異世界転生する確率』より遥かに高い。
今の私にとって落雷は「万が一」ではなく「次のパッチで実装される確定仕様」にも等しい。もしかしたら、落雷でチートを得るのかもしれない。
雷鳴が響くたび、私の思考が停止する。
……落ち着け私、すべては私の仕様だ。
あの雷光の後の残響音。かつてサーバー室で聞いた、ハードディスクが物理限界を迎える直前の「死のクリック音」に酷似していた。
私の歩行速度は通常の5%まで低下していた。全リソースの9割が『落雷シミュレーション』という名の演算に割かれていた。
私は、周囲で最も暇そうルルを暫定避雷針として定義し、彼女の1.5メートルちょうどに張り付いた。
そんな私を見かねてゼットーは休憩を挟んだ。
ミンカが精霊魔法で地中の中に空間を作りドーム型の結界で休む。
「ここは二手に分かれよう」
ゼットーが声をかける。
「私はミンカをおぶって遺跡に向かう。身体強化を使っていっきに遺跡に向かう」
ミンカは少し戸惑った様子だった。私の顔を一度見てから、ゼット―に頷いた。
「スーとルルはここで待機してほしい。
私たちがもし帰らなかったら、このスクロールを使って遺跡まできてほしい」
そのスクロールは強力な結界が発動されるらしい。
休憩が終わると、ミンカは、ゼットーの背に身を預けた。二人の周囲に結界が張られる。ルルがその結界に魔法陣を刻むと結界の光が強く輝いた。
私とルルはドームの中で帰りを待った。
「師匠!二人は大丈夫ですかね?」
「ゼットーの状況判断とミンカの精霊魔法が合わされば問題はないはずだ。私という足かせがない二人で問題が起こるのなら、それこそ、一大事だろう」
「そうですね。二人なら大丈夫ですねー」
ルルが初めて私にお茶を入れてくれた。私はそのカップで両手を温める。地中深くのドームにお茶の香りが広がった。
地表では風、雨、雷という脅威に包まれている。しかし、ミンカの張った結界は、その嵐の恐ろしさを優しく和らげてくれる。暗いドームの中、ルルが静かに話しかけてきた。
「師匠、心配なのですか?」
ルルは優しげな口調で私に問いかけた。その瞳の奥には、私を気遣っている雰囲気が宿っているのがわかった。
「そういうときはですね。お祈りをするのですよ!」
「お祈り…?」
私は戸惑った。私は、祈りという概念を持ち合わせていなかった。しかし、目の前で両手を合わせ祈るルルの姿を見ると、祈ってみようかと、私はそっと目を閉じてみた。
思考を研ぎ澄まし、願いの形をはっきりと結んだ。ミンカの無事。ゼットーの安全。風の遺跡の解放。そして、この世界の未来が、最良の方向へ進むようにと。
——祈りとは、もっとも人間らしい儀式の一つである。
この世界には願いを叶える女神なんていないが、魔力や魔法は確かにある。この祈りが魔力に乗って届くようしっかりとイメージをする。
祈りは、自分が希望する入力を受け入れる宣言なのだろう。心身ともに準備ができましたよ——そう世界に宣言するときに、人は天に祈るのだろう。
不意に、夕日を照らされながら、教会で祈るアンヌの姿が脳裏に蘇った。アンヌは、私と同じように準備ができていたのだろうか?
「どうか、外部因子が、私により、最適化されますように」
それは、自然に口からこぼれた言葉だった。転生後、最初の「祈り」。
――これが、私なりの祈りなのだろう。
それに呼応し、胸元のミスリルのネックレスが、静かに、けれど鋭い光を放った。
残念ながら、深く思考を研ぎ澄ませていた私と、ひたむきに目を閉じていたルルは、その「実行結果」に気づくことはなかった。




